第6話

 晃が意識を取り戻した時、公園には見物客が集まり始めていた。

 晃の顔をのぞき込む様に彼の両手をしっかりと握り締めていた薫は、ほっとした様子でふっと表情を崩した。


「もーっ! お姉さんは驚いたよ。急に気を失ったりして。どうしたの? もう大丈夫?」

「さあ……」


 晃はまだはっきりしない頭を必死に巡らせる。


「立ちくらみみたいに、急に視界が狭くなって……」

「なんだろ? 貧血かな。前からこんなことあった? コロニーに来て、頭が痛かったり、吐き気がしたりはしなかった?」


 薫は晃の額に手を当て、ついで彼の手首をとって脈をみた。特に異常はないように思える。


「このコロニーは0.8気圧、0.6Gだから、地上から上がってきた人の中にはめまいや高山病の症状が出る人もあるんだけど……」

「いえ、大丈夫です。多分もう平気です」


 晃は膝枕されている後頭部の柔らかさと、額に当てられたひんやりした手の心地よい感触に顔を赤くしながら答えた。それでも心配そうな薫に、話題を変えようと慌てて訊ねる。


「それより、この人達は一体?」

「ああ、あれ見て」


 薫が指さした先では、いつも太陽光線で一面青く輝いているはずの〝窓〟の一部だけが、まるでパズルゲームのような幾何学的配置で光を失っていた。そこだけ非常用シャッターが下りているらしい。


「突然〝窓〟がはじけたのよ」

「外から隕石でもぶつかったのかな」

「多分違う、かな。どちらかと言うと中から外に押し出された感じだったね。それに隕石だったらあんなに何十枚も一度に割れないでしょう」


 晃はうなずいた。

 〝窓〟は、一辺が五メートルほどの六角形の枠に、透明なハイパーメタクリル樹脂をはめ込んだユニットの無数の集合で作られている。さらにその外側は有害な宇宙線や紫外線を防ぐ各種フィルター、そして小さな隕石程度ならあっさり跳ね返してしまうほどの丈夫なルーバーで何重にもカバーされている。

 当然、数枚がはじけ飛んでも他に影響が出ない様に設計されている。それに、今回のように数十枚以上の〝窓〟が一度に割れても、コロニー内部の空気がすっかり抜けきるには何週間もかかる。

 もちろん、そんな危険な状態になる前に気密シャッターが下りる仕掛けになっているのだが。


「そうだ!」


 晃は慌てて身体を起こし、めまいを感じてぎゅっと目をつぶる。


「ダメダメ! まだ安静に――」

「いや、大丈夫です!」


 肩を押さえて再び寝かしつけようとする薫を振り切り、周囲を見回してみた。やじ馬はますます増える。しかしその一方で、さっきまで彼らの様子をうかがっていた子供達の姿はかき消す様に消えていた。


「薫さん、子供がいなくなりました」

「あら、本当……おりょ、サンライズコムネットのクルーだ!」


 薫は晃に言われてあたりを見回し、子供達の代わりに駆けつけたメディアクルーの姿を発見して小さく歓声をあげる。


「晃君、もう気分は大丈夫? 一人でホテルに戻れそう?」

「あ、はい、もう全然問題なしです」

「じゃあ……でもうーん、どうしようかな」 


 薫はしばらくためらっていたが、晃の顔色が戻ったのを見て気持ちを決めた。


「私、ちょっと行ってくる。実はさっき、窓の割れる瞬間の映像を撮ったのよ。これ売り込んで、ついでに情報も拾ってくるわ」


 薫は胸ポケットから高画質ビデオコーダー機能が売りの眼鏡型携帯端末コミュニを取り出して振って見せる。

 晃は感心した。と同時に少しだけ残念でもあった。自分を介抱してくれながら、一方では冷静にカメラを回している。


(これが本当のプロって事なんだろうな)


 晃はそう自分を納得させると、薫と別れて公園を後にした。





 その晩、薫はなかなか帰って来なかった。彼女の提供したと思われる映像はサンライズコムネットの夕方から夜のニュースで繰り返し放送された。ほかのメディアはクロスワードパズル状態になった『窓』とやじ馬のしか放送していなかったから、窓が次々と砕けていく瞬間を克明に捉えた彼女のVTRはコムネットの大スクープだろう。

 彼女がそれと引き替えにどれほどの情報を持ち帰るのかが気になって、夕食の後、そして飲み物を買いに出た帰り、わざわざ彼女の部屋に寄ってみた。だが、在室表示板のインジケーターはずっと消えたままだった。


「今夜は戻らないかも知れないな」


 晃は呟くと、なんとなく落胆しながら部屋に戻る。


「はあ」


 音量を絞ったニュース画像をぼんやり眺めながら、今日一日を振り返る。

 気がかりは晃自身にもあった。

 モノトラックでの事故、そして今日の事故。

 事故直前、なぜか彼には予感とでも言うべき変調があった。最初は訳がわからなかったが、偶然にしてはあんまりタイミングが良過ぎるように思う。これまではこんなことは一度もなかったし、何がきっかけでこうなったかもわからない。


(それに、事故の前後に必ず現れる不思議な子供達も……)


 あの子達は何者で、自分は一体どうなってしまったのか。 

 考えれば考えるほど訳がわからない。答は見つかりそうになかった。

 それでも、ぐるぐると考えているうちにいつの間にかうとうとしていたらしい。しつこく鳴り続けるインターホンのチャイムに気付いた時にはもう日付が変わっていた。


「晃くーん、遅くなってごめーん」


 寝ぼけまなこの晃が扉を開けると、いつも以上に陽気な薫がひょっこり顔を出した。だいぶアルコールも入っているらしく、小ぶりな顔がピンクに染まっている。彼女は晃の胸にプリントアウトの束をドスッと押しつけると、そのままふらふらと部屋に入ってきた。


「おぉ、ドクペだ! 君、いい趣味してるねぇ! もらっていい? いいよね?」


 薫は晃が珍しさに思わず買ったドクターペッパーを見つけると、返事も待たずにタブを開け、一気に飲みほした。そのままベッドに崩れるように座り込み、戸口に立ちつくしている晃に焦点の定まらない目つきでニヘッと笑いかけたかと思うと、そのまま電池が切れたようにコテンとベッドに倒れ込んだ。


「あの、薫さん?」


 晃が我に返って彼女に呼びかけた時は、薫はすでに小さな寝息を立て、幸せそうに熟睡していた。


「薫さん、起きて下さいよ。ここ俺の部屋ですよ」


 効果なし。呼んでも揺すっても全く反応がない。


「こんな所で寝てると襲っちゃいますよ、いいんですか?」


 無視。

 晃はあきらめた。

 静かにトレッキングシューズを脱がせると、彼女の小さな体をベッドにゆっくりと横たえ、毛布をかける。

 しばらく寝顔に見とれた後、後ろ髪を引かれる思いでその場を離れ、彼女を寝かしつけるためソファに投げ出したプリントアウトを改めて手に取る。


「うっ! こ、これっ!」


〝モノトラック脱線事故及び『窓』破損事故 初期調査報告(厳秘)〟


 表紙にはそうあった。


「何だよこれは!」


 サンライズコロニー管理局のマークが漉き込まれたそのプリンター用紙には、どう見ても完全に部外秘のレポートが出力されていた。

 晃はそのままずぶずぶとソファに沈み込んだ。


「凄い! こんな物、一体どうやって……」


 小柄で童顔。女子高生と言っても通りそうな見かけからはとうてい想像できない薫の鮮やかな手並みに、晃はあらためて尊敬の念を覚えた。


 コーラのタブを開けて一口すすって息を整え、一瞬ためらった末、晃は慎重にページをめくった。

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