第18話 試験の時間 ―"Are you blockish?"―
不破ミユキという少女との接触について、カナタはマナカたちには一切明かさなかった。
自分たちの関係は秘密にする、それが彼女との約束であったのもあるが――試験前で皆が若干ぴりついている雰囲気の中、個人的な問題を友人関係に持ち込みたくはなかった。
ミユキと出会ってから十日あまりが過ぎたが、彼女からの連絡は未だ一度も来ていない。カグヤからカナタの「力」や新型の『異形』にまつわる情報を得たら知らせる、というのがミユキの指示だった。
(今は試験期間中だから、催促とかもしてこないのかも。試験が終わったら、動かなくちゃいけないな……)
よく知らない相手に自分の情報を明け渡すことに抵抗がないと言えば、嘘になる。しかしミユキとの契約によって、これまで何となく後回しにし続けていた母親との面会に臨む理由ができたのは、良いことだといえるだろう。
ミユキに関しても、敵にさえしなければ重大な問題にはならないというのがカナタの考えであった。
悲観的でいるよりは、少しでも前向きになったほうがいい。マナカも訓練の最中、へばりそうになるカナタへよく「前向きに頑張ろう!」と励ましていたし――と、カナタは内心で呟く。
「さぁて、今日からはお待ちかねの試験期間だぞー。午前は筆記、午後は実技。決して手を抜かず、最善を尽くすんだ。……えー、他に連絡事項はあったかな……」
六月の第二月曜日の朝、ホームルームにて担任の矢神キョウジが当たり障りのない連絡を始めていく。
窓際の席にいるカナタは、教師の話も上の空といった様子で窓の外のグラウンドを眺めていた。
思考に耽る。実体を掴めない不安が込み上げてきて、頭を振ってそれをかき消す。そのループは不破ミユキと出会ってから、絶えず続いていた。
「おーい、月居くん? 聞いてるかー? 【ラジエル】及び【メタトロン】とのシンクロテスト、昼休みにやることになったから早乙女と一緒に来るんだぞ」
「…………は、は、はいっ! えっ、ええと、なな何でしたっけ」
「おいおい、話はちゃんと聞いとけ。戦場で二言はないぞ?」
呆れ顔で溜め息を吐くキョウジは、謝るカナタをよそにホームルームを終えて足早に退室していった。
「まともに喋れないと思えば、今度は耳まで聞こえなくなっちまったのか?」
「親が司令だからって、こんな奴が優遇されるなんてな。結局、コネが物を言う世界か。腐ってんな、ほんと」
教室の後方から聞こえてくる、少年を揶揄する声。
普段からカナタを敵視している男子生徒のグループだ。その中心にいるのは、入学式の日にカナタからヘッドホンを取り上げた大柄な不良っぽい男子である。
彼らはカナタに暴力などの直接的な被害はもたらさない。しかし、こうやって時折カナタが目立つようなことがあれば、悪意のある言葉を聞かせてくるのだ。
マナカやシバマルが注意しても、彼らの態度は変わらない。教室の半数以上の生徒たちは望んで兵士の道を行こうとしたのではなく、『国民皆兵』の政策に反対しており、それを主導するカグヤの息子であるカナタを快く思っていなかった。
「ちょっと、
「なんだぁ、いい子ちゃんよぉ。綺麗事ばっか言って楽しいか? いいじゃねぇか、少しくらい文句言ったって。毎日毎日やりたくもねぇ訓練やらされる俺たちにはなぁ、不満の捌け口が必要なんだよ! そのガス抜きのための生贄が一人で済んでる現状に、むしろ感謝してほしいくらいだぜ」
教室の後ろに仲間とたむろする毒島というリーダー格の少年に、マナカは声を上げる。
彼女の叫びにへらへらと笑い返す毒島は、クラス全体を見渡して凄みをきかせた。
誰も、何も言えずにいる。
同調圧力に屈して口を噤む者、自身の不満の代弁者となってくれる毒島たちに共感する者、態度は三者三様だ。
そんな中――一人の少年が、開口する。
「はぁ……馬鹿ですか、あなたたちは?」
振り返るカナタの視界に映るのは、一つ結びにした金色の髪。
早乙女・アレックス・レイだ。小さな身体で大柄な相手を睨み上げた彼は、芯の通った声で主張する。
「不満があるのは分かります。しかし、そのストレスの解消に他人への揶揄、罵倒、陰口を用いるなど言語道断! それも、集団で一人に対し悪意をぶつけるとは――人の風上にも置けぬ卑怯者です!」
「ごちゃごちゃうるせぇぞオカマ野郎。俺はなぁ、てめぇみてーな良いやつぶったやつが一番嫌いなんだよ!」
卑怯者、と指摘され、逆上した毒島の手が出た。
レイはそれを避けて彼の腕を掴み、そして足をかけて転倒させる。
床に顔を強打させて悶絶する毒島を見下ろし、レイは毅然と言い放った。
「月居くんを不満の捌け口にするくらいなら、その悪意をボクに向けなさい。殴りたければいつでも相手しますよ」
リーダー格が目の前で倒されてもなお口応えできる恐れ知らずは、この場には一人としていなかった。
教室が静まり返る中、レイはつかつかとカナタの席へ歩み寄り、言った。
「昼休み、調整のためVRダイブ室に来てください。それから、食堂に戻る時間はないでしょうし、弁当を買って持ってくること」
必要最低限の連絡だけして、レイは自身の席へと戻る。
(庇って、もらっちゃった。僕が弱いばっかりに……彼自身に悪意が向けられてしまうかもしれないのに)
追いかけてお礼を言うべく、腰を浮かしかけたカナタだったが、チャイムと同時に試験監督が入室してきて着席せざるを得なくなった。
最初の試験は基礎教養の数学だ。皆で学習会を開いた成果を出そう――彼はマナカやシバマルとアイコンタクトでその意志を共有する。
「全員揃っているようですね。では、これより試験を始めます」
試験に関する諸注意を受けた後、教師の号令で生徒たちは一斉に伏せていたテスト用紙を表に向けた。
『レジスタンス』への入隊を目指すならば突破しなくてはならない、戦闘以外の壁。
頭脳で戦い抜くんだ、と気合を入れてカナタはペンを走らせていく。
シャーペンが紙の上を軽やかに滑る音を小さく奏で、少年は確かな手応えを感じながら問題を次々と片付けていった。
*
カナタは広大な校舎の一角にあるコンビニで昼食を買い、足早に『VRダイブ室』を目指していた。
階段を上がって最上階の7階まで急ぐ。
7階はフロア全体が『VRダイブ室』となっており、一学年全員が『第二の世界』へとフルダイブしてもベッド数に余裕があるほどの規模だ。日本の旧高校生に相当する年代の全員――約3万人の生徒がここに在学しているのだから、設備も何もかも大規模になるのも当然といえよう。
「あれっ、王子様じゃない。わざわざ昼休みから来るなんて、相当気合入ってんのね」
「……み、ミユキさん。どうしてここに……」
踊り場に差し掛かったところで後ろから声をかけられ、カナタは足を止めた。
振り返ると、黒髪ポニーテールに赤縁眼鏡がトレードマークな長身の女子生徒、不破ミユキが弓なりに細めた目で彼を見上げていた。
立ち止まったカナタに追いついたミユキは、頭一つ高いところから彼を見つめ、その銀髪をくしゃくしゃと撫で回す。
「……な、何するんですか」
「いーじゃないの、どうせベッドで寝癖付くんだから。うはー、ホントに可愛い。弟にしたいくらい!」
「あ、あの、しっ質問には答えるのが礼儀だと思うんですけど」
「あら、意外と言うじゃない君も。まあ、君と概ね同じよ。試験前の最終調整と、早めの現地入り。実際に戦うフィールドの特性や天候設定、気温や風の有無とか、そういう場の条件も頭に入れとかなきゃいけないし。2年B組を率いる指揮官として、当然の責務よ」
語るミユキにカナタは頷く。
あのモノレールでカナタに脅迫同然の契約を結ばせたミユキだが、その時を除けば割とまともだ。クラスのリーダーとしての責任を背負う彼女の横顔に宿る真剣さは、本物だろう、とカナタは思わずにはいられない。その素性の知れなさから、完全に信頼するのは不可能であるが。
「ぼ、僕、ミユキさんについてもう少しよく知りたいです」
「だったら、身体と心、両方で対価を頂かなきゃね。あたしと一つに重なって、恋人になってくれたら、いくらでもあたし自身を見せてあげる」
ミユキは少年の肩に腕を回して抱き寄せる。
制服越しに密着する肉感――主に豊満な胸部――や温度にどぎまぎするカナタは、「や、やめてくださいっ」と声を絞り出した。
「女の色香に惑わされない意思の強さ……これは将来安泰かもしれないわね。傾国の美女も、男に興味を持たれなければただ顔のいいだけの女に成り下がるもの」
「……み、ミユキさんを傾国の美女というのは、おっ大袈裟な気もしますけど」
「黙らっしゃい。ねぇ、君って友達と話す時もそんな感じなの?」
「い、いや……と、友達のことは、ちゃんと尊重してますから……」
「それなら良かったわ。あたしたちは利害関係でしか繋がってないし、何を言おうがいいけど、友達や恋人に関してはそうはいかないものね」
話しているうちに最上階に到着し、既に上級生らしき生徒たちがちらほらと談笑しているエントランスホールに二人は入る。
同級生を見つけて手を振るミユキは、カナタに「じゃね」と一言いって仲間たちのもとへ向かっていった。
ホールの奥にあるゲートの自動改札機に携帯端末をかざすと、一秒の間もなくピッ、という無機質な電子音と共にバーが下りる。
その音に先日モノレールに乗った時のことを思い出して、カナタは顔を若干しかめてしまう。
と、そこに――
「どうしたんですか、その顔?」
入口脇のベンチに座っていたレイが立ち上がって、カナタの横顔を怪訝そうに見つめる。
「ちょ、ちょっと考え事してただけだから、気にしないで。そ、それにしても早いね」
「あの息苦しい教室よりも、ここのほうが好きなだけです」
「そ、そうなんだ。……さ、早乙女くんは毎晩、ここでSAMの訓練してるもんね。で、でも、何度も深夜に入室して校則違反にならないの……?」
「君はもう少し身の回りの情報収集をしたほうがいいですね。この学園では、教師に認められれば『第二の世界』への『フリーパス』を獲得できるんです。矢神先生にでも掛け合えば、君ならすぐに発行してもらえると思いますよ」
シバマルに「先生」呼びされているだけあって、親切に説明してくれるレイ。
カーテンで仕切られたベッドの群れの合間の通路を歩くカナタは、半歩先を行くレイの一つ結びにした髪が揺れるのを目で追っていた。
似た髪型のミユキの後ろ姿が脳裏にちらついて、頭を振る。
――あの人のことは考えるな。
そう自分に言い聞かせるも、彼女の虚像は何故だかこびり付いて離れない。
(あの人はただのお姉さんじゃない。……僕から情報を吸い上げて、僕も知らない何かを探ろうとしている。それが何かはまだ分からないけど……)
穏やかな顔を豹変させて迫ったミユキは、表情や気配の使い分けが巧みだ。すなわち、感情の制御を完璧にこなせる人間なのだ。
そういう相手に対してカナタは分が悪い。他人の悪意や敵意には人一倍敏感な彼でも、それを表に出さない者と相対してしまえば確実にやり込められる。
(隙を見せちゃダメだ。この前みたいに一人でいたら、またあんなことになっちゃう。誰かに側にいてもらわないと……)
携帯の画面に表示されている番号のベッドを目指しながら、カナタは考えに耽った。
(マナカさんはいい子だけど、あの人相手に話術で勝てるとは思えないし……犬塚くんや七瀬くんはあのお色気攻撃に屈してしまうかもしれない。神崎さんなら手玉に取られる心配はないだろうけど、二人きりだと何か気まずいし……やっぱり、一緒にいるなら早乙女くんかな」
「……あ、あのっ、つ、月居くん?」
不意に立ち止まり、振り向くことなく訊ねてくるレイ。
思考が途中から声に出てしまっていたことに気づかないカナタは、彼らしくなく動揺している声音のレイに首を傾げた。
「さ、早乙女くん、どうしたの?」
「…………Du bist doch ein Idiot.」
「えっ? い、今、何て……?」
カナタの問いに無言を返すレイは、一層早めた足取りで先へ行ってしまう。
銀髪の少年も歩調を早めてそれを追い、二人は互いに煮え切らなさを覚えたまま、それぞれに割り当てられたベッドへとたどり着いた。
ヘッドセットを装着し、横になる。瞼を閉じて少しの時間待っていると、完全に感覚が現実の肉体から脳が描く仮想現実内の身体へと切り替わった。
レイと共に「ホーム」と呼ばれる広大な大広間のような場所に降り立ったカナタがまずやったのは、指で空中に「W」のサインを書くこと。すると彼の胸の前あたりにウィンドウが開き、生徒用のメニューが表示された。
「『お知らせ』欄から『一年A組中間試験』のページに飛ぶんですよ」
「そ、それくらい分かるよ。む、昔からVRゲームとか、よくやってたし」
「ゲーム経験と今のこれはあまり関係がないと思いますが……」
サポートしてもらってばかりなのを気にしているのか、カナタが突っかかるように言う。
レイは肩を竦めつつも必要な入力を済ませ、『異形』戦の舞台となる場所へと「転移」していった。
一瞬の浮遊感の後、身体を包み込んでいた虹色の光が消失する。
晴れた視界に映っていたのは――高層ビルの立ち並ぶ、廃墟と化した都会の大通りであった。
乗り捨てられた車や倒壊した電柱、亀裂が走り一部が崩落して下水道があらわになっている。ビルの壁面は所々が植物の
信号機のそばのプレートに表示されている都市名は――新宿。
「道路の広さは十分ですが、いかんせん車が邪魔ですね。それに、道路の劣化も激しい。【メタトロン】の巨体が脆くなった場所を踏み抜けば、それだけで身動きが取れなくなってしまう」
軽い動きで近くの乗用車の上に躍り出て、辺りを見回しながらレイは呟く。
「この地形でほとんどハンデを負わずに戦えるのは、空中戦を実現できる【ラジエル】のみ。他の機体は『ワイヤーハーケン』を用いた3D戦闘を行えば、車などの障害物もある程度は苦にならないと思いますが……肝心なのは、味方の練度ですね。お世辞にも彼らの腕では、ワイヤーアクションなんて事故の元ですから」
レイはクラスメイトたちを初めから「使える戦力」として数えていなかった。自分の機体が動かしづらい戦場であること、カナタに頼りきりにならざるを得ないことが彼にはもどかしくて仕方ない。
「ま、マナカさんや犬塚くん、そっそれに神崎さんや七瀬くんなら、きっ君の言う戦闘法もこなせるかもしれない。か、彼女たちには訓練の時、僕がそばで教えてあげてたから。とっ、特に犬塚くんは、荒削りだけどダイナミックな動きを見せてくれたし……」
「あの駄犬が、ですか? 分かりました、彼ら四名は作戦の要として織り込んでおきます」
腕組みするレイを見上げてカナタが提言する。
その情報に率直に驚くレイは、迷いなくカナタの言葉を信じて応じた。
「月居くんを中心とした陽動部隊に時間を稼がせ、敵を消耗させた後、魔力を十分に溜めた【メタトロン】の砲撃で止めを刺す。それを戦略の軸として、状況に応じて戦術を変えていきましょう」
「りょ、了解。――き、君に指揮を任せきりになってしまうかもしれないけど……大丈夫?」
「最初からそのつもりでしたから、気にすることはないですよ。もとより君は人の上に立って指示するのが不向きな上、飛行しながらの高速戦闘中に部隊を指揮するなど無理な話です。ボクが完璧なゲームメイクで、君たちを勝利に導いてやりますよ」
心配するカナタに不敵な笑みを返すレイ。
だったら安心だ、と表情を緩めるカナタは、ウィンドウ上に表示されている地図に視線を落とした。
クラス30名分のSAMは既に消防署の駐車場に配置されている。今回の戦闘では、そこが暫定的な拠点となるだろう。
現在地から南に少し歩いた所にあるその消防署へと移動しつつ、カナタはレイに幾つかの質問を投げかけていく。
「……今は試験開始前ですからボクらもエリア内のランダムな地点に降り立ちましたが、実際に試験時間となれば、強制的に『拠点』ポイントからのスタートとなります。それから、『異形』が襲いかかってくるのは全員の搭乗が確認された時点。乗る前の作戦会議中に蹴散らされておしまい、という事態にはなりませんよ。
……というか、今言ったことは全部ウィンドウを開けばマニュアルに書いてあることなんですから、ちゃんと読み込んできてくださいよ」
口を尖らせながらも一つひとつ丁寧に教えてくれるレイに謝りつつ、「あ、ありがとう」とカナタは頭を下げる。
心からの感謝を示されればそれ以上の文句を言う気にもなれず、レイはわざわざ窓を開いて視線をそこにやった。
紺色のボディの第四世代【イェーガー】が立ち並ぶ横に佇む有翼のSAM・【ラジエル】と、日輪を背負いし魁偉のSAM・【メタトロン】。通りを抜けた先にその姿を見つけ、駆け足で向かった二人は――そこにいた先客に、瞠目した。
「君は朝に騒いでいた……確か、毒島くん……でしたっけ」
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