第7話

「ふうん?」


 読み進むにつれ、晃は手にしたレポートの内容にかすかな違和感を覚えた。


(何、ただ古い車両だから部品が劣化して壊れただけってこと? それだけ?)


 荷電微粒子への暴露がどうこう、耐荷重がどうこうと言い訳ばかり書き連ねた公式発表。ただ、その表現はなんとも歯切れが悪い。

 これでは埒が明かない。とりあえずパラパラと読み飛ばして行くうち、なぜか途中からいきなり書式フォーマットの異なる書類があることに気付いた。

 理由は良くわからないけど、どうやら何種類もの文書がごちゃ混ぜに綴じ込まれているらしい。


『――破壊された部品を鑑定した金属試験場の係員がオフレコを条件に語った所によれば、件の製品は素材の精練品質が極めて低い粗悪品である。この程度の低品質品は本来、受け入れ時の非破壊検査工程で簡単に排除可能なレベルであり、早期に不具合が発生する可能性は納入当初から十分予想できたと考えられる――』


「え、なんだ?」


 突然飛び込んで来た衝撃的な文章に、晃はゾクリと寒気を覚えた。当時の検査結果の写しらしき解像度の粗い表も添えられている。


『――窓に使用されているハイパーメタクリル板は、仕様書に指示された耐宇宙線グレードではなく、地球上の工場で安価に大量生産された一般グレードが誤納入された可能性が否定できない。地上製品には重力のために残留応力が分子結合の歪みとして蓄積されており、また強力な紫外線や宇宙線に対する耐性が全く考慮されていない。宇宙空間での使用で製品寿命は保証できず――』


「おいおい! これって……」

 

 つまり、この二つの事故は、どちらも粗悪品や安物による人為的事故の可能性があるというのだ。

 だが、レポートはさらに続く。


『――仮に本件がおおやけになれば、コロニー住民のサンライズ7に対する信頼は完全に地に墜ち、我先にコロニーを脱出しようとして大規模な暴動に発展する可能性が高い。よって本件は厳秘、コロニー管理規則第88条適用対象とし、冒頭に添付した公式発表以外、すべての情報公開を禁止するものと――』


「つまりこれって……」


(コロニー管理局自体が事実の隠蔽を考えている!?)


 晃は恐ろしくなった。

 このサンライズスペースコロニーは日本の誇るハイテク技術の結晶で、その中で人が安心して暮らせるのは安全最優先の優れた設計に基づいて建造されているからだ、と言うのは、小学生だって知っている。学校で繰り返しそう聞かされて育つのだから。

 だが、誰もが疑わないそんな安全神話が足元から覆されたとしたら、このコロニーはどうなるのだろう。


(薫さんもこれを……?)


 晃は静かな寝息を立てている薫を眺めた。彼女がつぶれるほど泥酔して戻ってきた理由わけがようやく理解できた。しかし……

 このまま忘れてしまう気にもなれなかった。彼にとってこの事実は、昨日以来抱え込んでしまったもう一つの重大な問題につながっていたからだ。

 彼はそのまま、まんじりともせずに夜明けを待った。





 薫は、心地よく鼻孔をくすぐる香ばしいコーヒーの香りで目を覚ました。自分がどこに居るのかどうしても思い出せず、そのうち晃が簡易キッチンからひょいと顔をのぞかせたことでようやく謎が解けた。


「あ、おはようございます」


 そういうと再び引っ込んで、しばらくすると二人分のコーヒーカップをトレイに載せて現れた。薫はがんがんする頭をベッドからどうにか引きはがすと、ソファーに沈み込むように体を落ち着ける。

 二日ぶりの爆睡で睡眠不足は解消したものの、逆に二日酔いのおかげでいまいちすっきりしない。窓際のローテーブルには、彼女が持ち込んだレポートが散乱している。

 晃がどんな感想を持ったのかは聞くまでもなかった。

 晃は無言でプリントアウトを掻き集めるとトントンと揃え、脇の雑誌の上にきちんと重ねる。

 そうして空いたテーブルにコーヒーカップを下ろし、自分も薫の向かいのソファーに腰を下ろした。その時になって初めて、薫は、晃の目の下に濃いくまができているのに気づく。昨夜は眠らなかったのだろうか。


「ごめんなさい。私がベッド取っちゃったから……?」

「ああ? そんなに目立ちますか?」


 晃はそう言うと目の下をごしごしとこすって無理に笑顔を作る。その笑顔に微妙な影を感じた薫はますます狼狽する。


「もしかして私、酔いに任せて君に狼藉ろうぜきを働いちゃったりとかしちゃったりとかした? だ、だとしたらごめん! 本当にごめんなさい! 責任はちゃんと取るよ!」

「違いますよ!」


 晃は半分あきれ顔で笑う。


「薫さんは帰ってくるなり寝ちゃいましたし、僕も特に何もしてません」

「何もなしか……」


 ホッとしているんだか惜しがっているんだか、判別の難しい表情を見せる薫に晃は苦笑しながらカップに手を伸ばす。


「ちょっと考え事をしてたんです」


 そのまま一口コーヒーをすする。薫もつられて自分のカップを取り上げた。湯気がふんわりと立ち上り、嗅覚を刺激する。一口、二口とすするうちに、独特の苦みが彼女の頭を徐々に覚醒させ始めた。


「あら、これ?」

「有吉准教授に少し分けてもらったんです。ここで手に入る一番旨いコーヒーだと思いますよ」

「そうね」


 再びの沈黙。薫は、さっきから晃が何かを切り出そうとしてためらっているのに気づいていた。しかし彼はなかなか口を開こうとはせず、いつの間にか二人とも一杯目のコーヒーを飲みほしてしまった。


「コーヒー、もう一杯どうですか?」

「いただきます。今度は私が入れてくるわ」


 薫は頭痛をこらえて素早く立ち上がり、カップを持ってキッチンに入る。ドリッパーにお湯を注ぎながらどうしたもんかと考えるが、結論も出ないうちにサーバーは一杯になった。


「はい、どうぞ」


 薫はお互いのカップにコーヒーをなみなみと注ぎ、ソファーに深く腰かけて晃の言葉を待つ。ソーサーにカップの当たるカチンという音で、ぼんやりしていた晃ははっと顔を上げる。やがて意を決した様に頭を振ると、ゆっくりと口を開いた。


「薫さん、一つ聞いてほしい話があります」

「はい」


 薫は、晃の口調の重さと瞳の色に一瞬恐れを感じた。


「実は、俺の生い立ちのことなんですが……」

「は?」


 薫は面食らった。この子はなんでいきなりそんなプライベートな話を持ち出そうとしているのか。


「そんな個人的な話、別に今話すようなことでもないでしょ。それともお姉さんに人生相談でもしようっての?」

「……いや、それが、このレポートとも関係がありそうなんです」


 晃は薫の冗談を完全スルーし、真剣な表情でプリントアウトの束を叩く。


「俺の両親……もう故人ですが、二人ともこのサンライズ7コロニーの技術者エンジニアだったんです。特に、親父は品質管理部門の現場統括責任者だったそうです。事故で命を落とすまでは」


 薫は彼の言葉にただならぬ気配を感じて身を乗り出した。


「両親は、俺が満一才にもならないうちに事故で死にました。それ以来、俺は祖父母の家に引き取られて、現在もそこから高校に通っています。ただ、祖父も祖母も、これまで両親の死因については詳しく教えてくれませんでした」

「ああ、それはご愁傷様で――」


 神妙な顔をする薫に、晃は小さく首を振る。


「大丈夫ですよ。俺には両親の記憶すらありませんし、もう昔の話ですから」


 そこで晃は一端言葉を切り、両手を組み合わせて身を乗り出した。


「それよりも昨日のことです。有吉研究室の帰り、技工大のデータベースでたまたまサンライズ7建設共同企業体の公式記録集を見つけたんで、興味が湧いて調べて見たんですけど、それが変なんです」

「ああ、それで君はなんだか浮かない顔をしてたのか」


 薫はようやく納得して小さくため息をつく。晃も小さく頷き、唇をなめてさらに言葉を続ける。


「両親は、資材検収船の事故で死亡してました。母親は資材課に勤務してましたから別に不思議でもないんですけど、なんで統括責任者の親父がわざわざ納品チェックみたいな細かい仕事に関わる気になったんでしょう」

「確かに、ちょっとおかしいわね」

「それに、もっと変なのは、両親の死んだとされた〝その日〟のうちに新しい品質管理責任者が着任してるんですよ。辞令の発令だけじゃなくて現場への〝着任〟です。しかも、代理でも仮でもないんです。妙だと思いませんか?」

「なぜ? 重要なポストを空席にしないために慌てて辞令を出したのじゃないかしら?」

「俺も最初はそう思ったんですが、気になって当時の新聞のアーカイブもついでに調べて見たんです。そうしたら、検収船の捜索が打ち切られたのは事故の一週間後です。少なくともそれまでは生死不明のはずですよね」

「……まあ、普通はそうね」

「そんな状態で正式に後任を決めたりは普通しないと思うんです。それに、それほど重要なポストなら、親父が部署を離れた事自体が矛盾してます」


 薫は、晃の話をゆっくりと頭の中で反芻はんすうし、最終的にある疑惑に達した。


「つまり、晃君は、ご両親の事故は〝偶然じゃない〟と思った?」


 晃は無言でうなずいた。

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