第18話

 建物も人も、何一つ存在しなかった。

 まるで黄昏のようにあたりは薄暗く、地平線は靄の中にかすんで見えない。

 やがて、彼の正面に人影が現れた。靄のせいではっきりしないが、身長からして中学生ぐらいか。

 そのうちに靄が一瞬晴れ、少年とも少女とも知れない人形のように整った顔だちがはっきりと視認できた。

 まるで兄妹のようによく似た無表情な白い顔が五つ。だが、その瞳にはどれも、何かを訴えかける様な、憂いを帯びた光が浮かんでいた。

 晃はその表情のあまりの切なさに、声をかけようと一歩踏み出した。

 その瞬間、人影はかき消す様に消滅した。

 その場で靄が渦を巻いた。


 「おい、ちょっと待って! 待てって!」


 走り出そうとしたが、足は動かなかった。

 晃はその場に崩れるように膝をつくと、大声で彼らを呼び戻そうとしたが、声にならないかすれた叫びにしかならなかった。





 部屋には空調のささやきがかすかに響いていた。〝窓〟の反射鏡はわずかに回転し、薄明の中、街は再び活動を開始しようとしている。晃はベッドから抜け出すと、汗でじっとりと濡れたシャツを脱ぎ捨ててシャワールームに入った。


「何だったんだ、あれは?」


 思わずつぶやきが漏れる。夢にしてはあまりにも鮮明過ぎた。

 熱いシャワーを浴びながら、霞の向こうに並んでいた子供達の顔を思い返してみる。だが、知った顔はなかったように思う。ためしに今まで見かけたコロニーの子供達を当てはめてみようとするが、晃の記憶力ではその誰とも特定できそうにない。

 一人一人の顔を細かく思い出そうとしている内に、あれほど鮮明だった映像も次第にぼやけて、ついには漠然としたイメージが残るのみになってしまった。


「くそっ!」


 悪態をつきながらシャワールームを出た晃は、冷蔵庫から冷たいミルクを取り出してぐっと飲み干す。それでようやく頭がしゃっきりしてきた。


「それにしても、なんだか妙な既視感があったな……」


 果てまで続く黄昏の空間。

 どこか懐かしく、胸が締め付けられるような切なさが後を引く。


「もしかして、この前迷い込んだあの場所か」


 ぼんやり考えながら、机の上に出しっぱなしの端末を立ち上げる。昨夜セットされたままのメモリーカードが自動的に呼び出され、ディスプレイに文字が表示される。


《三区、第四シリンダー、総合運動公園》


 何度も確認した通り、たったの一行だけだ。

 晃はふと思いつき、バッグをかき回して例の田舎者専用おのぼりさんマップを取り出すと、場所を確認しようとテーブルに広げた。

 ところが、そのエリアに運動公園は存在しなかった。


「ずいぶん古いデータだしな。移転でもしたのかな」


 晃はカードがかなり古そうだったのを思い出し、改めてマップの索引から調べ直す。運動公園は実際には三区の〝第三〟シリンダーに存在した。


「打ち間違い……とか?」


 ともかく、画面をにらんでいても何も始まらない。そう思い直し、ふと壁の時計を見上げて舌打ちをする。


「う、五時半か! 夢のせいで変な時間に目が覚めちゃったな」


 さすがにこんな早朝から薫を起こすのはかわいそうだ。かと言って今さら二度寝を決め込むほどの時間はない。

 眼鏡型携帯端末コミュニで検索すると運動公園までは往復で一時間といったところだった。


「先に下見だけでもしとくか」


 コロニーに来てからは、日課だった朝のジョギングもずっとサボりっぱなしだ。


(運動公園と言うからにはジョギングコースくらいあるだろうし)


 晃はジャージを着込み、タオルを首にかけて部屋を出た。

 反射鏡はすっかり開き切り、朝のすがすがしい光が街を満たしていた。





 けたたましいアラームで眠りを覚まされた薫は、不機嫌声で眼鏡型携帯端末コミュニを取った。思わず語尾がはね上がる。


「はいぃ!」

『あ、薫? 何よその声は?』

「何だ、久美子か。こっちは朝の六時なのよ」

『〝何だ〟は余計。それよりこの前頼まれた件、かなり困ったことになったわ』

「どうしたの?」

『あなたの観葉植物カポック。アブラムシが付いてたの』

「げ!」


 薫はガシガシと頭をかきながらベッドの上にあぐらをかいて座り直すと、暗号化アプリを立ち上げる。


「……いいわ」

『まず、あの子のご両親、殺されてる可能性が高いわね』

「はぁっ? 何それ!」


 突然の重大発表に、薫は自分の耳を疑った。


『多分間違いないと思う。当時、名前の付いてない不審な治療用スリープカプセル二つを資材検収船に運び込んだ元作業員を隠居先で見つけたの。映話で証言も取れたんだけど、後でウチのスタッフが直接尋ねたらタッチの差で消されてたわ』

「……うわあ」

『それに、事故を起こした資材検収船の乗員ファイルのデータベースに不審な点があったんで、運輸局の記録原簿保管室にある原本を閲覧してみたんだけど、最後の航海のデータがそっくり紛失してた。何者かに抜き取られた可能性があるわね』

地球そっちで誰かが証拠を消して回ってるってわけ?」

『そう。保管室の係員が何日か前に航海原簿の閲覧を請求した人間を覚えていたわ。モンタージュを取って、申請書に入力された所属と名前を当たってみたけど、実際には存在しない架空の人間だった。顔も指紋も作り物』

「手慣れてるわ。それに大がかり過ぎない?」

『確かに、かなりのやり手ね。相当にやばい連中がいまだに暗躍中』

「ちょっと、話がいきなり過ぎて付いて行けない。どう考えればいいのか、もう……」

『もう一つ。コロニーチルドレンの件で気に掛かることがあるのだけど』

「え!? ちょ、ちょっと待って」


 薫は深呼吸を繰り返し、両手で頬を挟むようにパチンと叩く。


「よし、来い!」

『あの子、神奈川技術工科大の利根教授に依頼されて何らかの研究データをサンライズ7に運んでいるわよね』

「あー、そう言えばそんなこと言ってたような……」

『利根教授とチルドレンの間に明確な繋がりは確認できなかったけど、運んだデータの内容次第ではあの子自身も命を狙われている可能性があるわね。出来るだけ早くあの子を連れてサンライズ7そこを出ることをお勧めするわ』

「ありがと。引き続きお願いね」

『おじさんからもGOが出たからもう少し調べてみるわ。詳しい情報は随時船に送っとくから。くれぐれも気をつけて』

「OK。じゃあ、おじさんにもよろしく」


 電話は唐突に切れた。

 薫はしばらくぼーっと考え込むと、枕元の内線電話に手を伸ばす。内線で晃の1108号室を呼び出すが、何度コールしても相手は出なかった。


「うー! イヤな予感がする!」


 手早く身じたくを整えて晃の部屋を訪ねるが、ドアの在室表示灯は消えたままだ。

 いやな予感が更に高まる。 

 薫は廊下を見渡して人影がないのを確認すると、ウエストポーチから非合法の錠前破りを取り出してスロットにセットした。

 LEDがチラチラと高速で瞬いて暗証番号を探し始めるのを横目で確認しつつ、油断なく廊下の左右に注意を注ぐ。十秒ほどでようやくグリーンのLEDが点灯した。

 同時に廊下の奥ではエレベーターの到着を示すチャイムが響いた。慌ててドアを開き、部屋に入って素早くロックする。ドアにぴったりと耳をつけて廊下の足音を伺うが、エレベーターを出た足音は次第に遠ざかっていった。薫はほっとしてドアに寄りかかると、そのままずるずると座り込んだ。

 部屋は無人だった。

 座り込んだまま眺める限り、無理に連れ出されたような形跡はない。

 薫はとりあえず胸を撫で下ろすと、ゆっくりと立ち上がって部屋に入る。テーブルの上には端末が昨日のままに放り出されている。


「いや、コップとガイドマップは昨夜はなかった……」


 あの後、晃はまた何かを見つけたのだろうか。

 注意深く端末を持ち上げる。スロットには昨日のメモリーカードが刺さったままだ。

 薫は眉をしかめた。とりあえずメモリーカードを抜き取ってウエストポーチにしまいこむ。

 次にカップを持ち上げる。底にわずかに残った牛乳はまだ乾いていない。今朝飲んだ分だろう。それに、マップが広げてあるという事は、おそらく彼は自分の意思で外出したのだ。

 薫は晃の取りあえずの無事を確認してほっとしたが、


(なぜ? 彼は私に声をかけずに行ってしまったんだろう)


 思った瞬間、不意に幼い頃のトラウマが蘇る。両手が細かく震えるのを止められない。

 周囲数千キロ四方、完全無人の火星の荒野に久美子とたった二人で置き去りにされたあの日。薫は世界を恨み、こんな境遇に自分達を叩き込んだ神をも罵倒した。彼女が徹底したリアリストになったのはそれがきっかけだ。


(違う!)


 薫は勢いよく頭を振って妄執を振り払った。今はそんな事を気にしている場合じゃない。そう思い直した薫は、晃の後を追うために部屋を飛び出した。

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