第41話 心のかたち ―Overlook a heart.―

 月曜日の朝の教室は普段と変わらない賑やかさだった。

 ムードメーカーのシバマルが男友達とゲラゲラ笑っていたり、女の子のグループがかしましくお喋りしていたり。

 日常を過ごす限りでは、そこに変化はなかった。

 いつも通り授業を受けて、いつも通りお昼ごはんを食べる。そこまではよかった。


「実戦試験を水曜に控えているというのに……来たのはこれだけ、ですか」


 すっかりお馴染みとなった『第二の世界ツヴァイト・ヴェルト』内の訓練場にて、ログインしてきた人数を確認したレイは溜め息を吐く。

 そこに整列したSAMの数は二桁もなかった。ここにいるのはカナタとレイ、ユイ、マナカ、ユキエ、それからカオルとカツミくらいだ。

 普段ならばあり得ない参加人数の少なさの原因は、分かりきっている。

 先の『フラウロス』戦で生徒たちは精神攻撃を食らい、そのために戦いを恐れるようになってしまったのだ。

 人は【異形】に抗えぬ存在だという「真実」を見せられ、或いは「嘘」でなかったことにしたはずの自身の心の傷を掘り返されたことは、彼らの心に深いトラウマを刻み込んでいた。

 ショックが大きかった者は昨日のうちに養護教諭の沢咲によるカウンセリングを受けてはいたものの、傷は一日で癒えるわけもなかった。

 

「し、試験までに皆、戻ってくるといいけど……」

「それは楽観的ね、月居くん」


 カナタの言葉を否定したのは冬萌ユキエだった。

『フラウロス』戦で精神攻撃を受けていなかった彼女は、寮で同室のマナカと二人でコンタクトを取れそうなクラスメイトから聞き込みを行っていた。

 一応ユキエはA組の学級委員である。クラスの中心として役割を果たそうと、まずは状況把握に努めた彼女だったが――その結果は予想以上に悪かったようだ。


「戦場に出るのが怖い、死にたくない、【異形】の姿を思い出すだけで震えが止まらなくなる……そういったことを言っていた子はかなり多かったわ。【異形】との戦いそのものを恐れるようになってしまえば、戦場に戻ってくることは難しいでしょうね」

「でっ、でも、それじゃあ……!?」

「多少人員が欠けても、あなたやリーダー、ユイさんがいればやっていける。【機動天使プシュコマキア】というのはそれくらい強力なものよ。それはあなたも理解しているでしょう?」

 

 不安感をあらわにするカナタの目をまっすぐ見て、ユキエは強い口調で言った。

 クラスで勝つことだけを考えるなら、来られなくなった者がいなくても何とかなる。残酷な話だが、彼女の言い分は事実だろう。【イェーガー】と【機動天使】の間には、決して埋められぬ性能差がある。

 それでもカナタは、仲間と共に戦うことを諦めたくはなかった。


「わ、わかってるよ、冬萌さん。だ、だけど、試験は明後日だ。そっそれまでに皆をここに連れて来られれば、まだ……」


 腕組みして眼前のSAMを見据えるユキエの口元に、微かな笑みが浮かんだ。

 冷静に状況を俯瞰でき、決して楽観視しない彼女であっても、仲間を信じたい気持ちはカナタと同じなのだ。


「そうね。月居くん、訓練が終わったら私と皆のところに行きましょう。君の言葉なら、皆にも届くかもしれないわ」

「う、うん。――じゃ、じゃあ、そろそろ訓練始めようか?」


 ユキエから少し離れた位置に立つマナカは、黒髪の少女がカナタを指名したのを見て俯く。

 マナカを外されてカナタが選ばれた理由は、彼女の『同化現象』にあった。心が不安定になっている彼女は昨日、クラスメイトと話した際に感情的になり、怒鳴ってしまったのだ。

 戦場に出ればそれくらい当たり前のことなのだから、うじうじするな――今思い返せば酷いことを言ったとマナカも思う。

 人は誰しも恐れを抱くものなのに、その前提を無視して「何も恐れない戦士」になることを強要した。使命に燃えるマナカはともかく、ただこの時代に生まれたために兵士になる子供たちにとって、それはあまりに過酷なことだ。

 平生の彼女ならば無理強いが逆効果だと、理性で抑えられた。ただ、『同化現象』が進むにつれて言動における『感情』が占める部分が多くなってきている。

 このままでは理性を失い、感情のままに動く獣のように――倒すべき【異形】と同じになってしまう。【異形】と戦うためにSAMに乗れば乗るほど、【異形】に近づいてしまう残酷な運命。

 

(どうせ、どうせ『コア』に呑まれて心を失ってしまうのなら……その瞬間は、彼の側で戦っていたい。機体と一つになって、彼を守りたいの)


 運命は認める。それでも、自分のわがままは通させてほしいとマナカは思った。

 マナカはカナタが好きだから。好きな人と一緒にいたい――齢十六の少女がそう欲求することを、果たして誰が責められようか。


「早乙女くん。あとで銃、貸して」

「は、はい。今日はボクらと一緒にやれるのですね?」

「うん。何だかね、今日は落ち着いてるの。昨日、散々怒鳴った反動かもしれないね」


 普段より抑揚の少ない口調で語るマナカに、レイの表情は若干かげった。

『同化現象』が進行すると躁鬱そううつ病にも似た症状が出ることがある、という沢咲先生の言葉を彼は思い返す。

 実際の躁鬱病と比較すれば大したことはないが、それでも確かな変化だ。

 今のA組からマナカが抜ければ、皆の精神的支柱が一本折れ、バランスを崩してしまう。それだけは避けなければ、修復不可能なまでにクラスが崩壊することだって考えられる。

 戦場で皆を励まし、勇気を与えられるマナカは、決して欠かせない人材だ。絶対に守り抜かなければならない。


「カナタ、マナカさんの訓練を見てあげてください。今日は人数が少ないですから、マンツーマンでみっちり教え込んじゃっていいですよ」

「わ、分かったよ。じゃあマナカさん、さ、さっそく長距離射撃の練習を――」


 人は時間を止める術を知らない。

 残り僅かな時間の中で、彼らはやれる訓練を着実に行おうとする。

 しかし、常と比べて身が入っていないのも事実だった。

 引っ込み思案な彼女が、お調子ものの彼が、高飛車なお嬢様が、ここにはいない。

【異形】は彼らの日常を引き裂いた。だが、それで良かったのかもしれない。戦闘が当たり前の環境から彼らは逃げられたのだから。死と隣り合わせの地上へ進んで向かおうとする者の群れから、外れることができたのだから――。



「『かっちゃん』からさっきメッセ来たんだけどさぁー、何か、A組の子たちやばいっぽいよ。今日の訓練、全然人来なかったんだって」


『レジスタンス』本部に隣接する、隊員寮の談話室にて。

 紺色の隊服姿でソファに寝そべるピンク髪の女性――毒島ぶすじまシオンは、スマホを眺めて面白がるように言った。

 それを聞かされているのは白髪赤目の少年っぽい青年、風縫ソラである。

 果実風味のお酒を呑む彼は苛立ちを隠すことなく派手に舌打ちし、髪を掻きむしった。


「はぁ、そうかよ。あんた、ガキどもの様子なんかよく気にしてられるな。福岡プラントの任務、結局道中の護衛は引き受けることになったんだろ?」

「もーぉ、ソラきゅん、それが年上の女性に話す態度かー? これでもあたし、【七天使】の中では年長組に入るんですけど」

「だったら年長のレディらしい振る舞いをしろ。夜桜よざくらさんを見習え」

「夜桜のお姉さまみたいになれって、そんなの無理ゲーじゃん!? 理想が高すぎるよーソラきゅん」


 同じく【七天使】――レジスタンスの七人のエースパイロット――の女性を引き合いに出され、げんなりとするシオン。

 と、そこに、透き通った響きの落ち着いた声が彼女らの耳朶を打った。


「何処からか私の名前を呼ぶ声が聞こえた気がしたのですが……貴方たちかしら?」


 シオンはがばっと体を起こして姿勢を整え、ソラと共に敬礼する。

 彼女らが掛けるソファと小卓を挟んで向かいの席に座ったのは、艶やかな長い黒髪の女性だった。

 右目の泣きぼくろが特徴的である妖艶な雰囲気を醸す美女は、細い顎にしなやかそうな指を添わせて微笑む。

【七天使】のナンバーツーと名高い彼女の名は、夜桜シズル。夜を司る天使の名を冠した機体【レリエル】を駆る、熟練のパイロットであった。


「珍しい組み合わせね。どういう風の吹き回し?」

「私の弟と風縫の妹が同じクラスなもので、その縁で……少し情報交換をしていたのです」   

「あぁ、そうだったのね。もしかして、司令や早乙女博士の御子息も同級生なのかしら」

「は、はい。実力者同士を共闘させることで高め合わせる、というのが学園の指針らしいですから」


 興味深そうに目を細めるシズルを前にして、シオンは先程までの砕け切った口調を完全に改める。

 別人のように態度を変えた彼女にソラが密かに仰天する中、シオンはシズルに訊ねてみた。


「あの、唐突な話で申し訳ないのですが……トラウマを克服する方法、何か知ってませんか?」

「トラウマ? 貴方とは無縁のことだと思うけど、どうして気になるの?」


 首を傾げるシズルに、シオンはA組に起こった変化について簡単に説明した。

 合点がいって頷く黒髪の美女は、しばし黙考した後に答える。


「心的外傷を完全に癒すのは本当に難しいことよ。それを念頭に聞いてほしいのだけれど……トラウマを克服するには、傷を受けるに至った出来事と、そこから生じた恐怖とを切り離すしかないわ。ある出来事を思い出して恐怖が引き起こされる――その紐づけを断つの。それを行うには、まず当人がその過去を客観視できるようになる必要がある」

「過去を、客観……? 過去の自分と現在の自分との連続性を一旦断って、目の前に現れる『トラウマ因子』と過去の出来事は全くの別物と考えさせるってことですか?」


 シズルの語り口からそう推測するシオン。

 彼女の言葉に「存外賢いのね」と呟くシズルは、隊服の下から主張する胸の双丘に手を当てて囁いた。


「脳はね、忘れる必要のあるものはすぐに忘れるように出来ているの。つまるところ、そのトラウマの原因になった記憶を『要らないもの』と脳に思い込ませればいいのよ。自分を俯瞰し、過去と今とを別のものとして見る――それが他人のことのように錯覚させるのね。他人が痛がっていても自分がダイレクトにその痛みを感じるわけではないでしょう? そうなればやがて、その恐怖は薄らいでいくわ。長い時間はかかるでしょうけどね」


 思い込みの力は強い。嘘でも真実だと思い込んでしまえば、それは次第にその人の中で紛れもない事実に変貌するものだ。

 その原理を利用した克服術を紹介したシズルは、「それと」と付け加える。


「失敗がトラウマになっているなら、それを成功体験で上書きするのが一番手っ取り早いわ。そこまで持っていくのは至難でも、一度うまくいけばトラウマが簡単に氷解することも多い。……まあ、これは私の持論でしかないのだけれど」


 夜桜シズルは十年以上最前線で戦い続けてきたベテランだ。彼女は戦場から戻ってきた仲間がPTSDなどの症状に悩まされる場面も、多く見てきたのだろう。

 その対処に悩んだ過程で導き出した彼女なりの答えが、これなのだ。彼女自身は心理分野に関しては素人に過ぎないが、それでも一人の人間が思考の末に得た答えなら価値があるのだと、シオンは率直に思った。


「ありがとうございます、シズルお姉――いえ、夜桜大佐」

「あら、ここはプライベートな場なのだからお姉さま呼びでも構わないのに。うふふ、シオンちゃんも昔に比べて礼儀が身についてきたのね」

「きょ、恐縮です。で、では夜桜大佐、私は就寝のため失礼いたします」

「おやすみなさい。任務が近いわ、体調管理しっかりね」


 彼女に頷きを返し、シオンは敬礼してから足早に退室していった。

 ソラは一礼してから酒の缶を持ってシオンの後を追い、彼女の尻をぺしゃりと叩く。


「おい、さっきの何だよ。ああいう振る舞いが出来るなら俺にもそうしろ」

「あー、セクハラー。ソラきゅんったら子供っぽい見た目のくせして、中身は変態男だったんだー」

「あんただっていつも俺の身体べたべた触るじゃねぇか! 自分のことは棚上げかよ!?」

「うぐっ、それを言われると反論しづらいな。まぁこれまでのことは取り敢えず水に流してくれない? あたしも今の許すから」

 

 軽薄な態度を直すことなく言ってくるシオンを、ソラは仏頂面で見やる。

 そんな少年、もとい青年の頭をピンク髪の女性は優しく撫でてやった。

 温かい手の感触に何とも言えないくすぐったさを感じるソラは、思わず立ち止まってしまう。

 ふざけてばかりの同僚が時おり覗かせる慈しむような柔らかい眼差しは、嫌いではなかった。


「……触るなって、言っただろ」

「いいじゃん、このフロア【七天使】専用だし。わざわざ冷やかしに来るような人なんていないよ」

「そ、そういう問題じゃねえよ。いいから、離せって」


 的外れなことを言うシオンに舌打ちするソラ。

 その音を心地よさげに聞くシオンは、ちょっと意地悪な顔になって言った。


「はい、手離しましたよー。これでいいんでしょ? じゃああたし、部屋戻るから」

 

 突き放すような素っ気ない口調は、撒き餌だ。

 こうすれば逆に青年が食いついてくれることを、彼女は経験則として知っている。

 戦いに明け暮れ、自覚のないままに心をすり減らしている彼女らが人の温もりを求めるのは、必然だった。

 ある少年は未来を望むのが絶望的な状況下で、男も女もないと言った。だが、シオンの考えは異なる。

 そういう状況だからこそ、人は愛を渇望するのだ。

 それは単に危機が湧き上がらせる生存本能に過ぎないのかもしれない。人が他者に恋愛感情を抱くのは、ヒトという種に設定された脳のメカニズムでしかないのかもしれない。

 しかし、そんな科学的な理屈はシオンの好みではなかった。「好き」という感情があって、それに素直に従う。『コア』に長く触れすぎたパイロットの遺伝子には異変が起こり、寿命が普通の人間よりも短くなる――『研究所』が出し、公には公開されていないそのデータを知った彼女は思ったのだ。

 どうせ早死するなら、思うがままに生きようと。

 

「……な、情けないかもしれないけど、俺、一人になると昔のことばっか思い出すんだ。優しさを捨てて戦って、その結果仲間を多く死なせて……夜になると、枕元で囁く声がするんだ。何で助けてくれなかった、何で守りきれなかった、何で見捨てた、何で間に合わなかった――」


 人命よりも敵の討伐を優先する。宇多田カノンが優しさを捨てろと言ったのを、ソラはそう解釈していた。

 それに従って彼は今まで戦い続けてきた。無心で敵を殺し、作戦進行に支障を来すならば、味方の救助を中止したことも何度もあった。

 その繰り返しが自身の心を抉り、穿ち、虚ろな穴を開けるのだと分かっていながら。


「強い奴が生き残ればいい。弱い奴は守るだけリソースの無駄。そう信じて一人で、空を飛んでたんだ」


 風縫ソラが【サハクィエル】のパイロットに立候補したのは、周囲に他のSAMがいない空を戦場にしたかったためだ。

 その選択は味方からの逃げ。彼が湊アオイを強い言葉で非難したのは、同族嫌悪からくるところも大きかったのだ。


「不器用だね。素直に『今夜一緒にいたい』って言えばいいのに」

「ば、馬鹿っ……だ、誰があんたとなんか」

「いいから、行くよ! ご飯とお酒用意してあるから、今夜はパーっとやろうぜ!」

 

 正直に言えない小柄な青年の手を引いて、シオンは寮の自室へ向かっていく。

 エースパイロットといえども戦場を離れれば普通の人間だ。好きな相手と共に飯を食べ、シャワーを浴び、同じベッドで眠る――そんな平穏が、そこにはあった。 

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