第28話

「しっかし、不用心な兄ちゃんだな」


 ようやく意識を取り戻した晃の頬をつねりながら、作業服姿の大男があきれたように鼻を鳴らした。

 坊主頭をそのまま伸び放題にしたようなボサボサ頭に無精髭。晃がコロニーで出会った中でも最悪レベルに薄汚れた身なりだった。

 ヨレヨレの作業服は元の色が分からないほどくすんでいるが、居住区の反対側の端にある工業港の荷役作業員が着るオレンジ色に見えなくもない。実用的に鍛えられた分厚い胸板や丸太のように太い腕を見る限り、堅気の人間には見えない。多分元軍人だ。


「ドアを開けるときは、ちゃんと周りをよく見るようにって習わなかったか?」


 大男は黄色い乱杭歯を剥き出しにして晃をあざ笑う。

 隣では、大男と対照的な痩せぎすの与圧服姿が無言のまま晃にパルスガンを向けていた。ヘルメットをかぶり、ミラータイプの遮光バイザーを閉じたままなので顔はまったくわからない。

 晃は痩せ男の無言のジェスチャーに従ってゆっくりと体を起こし、次いで作業服の大男に指示されるまま頭の後ろで両手を組んだ。


「痛っ!」


 うっかり触れた左の即頭部には大きなこぶができていた。後ろから殴られるか蹴られるかしたらしい。

 晃は耳に着けていたはずのインカムを探そうとして、パルスガンの銃口をこめかみにゴリッと突きつけられた。


「残念だったな。通信抑止装置ジャマーが効いてるから無線は使えん。これ以上下手な動きをしたら警告なしに撃つぞ!」


 いつの間に取り出したのか、パルスガンを構えた右手はピクリとも動かない。与圧服の痩せ男より遙かに銃の扱いになれているようだ。

 晃は大男を睨みつけながら、内心自分はどのくらいの時間気絶していたのだろうかと考えた。

 床に伝わってくる振動が、もはやはっきりと異常と言えるレベルにまで達していたからだ。


「俺をどうするつもりだ」

「フン」


 男はそう言ってニヤリと笑う。


「素直に答えろ。実験体できそこないに受け取ったブツはどこだ?」

「何の話だ?」


 晃は即座に答えた。

 だが、大男は答えに満足出来なかったらしい。晃の背後から左腕をねじり上げると、そのままあり得ない角度にねじ曲げた。

 左肩がゴリッという鈍い音と共にだらりと垂れ下がった。


「!」


 いきなりのことに、まともに声すら上げられなかった。


「もう一度聞く。ブツはどこだ?」

「……知らない」


 大男はパルスガンをかたわらの与圧服男に投げ渡すと、晃の顔を思い切り殴りつける。勢いで吹き飛ばされそうになる右前腕を両手でつかみ、そのまま膝で蹴り上げて大根でも割るように無造作に二つ折りにした。


「ぐぅっ!!」


 晃の顔から血の気が引き、脂汗がどっとあふれ出る。足ががくがくと震え、まともに立っている事ができずに思わず膝をついた。大男はそんな晃の姿をせせら笑うと、彼の眉間に冷静に照準を合わせた。


「さて、これが最後だ。実験体に受け取ったブツはどこにある?」


 視界が狭まり、気を失いそうになるのを必死でこらえながら、それでも晃は本当のことを言うつもりはなかった。

 薫の心配そうな顔が彼の脳裏に一瞬浮かんで消える。


「……ホテル。爆発で……多分、燃えた……」


 あえぎつつそれだけ答えると、そのまま前のめりに倒れた。

 意識はあったが、両腕の痛みのせいか体に震えが走り、ほとんど力が入らない。


「先生、どう思うよ?」

「素人がここまでやられてシラを切れるとは思えませんが」

「偽装を準備する暇はあるのにブツが持ち出せないのはおかしくねーか?」

「いや、偽装は恐らく別口で……」


 男達の小声のやり取りがはるか遠くから切れ切れに聞こえてくる。


(……灯の気遣いは無駄になっちゃったな)


 アドレナリンがどっと放出され、腕の激痛は不思議なほど感じられなくなる。だが、その代わり意識がぼやけはじめた。周りの景色がやたらチカチカとまぶしく映り、頭の芯がズーンと痺れ、次第に恐怖すらも感じなくなってくる。


「まあ、いい。それじゃあそろそろ楽にしてやるか」


 大男の声がボソリと響いた。

 その瞬間、晃の背筋に電撃のような衝撃が走った。相変わらず何の前触れもなく、何度体験しても慣れそうにない。


(ここにいちゃダメだ!!)


 湧き上がってきた衝動に任せて訳もわからず床を転がり、男達から少しでも距離をとる。


「貴様っ!!」


 一瞬後、制御室全体が外から巨獣にでも蹴られたように激しく跳ねた。

 まるでカメラのフラッシュを数百同時に発光させたようなまばゆいスパークで視界が真っ白に染まり、同時に何かが引き裂かれる音、金属の軋み、全身を激しく揺さぶる地響きが耳鳴りを引き起こす。


「何!!」


 まともに言葉を発するいとますらなかった。

 光と轟音が束の間管制室を満たし、そして始まったのと同じ唐突さで急に静まり返った。

 

「一体……?」


 頭を起こそうとした所でパラパラと余韻の様に何かが降って来て慌てて首をすくめる。だが、それ以上続くことはなかった。

 不気味な静寂の中、晃はうつぶせに倒れたまま、薄れ行く意識をどうにか取り戻そうと必死であらがった。


『晃! 聞こえてる? 聞こえたら返事して!』

「薫……さん?」


 与圧服にぶらさがっていたインカム越しのかすかな声が、晃の意識をかろうじて現実に繋ぎとめた。

 ようやく正気を取り戻し体を起こした瞬間、今度は激しいめまいと同時に吐き気が襲い、晃は胃の中身をすべて吐き出して激しくえずく。頭を殴られた影響か、あるいは腕の怪我に体が悲鳴を上げているのか。


『どうしたの!? 何かあったの? ずっと呼んでたのに全然返事がないから……』

「……だい……じょうぶです。それより有吉先生は?」

『ダメ。研究室にはいない、連絡もつかない!』

「じゃあ……」


 晃はコンソールに体を預けながらどうにか立ち上がった。あたり一帯に金属と樹脂が焦げたような悪臭が漂い、制御室の様相は一変していた。

 目の前には、カプラーに何千と使われている冷蔵庫サイズの超電導コイルユニットがいまだ薄い煙を立てながら床に突き刺さっており、襲撃者の姿はどこにも見当たらなかった。

 見上げた天井には大穴があき、天井の構造材や配線が垂れ下がってあちこちでバチバチと火花を上げている。

 どうやら、カプラーの一部が回転する居住区に接触し、その勢いのままコイルユニットが引きちぎれて遠心力でふっ飛ばされたらしい。


「あのまま床に転がってたら……」


 事故の直前にしか発動しない使い勝手の悪い能力だけど、おかげで命だけは助かった。

 晃は天井を見上げながら大きく息を吸うと、ぶらぶらの左手のひらをコンソールにぺたりとつけ、角度を見極めながら一気に体重をかけた。


「があっ!!」


 ゴリっという鈍い音とともに外れていた肩関節が元に戻る。覚悟していても刺すような痛みが脳天まで響き、再び吐き気が襲うが、もはや酸っぱい胃液しかこみあげてこない。


『どうしたの!? そこで何が起きてるの!?』


 ようやく動くようになった左手でインカムを耳にはめ直す。


「ちょっとしたトラブルです。肩を脱臼しちゃって」

『どう言うこと!? ちゃんと説明して!』

「嫌ですよ。薫さん心配するでしょう?」

『……ほう、心配されるような事態になってることは認めるんだ』


 やり取りしながら左手でぐーぱーを繰り返してみる。


(大丈夫だ。動く)


「大丈夫です。恐らく最悪は脱しました」

眼鏡型携帯端末コミュニがあればそっちの様子がわかるのにぃっ!』


 歯ぎしりする薫を無視して天井からぶら下がっている配管をケーブルごと引きむしり、折れた右腕に添えて縛り上げる。


 その時になって、大男の片足が床にめりこんだユニットの端からのぞいている事に初めて気づいた。おそらく、大男の残りの大部分はコイルユニットの下にあるのだろう。

 晃は偶然の幸運に感謝した。皮肉にも、無抵抗に床に転がされたおかげでアクシデントを免れたのだ。


(しかし、本当に偶然なのか?)


 脳裏に事故を起こしたモノトラックやクロスワードパズル状態の『窓』の情景がフラッシュバックした。


(もしや……)


 再び床に衝撃が走った。わずかに遅れて遠くから雷鳴に似た響きが伝わってくる。コイルの脱落がほかでも始まっているらしい。

 もうほとんど時間は残されていない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る