第26話
「どう?」
モニターを派手に彩る各種警告表示を一つ一つ消しながら薫は得意そうに笑って見せた。
「軍用機を上回る頑丈さと言うふれこみに嘘はなかったわね。これであと試していないのは急角度大気圏再突入だけなんだけど」
「そんな物騒な機能、わざわざ試さないで下さいよ!」
晃は引きつった顔のままで抗議したが、薫はそれを当然のように無視すると、船を大きくロールさせながら針路を急角度で反転させる。強烈な横Gが二人を襲うが、シートに伏せて必死の形相の晃に対し、薫は眉一つ動かさなかった。口元にはかすかな笑みさえ浮かべている。
明らかにこの手の荒っぽい操船に慣れている様子だ。
ほどなく正面スクリーンには、たった今脱出したばかりのサンライズ7コロニーの全景が現れた。強烈な太陽光に照らされたコロニーには、まるでジオラマモデル並みの質感しか感じられなかった。
真空の宇宙空間ゆえの錯覚と頭ではわかっていても、目の前の物体が実際には全長一万メートルを越す巨大建造物であるとはとても思えなかった。ましてやその中で二十万人もの住民がそれと知らずに生命の危機に立たされているとは。
「さて、まずはコロニー管理局の中枢に話ができそうな人はっと」
薫は
「有吉准教授はどうかな?」
「コロニーの中で一番信頼できそうな人だとは思います。けど……」
「けど、どうしたの?」
「いえ……」
話しにくそうに口を一文字につぐんで俯く晃。だが、じっと見つめる薫の視線に根負けしたように口を開いた。
「さっき久美子さんが話していた裏帳簿を残した人間は、恐らく俺の両親ですよね?」
「ええ、状況的に、それしか考えられないよね」
「だとしたら、両親はコロニーに不正資材が納入されていることを知りつつ、見て見ぬふりをしていたということになります」
「きみは、ご両親も犯罪の片棒を担いでいたと疑っているの?」
晃は大きく頷いた。
「気持ちとしては両親を信じたいんです。でも、新村博士や管理局に何か弱みを握られて、それに逆らうことができなかったのかも……と」
「……ふむ」
「もしかしたらその弱みとは、俺だったのかも。そう考えてしまって」
「晃くん」
晃を睨みつけながら、薫は眉をしかめ、耐Gシートの背もたれにどさりを体を預けた。
「……今、それを悔やんで事態が改善するかな?」
「……いえ、でも」
薫のきつい問いかけに、晃は自嘲気味に呟いた。
「でも、もしも俺さえ生まれなければ、両親は悪事に加担することも――」
「
瞬間、晃の頬がバチンと弾けたように熱を持つ。
「……晃くん、駄目だよ」
予想だにしないビンタと薫の涙混じりの大声に、晃は驚いて黙り込んだ。
「きみは託されたんじゃないの? 灯って子に? 今やるべきことは過去を悔いることじゃない。コロニーの未来を救うこと。それが彼女達の、そしてご両親の心からの願いだとどうして気づかないの!!」
しばし、沈黙がコクピットに満ちる。
薫はこぼれる涙をぬぐいもせず、無理やりに笑顔を作る。
「ぶったりしてごめん。でも、この世に生まれちゃいけない命なんてない。きみは、ご両親に心から望まれてこの世に生を受けた。それだけは、絶対に絶対に疑っちゃいけないよ」
「あ……」
晃はまだじんじんと熱をもったままの頬をさすりながら俯いた。
「すいません。俺……」
「まぁ、そう思っちゃう気持ちはわかるよ。でもね……」
そう言いかけて、ズズッと鼻をすすった薫は、どこか遠い目をして小さく笑う。
「昔、何かというと自分の境遇をグチってばかりいる人がいてね」
「ええ?」
「でもおかしいの。ブツブツ文句ばかり言うくせに、反面めちゃくちゃ諦めが悪いのよ。さっきのきみの愚痴を聞いてちょっとその人を思い出しちゃった。まぁ、それでもきみの方が百倍マシだけど、ね。さて、この話は終わり!」
薫はあっさり気持ちを切り替えたらしく、忙しくコンソールに指を走らせる。
「さて、どこかに作業用のエアロックでもないかしら」
歌う様に呟いた薫は、うるさく鳴り続ける近接センサーのスイッチを切って手動でコロニーの外壁に接近する。管理局から発せられる警告を完全に無視して宇宙港ブロックに相対速度を合わせ、カプラーに添ってゆっくりと円周方向に移動する。
ふと目を太陽方向に向けると、そこには長さ一万四千メートルを超える三枚の超巨大なソーラーパネル兼ミラープレートが居住区と一緒に回転しているのが見える。宇宙空間では音なんて聞こえないはずなのに、風車の羽のように視界を横切っていく巨大なプレートは、ブンブンという風切り音のような幻聴を見る者に抱かせる。
(もしあれに接触でもしたら、一瞬で船は粉々に……)
晃は一瞬そう考え、慌てて脳裏からそのイメージを追い払った。
どう考えても宇宙船舶運航法に違反するコロニーへの異常接近だが、一心に船を操る薫の表情はまるでお気に入りのおもちゃで遊ぶ子供のそれにそっくりだった。
「薫さん、もしかして少し楽しんでます?」
晃は恐る恐る聞いてみた。
「危機に陥ると逆に燃えてくるのよね。不謹慎だとは自分でも思うんだけど……と、見つけたわ!」
薫は粘着性のケミカルアンカーを三本続けてカプラーの外壁に打ち込み、同時にスラスターを軽くふかして船を相対静止させた。アンカーロープがピンと張り切り、船体をわずかに引き戻す。
左舷五メートルあまり前方には作業用の小さなエアロックが見える。ゆっくりとアンカーロープを巻き取って船を外壁に接触させる。ドスンという着底のショックに続き、あの不気味な振動が船体に伝わってくる。最初に桟橋で感じたわずかな揺れは、今でははっきりとした振動に姿を変えていた。
「晃くん」
晃は大きく頷いた。
迷いがないと言ったら嘘になる。でも、自分が何をすべきかはもうわかっていた。
幼い頃から穴が開くほど何度も何度も繰り返し見たコロニーの構造図は今でもしっかり覚えている。
シートベルトをはずして床を蹴り、そのまま振り向かずに手すりに漂い着くと扉を開く。廊下の壁のガイドグリップを握って親指でボタンを押すと、グリップは無音で壁を滑り、一瞬で晃をエアロックに導いた。
「晃!」
遅れて薫もエアロックに姿を見せると、晃が宇宙服を着るのを助けながら言う。
「私は船を離れられないから、この先直接あなたの手助けはできないわ。でも……」
晃には薫の言いたいことは表情で十分わかった。それでも彼女はあえて言葉を選ぶ。
「いい、危ないと思ったら迷わず脱出して。こんなこと本当は言っちゃいけないんだろうけど、私には見ず知らずの二十万人よりはあなたの命の方が大切なんだからね!」
そして、答えられずにいる晃に唇を寄せてキスをすると、素早く彼にヘルメットをかぶせ、そのままエアロックを飛び出して行った。ヘルメットの中には、薫のほのかな香りと唇の柔らかな感触が彼女の想いと共に封印された。
晃はしばらく無言でその場に立ちつくし、やがてエアロックの空気を抜いてアウタードアを開くと一言つぶやいた。だが、無線のスイッチは入れられておらず、真空中で音はどこにも伝わらない。
彼の言葉は、そのまま誰にも聞かれることなく真っ暗な宇宙空間に拡散し、そして、消えた。
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