第22話

 小型宇宙艇〝がるでぃおん〟のコクピット。

 薫にとって、今現在このサンライズ7コロニーの中で最も安全な場所はここをおいて他にないだろう。

 思った通り、コロニー管理局は総合運動公園の事故、ロングステイホテルの火災、そのいずれをもテロリストの犯行と断定した。

 非人道的な連続無差別テロであり、ネットには犯行グループを強く非難する論調が溢れかえっていた。

 だが、もしそれが本当に事実とするならば、そのすべてに偶然遭遇するなんて可能性は、まさに天文学的確率、事実上ゼロに近いはずだ。

 モノトラックの脱線から始まって、〝窓〟の崩壊、大停電、毒ガス漏洩、そして爆発火災。

 薫は確信していた。この一連のアクシデントは、間違いなく晃をターゲットに引き起こされたものだと。

 ここに引きこもってからずっと流しっぱなしになっているサンライズコムネットのニュースサイトでは、毒ガス事故、ホテル火災の犠牲者の顔写真に混じって、中学の卒業写真から抜き出したと思われる、詰襟の学生服を着た少年の姿が繰り返し映し出されていた。


『あなたがこれほどダメージを受けるなんて、正直予想外』


 コクピットのメインスクリーンには、黒髪の美女くみこがデータラックを背に心配顔を見せていた。


「そうなんだよね。人の生き死になんて、来世の分まで見尽くしたと思ってた。まさか出会ってわずか数日の少年のことがここまで頭から離れないなんて……」

『彼のこと、好きにでもなった?』

「ううん、あくまで保護者的な……いや、わかんないな。こんなことは生まれて初めてだし……」


 画面の向こうで久美子は小さくため息をついた。


『まったく、体育系ガリ勉恋愛オンチはこれだから――』

「ううう、うるさいよ。自分だって報われない片思いをしてるくせに。オマケに相手はそんなことぜーんぜん気づかず、これまた永遠に手の届かない相手に操を――」

『薫! それ以上言うならぶん殴るわよ!』

「あーら、三十八万キロも離れた私にどんな手出しができるかしら?」

『簡単よ。とりあえず、〝がるでぃおん〟のメインシステムをクラッキングして掌握、酸素供給を停止、ついでにエアロックを閉鎖して銀河の中心に向けた片道飛行を――』

「わーっ! わ、私が悪うございましたっ!」


 薫は慌てて耐Gシートに正座してスクリーンに頭を下げた。


「あんたが言うと洒落にならないから本当にやめて!」

『わかればいいのよ。それよりも、これからどうするつもり? 引きこもってるなんてあなたらしくもない』

「でもね、彼と私を結ぶ接点はもうここにしかないの。ホテルは爆破されちゃったし、彼が戻るならここだと……」

『信じて、待つと?』

「笑ってくれて構わないよ。私は、彼が絶対生きていると確信してる」

『……まったく、変なところで乙女なんだから……』


 久美子は呆れ返った様に小さく笑った。


『まぁ、涙に暮れているよりはマシね。私も引き続き調べてみる』

「ありがとう、こっちは任せて!」


 一瞬のレインボーノイズを伴ってスクリーンはブラックアウトした。


「はあ」


 自信たっぷりに宣言したものの、その方法は全く思いつかなかった。


「目下の問題は、コロニーチルドレンと管理局にどんな関係があるか、ぜんぜんわかんない所だよね」


 サンライズ7コロニーの建設資材に格安のB級品が使われている理由はなんとなく想像がつく。コロニー管理局がそれをひた隠しにする理由も。

 もしこれが公表されれば、特ダネどころか、日本の宇宙政策そのものに大激震が走るレベルの一大スキャンダルだ。

 だが、子供達がそれぞれの事故現場になぜ出没するのか。それは全くわからない。

 というか、まさに今日、それを彼と共に調べに行くはずだったのだ。


「……ホントに、どうして勝手に出かけちゃうかな」


 自分との約束を無視されて悔しいというか、置いて行かれて寂しいというか、何だか切なくなって思わず涙がこぼれた。


(……ダメだ、私)


 そうなると、もう抑えが効かなかった。

 一人きりのコクピットで、彼女は声を上げて泣いた。





 薫は九才の時、とある子供向けのイベント企画に当選して火星のマリネリス渓谷にある日系基地に滞在したことがある。

 だが、輸送船の墜落という思いがけない大事故が原因で基地は崩壊し、地下深く閉じ込められて生死の境をさまよった挙げ句、奇跡的に助け出された。

 久美子はその時共にサバイバルし、お互いに命を預け合った末に助け出されたいわゆる〝戦友〟だ。以来、無条件で信じられる親友として十年以上親しく付き合っている。

 だが、彼女達の救出の影には、彼女達を救い出す為に奮闘し、代わりに深い傷を負った大人達の存在があった。一人は彼女達の身代わりになる形でそのまま生き埋めになり、もう一人は両足を失い、それでも外国の基地に助けを呼ぶ為、わずかな酸素だけで絶望的な五千キロの火星横断に挑んだ。

 彼女達は疲れ果てて眠っているうちに数週間分の食糧、酸素と共に置き去りにされる形となり、それが十数年経った今でも重度のPTSDトラウマとなって薫を苦しめている。


(ホントに情けないな、私。小学生から全然進歩してない)


 気を許し、それなりに頼りにしていた人物が、目が覚めたら居なくなっていた。一人きりで置いて行かれるというシチュエーションが、あの遭難を彷彿とさせるのだ。


(それにおじさんはもっとずっと適当だし、ひねくれ者だし。晃くんとは全然違うのに……)


 ようやく泣き止んで、みっともなく鼻をすすった薫は、ハンドタオルをポーチから引っ張り出す。

 その途端、カツンと硬い音を立てて何かが床に落ちた。


「あっ、メモリーカード!」


 慌てて拾い上げようとシートから腰を浮かした瞬間、薫は小さな振動のようなものを感じて動きを止める。マグネットシューズでデッキを蹴るような僅かな衝撃。


「揺れた? 気のせい?」


 〝がるでぃおん〟が停泊しているのは無重力区画にある小型船舶専用桟橋。数日先までこの桟橋に出入りする船がないことは前回晃を連れて立ち寄った際に確認済みだ。

 船外カメラの映像を見ても、近くで何か揺れを伴う作業をやっている様子はない。


(何だろうな?)


 薫は何かたとえようのない胸騒ぎを感じつつもカードを拾い上げ、手の平の上でパタリと裏返した。


〝to AKIRA〟


 いつ書かれたとも知れないかすれたマーカーペンの殴り書き。

 薫はそのまま何気なく船のサブコンピュータにカードを読み込ませ、ファイルをクリックしようとしてふと気付く。


「あれ? テキストファイルのくせにやけに容量がでかいな」


 確か、ほんの数文字のテキストだったはず。それがカード容量一杯の四テラバイト近いデータサイズだなんて、どう考えても異様だ。

 薫の背筋にすっと冷や汗が流れる。

 反射的にデータリンクケーブルを引っこ抜いて船のメインシステムと物理的に切り離す。孤立状態スタンドアロンになったサブコンピュータで感染監視アプリを立ち上げると、ディレクトリごと隔離領域に囲い込み、改めて慎重にファイルを開いた。


《三区、第四シリンダー、総合運動公園》


 以前にも見た、たった一行だけのテキスト。だが、薫の脳裏に引っかかる物があった。


「第四シリンダー?」


 実際の総合運動公園は〝第三〟シリンダーにある。意味深なテキストに見え見えの誤字、そして異常なほど巨大なデータサイズ。


「単なるテキストじゃない! 偽装ファイル? ……だとしたら」


 薫はキーパッドに手を伸ばし、〝第四〟と表示されている文字を〝第三〟と正しく上書きし、エンターキーを叩いた。

 その瞬間。

 スクリーンはいきなり全体が黄色く染まり、新たな文字列が中央に浮かび上がった。


《君の幼少期のニックネームを入力せよ □》


 最後の四角だけが、入力を促す様に高速で点滅している。


「出たっ!!」

 

 薫は叫び声を上げた。


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