第51話 ヤマアラシのジレンマ ―Turning point of a scenario―

 理智ある【異形】・『ベリアル』との戦闘にまつわる報告は、その日のうちに『レジスタンス』にもたらされた。

 組織の上層部を会議室に集めた月居カグヤは、円卓に座す面々を上座から見渡して口を開く。


「『|第二の世界(ツヴァイト・ヴェルト)』に新種の【異形】による侵入を許したのは、今回で三度目。『エル』、これはどういうことなのかしら? 『パイモン』の侵入を受けてあなたのファイアウォールは科学技術部が強化したはずよね?」


 銀髪の女性が視線を向ける先に置かれているのは、縦長で長方形の液晶パネルだった。

 そこに映るエメラルドグリーンの髪と瞳が特徴的な少女は、困ったように眉を下げて言う。


「今回の敵の侵入は、私も感知できなかったんだ。ううん……そもそも、『侵入』はされていなかったのかもしれない。おそらくは『パイモン』侵入時に【異形】のデータを埋め込んだ種のようなものが、『第二の世界』のシステム内に紛れ込んだんだ。それを探り当てないことには、新種の出現は今後も起こり続ける」


 彼女の名はエル。新東京市のシステムを統べる人工知能に与えられた、一人の少女の人格である。

 白い修道服を着た幼気(いたいけ)な雰囲気を帯びた少女は、見た目よりも大人びた口調で語った。


「その可能性は『フラウロス』出現時に言われていたことよね? 今日までの間、科学技術部は何をやっていたのかしら?」

「申し訳ありません、月居司令。システムが異常に認識できない現状では人力で探すしかないのですが、いかんせんこの分野に精通した人員と、時間が足りていないのです」


 科学技術部ネットワーク部門のリーダーである女性、鏑木(かぶらぎ)リッカ博士が答弁した。

『パイモン』出現時には機能停止した発電所で対処に当たっていた科学者の彼女は、大変もどかしそうな声で言う。

 人手が足りないのは若い世代がネットワーク関連の教育をまともに受けられていないせいだ。SAMパイロット育成に多くの時間を割いた結果、それ以外の分野に進む若者たちの数は減っている。

 鏑木博士からしたら政府に文句の一つも言ってやりたいところだが、それを言えばカグヤの意思にケチをつけることになりかねない。まだ四十の彼女には、ここで梯子を下ろされるつもりは毛頭なかった。


「鏑木くんの言うとおりだ。『レジスタンス』は軍事以外の分野を『エル』に任せすぎていた。ただSAMを開発・改良し【異形】を倒していれば良い頃はそれでも問題なかったが……『エル』に対処しづらい事象を前にした今、組織のあり方も変えていかねばならない」


 歯に衣着せぬ物言いでカグヤへ意見したのは、早乙女アイゾウ博士である。 

 レイの父親である彼は「魔法開発部」及び「【異形】研究部」のリーダーを務めており、『レジスタンス』内でもカグヤに次ぐ存在感を持つ人物だった。

 眼鏡の下から自分を見据えてくる厳しい眼差しに、カグヤは「そうね」と呟く。


「私を含めこれだけの科学者が集まっておきながら、後進の教育を怠ってしまった。責任はSAM分野にばかり傾倒していた私にあるわ。小中学校のカリキュラムにおけるプログラミングの時間を増やすよう、政府に掛け合います」


 SAMが開発された当初、それが【異形】に十分対抗できうるものだと知った政府は直ちに義務教育に「SAMパイロット育成」の項目を盛り込んだ。『レジスタンス』側としても異論はなく、これまでパイロット養成を推進してきたのだが……このような形で仇になるとは、当時の誰も想定してはいなかった。

 次に発言したのは、人工知能のエルだ。


「『第二の世界』内に仕掛けられた敵の種――これを仮に『シード』と呼ぶけど、そのシードを取り除くのに最適な方法が既に『学園』の中にある。カグヤ、それが何か分かる?」

「ええ。月居カナタが獲得した『獣の力』。彼にそれを発動させ、電脳世界に侵入するパイモンの力を使う。以前【メタトロン】内のウィルスをその手段で除去したように、理論上は可能なはずよ」


 カグヤの台詞に一同はどよめく。事実として確認されているとはいえ、それでもカナタの力の信憑性を疑う者は多かった。

 

「本当にカナタくんの力を使うのですか? その……あくまで噂なのですが、カナタくんは【異形】と密接に関わってその力を得たのではないかという話がありまして……。彼をシステムに近づけるのは、少々危険なのではないかと……」

「鏑木リッカ博士。あなたは、私の息子が本当に【異形】と関わっていたというの?」

「い、いえ、そんなつもりは……」


 カグヤの詰問に、鏑木博士は首を横に振って口を濁した。

 少年が『フラウロス』に見せられた過去についての報告は『学園』から『レジスタンス』に上がる前に矢神キョウジによって抹消され、他の生徒と同じように【異形】が人々を蹂躙する光景に書き換えられていた。

 カナタと【異形】に明確な接点はなかった――カグヤの意思で事実は捻じ曲げられ、『レジスタンス』としては彼の力を『コア』の『同化現象』が起こしたものと推定することとなった。


「…………」


 この場で最も『学園』と深い繋がりを持っている早乙女博士は、瞑目して口を噤んでいる。

 反論の助け舟が得られないと分かって項垂れる鏑木博士から視線を外し、カグヤはエルに確認した。


「他に異論がある者もいないようだし、決まりね。エル、近いうちにカナタを『第二の世界』のシステムに介入させるけど、構わないわね?」

「拒まないよ。万一カナタくんの心身に異常があれば、すぐに接続を強制解除することを約束しよう」


 一切の躊躇いもなくエルは許可し、少年の安全を最優先にすると明言した。

『レジスタンス』創立当初からの付き合いである人工知能の少女に頷き、カグヤは次なる議題を挙げていった。


「新型【異形】・『ベリアル』の逃亡を許した以上、次なる遭遇に備えて対策を練るのが急務になるわ。まずはここで改めて情報を共有、確認しましょう」


 カグヤの促しを受け、早乙女博士が【異形】研究部の頭として手元の資料を読み上げ始める。

 軍部、SAM開発部、魔法研究部、【異形】研究部、ネットワーク部――各部署の長が真剣な面持ちでそれを聴くなか、彼らを纏め上げる首領であるカグヤは思考を別のところへ飛ばしていた。


(矢神くんが報告してきた情報が確かなら……四機目のパイロットはその子で決まりかしら。しかし……あの『力』がカナタ以外に発現するなんて、『|魔道書(ゴエティア)』のシナリオから外れている。シナリオの分岐点――どこかで踏んだそこで、選択を誤ったというの……?)


 目線を上げた彼女は、エメラルドグリーンの大きな瞳が自分を見つめてきていることに気がついた。

 人工知能エル――『ゴエティア』とともにそれを自分たちにもたらした得体の知れない青年の顔を思い出し、カグヤは小さく溜め息を吐くのだった。



『ベリアル』の出現のために一年A組の試験は中断され、特別措置として翌週に再試験が行われた。

 レイの指揮のもと、カナタやユイらの活躍あってA組は無事、時間内に任務を終えることが出来た。

 彼らの戦いを見ていたキョウジが驚かされたのは、瀬那マナカの飛躍的な体力・魔力の上昇と、それに伴う戦闘スタイルの前衛化だった。

 元々剣や魔法で飛び抜けたところのないマナカは、唯一他より成績の良かった狙撃で勝負していた。

 しかし今の彼女はイオリの隣で薙刀を振り回し、幼少期から薙刀を習っていた彼をも超える技術で敵を圧倒している。

 自分のお株を奪うその活躍っぷりにイオリは友(レイ)に愚痴をこぼしていたが、愚痴るなというほうが無理な話であった。


 カグヤに報告した当初は半信半疑だった。

 だが、この試験での戦いを見てキョウジは確信した。

 何が由来なのかは分からない。しかし間違いなく、瀬那マナカには『力』が宿っている。

 凡兵と言って差し支えなかった彼女がこれまでになかったパフォーマンスを突然発揮しだしたあたり、何らかの『力』が働いたのだといっても不自然ではない。

 そして最大の根拠は、管制室(コントロールルーム)からテレビ電話で見たコックピット内の彼女の姿が、『獣の力』を発現させたカナタに起こった身体的変化と一致していたことだ。

 キョウジのこれまでの経験中、人の身体にあのような現象が起こる場面は他に見たことがない。

 

「沢咲先生……あなたはこれを、どう見ますか? 俺には単なる『コア』の『同化現象』には思えなくなってきたのですが……」


 お気に入りの屋上の一角に養護教諭の沢咲を呼び出して、キョウジは訊ねた。

 金網のフェンスに寄りかかる男を近くのベンチから見上げた妙齢の女性は、手元のタブレット端末を一瞥してから答える。


「はっきりとは分からない……としか言いようがありません。『同化現象』についてもデータが少なく未だ判明していない所も多いのに、カナタくんや瀬那さんに見られた力を説明するなどできませんよ。とにかく経過を見て情報を集め、分析するしか、私には……」


 パイロットと機体の相補性を熟知している医者の彼女でさえ、カナタやマナカの力に関しては正確に理解できていないのだ。

 元『レジスタンス』SAM開発部のキョウジには、到底自力で解明できる事象ではなかった。

 紫煙をくゆらせ、眼鏡の下の黒い眼差しを黄昏の空へ向けてキョウジは呟く。


「試験の後、瀬那さんに訊ねましたが、彼女自身も『力』についてよく分かっていない様子でした。……やはり、月居司令に訊ねるべきなのか……」

「あら? 少し躊躇いがあるように聞こえましたが……司令と何かあったんですか?」

「何かあったわけではありませんよ。ただ……これだけ色々なことがあっても、何も教えてくれない彼女が分からなくなってきただけで」


 一言でいえば、膠着状態だった。

 矢神キョウジが月居カグヤに取り入ろうとしているのは、ひとえに恩師である月居ソウイチロウ博士の死の真相を探るため。

 あの博士が単なる事故で死ぬわけがない――SAMの開発者であり誰よりもそれを理解している彼が、魔法の誤作動などという初歩的なミスで落命したとは、キョウジにはどうしても思えなかったのだ。

 カグヤならば何か知っているのではないか、そう思ってキョウジは彼女に接近したが、得られたのは彼の求めるものとは異なる情報ばかり。

 探偵ごっこがいつの間にか少年(カナタ)の力への探究へと変わってしまっている現状に、男は恩師に申し訳なくて溜め息を吐いた。

 

「少なくとも私の知る【閃光のカグヤ】は、部下たちに心配をかけないよう弱音を一切吐かない女性でした。少しでも自分を強く見せようと、必死に努力を重ねていた人でした。だからこそ私たちは彼女についていこうと思えたし、それは世間も同じでした。……きっと今も、変わっていないのだと思います。たとえ寝床を同じくした相手であっても、本音を吐けない。矢神先生、『ヤマアラシのジレンマ』という言葉を知っていますか?」


 沢咲先生は缶コーヒーを口元に運び、そのほろ苦さを舌の上で転がしながらぽつぽつと言った。

 彼女の問いにキョウジは首を傾げる。どこかで聞いたことのある言葉だったが、悲しいかな四十を超えた彼は年々物忘れが多くなっている。


「身体に多くのトゲを生やしているヤマアラシという動物は、誰かに近づきたくてもそのトゲで相手を傷つけてしまう。そんなジレンマがカグヤさんにはあるのだと思います。自分が心を晒せば誰かが傷つくのだと、自覚の有無に拘らずそう思い込んでしまっているのかと……」

 

 触れれば傷を負わせる。だが、誰かに触れていたい。その狭間で見出した答えが、愛人を作るが本音での交流は一切しないという彼女のスタンスなのだろう。

 息子のカナタにはレイやマナカといった本心から話せる相手ができた。しかし彼女にはこれまで、そういう相手が誰ひとりいなかったのではないか。

 だから、以前のような人命最優先主義から戦果重視で人命軽視のスタイルに変わってしまっても、誰も何も言えなかったのではないか。


「……俺には彼女を変えられない。最初から俺が疑念を抱いて接近していたことを、彼女が察していなかったとは考えにくいですからね。あの人にとって俺は、都合よく使える駒の一つに過ぎない……」


 彼女を最も想っていた月居博士は死んだ。遡れば、その時から彼女の心は軋み始めていたのかもしれない。


「カナタくんなら……司令の唯一の血縁である彼なら、何か変えられるのか……?」


 彼女を知ることが真実を解き明かす手がかりになるのなら、キョウジにそれを惜しむつもりはなかった。

 沢咲の憂慮に満ちた視線を浴びる彼は、タバコの煙をふっと吐き出してスマホの画面上に指を滑らせ始めた。



 試験が終わった翌週の日曜日。

 マナカはカナタを街へ誘って、念願のデートを楽しんでいた。

 大通りの電気自動車や人の往来は、普段と変わらぬ活発さだ。『第二の世界』での新型出現という異常もいざ知らず、人々は今日も平和を謳歌している。

 朝一番からショッピングモールに足を運び、シアターで話題の恋愛映画を一本見てからお昼ご飯。その後は場所を移して小規模な水族館、夕刻になってからはカラオケ……と、たった一日で回るにしてはかなり詰め込んだデートプランであった。


「きょ、今日は楽しかった。さ、最近はずっと戦い詰めだったし、いっ、いいリフレッシュになったよ」

「私も楽しかったよ、カナタくん。色々付き合ってくれて、ありがとう」


 歌い終わってマイクを置いたカナタは、弓なりに目を細めて言った。

 彼の肩に身体を寄りかからせたマナカは、すっかり弛緩しきった顔で瞼を閉じる。


(こ、こういう時はどうすればいいんだっけ?)


 先ほど見た恋愛映画の内容を思い出して、ぎこちない手つきながらもカナタはマナカの頭を優しく撫でた。

 柔らかい髪の感触や仄かに香る甘い匂いに、少年の胸が奇妙にざわつく。


「そ、そろそろ寮の門限も近いし、帰ろっか?」


 本音を言えばもう少し一緒にいたかったが、門限を破るわけにもいかない。

 カナタにそう促されたマナカの答えは、少年が思ってもみないものだった。


「……あのね、カナタくん。実は今日、寮のほうに外泊届け出してたの。明日の朝には戻る条件で、その……私と、君の二人分。か、勝手に届けを出したのは謝るよ。で、でも、私は、どうしても……」


『同化』に心を蝕まれ、自分に残された時間が少なくなっている――それは決して覆らないのだと、戦闘の中で『力』が芽生えたことで彼女は理解していた。

 今回のデートプランに色々詰め込んだのも、寮母さんに無理を言って外泊許可を貰ったのも、これが最後になるかもしれないからだ。


「わ、分かったよ。今夜は君に付き合う。で、でも、一体どこに行くの?」

「んー、行ってのお楽しみ」


 快く応じてくれるカナタの手を握って、「ありがとう」とマナカは笑う。

 恋慕する少年との繋がりを深めれば心の欠落は埋められ、『同化』の進行も遅らせられるとユイは言った。

 今はその言葉を信じ、カナタとの時間を悔いのないように過ごそう。そして、気持ちをはっきりと伝えるのだ。

 これから向かうのは彼と溶け合い、想いを言葉にするための舞台。

 ――これも私の戦いだ。

 少女は少年に気取られないよう心中で覚悟を固め、彼の手を引いて夕暮れの街へと繰り出していくのだった。

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