第19話 風の少女と鎧の大烏 ―Observers―

 黒髪の前側に赤いメッシュを入れた、鋭い目つきの不良っぽい少年。

 彼に言われたことを思い出してカナタが一歩後ずさる中、少年――毒島ぶすじまカツミは、レイを睨んで忌々しげに眉間に皺を刻んだ。


はえぇな、オカマ野郎。このデカブツを乗り回しにきたのか?」


「シンクロ率の確認をしに来たのですよ。その結果次第で、今日の戦闘でヘッドセットによる完全神経接続を用いるか決めます。……あと、その呼び名は止めてもらいたいのですが」


 素直に目的を明かすレイは、自分よりずっと背の高い毒島カツミを見上げて不服そうに訴える。

「あぁ?」とカツミが舌打ちし、カナタがまた喧嘩になるかもと心配した、その時。

 近くのSAMの陰から一人の女子生徒が飛び出てきて、言った。


「喧嘩はダメだよ、カツミぃ。暴力に頼らず、賢く生きなきゃ、でしょ?」


 真っ白なショートヘアと赤い眼が特徴的な、小柄な女子生徒。スカートをかなり短くし、ブレザーはワイシャツの上に羽織るようなスタイルにしたりと、制服を派手に着崩した容貌をしている。それでいて殆どメイクをしていない顔は非常に整っており、そのあどけない雰囲気は、健やかに発育した双丘と強烈なギャップを醸していた。

 彼女には見覚えがある、とカナタが内心で呟くそばで、レイは記憶を辿ってその名を引っ張り出した。


「あなたは確か……ボクらと同じA組の、風縫かぜぬいカオルさん」


「あ、名前覚えててくれたんだー。話すの初めてだよね、良かったら仲良くしてねー」


「別に、仲良くやるつもりもありませんから。……時間も惜しいです。調整を始めましょう、月居くん」


 握手を求めてくるカオルに応じず、レイはカナタへ促しつつ【メタトロン】の搭乗口へと足を運んでいく。

 頷いて彼の後に続こうとしたカナタだったが、そこで不機嫌そうなカツミの眼に射抜かれて足を止めた。


「な、何、ですか……?」


「話しかけてくんじゃねえ、コネ野郎。――行くぞ、カオル」


「おけー。とりまエントランスホールでご飯にする? それとも、ア・タ・シ? 空いてる多目的トイレ、アタシ知ってるよー」


「とんだビッチだな。飯に決まってんだろうが」


 カナタの問いを一蹴し、擦り寄ってくるカオルを押しのけるカツミ。

 彼が先にログアウトしていき、残されたカオルは銀髪の少年へ笑みを向けた。


「兄貴からアンタの話は聞いてたよ。コネでも贔屓でもなく、アンタたちの実力が証明されて新型機が支給されたこと、アタシは分かってるから。……ちょっと適当にメモ帳開いてくれる?」


 白髪赤目の見た目と、風縫という苗字。もしやと思っていたカナタだが、彼女の口から「兄貴」と出れば確定だ。

 カオルは『レジスタンス』のエースパイロットの一人、風縫ソラの妹なのだ。そして兄を通して、他のクラスメイトたちよりもカナタを知っている。

 カナタが言われるままにウィンドウのメニューからメモ帳アプリを起動させると、カオルはそこにキーボード入力で英数字を書き込んでいく。


「……こ、これは?」

「SNSアプリのIDだよ。もしかして、知らない?」

「し、知ってるよ。……ちゅ、中学生の時にやめちゃったから、い、今はアプリ入れてないけど」

「じゃ、良ければ入れといて? 連絡、待ってるからねー」


 カナタの手を両手で包み込み、上目遣いでウィンクしてみせるカオル。

 戸惑いながらも頷くカナタに彼女は抱きつき、耳元で「ありがと」と囁いた。

 パーソナルスペースを真っ向から無視して距離を詰めてくるカオルに、カナタは驚きを通り越して畏怖すらしてしまう。

 ――何なんだ、この人。

 少年のそんな思考を読み取ったように、悪戯っぽく笑ってカオルは言った。


「何か刺激が欲しくなったら、呼んで? 必ず、満足させてあげるからさ」


 彼女はそれだけ言い残してログアウトしていった。

 開きっぱなしだったウィンドウをタップ一つで片付け、奇妙にざわつく胸を押さえながら、カナタは【ラジエル】へと乗り込んでいくのであった。



 調整を終え、昼食もしっかりと摂ったカナタとレイは、エントランスホールに続々と集まってくる顔ぶれを確認する。

 マナカやシバマル、リサ、イオリといったいつものメンバーや、風縫カオルと毒島カツミ、他にはクラスの半数程度がここに来ているが――残りの面々の姿は未だ見えない。

 カナタたちが座るベンチの周りに集合したマナカたちは、腕時計とにらめっこしながら全員が揃うのを待っていた。


「どうしよう……あと五分だけど、まだ十二人も来てないよ」

「さっきから連絡はしてるんだけど、既読すらつかない。……こりゃ、来る気ないかもな」


 焦燥するマナカと、諦めたようにため息を吐くシバマル。

 一度きりの戦闘で人員が欠けるハンデを負う事態は、何としても避けたいところだ。

 しかし、「兵になりたくない」上に「自主退学する勇気もない」者たちを試験に参加させるのは難しいだろう。自主退学には親の同意が要るが、成績不良による強制退学にはそれも関係ないためだ。


「来ない人たちのことを考えても仕方ありません。ボクら十八人だけで部隊を組み、戦いましょう」


 席を立って十七人の顔を順に見ていくレイは、そう言い切った。

 彼の言葉に反論する者はいない。クラスの中で最も発言力を持ち、実力も併せ持つ彼を、一同は自然とリーダーとして認めていた。

 スマホを開いてそこにメモした事項に目を通しながら、彼は一同に作戦を伝えていく。


「戦場は廃墟と化した『新宿』という都市です。道路は所々老朽化している上に、乗り捨てられた車が障害物となっています。地上での高速駆動をメインとする戦術は取りにくいでしょう。ですが、『ワイヤーハーケン』を使った立体的な戦闘ならば、SAMの機動性を十全に活かす戦いが可能となる。いきなりやれというのも無茶な話ですが……しかし、やらなければ勝てません。――瀬那さん、犬塚くん、七瀬くん、神崎さん。君たちには月居くんをリーダーとする前衛部隊として、『ワイヤーハーケン』での3D戦闘に臨んでもらいます」


 レイは強い口調で四人へ命じた。本気で勝ちたくば、従え――彼の眼光はそう語っている。

 

「れ、レイ先生……俺たち、ワイヤーアクションのやり方、知らないんだけど……」


「進みたい方向に射出し、ハーケンを突き刺す。突き刺さったらすぐに、高速で巻き取る。基本はそれです。最初は動きのイメージがつかないかもしれませんが、すぐに慣れますよ。君たちならできると、ボクは確信しています」


 信じていると明瞭な声で言われたことで、弱気になりかけていたシバマルたちの背筋が伸びる。

 過去にドイツの学校で訓練部隊を指揮した経験のあるレイは、戦う前に仲間たちへ言うべき言葉を弁えていた。

 決して下を向かせず、背中を押す。自信とやる気さえあれば、多少のハンデはカバーできる。


「あのー、ちょっといーい?」


 と、そこで挙手したのは白髪赤目の女子生徒、風縫カオルだった。

 胡乱げな目を向けるレイに笑いかけ、ベンチに座るカナタの手を取って彼女は言う。


「アタシもカナタくんの部隊に入りたいなーって思うんだけど……レイくん、許可してくれるよね?」


「あなたの実力をボクらは何も知らない上に、月居くんや瀬那さんたちとの連携が取れるかも定かでない。ただでさえ初めての作戦なのに、部隊に異分子を入れるわけには……」


「信頼関係なんて、戦いの中で築けばいいじゃない。実力に関しても、戦闘で全部さらけ出してあげるからさー。ね、だからお願い♡」


 胸の前で両手を合わせ、カオルは片目をつむって頼み込む。

 彼女は風縫ソラの妹だ。言うだけの実力はあるのだろう。そう内心で呟き、レイはカナタにアイコンタクトで意思の確認をする。真っ直ぐな視線、決まりだ。


「……許可します。前衛部隊は月居くんをリーダーとし、先ほど呼び上げた四名に風縫カオルさんを加えた六名。残るメンバーはそれぞれ六名ずつに二分し、中衛と後衛を担わせます。中衛は地上からの銃撃や『魔法』攻撃での援護。後衛は【メタトロン】の守護をメインに行いつつ、適宜武器の補給にも当たってもらいます。メンバーの振り分けは――」


 レイの指示で部隊の編成はスムーズに進んでいく。

 決定した中衛、後衛の六人が各々言葉を交わす中、気だるげな男の声が彼らへと投げかけられた。


「おーい、A組の諸君。試験は間もなく始まるが、作戦は決まったのかー?」


 よれよれな白衣姿の矢神キョウジは、自分が受け持つ生徒たちの数を指差し確認する。

 レイやカナタの予想に反して、キョウジはその欠員の数に驚いた様子だった。


「例年はこんなに欠員が出なかったんだがな。……やはり、月居くんの存在が大きかったか」


「カナタくんのせいだっていうんですか、先生!」


「月居くんは悪くないさ。だが他クラスと比較して欠員が多いのも、月居くんを悪く言っていたのが主に来ていない面子であるのも事実だ」


 カナタは俯いて押し黙る。彼を慮るマナカはキョウジに反駁しようとしたが――それが彼への慰めにもならない気がして、言葉を引っ込めた。


「準備は出来ているな? ――では、出撃だ」


 担任の号令にレイを中心とする生徒たちは頷いた。

 たった十八人で迎える前期中間試験の『異形』戦が、いよいよ幕を開ける。


 

 エントランスホールの壁面にある巨大モニターに映された、『第二の世界』の光景。

 本日『異形』戦のない二年、三年の生徒たちは、観戦のために続々と集まってきていた。彼らの目当てはもちろん、月居カナタ、早乙女・アレックス・レイを擁する一年A組である。

 不破ミユキは腕組みしてモニターの前に立ち、黙して開戦の時を待っていた。

 彼女の隣で糸目を弓なりにする人の良さそうな黒髪の男子生徒は、興味本位に訊ねる。


「そういえば不破さん、昼休みに月居くんと一緒にここまで来てましたよね。どうでした? 彼から、何か聞けました?」


「んー、A組の試験に関することは、何も。毒にも薬にもならない世間話だけよ」


「まあ、戦いの前にネタバレしても面白くないですからね。しかし、月居くんが不破さんにある程度心を許してるだなんて、正直信じられない話です」 


「あら、失礼ね。私の美貌と話術と人懐っこさがあれば、どんな子とでも仲良くなれるの」


「演技派ですからね、あなたは。月居くんはそれに気づいていないのか、それとも僕のように察した上で『乗せられてる』のか……その答えしだいで、僕の彼を見る目も変わりそうです」


 口を尖らせ、眼鏡の下の鋭い目で睨みつけてくるミユキ。

 そんな彼女の眼光にも全く動じず、男子生徒は笑顔で呟いた。

 ミユキは彼の言葉に唇を微かに歪め、言った。


「良かったわね、ヤイチ。おそらく、彼は後者よ」

 

「ほぅ……。あ、【ラジエル】が出ますよ。本当に翼が生えてるんですね」


 ヤイチと呼んだ側近の男子生徒の台詞に、ミユキは視線をモニターへ戻す。

 白銀のボディを白日の下で煌めかせる有翼のSAM、【ラジエル】――荒廃したビルとビルの合間を低空飛行するカナタの機体は、観衆の注目を一手に引き受けた。

 その後ろから車等の障害物を避けながら五機の【イェーガー】が続き、さらに後方からも六機が出撃している。もう一人のエースである【メタトロン】は拠点である消防署跡地に鎮座しており、その周りを五機が守護していた。


「十八機だけ? それだけA組は問題を抱えていたってこと?」


「――だとしても、彼らは勝つわ。私の息子が共にあるのだから、当然よね」


 誰に言うともなく発した呟きに、返す声があった。

 ミユキはその声に振り返る。周囲の喧騒が止み、スピーカーから流される仮想世界の音声だけが無機質に響く中、その女性は美麗な顔に笑みを刻んでいた。


「カグ……月居司令!? どうして、ここに……?」


「【ラジエル】と【メタトロン】の初の『異形』戦だもの。二機のエンジンの開発に関わった私がそれを視察するのは、別に不自然ではないでしょう?」


 白衣姿の銀髪の女性――月居カグヤは、ミユキの問いにさらりと答える。

 側に軍服の老紳士を従える彼女は、青い瞳で繁華街を飛翔する【ラジエル】を見据えるのだった。



『目標は一キロ前方にいる『異形』、ラウム。月居くんは奴の意識を引きつけ、攪乱。くれぐれも、ボクの指示があるまで大技は控えてください。魔力の使い時を誤ればすぐに動けなくなる――君が乗っているのは、そういう繊細な機体なのですから』


 そう通信で言い含めてくるレイにカナタは「りょ、了解」と頷く。 

 モニターに映る黒い翼を持つ『異形』を睥睨し、彼は飛行する【ラジエル】に銃を構えさせた。

魔道書ゴエティア』に記されし序列40番の『異形』、ラウム。巨大なカラスのような外見で、両翼を広げた全長は40メートルを超え、羽根の一つひとつが鋼鉄のごとき硬さを誇っている。『レジスタンス』がこの種に付けた異名は、【鎧の大烏おおがらす】。その防御力、攻撃力はともに高く、都市の破壊者として過去に『レジスタンス』を大いに苦しめた『異形』である。

 色褪せた広告が剥げ落ちかかっているビルの合間を縫って飛びながら、カナタは深呼吸して機体と一つにならんと意識を集中させた。


(――行こう、ラジエル。僕の分身よ)


 機械の身体が驚くほど軽い。魔力による揚力を得て飛翔したカナタは、一気に上空へ踊り上がった。

 太陽を背負って出現した有翼の影に、最も高いビルの上に停まっていたラウムの視線が上向く。

 繁華街全体に届く太い鳴き声を上げた【鎧の大烏】は、その巨大な鉄の翼を広げて飛び立った。


『ガアアアアアアアアアッッ――!!』


 羽ばたき一つで巻き起こる突風。周辺のビルが横揺れし、窓ガラスが割れて吹き飛ぶ中、『異形』の「標的」として認められたカナタは叫んだ。


「さ、さあ――勝負だ、ラウム!」

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