第35話
「香織ちゃん、悪いけど手伝ってちょうだい!」
薫は大声で叫びながらエアロックから晃の身体をゲストルームに引きずり込むと、ベッドに横たえるやいなや彼が着ていた与圧服をマルチカッターでザクザクと切り刻んでたちまち下着姿にひん剥いた。
男性のセミヌードに顔を赤くする香織に右腕骨折部の添え木を頼みつつ、薫は医療キットからアンプルに入った強力な麻酔薬を取り出して
「だいたいこの
そのまま大腿に赤外線スキャナを素早く這わせ、左足の付け根に太い静脈を探し当てると、インジェクターを押し当てて薬の全量を一気に晃の体内に送り込んだ。
「薫さん! 一体何を?」
「詳しい説明は後。彼の身体を
「そんな! 凍え死んじゃいますよこの人!」
「違うわよ! この子には絶対に死んでもらっちゃ困るの。とにかくできるだけ早く体温を三十度まで下げる。彼、多分脳出血を起こしてる。一刻も早く設備の整った病院へ……」
迷いなくそう言い切る薫の勢いに押されるまま、香織は晃の全身を毛布で包み込み、ベルトで固定した。
「でも、一体どこへ? サンライズ7の病院は当分無理でしょうし……」
「そうね」
薫は一瞬だけ思案すると、迷いなく言い切った。
「地球へ」
「へぇぇっ!」
一度決めると後は早かった。
太陽フレアとフレアにより活性化したバンアレン帯の高放射線を避けるため、地球の夜のエリアから大きく北極方向に回り込み、今後本格的に襲来するイオンの嵐の影響が最も少なそうな、間もなく日没を迎える地域を狙う。
「となると、アラスカか、あるいは北海道か。おお、そういえば日高にはでっかい宇宙港があるわね」
薫はニヤリと笑うとスロットルをフルにぶち込んだ。
「あの? 薫さん? 私は? 私はどこで降ろしてもらえるんでしょうか?」
「悪いわね、本船はこのまま地球まで一直線の特急運転。途中下車はご遠慮願います」
「そ、そんな! 私、パスポートも、着替えも――」
悲壮な表情を浮かべて口をパクパクさせる香織を完全無視して、薫はただひたすらに先を急いだ。
そうして〝がるでぃおん〟は第一宇宙速度を保ったまま大気圏に突入、
晃の記憶はそれから三週間ほどがすっぽり抜け落ちている。
空白になる前の最後の記憶は薫が必死に晃を励ましながら与圧服を切り裂いているところで、その後はとにかくやたらに寒かったこと以外、何も覚えていない。
次に目が覚めた時、最初に彼の目に映ったのは、細く開いた窓から吹き込むそよ風でかすかに揺れるパステルグリーンのカーテンと、窓から差し込む太陽の光だった。
(あれ? 俺、失明した訳じゃなかったのか)
ぼんやり考えながら次第に頭がはっきりしてくると、どうやら自分が地球にいるらしいことに思い至って頭をひねる。
「あれ」
声は奇妙にかすれて言葉が出しにくい。無意識に手を動かそうとして、両腕ともがっちりギプスで固定されていることに気づく。
「うわ、俺、重症?」
「そうですよ、一ヶ月近くも意識不明だったんです。ご自愛下さいね」
「え!?」
病室の入り口にはいかにもベテランの風情を持つ年配の看護師が顔をのぞかせていた。
「今先生をお呼びしますから、そのままお待ち下さい」
そう言い残すと、彼女は軽快な足音と共に遠ざかって行った。
まだ眠気の残る頭でぼーっと周りの風景を眺めているうちに、今時珍しい黒縁メガネのドクターがペッタンペッタンと間の抜けたスリッパの音と共に現れた。
「どうかな、視野の欠けている所はない? 視力が極端に以前と違う印象は?」
「いえ、特に」
「そう、じゃ、ちょっと診るよ」
そう言うと彼は瞳にペンライトの光を当てたり、視野の確認をしたりと一通りの診察を終え、ふんと小さく鼻を鳴らす。
「では、記憶の混乱や欠落は? 小さい時から今までの出来事をちゃんと思い出せるかな? 親しい人の名前や顔に不明瞭な所は?」
「いえ、自分では特に。ただ、本当に忘れてたらそもそもわかりません」
「そりゃそうだ。じゃあ、付き添いのご家族が来られるまで簡単に病状の説明をしておこう」
「家族?」
晃は首をひねる。祖父母だろうか?
「ああ、美人のお姉さん。いとこの薫さんとおっしゃったかな?」
「ああ!」
理由はわからないが薫はその様に自己紹介したらしい。
「さて、左肩の脱臼とそれに伴う骨折、右腕尺骨、橈骨の複雑骨折は言うまでもないね。自分で酷くしたのは重々自覚してるだろうから」
「……ああ、はい」
皮肉っぽく言われて思わず声が小さくなる。
「後は、側頭部に外傷性の脳出血、正直言ってこれが一番やばかったね。命の危険はもちろん、視覚と記憶にかけて重い障害が残る可能性が極めて高かった」
「はぁ」
「君、お姉さんにちゃんとお礼を言っときなよ。少なくとも私はこれまで、これほど見事な応急処置を見たことがない」
「……そうですか」
「ピンと来てないようだから補足しとくと、彼女が君に施したのは低体温保存療法ってやつで、およそ素人さんが手を出せるような……っと、お見えになったようだね。精密検査のスケジュールは後で知らせるから、じゃあ」
ドクターはさっと立ち上がると、傍らに控える看護師に一言、二言指示をして病室を出ていった。
入れ替わりに部屋に入って来たのは、記憶より随分やつれた様子の薫だった。
「晃!」
彼女は悲鳴のように名前を呼ぶとそのまま晃の首根っこに飛びついてきた。
「良かった……本当に心配したんだよ」
「薫さん」
晃は泣きじゃくる薫の背中を優しく撫でながら、彼女がこれほどやつれたのは自分のせいだと深く反省した。
だが、実情は違っていた。
「ああ、しばらく締切に追われてたのよ」
さんざん泣いて満足したのか、薫は見舞いのフルーツを勝手に剥いてバクバク食べながらケロリとした顔で告白した。
「いやあ、コロニー管理局の十数年に渡る不正をすっぱ抜いたわけでしょ、まあ筆が乗る乗る。原稿依頼が来る来る。もはや今年のピューリッツァー賞は私の物かな、なーんて」
そうやって脳天気にすっとぼける。
だが、新たな人物が病室に姿を見せた瞬間、薫はまるで借りてきた猫のようにおとなしくなった。
「晃くん、直接会うのははじめまして。防衛軍航空宇宙総隊、情報調査部所属、愛宕久美子です」
「え、軍人さんだったんですか? てっきり薫さんのルームメイトかと」
「あ、それは本当。うちの同室がとんでもないご迷惑をおかけして本当にごめんなさい」
「何よぅ」
「何よはないでしょ! 我々の不始末で彼を殺しかけたのよ。海より深く反省しなさい!」
「でも……」
「あの!」
晃は二人の掛け合いにふと違和感を覚えて口をはさむ。
「今の話を聞くと、お二人の仕事というか何かに俺が巻き込まれた様に感じたんですが?」
途端に二人は顔を見合わせ、バツの悪い顔をして黙り込んだ。
「……あのね晃くん」
「待って! 久美子、私が話す」
「でも……」
「いい、悪いけどちょっと外して」
薫は、久美子がその場を去ると、居住まいを正して小さく咳払いをした。
「私は晃くんに謝らないといけない」
「え? どうしてですか?」
「私達の任務にきみを利用した」
薫はそこで言葉を切ると椅子から立ち上がり、そのまま床にぺったりと土下座をした。
「ちょ、何やってんですか!! 俺は薫さんに感謝こそすれ、謝ってもらうことなんか何にもないですって!!」
「まずは聞いて。それで許せないと思ったら私はどんな仕打ちを受けてもいい」
「わかった、聞きます、聞きますから
「いいの?」
「いいも何も、何だって言うんですか? 一体」
「じゃあ……」
薫は困った様な笑みを浮かべると、改めて椅子に深く座って静かに話し始めた。
「話は、
「あぁ」
晃は思わずため息をついた。
「晃くんは知らないだろうけど、NaRDOにはトップ直属の極秘特命チームが存在するの。資源開発のための組織に存在する唯一の戦闘部隊。ただ、戦う相手は武装組織じゃない、いわゆる組織犯罪を相手にしてるのね。で、実を言うと久美子も、そして私もそのチームのメンバーなの」
「薫さん、ジャーナリストじゃなかったんですか!?」
「ああ、それは本当。世を忍ぶ仮の姿ってやつね」
薫は話しながらシャリシャリと手際よくりんごを剥き、サクッと切り分けると、あっけにとられたままの晃に手渡した。
「で、届いた告発の中身はサンライズ7管理局の建設資金不正流用に関するものだった。私達は、告発者に接近し、証拠となる裏帳簿を入手することを目的にコロニーに潜入した」
「裏帳簿って、もしかしてあの?」
「そう。実を言うと私があなたに接近したのも計算ずく。調べてみたら当時のコロニー建設関係者の中に茅野姓は一組だけ。でもすでに故人で、灯という人物はどこにも存在しない。ところが地球在住の一人息子が同じタイミングでコロニーに渡ろうとしている。傍目には絶対変だと思うわよね」
「……ああ、なるほど、ね」
確かに、それでは疑われるのも納得だ。晃は苦笑する。
「ただ、この話にはいろんな人の思惑とさらに隠された事実が複雑に絡まっていた。これは私達にとってもまったく予想外だった。新村博士の許されない実験やきみのご両親の殺害疑惑なんかもそう。挙げ句にコロニーが崩壊するなんて、ホントにびっくりよ」
「確かにそうですね」
「そんな訳で、私としてはきみにお詫びがしたい。裸踊りしろと言うならするし、鼻でスパゲティを食べろと言うなら食べてみせる。私なりの誠意を見せたいの。何でも言って」
そこまで話すと、薫はしおらしく俯いた。晃は大きくため息をつくとポツリとこぼす。
「俺、薫さんのこと結構好きでした」
「……知ってた。私も君のことは好ましく思ってる。それは嘘じゃない」
「だったら」
「でも! その気持ちだって任務に利用した。私は君の気持ちをもてあそんだ」
「そうですか。わかりました」
晃は薫に向き直るとベッドの縁にゆっくりと足を下ろす。
「支えてもらえますか」
薫がビクリと顔を上げる。
「歩きたいんです。手伝ってもらえませんか?」
「あ、ええ」
怪訝な表情を見せる薫に晃は無造作に手を伸ばす。慌てて手を取る薫に支えられてゆっくりと立ち上がる。三週間ぶりに起き上がったせいか、目眩がしてグラリと体が揺れる。
「危ない!」
「だから支えて下さい。いつか、一人で歩けるようになるまで」
「……ええ? それって?」
「ええ、それが、薫さんにお願いしたいことです。俺はまだ高校生だし、自分ひとりじゃ何もできません。ですから、せめて一人前になるまで、薫さんにそばにいて欲しい、です」
「あ、きら、くん?」
「駄目ですか」
「ダ、ダメな訳ないでしょ!!」
薫は思わず晃をギュッと抱きしめた。
「あ、痛い痛いっ!」
「あ、ご、ごめん!」
おたおたと居住まいを正し、二人は同時に吹き出した。
「しまらないなぁ。結構考えた告白だったんですけど」
「いやごめん。 私ってホントにガサツだし、おまけに結構年上だよ。本当にいいの?」
「ええ。それが薫さんですから。なんの打算もなく、無条件で信じられる人って初めてなんです、俺。だから……」
「ありがと」
薫は頬を赤らめると、今度こそ慎重に晃を抱きしめた。
「薫さん、俺、託されたんです」
そろそろと窓際に移動しながら晃が呟くように言う。
「何を?」
「ええ、少し仰々しく言うと、コロニーとチルドレンの未来を」
「灯さんに?」
「ええ、彼女達に限らず、チルドレン達は未来が見えすぎるせいで逆に将来に期待も夢も抱けないんだと言われました。それが、彼女達の陥ってしまった進化の袋小路」
「ああ、未来は決まってる、変えられないってやつ?」
「ええ、でも、薫さんを見ていて思いました。そんなことはない。未来は努力次第でいくらでも変えられる。俺達はどこにだって行けるって」
「そう? 何だか光栄だな」
「だから、薫さん、一緒に歩いてください。未来へ」
「う!」
薫は、さらに顔を赤らめた。
「晃くん、さらっと凄いことを言うな。それじゃまるで……」
「まるで、何です?」
「いや、秘密」
薫は、晃と指を絡め、その手を軽く振る。
その時、二人は確かに見た。
猿人から始まり、ネアンデルタール、クロマニヨン、そして現生人類と続く壮大な歩みの先頭に自分達が歩んでいるイメージを。
そう、未来は、何も決まっていない
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