第30話

「くそ! 頭がズキズキする!」


 晃は足元の激しい揺れによたつきながら壁に手をつき、荒い呼吸を繰り返した。ずっと走りっぱなしだったせいで汗が目に流れ込んでチクチクするし、その上側頭部の殴られたあたりが心臓の拍動に合わせてはじけるように痛む。

 目を細めて前方の暗闇に目を凝らすが、目当てのマーキングはなかなか見つからない。

 薄暗いメンテナンス通路にぽつんぽつんと灯るLEDランプは不安定にチラチラと瞬き、衝撃音が響くたびに天井から何かがパラパラと降ってくる。


「あ、あれか!?」


 ようやく目当てのマーキングを探し当てた。壁が自販機置き場のように一段凹んでくぼみのようになっている部分の奥に、四、五十センチ四方の赤枠で囲まれたメタクリル製の保護カバーが取り付けられていた。照明の関係で影になっており、意識して探さない限りまず気づかない場所だった。


(多分、手動で解除できるレバーかバルブがあるはずなんだけど)


 赤枠の上部には〝非常用手動カプラー開放装置〟と刻まれた金属プレートが貼ってある。


(うん、間違いない!)


 晃は内心で大きくうなずく。工具なしでも取り外しができるようにカバーの四隅がノブボルトで固定されているが、それを取り外す時間すら惜しかった。手っ取り早くメタクリルプレートを蹴飛ばすと、カバーはあっけなくはじけ飛び、中から赤く塗られた五本のレバーと、同じ数の細身のガスボンベが姿を現わした。


「薫さん! ありましたよ!」


 インカムに向かって叫ぶと、晃は左手で一番端のレバーを握り、そのまま体ごと後ずさりする勢いで引く。


「あ、いたた!」


 肩の激痛に思わず声に出してしまう。


『どうしたの!? 大丈夫?』

「だ、大丈夫です。大したことありません」


 必死のやせ我慢でごまかしながら、もしこの場に薫さんがいたとしたら、叱られる程度では済まないだろうなとちらりと思う。

 ガクンという重い手応えと共にレバーが引き出され、晃はそのままレバーに全体重をかけて真下に押し込む。ブシュッと音を立ててボンベに蓄えられていた高圧ガスがどこかに送り込まれ、同時に、急速に圧力を失ったボンベは表面に霜を生じて真っ白になった。


「……ふう。あと四つか」


 だが、大きくため息をついて腰を伸ばしたところで、後頭部に硬い筒状の物がゴリっと押し付けられた。


「そこまでだ。レバーから手を放し、二、三歩下がれ」


(くっ!)


 晃は左手でホールドアップの姿勢を取ると、小さくため息をついた。


「そのままゆっくり振り向いてもらおうか」


 言われてそのままの姿勢で振り返る。と、そこに立っていたのは制御室でも見た痩せぎすの与圧服男だった。


制御室あそこで死んだわけじゃなかったのか)


 晃はちゃんと確認しなかったことを今さら後悔した。


「……君はやっぱり、ここまでやれてしまうんだな」

 

 一方、男は謎かけの様なつぶやきを漏らすと、パルスガンの銃口を晃に向けたまま、ヘルメットバイザーのミラーシールドを解除した。


「ええ! まさか!」


 現れたその素顔は、まったく予想だにしない人物だった。





『薫! ちょっといい?』

「何かな? 今取り込み中なんだけど」


 薫は女性管制官との通話を一端中断し、メインスクリーンにちらりと視線を走らせる。


『ダイバーチームからの中間報告に気になる内容があったの。新村博士の研究室に所属していた院生達のその後を洗ってたんだけど……』

「ごめん、手短に!」


 答えながら両手は休まずにキーパッドを叩き続ける。宇宙港管制のスタッフが苦労して開いてくれたコロニー管理局へのフリーアクセスゲートに、今まさに久美子謹製の城壁破りファイヤーウォールクラッシャーを突入させたところだ。

 

『聞いて! その中に二人ほど気になる名前があったわ。一人は山崎修やまざきおさむ、もう一人は横山和也よこやまかずや

「うーん、どっちの名前にも全然心当たりはないんだけど?」

『そうでしょうね。山崎は両親と死別して利根家に引き取られ、横山和也は両親の離婚で母方の旧姓である有吉に名前が変わったから』

「ちょっと待って!」


 薫はそこで初めて手を止め、メインスクリーンの久美子を凝視した。


「利根と有吉、二人とも晃くんをコロニーに送り込んだ関係者じゃん!」

『その通り。二人共、最初から新村博士と繋がってたのよ。コロニーチルドレンの研究に関わっていた可能性も大。もしかしたら今も』


 それを聞いて薫の顔色はさっと青ざめた。


「ちょっと待って! 私、さっき有吉准教授にメッセージ送っちゃったよ。晃くんがカプラーに向かうって」

『何ですって!』

『鷹野さん! コロニー管制です! 今いいですか?』

「はい! こっちは何よっ!?」

『ええ、その……』


 薫の咎めるような口調に気後れしたのか、管制官はわずかに口ごもる。


『たった今、アメリカのNOAA海洋大気庁から緊急警報が発せられました。太陽フレア警報です!』

「フレア警報? そんなもん年中出てんじゃん? 珍しくもない。それがどうしたの?」

『いえ、それが……〝警報レベル5プラス〟なんです!』

「レベル5? そんなレベルあるの?」


 薫は目を丸くした。

 太陽フレアは太陽表面、多くは黒点部分の小爆発によって大量の電磁波や放射線、荷電微粒子が放出される現象で、警報レベル0や1程度の弱いフレアなら年間数十回は発生している。

 フレアにより放出された強烈な電磁波は光と同じ速度でコロニーを襲い、電波障害を引き起こす。人体にとって一番厄介なのはそれから数時間遅れてやってくる高濃度の放射線だ。さらに一、二日遅れて襲来するイオン化した荷電微粒子も面倒で、これが電気製品や送電網に直撃すると、最悪電気回路が焼き切れる。一八五九年のキャリントンスーパーフレアでは、実際に地球上の送電線や電信網を炎上させた記録が残っている。

 宇宙船ふな乗り、いや、宇宙で暮らす人々が最も恐れる宇宙空間の嵐、それが太陽フレアだ。


『予想されるフレア規模スケールはエックス線強度でクラスX70以上、数世紀に一度レベルの超大型フレアが来ます!! こんなの初めてですよっ!!』

「ええ!? どうすんのよ!!」


 薫は悲鳴を上げた。


『サンライズ7コロニーは工業港が太陽に正対しています。工業港の方が居住区より太陽面投影面積が大きいです。だからゲートさえ閉じてしまえば日陰になって居住区への放射線や荷電微粒子の影響は最小限に――』

「何言ってんの! 工業港のゲートは全開だよ! 作業艇が出て行ったまま誰も戸締りしてないんでしょ!?」


 帰ってきたのは大きなため息だけだった。


「それにミラーパネルはどうすんの!? 太陽光と一緒に〝窓〟から色々ヤバい粒子が入ってくるんじゃないの?」

『ええ、でも、いまだに管理局のコントロールセンターとも工業港管制室とも全然連絡が……』

「くっ! 方法は何かないの!? このままじゃ」

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