第35話 虚構と現実 ―"I return the kindness."―

 何かがおかしい。

 序列六十四番の【異形】・『フラウロス』との戦闘でカナタが動きを止めたのを見て、レイは異変に気がついた。

 あの【異形】は三年前に第四世代SAM【サハクィエル】に討伐された種だ。最新の第五世代SAM【ラジエル】が遅れを取る相手では決してない。

 

「何か変です、刘さん! 【ミカエル】で出撃を」

シー、行きます!」


 他の生徒たちの射撃訓練の監督を中断し、【ミカエル】を起動させる雨萓ユィシュエン

 白翼を広げて飛翔する【機動天使プシュコマキア】は、腰にいた長剣の柄を握り締めた。


「あれは……!? なんて、酷い……」


 上空から俯瞰した凄惨な光景に、ユイは口元を押さえたい衝動に駆られた。

 くびをへし折られた【イェーガー】が真紅の魔力液エーテルをとめどなく流し、再起不能な状態に陥っている。

 その側で立ち尽くしたまま動けないもう一機へと豹人間の【異形】はにじり寄り、燃え盛る拳を獲物の胸に叩き込もうとし――


「【螺旋を描け、火焔の花たちよ】――【紅蓮花舞ぐれんかぶ】!!」


 抜刀の勢いのままに撃ち出される火焔の魔法。

 花吹雪のごとく舞い散る炎が集束し、螺旋を描いて眼下の標的へと突き進む。

 が――しかし。

 

「何ッ!?」


 瞬間、少女の目を刺す黄金の輝きが『フラウロス』の身体を覆い隠した。

 そして次に彼女を襲ったのは、全身を焼かれる激甚な痛み。


「あああああああああああああああああああああッッ――――!?」


 燃えている。燃えている。身体を守る二対の翼ごと、熾天使の身体が急速に熱されていく。

 発狂寸前の絶叫を上げる少女は、意識を手放す寸前にある既視感に思い至った。

 あの時と同じだ。月居カナタの【ラジエル】と対戦した時、彼が使った魔法を反射する【防衛魔法】と。

 

「刘さん!? 早く神経接続をカットしてください!!」


 悲鳴にも等しいレイの声がコックピット内に反響した。

 最後の気力を振り絞ってユイはそのコマンドを実行し、直後、操縦者を失った【ミカエル】は地上へと墜落していった。



「何が起こってる!? まさか、次なる新型【異形】が出現したのか!?」


『VRダイブ室』に隣接した『第二の世界』の管制室にて、コンソールの前に立つキョウジは鋭く叫んだ。

 彼の声にこの場に居合わせた他の教師たちもどよめく。


「矢神、現場をしゅモニターに映せ! みなと、貴様は『レジスタンス』に通報だ! 貴様なら奴らとのツテもあるだろう!?」

「今出します!」「は、はいっ!」


 鬼教官と生徒に恐れられる禿頭にサングラスをかけた壮年の教師が、二人の後輩へ命じた。

 キョウジはすぐにA組の生徒たちのいる旧新宿の映像を画面上に映す。

【ミカエル】の大魔法が完全に防がれ、反射させられた光景に、誰もが言葉を失った。

 数秒間にわたる静寂の中、管制室に響く声は湊という若手の男性教師の電話の声だけ。

 それから最初に口を開いたのは、鬼教官こと鬼頭きとうだった。


「先の報告書にあった『パイモン』の反射魔法と同種のものか。――矢神、生徒たちの指揮を取れ! 【ミカエル】が倒れ【ラジエル】もまともに稼動しない状況では、生徒たちの力のみでは立て直せない!」

「無茶を言わないでくださいよ、鬼頭さん! 俺は元研究員です、現場の指揮なんて素人同然なんですよ!?」

「チッ……ならば湊、貴様が暫定的な指揮官となれ! 貴様は元『レジスタンス』の士官だろう、やれるな?」


 鬼頭は一学年の主任として各クラス全体を監視する役割がある。一つの現場にかかりきりになる余裕はない。

 彼から指名された青年――湊アオイは、その顔に苦渋の色を滲ませながら吐き捨てるように言った。


「鬼頭先生。先生は、僕が何故『レジスタンス』を辞めたか知った上で、そう言うのですか」

「ああ。上官の言うことが聞けないか?」

「……聞きますよ。戦いの場を離れただけで、ここだって『レジスタンス』と同じなのですから」


 齢二十の青年はやや投げやりな口調で上司の命令に従う。

 長めの青みがかった黒い前髪を掻き上げ、ヘアバンドで留めたアオイは管制室を一人出て行った。

 最年少の教師の背中を目で追うキョウジは、そこに視線を固定したまま鬼頭に問う。


「傷を抱えたままの若者を戦場に再び送り出す……あなたほどの人間でも、それを憂いますか」

「心情と実際の行動が乖離することは、戦場では珍しくない。今回もその例外ではなかっただけのことだ」 

 

 上司の厳しい口調の裏に憂慮があることをキョウジは見抜いていた。

 腕組みして幾つものモニターに表示される各クラスの様子を観察しながら、鬼頭は硬い声で呟く。


「早乙女が動き出したぞ。クラス全体を集めて、あの『フラウロス』にぶつけるようだな。共倒れにならなきゃいいが……」


 知性を持つ新型【異形】との戦闘は『レジスタンス』の精鋭たちを送り込んでも苦戦したほどだ。生徒たちに敵に抗いきれるだけの水準があるか――見え透いた答えに、鬼頭は唇を引き結んだ。

 キョウジはズレ落ちかけた眼鏡を戻しつつ、力なく頭を振る。


「やはり、彼らは時間稼ぎのための捨て石扱いするしかありませんか。あとで何と声をかければ良いか……」



『フラウロス』を取り囲むように陣を組んだ【イェーガー】たち。

 彼らを指揮するレイは、早口にカオルやカツミといった実力の高い生徒たちへ命じていく。


「パイモンと似た魔法を使った【異形】は、先日月居司令が語った新型の可能性があります。迂闊に攻めれば攻撃を跳ね返されるだけ――しかし、勝機がないわけではありません」


 敵の魔力を枯らす。それこそが自分たちに残された勝ち筋だとレイは語った。

 あの燃え盛る拳の攻撃を使わせ、反射魔法に割く分の魔力を削る。そのためには攻めるのではなく、敵を挑発して攻撃を引き出すのだ。


「オッケー、レイくん。そーいうのアタシ得意だからさ、任せてよ」

「オカマ野郎の言う通りにするのも癪だが、やってやる」


 カオルには『ワイヤーハーケン』を使った立体機動術で『ラウム』を翻弄した実績がある。カツミの力量も彼女には及ばないものの、クラス内ではユキエに並ぶ高水準だ。

 二人を中心とした円陣で敵を包囲し、カオルたちによる縦横無尽なワイヤーアクションで敵の注意を引き付ける。

 作戦の概要を聞いたカオルたちは頷き、さっそくレイの下で行動を開始した。


「さぁ、いっくよーっ!」


 戦場は新宿のビル街。ワイヤーで飛び回るには最適な舞台だ。

 約三十メートルの距離を置いて周囲に立つ【イェーガー】たちを見渡す『フラウロス』に、動き出す素振りは見えない。警戒を払ったまま、静止して攻撃を待ち構えている。

 

(自分から動くより、敵の攻撃を跳ね返しちゃうほうが隙も少ないし、楽だもんね。気持ちは分かるよ――だけど、こっちにはアンタらだけに効く武器がある)


『フラウロス』の頭上に飛び上がったカオルが抜くのは、毒液を込めた弾丸を射出できる小銃だ。

【異形】の肉体には効果があるが、SAMが食らっても傷一つつかない兵器。


「あはっ、どうするの【異形】さん? 動かないならこっちから撃つけど!」


 敵めがけて毒の弾丸をぶっぱなすカオル。その反対方向のビルの外壁で銃を構えるのは、カツミだ。


「おらおらッ、挟み撃ちにしてやるぜぇ!」

 

 獰猛な雄叫びと共に放たれる銃声の連続。

 二方向から降り注ぐ弾丸に、さしもの『フラウロス』も動いた。

 

『ワタシは真実しか語らない』


 言葉と同時に【異形】の足元には魔法陣が展開される。

 その中心に立つ『フラウロス』はヒトに近しい顔に笑みを刻むと、開いた両の手のひらの上に青い火球を浮かべてみせた。

 そして、飛来する銃弾を迎撃せんと投擲とうてきする。


『ワタシは嘘を語る。同時にワタシは真実を暴く。ワタシの嘘はすなわち真実』


 紫紺の光芒を帯びた魔法陣の中に立つ【異形】は、淡々とした口調でそう告げた。

 脳内に反響する声にカオルやカツミが顔をしかめ、攻め手を緩めずに銃声を打ち鳴らし続ける中――彼女らは、自分が撃った弾が全て青い火球に吸い込まれていることに気づいた。 

 音もなく炎へと飛び込み、消失していく弾丸。

 一体何が起こっているのか――息を呑むカオルは銃撃を中断、カツミにもそうするよう鋭く命じる。


「よく分かんないけど離れるよ! また反射してくるかもしれない!」

「お、おう!」


 高速でワイヤーを巻き取ってビルの合間を飛び回り、散開していくカオルたち。

 地上で武器を構えた体勢で待機している味方を見やり、彼らにも警戒するよう声を飛ばした。

 だが――想定した反撃はやって来ない。『フラウロス』は両手に炎を燃やしたまま、魔法陣の上に鎮座して動き出す素振りも見せなかった。


「あーもう、全然攻撃してこないじゃない! こっちから『毒銃』以外撃てないってのに!」


 苛立ちをあらわに吐き散らすカオルを、レイは「落ち着きなさい」となだめる。

 だが今の心境は彼も同じだった。こちらからは攻めきれず、かと言って敵側が魔力消費を最低限に抑えている現状では、短期での決着は不可能。

 戦略的に持久戦を強いられるのは確実で、レイとしてもそれを呑むしかない。

 そこで問題になるのは、クラスメイトたちがこれまでに持久戦を一切経験していないことだ。慣れない戦いの上に主力機のうち一機は倒れ、もう一機は武器を奪われまともに戦えない。さらに一番の懸念点は、こちらの主戦力となるカオルやカツミが血気盛んな正確だということ。彼らは待つよりも突っ込んでいくのを好むタイプだ。レイの指示を無視して行動してしまう可能性もゼロではない。


(カナタさえいれば……)


 魔法には同種のものをぶつければ打ち消し合う特性がある。『パイモン』の魔法を持つカナタならば、厄介なフラウロスの反射魔法も無効化できたはずだ。

 

(どうする、早乙女・アレックス・レイ! 他の味方を放置してでもカナタを助けに行くべきか? いや、そもそもカナタの【白銀剣】を取り返さないことにはそれも出来ない――)


 敵の魔力切れを待つ以外の勝ち筋は、前述の通り敵の魔法を打ち消して、その隙を突いてメタトロンの砲撃を浴びせる以外にない。

【ミカエル】の大魔法をも防ぐあの防御を突破する手段は、こちらには皆無だ。

 モニターの地図上にある敵と味方を表す光点を睨むレイは、仲間たちに方針を伝えた。


「……以上が作戦です。攻撃が一切通らない敵を相手に無茶な話であるのは承知しています。ですが、それでもやらなければ勝てません! ボクらにある勝利への道は、カナタしかない!」

「アンタ、ほんとカナタくんのこと好きだよね。なんかいつも以上に必死な感じがするよ?」


 茶化すように言ってくるカオルにレイは沈黙を返した。

 小さな肩を竦める白髪赤目の少女は、「マジでわかりやすーい」と笑う。


「ま、それしか手がないってんなら付き合うし。要は敵の攻撃を掻い潜って、お宝を奪い取れってわけでしょ? 楽勝よ」

「君の立体機動術が鍵になります。信じていますよ、風縫さん」

「オッケー。じゃ、アンタもやりたいことやんなよ。ぺちゃくちゃ喋る新型【異形】はパイロットの心を掻き乱してくる――心配なんでしょ、あの子のこと」


 ろくに付き合いもない少女に自分の内心が完全に見通されている。

 図星を突かれて顔を赤らめるレイは意地を張って否定しようとしたが、自分の本心に嘘をつくことは止めようと思った。

 どうせ戦うなら死んだ人の復讐のためではなく、生きた好きな人のために戦いたい。もちろん喪った者たちを蔑ろにするつもりはないが――レイは知ってしまったのだ。【異形】への復讐と死者への贖罪のためだけに先の見えない戦いに臨んでいた彼に差し伸べられた、手のぬくもりを。


「すみません。現場は任せます」

「おい、オカマ野郎。行くならちゃんと助けやがれ! そうじゃねーと、信用して送り出した俺たちが馬鹿ってことになっちまうだろ」

「その呼び方はやめろと、既に何度も言ったはずですが」


 粗暴な言葉を浴びせてくるカツミに、レイは苦笑交じりに言った。

 日野や真壁といったクラスメイトたちも状況を理解し、レイの背中を押してくれた。

 自分は仲間に恵まれている。それを改めて確認し、有り難さを噛み締めながら金髪の少年は【メタトロン】を動かし始めた。

 円環を背負う『炎の天使』は誇張抜きで大地を揺らし、道路上の車を蹴散らして進んでいく。


(待っていてください、カナタ。ラウム戦で助けられた恩に、ここで報います)


 胸に灯る意志を熱く燃やして、少年は相棒の無事をただ祈った。



『フラウロス』と名付けられた【異形】は非常に狡猾で、かつ慎重な性格をしていた。

 彼は基本的にノーリスクで倒せると判断した相手にしか接近しない。それ以外の敵には攻撃を仕掛けず、反射魔法の防御で対応する。

 ――ここまではまだいい。これだけならば、普通の【異形】にも見られる戦い方だ。  

 通常種と異なり知性を得た彼の真の恐ろしさは、じわじわと周囲に拡散していく魔力による精神攻撃にあった。

 

『オマエは嘘つきだ』


 忘れようとしたトラウマを、自分を偽ってまで蓋をした過去を、彼は白日のもとに晒す。


『ワタシは真実を暴く』


 もしくは直視するのも困難な残酷な事実を、覆らない過酷な現実を、その記憶に刻み込む。

 内的要因か外的要因か、いずれにしろ彼の前に立った者は拭いされない痛みを心に負うのだ。

 銀髪の少年は嘘に沈んだ。黒髪の少年や茶髪の犬っぽい少年は真実から襲い来る無力感に敗北した。金髪の令嬢も散る間際、精神に辛苦を擦り込まれていった。

『フラウロス』にとって、その行為は救済だった。自己を嘘で塗り固める罪と、見るべき真実から目を背ける罪を償わせるための儀式だった。

 ヒトという不完全な生き物を修正し、自分たちの支配に都合よく作り変えるために――彼は、嘘をつかないまっさらな「ニンゲン」を望んでいた。


「見ーつけたッ!」


 魔法陣の内側に転がっている【白銀剣】を捉え、カオルはそれを奪取せんと飛び出す。

 射出される『ワイヤーハーケン』。突き刺さる先は、『フラウロス』の左脚だ。

 

『真実を』


 現実を知らない子供にそれを叩き込もうと『フラウロス』はハーケンの刺さった脚を振り、伸ばした手でそれを摘んで引き抜く。

 空中でぐらりと体勢を崩した【イェーガー】を横目に、彼はそのワイヤーをくるくると振り回してから地面へ投げつけようとして――

 背後から迫るもう一人の存在を知覚する。

 余計な動作をすれば肉薄を許してしまうし、何よりハーケンが刺さった状態を放っておくのは不味い。そう判断した【異形】はカオルを振り回すことなく手を離し、後ろへ空いた腕を伸ばした。


「そう、だよねッ――やっぱ、そう来るよね。でもね、いいの」


 彼女の機体は宙に放り出され、自由を失った。

 だがそれでも構わない。『ワイヤーハーケン』による立体機動は派手で目立つが、この場では本命足りえない。

 飛べない仲間は足手まといかという問いに、風縫カオルは胸を張って否と言える。

 彼女やカツミだけが飛び回って敵の注目を集めていたのも、他の者たちに一切動けと指示を出さなかったのも、きっとレイの策略だったのだろう。


「どんな駒にも役割がある。どんな兵士にもやれることがある。無能なんてどこにもいやしない!」


 足底部のホイールを最大速度で回転させ、一斉に加速して駆けてくる十数機の【イェーガー】たち。

 ワイヤーに対処する隙に攻め込む、数の利を活かした戦法に『フラウロス』は地面に崩れ落ちるカオル機を睥睨した。

 カオルもカツミも布石でしかなかったのだ。本当に警戒を払うべきだったのは、名も無き兵士たちだった。


「行けぇえええええええええええッ、てめえらッ!!」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ――――!!」


 カツミが咆吼し、カオルが口元に笑みを漂わせ、日野や真壁たちは一斉突撃を敢行する。

【反射魔法】に防がれたら元も子もないが、その時はその時だ。カナタはパイモンの【反射魔法】を自分の魔力量の三分の一は消費すると話していた。フラウロスの【反射魔法】の消費魔力量がそれと同程度で、かつ自身の魔力量が【ラジエル】以下だった場合、三回打たせれば魔力は尽きる。

 当初の作戦でレイがそれを撃たせる選択肢を取らなかったのは、単純に魔法や武器の攻撃では跳ね返された時の損害が大きすぎるため。止めを刺す以前に味方が総倒れになってしまったら意味がない。

 だが、単純な『突撃』ではどうだろうか。長期の任務を見据えて耐久、特に衝撃への耐性を強めた作りになっている【イェーガー】ならば、反射されても一回は耐え切れるのだ。

 ここで一回耐え、すぐに二度目を撃たせれば、ユイに使った分も加算して三回だ。万一【白銀剣】を奪取せずとも、【メタトロン】の砲撃を直撃させられる隙を強要できる。


「レイくん、アンタはまだまだ甘いね。アンタは仲間が傷つく可能性のあるこの作戦を採れなかった。どれだけ長引こうが安全第一の策を選んだ。でもね――『倒さなきゃいけない』敵を前にして犠牲を覚悟しないのは、喪った時の痛みから逃げてるだけ」


 カオルがレイの戦線離脱を促したのは、自らが指揮権を掌握するためだった。

 彼がカナタのもとへ向かった直後、彼女は自分の作戦を部隊全体に通達していたのだ。

 勝ちは見えた――そうほくそ笑むカオルだったが、


「おい、何だよ、これ!?」「嫌だ、来るな!! 俺の側に寄ってくるな!?」「嘘、こんなの嘘よ!?」「止めてよっ、私は、私は何も悪くない――」


 悲鳴の連鎖。緩やかに勢いを落とし、停滞していく進撃。

『フラウロス』がパイロットたちの脳に仕掛けを施しただけで、カオルの戦略はいとも容易く崩壊した。

 ――これが、新型【異形】の力?

 少女の赤い眼が限界まで見開かれる。

 地面に墜落し、脚を負傷した彼女が聞いているのは、何度も乗り越えようとして出来なかった兄の声だった。


『弱い奴に付きまとわれても邪魔なだけなんだよ。俺の立つ場所にお前はいられない。お前は一人で、安全な場所に閉じこもってろ。身の振り方を、ちゃんと覚えるんだ』


 惰弱、脆弱、薄弱、軟弱、虚弱。

 風縫カオルは弱い。【異形】を何度も討った兄を目指し、兄のように空を飛びたくて『立体機動術』を極めた彼女は、結局その領域には至れなかった。

 新型機を得るべく月居カグヤのいぬになったり、利用できる者を集めるために身体を使って男どもに取り入ったりしたにも拘らず――ここぞという場面で結果を出せない。


(嗚呼……アタシ、弱かったんだ。周りには強く見せてただけの、張りぼてだったんだ)


 それが彼女が嘘で覆い隠した真実だった。

 無力感に打ちひしがれる少女は、仲間たちが抵抗力を失った状態になっても何の対処もできない。

 レイに任せろと言っておきながらこのざまだなんて、と自嘲の笑みを浮かべるカオルはその時――新たなるSAMがビル上に着地した音を聞いた。

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