第24話

 深夜。

 薫はエアロックに備えたインターホンのチャイムで目が覚めた。

 久美子に送ってもらったデータを検討しているうちについ、うとうとと眠り込んでしまったらしい。チャイムはなおも鳴り続ける。

 船外カメラで来客の姿を確かめた薫は途端に表情を崩した。晃だ。


「今開けるわ、待って!」


 思わずマイクに向かって叫んでしまう。一方、カメラの向こうで晃も目に見えてほっとした表情になったのがわかった。

 薫はマグネットシューズの通電を切り、エアロックに文字通り飛んでいくと、インナードアが開いて姿が見えた瞬間に彼の身体に飛びついた。


「か、薫さん! 一体どうしたんで――」


 晃が面食らっておろおろするのも構わず、薫はたっぷり一分以上無言で彼を抱きしめる。まだまだ線は細いけれど、見た目よりがっしりした体格を感じてどんどん気恥ずかしくなり、最後は彼を突き放すようにしてくるりと背を向けた。火照った顔を見られたくはない。


「まったく! 無事なら無事で、一言連絡ぐらいしたらどうなの!?」


 ようやくホッと胸をなでおろし、そっぽを向いたままで叱る。


(いや、違う、そうじゃない!)


 慌てて振り返り、今度は彼の目を見ながら本音を語る。


「……ごめん。叱るつもりじゃなかった。実は心配で心配でもう、どうにかなりそうだったよ。きみはホテルの火災で死んだと報道されてて……」

「火災!? 死んだ? 本当ですか!!」


 逆に引くほど驚かれて冷静さを取り戻した薫は、エアロックの状態監視モニターに、昨日からずっと受信しっぱなしになっているコムネットの画面を呼び出して指差す。


「うわ、凄い! 本当に部屋から火を吹いてる! まずいな、あそこにはメモリーカードが……」


 晃は途方に暮れた顔になる。その表情が昨日より憂いを帯びて見えるのは気のせいだろうか。


「それなら持ってきたわ。ほら」


 ポーチからカードを取り出して見せた薫に、晃は飛びつかんばかりに喜んで両手を掴む。


「おおーっ! 凄い。さすが薫さんです! もしかして薫さんにも予知能力が?」


 だが、薫は彼のはしゃぎぶりが昨日までと違うことにすぐに気づいた。明らかに無理をしているし、瞳の奥に、何かほの暗い、迷いのようなものが見て取れる。


(やだな。きみにはこういう顔をして欲しくないのに)


 そう思い、気分を変えようと声を張り上げる。


「と、とりあえずコクピットに行こう! ホテルの火事もそうだけど、きみは一体どうやってあの毒ガスから脱出したんだい。それにこのメモリーカードのことできみに聞きたいことがあるんだ。他にも色々。私もちょっと混乱してる」


(バカか私は。よりによってそんなネタを振ってどうする!!)


「それもそうですね。長い話になると思います」


 だが、薫の葛藤もやもやを知ってか知らずか、晃は頷き、微笑みながらかすかにため息をついた。





 耐Gシートに腰を落ち着け、有吉研究室謹製のコーヒーをすすりながら晃が語ったのは、十数年も闇の中に隠されていた非人道的な実験の全貌だった。


「……ということは、新村博士の実験にはコロニー管理局も一枚噛んでいた可能性が高いよね」

「まあそうでしょうね。今になって頻発する事故を利用し、実験体の子達に罪をなすりつけ、社会的に抹殺しようと――」

「それだけじゃないって。晃くん、きみ、しばらく死んでてくれと言われたんだよね?」

「ええ」

「きみの死が報道されたのは連絡がつかないということの他に、焼け跡からきみとおぼしき男性の焼死体が見つかったからなんだって。しかも、きみの眼鏡型携帯端末コミュニを持っていたと……」

「……ああ、そうか。そういう偽装」


 晃はわずかに目を見開き、納得したように頷くと、寂しげにふっと笑う。

 その表情を見て、薫は内心のもやもやが再び頭をもたげてくるのを感じた。


「きみは立場上死んでいないといけない。つまり、この先命を狙われるとか、何かしらの危険があるということだよね。そのあかりとか言う実験体は、一体きみに何を託したの?」


 その問いに、晃はすぐに答えなかった。無言のまま天井を眺め、頭の中の情景を思い出すようにゆっくりと言葉を紡ぐ。


「……はっきりと言葉で言われたことは多くありません。ただ、俺に再会して心残りがなくなったと言われましたし、最後には一言、〝お兄ちゃん〟と」

「それは……?」

「多分、ですけど、俺ももともとは実験体の一人として、彼らと一緒に暮らしていた過去があるんじゃないかと思ったんです」

「その記憶が?」

「いえ、残念ながら。俺が覚えている一番古い記憶は、祖父の家の縁側で入道雲を見上げながらスイカをかじっている場面です。間違いなく地球上ですよね。後で聞いたら三歳くらいの時の出来事だったそうです。そばには祖母がいたような気がしますが、それ以外に子供の姿はなかったと……」

「だったら違うんじゃ?」

「でも、あの薄暗い地下空間は、初めて訪れたはずなのになんだか懐かしく感じました。灯の面影も、初対面の感じはしなかったんです。なんだか見知った顔を見ているような……」

「実験体ときみの間にそれ以外の交流関係は?」

「うーん。ないと思います。それに灯ははっきりと〝五体と一人〟と表現しました。自分達と俺の間にきっちり線を引いているようでした。でも、それだけでもないような口ぶりで……」


 そのまま黙り込む晃。コクピットを束の間沈黙が支配し、そこに割り込むようにどこか遠くでコーンと衝撃音が響く。


「あ、また!」

「うん? なんです?」

「いや、昨日くらいから時々揺れるんだよね。例の電力母線のこともあるし、どこか近くで工事でもやってんじゃないかなと思うんだけど」

「ああ」

「それよりも晃くん、きみに聞きたいことがあるの。これ……」


 薫はサブシステムを立ち上げ、例のまっ黄色なスクリーンを指差す。


「……ふーん、子供の頃のあだ名ですか?」

「そう。カードの宛名がきみだから、恐らくきみについての質問だと思うんだけど」

「そうですね、両親が残してくれたアルバムには、〝デコ〟とか〝デコ助〟って――」

「なんで?」

「頭が異様に大きかったらしいんですよ」

「え、でも今のきみはどちらかというと……」

「ええ、頭のサイズだけがほとんど変わらないまま成長しました。多分中身の脳みそも幼児とそれほど変わんない――」

「もーっ、そういう自虐はいいから!」


 混ぜっ返しながら入力すると、すぐに次の質問が表示された。


「生年月日ですか、うーん、どっちでしょうか?」

「どっち?」

「さっき話したアルバムには五月十五日と走り書きされてました。自分もてっきりそうだと思いこんでたんですが、住基カードでは六月三日になってるんですよ」


 薫は逡巡する。一見ありふれた質問だが、巧妙に本人しか答えられないようなトラップが仕掛けられている。

 恐らく彼の両親は、遠からず自分達が消され、このカードが敵方の手に渡る可能性も予感していたに違いない。

 アルバムに書かれていたという日付を入力し、次いで現れたいくつかの質問も、ヒントはすべてアルバムに書かれたちょっとしたメモにあった。

 最後の質問が承認されると、画面の色は元の黒バックに戻り、その後に表示されていた膨大な数のファイルは、開いてみると何かの出納記録らしかった。

 薫はそれをすべて暗号化して久美子に送り、サブシステム上の記録を消去してメモリーカードを晃に返した。


「でも、ずいぶん細かい所まで良く覚えてたね」

「小学生の頃、結構何度も読み返しました。両親の姿が少しでも残っている遺品はそれしかありませんでしたから」


 薫は、孤児になった幼い彼が、一人ぼっちで両親の面影を探そうと必死にアルバムを繰るシーンを想像して胸が締め付けられそうな気持ちになった。


「薫さん、どうしたんですか? 泣きそうですよ」


 言われて初めて、薫は自分の目から涙がこぼれているのを知り、手の甲で乱暴に拭う。


「晃くん」

「はい?」

「私は味方だからね。何があっても、どんな時でも」

「はあ。ありがとうございます」


 要領を得ないまま晃が頷いたところで、インターフォンのチャイムが響く。


『こちらはコロニー警察機構です。テロリストが貴船に逃げ込んだという通報を受けて伺いました。エアロックを開けてください』


 二人はさっと身を堅くした。


「ここに入るのを誰かに見られた?」

「いえ、直前まで地下を歩いていましたから、その可能性は恐らくない……」

「わかった。声を出さないで」


 そう断って薫はマイクに向かう。


「こちら〝がるでぃおん〟号です。身分証の提示を」


 次の瞬間、船内に激しいアラームが響き渡った。


「何ですか!?」

「船体外殻高温警報。あいつら、エアロックを焼き切って侵入するつもりよ!!」

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