第12話

「く~! 完敗だったね。取りつくことすら出来なかったよ」


 談話室を出て、ラウンジの座り心地の良いソファーにずぶずぶとめり込みながら、薫が悔しそうに呟いた。


「さすが、ダテに歳を重ねてませんね。多分悪い人ではないと思うんですが……」

「でもそう、あの人には何か不自然な所があるわ。何かを知ってて隠している。そんな感じね。でも、おかしいと確かに感じるのに、理屈は完璧で手がかりがさっぱりつかめないのよ」

「そうですよねー」


 晃もつき合って向かい側のソファーに沈み込んだ。

 正面、薫の背後には展望窓が広がり、コロニーの夜景が広がっている。

 地上だけではなく、上空にも、百二十度の間隔を置いてもう二つの陸地の明かりがキラキラときらめいて見える。

 そんなコロニーならではの超自然的な景色を背景にして、ラウンジの明るさを押えた照明の中でも、薫の瞳はキラキラと強い光を放っている。

 晃はそれを素直に美しいと思った。


「ところで晃くん、気づいてる?」


 薫は不意に身を乗り出すと、晃の耳元に顔を寄せてささやく。くすぐったい吐息におもわず首をすくめ、顔を赤らめながら晃は小さく頷いた。


「……新村さん、話しぶりが妙に芝居がかってましたね」

「じゃなくて!」


 ぷうとふくれる薫を無視し、晃は顔を動かさないよう注意しながらあたりをうかがう。


「ええ、こんな時間にこんな場所、明らかに違和感ありますね」

「三人、いえ、四人か」


 何気ない仕草で眼鏡型携帯端末コミュニを取り出しながらターゲットの数を冷静に見積もる薫。

 だが、その瞬間、二人を取り囲んでいた小学生達はかき消すように姿を消した。


「ちっ! 気取られたか。証拠を掴まれるのを警戒してるのね。それにしてもこんな所にまで……」


 薫は改めてソファーにどーんと腰を沈めて足を組む。


「うーん。久しぶりにワクワクするおもしろいネタを拾っちゃったなー」

「あの、こういうの、迷惑じゃなかったですか?」

「何言ってんの? こういう興味深いネタはそこいらでそうそう拾えるもんじゃないのよ。かえって感謝したいぐらい。ぜーんぜん気にしないでいいって」


 右手をぐっと握って身体の前で構えると、そのままひょいと一動作で立ち上がる。


「それにしても、今回のモノトラックや〝窓〟の事故と十五年前のきみのご両親の事故。時系列の完全に異なるこの二つに、コロニーチルドレンの話が妙に絡んでくるのが気になるわね」

「それは偶然というか……」

「いいえ。新村博士の線も、最初はチルドレンの件で追ってたのに、結局きみの両親とも深いつながりがあったでしょ?」


 薫は人差し指をぴんと立てて力説する。


「もしかしたら、二つは同じ所に根があるのかも知れないわね」


「……」


 無言で沈み込んだままの晃。その表情をしばらく真顔で見つめた薫は、ニカッと笑うと晃の肩をバシッと叩く。


「ところでさ、今から屋台ラーメンでも食べに行かない?」

「ええ! まだ食べるつもりなんですか?」

「何言ってるの。あんな肩のこる料理、おなかに入れた気になんてならないでしょ!」

「なんだ、薫さんでもそうなんですか。俺はてっきり……」

「あんな物、慣れよ慣れ。それより、行くの? 行かないの?」

「行きます!」

「よっしゃ、実はホテルの近くにおいしい九州ラーメンの屋台を見つけたのよ。これがまた今じゃ本場の博多長浜あたりでもめったにお目にかかれない本格的屋台でね……」


 そのまま、薫に腕を引きずられる様に立ち上がった晃だったが、あの電撃の様なショックが再び背筋に走り、膝の力がガクリと抜けて思わずうずくまる。


「どうしたの!?」


 背中を反り返らせる様にこわばった晃の様子に、薫は慌てて彼の二の腕を支えて目をのぞき込む。しかし、彼の瞳孔は開ききり、焦点が合っていなかった。


「まただ……薫……さ……ん」


 ただならぬ気配を感じ、薫は晃の胸にしがみついてソファーに押し戻す。


「何か、大きい……」

「何? どうしたの!?」


 それ以上の説明は不要だった。突如、ラウンジの照明が一気に消えてしまったのだ。

 非常口のグリーンのランプのみがぼんやりと室内を照らし出す。かすかに流れていたモーツアルトも途切れ、耳が詰まるような不気味な静けさがラウンジを支配する。


「晃くん、分かる? 見て!」


 暗やみの中で薫が晃の腕を引っ張った。立ち眩みから回復した晃がその方向に視線を移すと、展望窓から見えるのはただ一面の暗闇だけだった。

 まるで夜空を彩る天の川のように輝いていた頭上の陸地の明かりは、街灯一つに至るまですべて失われていた。

 所々にぽつぽつと動く小さな光は走行中の車両だろうか。


「コロニー全部停電ですか!」

「これは確かにデカいわね」


 状況に耐えかねたらしい女性客が金切り声を上げる。その声に刺激されてか、ラウンジのあちこちから疑問や不満の声が一気に沸き上がった。さっきまでの沈黙がまるで嘘の様に、ラウンジは一気に騒然となる。


「まずいわね。出るわよ。ここにいても面倒に巻き込まれるだけだから」


 薫は晃の腕を取る。


「大丈夫? もう立てる?」

「ええ、でも、たぶんエレベーターも止まってます」

「私達には立派な足があるでしょ。今なら非常階段はまだ混雑していないはずよ」

「ここ、二十三階ですよ?」

「ほどよい運動の後の豚骨ラーメンはきっと胃袋にしみるほどおいしいだろうな」

「行きましょう!」


 晃は立ち上がった。わずかな目まいを感じるが、歩けないほどでもない。


「でも、この状況で屋台は営業してるんでしょうか?」

「さあ? どうだろうね」


 二人は連れ立って騒がしいラウンジを抜け出すと、廊下の端にある分厚い鉄扉を押し開け、赤い非常灯のともる薄暗い踊り場に出た。


「じゃあ急ぐよ! っとと!」

「危ないっ!」


 勢いよく数段降りた所で薫が足を踏み外し、その左手首を晃が慌てて掴む。


「うわー! 死ぬかと思った!」


 〝死ぬ〟はさすがに大げさだが、確かにこの鉄板むき出しの非常階段を転げ落ちて無事で済むとも思えない。


「晃くんありがとう! いや、ハイヒールなんて慣れない物履くんじゃなかったなぁ」


 照れくさそうに肩をすくめる薫。

 晃は、思ったよりずっと華奢なその左手をぐっと握り直すと、ぶっきらぼうに告げる。

 

「危ないですから。下まで。このまま行きましょう」

「なっ!」


 一瞬驚いた表情を浮かべた薫だが、おとなしく手を取られたままあえて振り払おうとはしなかった。


「……うん」

「じゃあ……」


 二人はお互いに、自分の頬の火照りが非常灯の赤い光に紛れてくれていることを願いながら、無言で階下を目指した。


 



 十数分後、二人はインペリアルホテル前の真っ暗な街路を歩いていた。

 電力はまだ復旧せず、二人はなんとなく手を放すタイミイグを逸したまま宇宙港方面に足を向ける。

 しばらく歩くうち、〝窓〟にゆっくりと光が差し込んで来た。恐らくコロニー管理局の職員が、閉じていた〝窓〟のシャッター、あるいは反射鏡を非常用電源で開いているのだろう。

 夜明け前か夕方程度のほのかな明るさで反射鏡は止まった。

 しかし、停電が回復する兆しはまだない。

 二人はふと立ち止まり、つないだ両手からお互いの顔を見合わせた。

 

「……」

「……」


 薫は照れた様な苦笑いを浮かべるが、握った手はそのまま、ブンと大きく腕を振ってゆっくり歩き出す。

 晃もまた、柔らかくすべらかな薫の左手を自分から離そうとは思わなかった。

 深夜の街の、不思議な夕暮れ空の下、二人はただ黙々と歩き続けた。

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