第27話

 薫はコクピットに駆け戻ると、晃がカプラーの作業用エアロックに消えるのを船外カメラで確認し、爆発ボルトに点火する。

 ケミカルアンカーが吹き飛ぶズンという鈍い反動で船はわずかに浮かび上がる。サイドスラスタを一瞬吹いてベクトルを相殺しながら、薫は正面スクリーンに晃の消えた作業用エアロックの映像を拡大表示し、扉の脇に派手な蛍光色の二重丸でマーキングされた非常用インターフェースに慎重に照準を合わせる。


「おし! 行け!」


 かけ声と共にトリガーを引く。超高速通信や電力、エアロックへの酸素供給すら可能な多機能アンカーアンビリカルが船体から射出され、インターフェースポートにガッツリと固定された。電脳同士の数秒の攻防の末、グリーンシグナルが点灯し、コロニーが持っていたエアロックの制御権限はあっさりと〝がるでぃおん〟に奪取された。


「さすが久美子謹製の防壁破りクラッカーだわ! チョロいわね」


 薫は思わずガッツポーズをとるとにんまりと笑う。

 

「こうしとけば、宇宙港によっぽどのトラブルが起きても彼の安全は確保できるし……」


 薫はどんな危険な状況に追い込まれようと、晃を回収するまではこの場所を動くつもりはなかった。


「それにしても……」


 薫は一人つぶやいた。

 〝思い立ったら即実行〟を信条に、いつもなら先頭にたって行動するはずの自分が、今回は彼の帰りをただ待つ立場に立たされるなんて。


(あの不思議な瞳のせいだ……)


 どう見ても自信なさげな態度なのに、なぜかその視線だけがアンバランスに強い。相手によっては、それだけで本能的に恐れさえ感じるだろう瞳の輝き。


「……今回ばかりは勝手がちがって戸惑うわね」


 実のところ、彼に近づいたのは偶然ではない。

 ホテルのロビーで彼と出会い、端末を借りる交渉をしたのは単なる口実だ。だが、その瞳を目にした瞬間、なぜか直感的に彼を護り助ける事こそが自分の使命だと感じたのだ。母性本能とも恋愛感情とも微妙に違う不思議な気持ちの高ぶり。


(……私は、彼の瞳に魅せられている?)


 あえて一言で説明するとしたら、そうとしか言いようがなかった。


「なんて因果な……おっと、そんなことより有吉先生に連絡を」


 薫は気を取り直すと、自分の出来ることに取り組み始めた。





 ごぅぅん


 晃の足下で作業用エアロックのアウタードアが鈍い音を立てて閉じた。

 エアロック内部に空気を注入しながら、彼はヘルメットのロックを外し、与圧服も脱ぎ捨てようかと首のカラーに手を添える。


「……いや、このままいくか」


 なんとなく思い直してヘルメットだけをバイザーごと後ろにはねあげる。タイミング良く、インナードアにグリーンシグナルが灯り、ロックがはずれるカチッという音が妙に大きく響いた。


 彼はドアハンドルに注意深く手をかけ、そのまま矢印に沿ってゆっくりと九〇度ひねる。

 ブシュッと気密の抜ける音が響き、見かけのゴツさとは裏腹に軽い手ごたえで内側に下がってきた。


(もしかして待ち伏せとか……)


 用心のためにエアロック内に転がっていた梱包材をドアの外に放りだしてみる。だが、ドアの向こうには何者の気配も感じられなかった。


「まずは第一関門突破……」


 そのまま扉を細く開き、改めて外に誰もいない事を確認してからするりと這い上がる。

 左右には狭いメンテナンス通路が続いている。所々に非常灯が寂しく灯るだけで、遠くは闇に沈んでいる。案内表示の類はまったく見られない。


「どっちだ?」


 構造材すらむき出しの殺風景さに晃は一瞬気後れしたが、取りあえず勘に任せて右に歩き始める。

 天井パネル一枚はさんだすぐ頭上では、カプラーが今にも機能を失いつつあるのだ。振動ははっきりわかるほどで、時々不気味な軋みと共にガツンとつき上げる様な衝撃が走る。

 時間はほとんど残されていないらしい。このままでは間に合わない。

 晃は延々と続く薄暗い通路を全速で走り出した。

 走り続ける晃の脳裏に、これまで出会ったコロニーの子供達の訴える様な表情が浮かぶ。

 彼らもこの事態を予測していたのだろうか? 自分たちの最後すら、諦めきった冷めた表情で迎えるのだろうか?


「ハア、ハアッ!」


 次第に息が切れてきた。同時に脳裏の子供達の顔がぼやけ、夢で見かけた五人の実験体に変化する。

 人間でありながら、人ならざる物に産み落とされた彼ら。進化のポイントを先行し過ぎ、誤ったレールをつっ走った末に行きづまった哀れな亜人類。彼らは俺に何を訴えたかったのだろう?

 有吉准教授の声が聞こえる。気がつくと、現実には受けたことのない講義の場に晃は立っていた。


「……君達は知ってるかい。今の人類の直接の祖先であるクロマニヨン人より、滅びてしまったネアンデルタール人の方が実は種としてはずっと強力パワフルだったという説もあるんだ。実際彼らの方が脳も大きく、身体も大きく丈夫だった」

「では、なぜ?」


 晃はひとりごちた。脳裏の有吉はその質問に嬉しそうに頷く。


「なぜ、彼らは滅びてしまったのか。多くの説があるが、僕は、彼らは進化し過ぎたと考えているんだ。進化を周辺環境への順応と捉えるなら、彼らは自分達を環境にガチガチに最適化させ、それが過ぎて、逆に急激に変わり始めた周りの環境について行けなくなったんじゃないかと思う。種としての変化の自由度が狭過ぎたんだ……」


 真佐子のイメージが眉をしかめてつぶやいた。


「ここでは大人の方が子供みたい。一生懸命で、夢を追ってて。なのに子供達は変に大人なんです。変にあきらめちゃって、チャレンジすることなんてないみたい」


 そう言えばどこかで聞いたような気がする。

 学問上の偉大な発見、科学技術の飛躍的な革新、そのどれもが最初は誰かの突拍子もない夢から出発したと。あきらめの悪い夢想家達のこだわりが、人類をここまで引っ張って来た原動力なのだと。


(だとすれば……)


 すべてにおいて理解しすぎる彼らは、この先一体どうなってしまうのだろう。

 再び脳裏の有吉が口を開く。


「挑戦に向かう衝動がなくなった時、そこから退化が始まるんだよ」


 だが、子供達は今、実験体のメッセージを受け取って自分達でコロニーの欠陥を暴露し始めているのだ。彼らも必死に自分の中の何かを変えようとしている……


 実験体、あかりの言葉が脳裏に響く。


「そこで貴方の存在が重要になってくるのです。同じ能力を持ちながら、しかもどこかイレギュラーな貴方の……」


「そうかっ!」


 晃はようやくたどり着いた制御室の扉を勢いよく押し開けながら叫んだ。頭の中に一瞬雷光が瞬き、何かの答えがくっきりと見えたような気がした。

 だが、次の瞬間、側頭部に強烈なショックを受け、そのまま制御室の床に思いっきり叩き付けられた。

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