暁の機動天使《プシュコマキア》

@yuki-hiro

第1話 始まりの、戦い ―I shouldn't run away.―

 旧暦2025年、人類は全人口の八割を奪われた。

 地球上に突如現れた、未知の生命体『異形』。彼らに対し、各国の軍は抵抗を試みるも皆一様に敗北した。

 蹂躙、破壊、殺戮――わずか一週間にして、地上の覇権を人類から奪い取った『異形』たち。

 彼らに住処を追いやられた生き残りの人類は、地下都市への避難を余儀なくされた。


 その後、人類は『異形』への対抗手段となる人型戦闘兵器、【超兵装機構ちょうへいそうきこう】を開発。

『異形』への対抗勢力として『レジスタンス』を設立し、彼らは雌伏して抗戦の時を待っていた。


『異形』襲来から紀元を改め、そして訪れた新暦20年。

 選ばれし子供たちの覚醒によって、世界を取り戻すための戦いが始まる。



『これより、新入生代表エキシビションマッチを開始します。それでは、代表の二名はフィールドへ出撃してください!』


「……っ」


 進行役の女子生徒のアナウンスに、銀色の髪の少年はびくりと肩を震わせた。 

 この日は【超兵装機構】――通称SAM(Super Armament Mechanism)――パイロット養成学校の入学式。総勢百名の新入生は学園に併設されたスタジアムに集められ、式はそこで行われている。

 学園長や生徒会長の長い話がようやく終わり、最後に用意された最大の余興。退屈から覚めた新入生たちの視線が、少年ともう一人の代表生徒へ一斉に突き刺さる舞台である。

  

(人の目は、怖い。でも……)


 少年――月居つきおりカナタは胸に手を当て、深呼吸して気持ちを落ち着ける。

 初めて座る操縦席。初めて実物を見るモニターや操縦桿、計器類。初めて着用する「アーマメントスーツ」の密着した感触。

 不思議と彼には違和感がなかった。まるでずっと昔からこの機械に乗っていたかのように、彼はその空間に馴染んでいた。

 背もたれに体重を預け、カナタは瞳を閉じる。

 

(ここが、僕の居場所なんだ。誰にも侵されない、僕が僕でいられる場所なんだ)


 呟いた彼は、握った操縦桿を前に傾けた。

 格納庫を抜けてフィールドへのゲートを潜っていく。

 カナタはモニター越しに差してくる光に目を細め、同時に鼓膜を震わす大観衆の声に俯いた。

 

『さあ、両者出揃いました! 赤コーナー、一年A組の月居カナタさん、青コーナーは同じく一年A組の早乙女レイさんの対戦となります!』


 進行役の女子が読み上げた代表生徒の名に、新入生一同がたちまちざわめく。

 それも当然だ。『レジスタンス』の最高司令の月居カグヤは、月居カナタの母親なのだから。

 SAMの頭部に設けられたコックピットの前部全体にあるモニターには、しかし『抗戦の象徴』の息子にはそぐわない、気弱な少年の顔が映っていた。


『あなたが月居カナタくんですね。月居司令の息子たる実力、見せてもらいますよ!』


 無線通信で届けられる声は、少年の対戦相手のものだ。

 ややソリッドな響きを帯びた中性的な声は、それにそぐわない獰猛さを孕んでカナタの耳朶を打つ。

 

「よっ、よろ、しく……っ」


 喉から絞り出した声が震えてしまうのを、少年は抑えられない。

 だが対戦相手――レイはさして気にすることもなく、短く『よろしくお願いします』とだけ返した。

 モニターに映る敵機はカナタが搭乗するのと同じ、【狩人イェーガー】と呼ばれるSAMである。体高六メートル弱のこの人型戦闘兵器は『レジスタンス』の兵士に支給される量産機として知られ、学園でも兵士の訓練に使用されている。

 

(第四世代の機体……一世代前のやつだけど、操作性は最新のとそこまで変わらないはず)


 コックピットを改めて眺め回し、カナタはそう確認した。

 汗が滲む手で操縦桿にそっと触れ、彼は画面越しに相手のSAMを見据える。

 光沢のない紺色のボディに、人と対比してかなり長い四肢。コックピットを収める胸部や肩、腰といった要部を守る装甲は軽いが、衝撃を吸収する特殊な金属で作られている。特筆すべきはその頭部で、カメラとしての役割を果たす二つの眼に加え、獣のごとく牙の並んだ顎が設けられていた。

『異形』に対抗する兵器が、奴らのような牙を備えているとは――何とも皮肉な話だ、とカナタは思う。


(僕は逃げない。僕がここにいるのは、戦うためなんだから)


「準備はできましたか?」というモニターの表示に、カナタは数秒の間を置いて「Yes」を選択した。

 目元にかかった前髪を頭を振って払った彼は、右手を操縦桿へ、左手はモニター下部の操作盤へと添える。

 そして――火蓋は切って落とされた。


『試合開始です!!』


 実況が高らかに宣言した瞬間、二機は砂煙を巻き上げて急発進する。

 足底部のホイールによる加速で互いの距離を一気に詰め、初撃。

 腰から抜かれる銃剣。その速度は、両者全くの同時だった。

 刃と刃が激突する快音に、スタジアムからはわっと歓声が湧き上がる。


「――っ、速い……っ!」


 彼我の初めの距離は二十メートル。肉薄に要した時間は、一秒にも満たない。

 受けた相手の刃の速さ、そして重さにカナタは息を呑み、瞠目した。 


『へぇ、本当に実機は初めてなんですか?』

 

 驚いているのは相手レイも同じだった。口ぶりからしてレイはSAMの操縦経験があるようで、素直にカナタを賞賛する。

 言いながらすかさず銃撃してくるレイに対し、銀髪の少年はモニターを凝視したまま操縦桿と操作盤を同時に扱う。

 派手に火花を上げて弾丸を撃ち放つ小銃。白い『魔力光まりょくこう』を帯びて吐き出される連射は――しかし、カナタの【イェーガー】を捉えるには至らない。


(その程度の弾丸なら、見抜ける!)


 土のフィールドを滑るようなカナタの駆動は、蛇のように掴みどころがなかった。

 右へ、左へ、相手を揺さぶるように高速で地面を駆ける【イェーガー】。

 その速度は初撃を食らわせた時よりも上がっている。駆ければ駆けるほど加速する――その力がどこから出ているのか、観戦する新入生たちも実況も分からなかった。

 カラクリを即座に看破していたのは、教師陣を除けばカナタと相対するレイだけだった。


『足底部に「力属性」の魔力を纏わせ、加速してるってところでしょうか』


 やはり見抜かれたか、とカナタは歯噛みする。

 魔力とは、ヒトが脳に備えているとされる未知の器官が生み出すエネルギーである。それによりもたらされる現象こそが、魔法だ。

 かつて、魔法とはおとぎ話や伝説の中にしか存在しないと思われていた。それを現実のものに変えたのが、SAMに搭載されたエンジンである【コア】であった。

【コア】を搭載したSAMと接続して初めて、人間は眠れる魔力を目覚めさせることが可能になる。電力を必要とせず、人が乗ってさえいれば魔力を用いて動けるSAMという兵器の登場は、補給の困難な領域で戦わなければならない『レジスタンス』にとってまさに革命だった。


『ですが……魔力は使えば使うほど、使用者の体力を奪います! そんなに飛ばしてちゃ、すぐに限界を迎えますよ!』


 銃撃を続行するレイの声に、カナタは頬に汗を伝わせた。

 今の戦況は、さながら狩人と追い立てられる獲物だ。レイの弾丸が切れるのが先か、カナタの魔力が果てるのが先か――根比べになってしまえば、分が悪いのは身体をろくに鍛えていないカナタだ。

 喘ぐカナタは銃剣を構え、その銃口をレイへ向ける。

 目指すのは短期決着。残された時間は、あと一分もないだろう。


「……一分あれば、充分!」


 少年は叫ぶ。機体の性能差はゼロ、差を付けるのはパイロットの技術のみ。

 その時、母親という彼にとって大きすぎる存在の言葉が、脳裏に蘇った。


 ――戦いなさい。もう逃げちゃダメよ。

 

 周囲の悪意に屈して殻にこもった少年を、引きずり出した母親。

 本当は、カナタは逃げたかった。それでも逃げられなかったのは、母に見限られたくなかったから。

 この世界で最も強く、実質的な権力を握っている月居カグヤに逆らっては、彼の居場所はどこにもなくなる。

『異形』を倒す最強の兵士になる――それしか、カナタの道はないのだ。そして哀れなことに、彼はその道を歩めるだけの才能を持ち合わせてしまっていた。


「か、母さん……み、見てて。ぼっ僕は、逃げないから。だ、誰にも負けない、戦士になるから」


 声が相手側にも聞こえていることも忘れて、カナタは呟いた。

 彼は膝や肘といった駆動部の関節を的確に狙う射撃と、神速の回避を両立する。

 観客席の興奮は最高潮に達し、声援が豪雨のように彼へ浴びせかけられる。

 その瞬間――少年の動きは、微かに精細を欠いた。


「ぅ、あっ……!?」


 これまで正確だった射撃が、初めて狙いを外した。

 攻撃をブレさせたカナタをレイは怪訝に思いながらも、好機とばかりに魔力を解放する。


『瞬きしないでくださいね! 【テンペスト】!!』


【イェーガー】は開口する。整然と牙の並んだ機械の顎の中で渦巻くのは、荒れ狂う嵐の卵だ。

 レイの咆哮と共に牙を剥く暴風。

 竜巻と化して肉薄してくる風の魔力に、カナタはあらん限りに目を見開く。


「……っ!」

 

 一瞬の心の乱れが勝敗を分ける――それを知っていながら、過去に起因する「恐れ」が少年の邪魔をした。

 あれを受ければ【イェーガー】は致命傷を負う。だが、回避している猶予も最早ない。

 うな垂れ、少年は唇を噛んだ。敗北、失敗、出来損ない、負け組……そんな烙印を押されてしまえば、今後の自分はどうなるのか、考えたくもなかった。

  

 ――逃げちゃダメよ。


 引き伸ばされた時間の中で、過ぎった声はやはりそれだった。

 

「ま、負ける、わけには……」


 月居カナタはSAMパイロットとして戦わなくてはならない。『レジスタンス』の長として『異形』に抗う母のように、SAMを開発した偉大な父のように、戦場へ身を投じなくてはならない。


「……いかないんだッ!!」


 声が震える。だが、その叫びは確かに相手を驚愕させる力を宿していた。

 鼓動が激しく刻まれ、鈍器で殴られたかのような頭痛に襲われながらも、彼は魔力の消費をやめなかった。

【イェーガー】が竜巻に呑み込まれる。風音に装甲が剥がれる音が混じり、観客も実況も固唾を飲んで戦いの結末を見守る中――カナタは、風を切って飛び出した。


『なっ!?』


 装甲が全て剥がれた丸裸の姿になってもなお、カナタは突撃しようとしていた。

 あまりに無謀な行動にレイの驚愕の声が上がるが、それは次の銃声にかき消される。

 抱えた銃剣から撃ち出す、渾身の一撃。

 しかし、真正面からの攻撃をレイが見切れないわけがなかった。


『悪あがきですか!』


 竜巻を強引に突っ切った際に、カナタは酷く前傾姿勢になっていた。その体勢からSAMの急所である胸部を狙うには、不自然なほどに銃口を上向きにしなくてはならない。

 無理のある姿勢で完璧な銃撃を決めるだけの技術は、実際に戦場に出たこともない月居カナタにはない――レイのその見立ては、正しかった。

 弾丸は【イェーガー】の胸を捉えることなく、大きく上に逸れて掠りもしなかった。

 

『闇雲に上を狙っても、当たりませんよ! さあ……これでとどめです!』

 

 勝利を確信してレイは宣告する。

 誰もがレイの勝ちだと思っていた。……カナタを除いた、全員が。


『うあっ――!?』


 瞬間、背後からの衝撃にレイの【イェーガー】が体勢を大きく崩した。

 激突したのは、剥がれたカナタのSAMの装甲。竜巻に揉まれて舞い上がったそれを少年は撃ち落とし、敵機のくびにぶつけたのだ。

 それでも姿勢を立て直そうとするレイだが、しかし。

 肘や膝に度重なる銃撃を食らってしまっていては、それも不可能だった。

 頭から倒れゆく敵機へ、カナタは最後の銃弾を撃ち込む。


「……これで、終わりッ!」


 破砕する狩人の眼。赤い金属片が地面に散らばり、レイのモニターからは色が失われていった。

 視界を潰された狩人には、もう満足に狩りは行えない。勝負は、ついた。


『しょ、勝者、赤コーナー・月居カナタさんです!!』


 レイ側から敗北を認める信号を受け、実況は試合の決着を宣言する。

 僅かに遅れて爆発した大歓声。両手で耳を塞ぎながら、少年は初めて掴んだ勝利の喜びを確かに噛み締めていた。



 新暦20年、4月。

 月居カナタはSAMパイロット養成学園に入学、入学式でのエキシビションマッチでSAM戦闘での初勝利をもぎ取った。ここでの対戦相手、早乙女レイは彼の生涯にわたる戦友となるのだが、この時、カナタはまだそれを知らない。

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