第32話 託されし希望 ―Possibility of the evolution―
ロングバレルの長距離ライフル。
ミユキは天高く一直線に飛び上がった少年を仰ぎ、最新鋭の高精度カメラが捉える敵機に照準を合わせる。
だが、少年がそれを分かっていないはずがない。彼は高速旋回で
「むぅ、簡単に狙撃させちゃくれないか。ま、いいわ、そうやって激しく動けば体力も魔力もすぐに尽きる。【ラジエル】は【サハクィエル】とは違って、飛行に特化したタイプじゃないからね」
赤い魔力の光が尾を引く威嚇射撃を、何度か繰り返す。
ミユキのライフルは予め魔力を溜めておき、引き金を引くだけでそれを放てるという優れものだ。風縫カオルが用いたような魔力銃とは異なり、その場でパイロットの魔力を消費しないために負担も大幅に軽減できる。
魔力を機体から分離させ、別のものに込めるには高度な魔法技術が必要となるが、ミユキは難なくそれを成し遂げていた。
「――ち、ちょこまかとッ……!」
蒼穹に走る赤き閃光。
最初は当てずっぽうにも思えたその銃撃は、回数を重ねるごとに正確性を増してきている。
【イェーガー・ミユキカスタム】のカメラと照準システムが【ラジエル】の速さに慣れてきたのだ。この数十秒で適応を果たせるというのは信じがたい話だが、そうとしか考えられない。
迫り来る光線をすんでのところで
(一秒の遅れが命取りになる。ちょっとでも隙を見せたら、その瞬間に打ち抜かれてしまう――)
飛行型のSAMにとって、翼の損傷は敗北を意味する。
【ラジエル】は地上戦もそつなくこなせるが、流石に墜落からの復帰は無理だ。
攻撃を全て避けた上で魔法を完成させ、地上の相手に命中させる――それがカナタの勝利条件だった。
(できるのか、僕に? ううん……やらなきゃ。僕が強くなるためにも、ミユキさんのことを知るためにも、絶対に勝つ!)
明滅する赤い閃光は、撃ち上がるペースを決して緩めない。それどころか射出の間隔は狭まってきている。
魔力を一切出し惜しまない攻勢。これが、不破ミユキという少女の本気なのだ。
「もう一本! ぶっぱなすわよ!」
魔力の残弾が尽きたライフルを放り捨て、彼女はもう一本用意していた同型の銃を構える。
その様子を上空一キロメートルの地点から視認したカナタは、魔力を帯びて白く輝く【白銀剣】を胸の前に構え、急降下を開始した。
目を限界まで見開き、目標を捉える。
その間も剣に注ぐ魔力は絶やさぬまま、肉薄する真紅の光線を掻い潜る。
(【大旋風】の威力だと最短でもSAMを破壊するには500メートルまで近づかないといけない。完全に捕捉されるリスクは高まるけど、ぎりぎりまで近づいて確実に倒す!)
ミユキの機体がカナタの速度に適応し始めているように、カナタのほうもミユキの射撃を見切れるようになっていた。
彼女の光線は絶対に直進する。それを屈折させたり反射させたりするようなものは、雲一つない蒼穹にはありはしない。
銃口から放たれる瞬間の光を捉え、それが進む先を予測して動けば無傷に抑えられるのだ。
並外れた動体視力と反射神経が求められるが――ミユキにとって不幸なことに、月居カナタはそれを為せるだけの才能を持ったパイロットであった。
――あれが、【神速のカグヤ】の息子。
瞠目するミユキは自身の身体が震えていることに気づいた。
もはや一撃も当たりはしないだろうと確信できるほど、少年の回避術は完璧だった。その飛行にかつて見た機体とそのパイロットを思い起こし、彼女は歓喜した。
『SAMは人が持つ可能性を引き出し、昇華させる。『コア』に適応を果たした人間は、ヒトを超えた新たな存在として人の上に立つのでしょう』
過去に月居カグヤはミユキに対してそう語っていた。
その意味を当時はよく理解していなかったが、今なら分かる。『獣の力』を有し、それを発現させなくとも常人離れした能力を発揮するカナタこそ、カグヤの言っていた「ヒトを超えた存在」なのだろう。
おそらくは早乙女・アレックス・レイや刘雨萓といった【
SAMが『コア』とヒトを繋ぎ、『コア』の持つ魔力とヒトの魔力が共鳴することで、ヒトの能力が飛躍的に伸ばされる。
もはやSAMは単なるロボットなどではなく、ヒトを進化させる促進剤と化したのだ。月居夫妻がそれを意図してSAMを作ったのかは定かではないが――その「可能性」は確かなものだ。
「カグヤ……あんたの息子、凄いわね。惚れ惚れしちゃう。こんな子をモルモット扱いするなんて、いかんせん勿体無いとあたしは思うんだけどなぁ」
大好きでずっと見てきた女性の顔を脳裏に過ぎらせ、ミユキは溜息を吐いた。
月居カグヤからしたら身の回りの全ては研究対象や実験の道具であり、本気で愛でるものではないのだと気づいたのは、果たしていつのことだったか。
「……もう、覚えてないわ。昔のことなんて」
儚げに笑みを浮かべ、彼女は残弾の尽きたライフルを手放した。
仰いだ先に迫る【ラジエル】と視線を交錯させた【イェーガー・ミユキカスタム】は、両腿に装着したウェポンラックから銃を抜く。
これが最後の武器だ。対【異形】用の毒液入りの弾丸を撃ち出す散弾銃。当然、SAM相手には大した効果を発揮しない。
だが、ないよりマシだ。何もしないで負けを認めるくらいなら、最後まで足掻いて散りたい。それがミユキの美学だった。
「カグヤだったら醜いと一蹴するでしょうけど……これがあたしのやり方。それだけは、譲れないわ!」
方針の違いから大切な彼女と仲を違えた。それでも、ミユキは根っこの部分を変えることはできなかった。
自分のやり方は、生き方は、誰に何を言われようが貫きたい。【異形】に地上を支配され未来を望むのが難しいこの時代だからこそ、彼女は自分らしく生きていたかった。
「来てよ、王子様! あんたの技、見せてちょうだい!」
「み、ミユキさん……ッ! 行きます!」
少年を阻むものは何もない。
彼の全力をもって放たれる風の一刀が、中空に白銀の軌跡を描く。
ミユキの眼前で振り下ろされる剣。そして、直後。
「――【大旋風】」
音もなく斬りつけられた剣撃が、
武器やウェポンラック、装甲までも根こそぎ奪い去る豪風に呑まれ、黒髪の少女は己の敗北を理解する。
全身を
風が完全に止み、舞台に静寂が訪れた後、カナタは機体を降りて大破した【イェーガー・ミユキカスタム】に歩み寄った。
頭部が吹き飛び、装甲を奪われて
「あ、ありがとう、ございました」
仮想現実で破壊されたSAMは次のログイン時には元通りに修復される。
それでもSAMを愛する者として、カナタは悲痛に思わずにはいられなかった。
戦って散った機体に敬意を表して、感謝を告げる。
「み、ミユキさん! だ、大丈夫……じゃ、ないですよね」
「う……王子、様……」
気絶しているだろうと思いながらも一応声をかけるカナタだったが、驚くべきことにミユキからの返答があった。
潰れたようなか細い声。現実世界ならば死んでもおかしくない損傷にも拘らず、彼女は意識を保っていたのだ。
――なんて、強い人なんだ。
畏怖の念が湧き上がり、胸の中を駆け巡る。
「み、ミユキさんっ……いっ今、た、助けます!」
横たわった機体のうなじにあるコックピットの入り口に駆け寄ると、幸いにもそこは瓦礫に塞がれてはいなかった。
ロックのかかったドアを力任せに蹴りつける。足がじんじんと痛むのも構わず、カナタは何度も何度もそれを繰り返した。
何分が経った頃だろうか――肩で息をする少年の蹴りを受け、遂に鉄扉がガタンと音を立てて外れた。
「み、ミユキさん!」
コックピットに飛び込んだカナタを見上げ、黒髪の少女は眼鏡の下の目を弓なりに細めた。
痛みに身体を動かすこともままならない。言葉も満足に吐けない。
そんな状況で取れる唯一の感情表現が、それだった。
横向きになった操縦席から彼女を慎重に引き出そうとするカナタ。
少年の腕に抱かれて外へ運ばれていく最中、少女は、「こういうのも悪くないかもね」と内心で呟くのだった。
*
「早乙女くん! カナタくんから連絡があったんだけど、今日の訓練ちょっと遅れるって」
「はぁ? あの馬鹿カナタ、試験前だというのに……」
VRダイブ室のエントランスホールにて、マナカからもたらされた知らせにレイは溜め息を吐いた。
月居カナタがどちらかといえばマイペースな性格であることは、入学以来ともに過ごしてレイも分かっている。
どうせ面倒ごとに巻き込まれているのだろう、レイはそう断定してすぐに気持ちを切り替えた。
カナタなら多少のトラブルくらいなら一人で片付けられる。彼自身は自分を弱い人間だと思っているだろうが、実際はこの3ヶ月で大いに成長しているのだ。
「瀬那さん、カナタなら大丈夫ですよ。心配せずとも彼はすぐ戻ってきます。ボクたちは訓練に集中しましょう」
心配そうな顔のマナカに明瞭な口調で言い、レイはVRダイブ室へと入っていく。
彼の後に続くマナカは、レイの声音から二人の間に強い信頼関係が築かれているのだと理解し、少し嫉妬してしまった。
マナカはカナタに信用されていると思う。だが、信頼されているかは分からない。
自分も同じ場所に立てれば――彼と肩を並べられるほど強くなれば、レイのようになれるのだろうか。銀髪の彼に、戦場でも日常でも頼ってもらえるようになるのだろうか。
(とにかく……ひたすらに訓練する。そうすればきっと、結果はついてくるはず。カナタくんも多分、強い瀬那マナカを望むだろうから――)
独りよがりな願望を掲げて少女は進む。
自身が抱える危うさも、目を逸らしたままの過去も封じ込めて、一人の少年に耽溺するために。
*
カナタがミユキを保健室にまで連れて行くと、そこにいた妙齢の女性の養護教諭は呆れたように溜め息を吐いた。
「できればあなたたちの顔、もうここで見たくなかったのだけれど」
その口ぶりからミユキも何度か彼女にお世話になっていることが窺われた。
意識の混濁しているミユキを背負ってここまで来たカナタは、はぁはぁと息を荒く吐きながら「す、すみません」と頭を下げる。
「いいのよ。生徒の治療は私の義務だし、その子が無茶を繰り返すだろうことも分かってたから」
カナタと二人でベッドにミユキを寝かせた養護教諭――
ミユキのベッド周りのカーテンを閉めてから自分のデスクに戻った沢咲は、クリップボードに何やら書き留め、カナタを一瞥した。
「何があったのか、手短に聞かせてもらえる?」
問われてカナタはミユキとの決闘について語った。
仮想空間とはいえども教員の目の届かない所で本気の決闘をしたと聞き、沢咲の小ぶりな口があんぐりと開く。
「まぁ、戦いで心のもやもやを解消しようって気持ちは分かるわよ。でもね、第二の世界でも魔法による脳への影響は確認されてるの。何が起こるか分からないから、次からは必ず誰かに付き添ってもらいなさい。いいわね?」
確かに言われてみればパイモンの魔法がカナタの獣の力を呼び起こしたりと、第二の世界での魔法が現実に効果を及ぼすことはあった。
申し訳なさそうにこくりと頷くカナタに「よろしい」とウィンクした沢咲は、席を立つとカナタに歩み寄り、彼の肩を優しく叩く。
「第二の世界での戦いで、命を軽視する生徒は少なからずいる。私は、あなたにはそうなってほしくないの。お母様のような戦い方は、してほしくない」
「か、母さんみたいな戦い方……? 沢咲先生、僕の母さんのこと、知ってるんですか?」
瞠目する少年に、三十路に差し掛かろうとしている女性教諭は微笑みかけた。
「ええ。私だけじゃないわ、この学園の教員の殆どは、元レジスタンスの科学者かパイロットだもの。私は駆け出しの頃、救護医としてあなたのお母様を何度か診たわ」
月居カグヤは機体の損傷も構わずに敵へと突っ込み、強引にその首をもぎ取る激しい攻勢のパイロットであった。
機体の傷を反映して肉体に何度も刻まれる痛みを和らげさせるために、沢咲はカグヤに常に鎮痛剤を処方していた。
薬で誤魔化していても、蓄積されたダメージは消えない。自己犠牲を厭わない戦い方は文字通り寿命を削る行為なのだ。
「あなたにはショックでしょうけれど……月居司令はもう先が長くない。どんな技術を使っているかは知らないけど年齢にそぐわない若々しさを無理やり維持していることや、ヘビースモーカーであることもそれに拍車をかけているわ。
――カナタくん、あなたには長生きしてほしいの。月居ソウイチロウ博士とカグヤ女史の間に生まれたあなたは、私たちの希望だから」
カナタは絶句する。
愛を求め縋った母親の寿命が残りわずかである――これまで母親自身でさえも言わなかった真実を唐突に突きつけられて、どうすればいいのか思い至れなかった。
「【
大人たちの期待。未来の子どもたちの憧憬。それらを背負ってカナタは戦わなくてはならない。
――逃げちゃダメよ。
母親の言葉の真意は、おそらくそこにあった。
カナタの運命は最初から決まっている。そのレールから決して外れるなと、カグヤは言っているのだ。
「は、はい。……あ、あの、ミユキさんのこと……頼みます」
「ええ。彼女は私が責任を持って預かります。意識がはっきりしたら、あなたのほうに連絡するわね」
「え、でもアドレスとか交換してないですよね……?」
「その点は心配御無用。カグヤ博士が私に、あなたのスマホの電話番号を教えてくれたから」
カグヤもやはり自分の息子が沢咲にお世話になるのを見越して根回ししていたのだろうか。
母親が自分と似た部分を息子に見出していた――それを実感できただけで、カナタには嬉しかった。
「あ、あの……こっ、今度の母さんの特別講義、沢咲先生も聞きに来ますか?」
最後に一つ、確かめる。
彼の問いかけに若き女医は口元を緩め、「ええ」と短く応えるのであった。
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