第13話

 結局、電力が完全に復旧したのは翌朝になってからだった。

 ようやく放送を再開したネットメディアのライブ中継をぼんやりと眺めながら、薫はシャワー後の髪を乾かしていた。といっても、ショートの髪を乾かすのにそれほど時間はかからない。手櫛で手早く髪をまとめながらベッドに放り出したままのダイバーズウォッチをひょいとつまみあげて目をむく。


「うわ、もう九時だよ!」


 昨夜はさんざんだった。

 楽しみにしていたラーメン屋台は早々に店じまいした後だった。がっかりしてホテルにたどり着いた時にはお互い歩き疲れてそれ以上何もする気力も湧かずに解散し、部屋に戻ってすぐ眠りこけてしまった。

 だが、薫は停電の直前に起きた晃の発作を心配していた。自分の知る限りでも既に二回も起きているし、深刻な後遺症がないとも限らない。


「それに……」


 あの時、彼が停電事故を〝予言〟したのも気になる。

 その前の時も〝窓〟が割れる直前だったはずだ。出来るだけ早く本人から詳しい話を聞くべきだろう。


「……」


 薫はベッドにストンと腰かけ、自分の手のひらを窓からの光に透かすようにしてじっと見つめる。自然に頬が熱くなる。

 非日常的な事故のテンションに浮かされ、暗闇の中、延々手をつないだまま歩いてしまった。まるで高校生のカップルみたいじゃないかと思う。


「っていうか、あの子は現役の高校生だし」


 小中高と三回もスキップしたせいで、薫が社会に出たのは同年代の子供達よりずいぶん早かった。もちろんそれには理由があり、自ら望んだ以上特に後悔もしてはいない。

 だが、甘酸っぱい青春には目もくれず、ひたすらに突っ走って来たのもまた事実だ。


「いやいや、私だってまだ……ええと」


 彼女は何気なく自分と晃との年齢差としのさを計算しかけ、虚しさに気づいて苦笑いする。


「なーに考えてんだ、私」


 晃は旅行者ストレンジャー、レポートが完成すればいずれ地球に帰る身だ。


「もう起きてるかな?」


 気を取り直し、晃の部屋に内線をかけようと手を伸ばしかけた薫はふと手を止める。画面の中で、今時珍しい黒ぶちメガネのアナウンサーが妙な事を言っていた。


『――公安当局は、今回の電力集中制御センターの突然の機能停止は、過激派による破壊工作の線が強いと見て捜査を開始しました。現在の所詳細は不明ですが、先のモノトラック脱線事故、さらに〝窓〟の破損事故にも同派の関与が考えられるとして、特別捜査本部を設置、専従の捜査員を動員して早期の解決をはかりたいと表明しています――』

「はぁ?」


 薫は愕然とした。慌てて別のニュースサイトにアクセスするが、ここでも過激派の犯行説が報じられている。

 さらに、今回の停電事故がこれまでと大きく異なる点が強調されていた。実際に死者が出ているのだ。


「死者って一体……」


 薫は事の重大さを悟ると、猛然と身支度を始めた。昨夜脱ぎ捨てたままの動きにくいスーツではなく、クリーニングから戻って来たばかりの清潔なワークシャツにカーゴパンツ。ジャケットのポケットには眼鏡型携帯端末コミュニとメモ。そして万一の為のサバイバルパックにアーミーナイフ。彼女のいつもの取材スタイルだった。ついでにバンダナをハンカチ代わりにポケットに詰め込んだ所で内線電話のベルが鳴る。


『見ましたっ?』


 かなり興奮しているらしい。挨拶も抜きでいきなりそう切り出したのは晃だった。


「見たわ。確認に行くから用意して!」

『もうできてます』

「じゃあ、エレベーターで落ち合いましょう」


 それだけ言うと薫は返事を待たずに受話器を置いた。ひもを弛めたままのトレッキングシューズを引っかけながらリモコンを探すが見つからない。仕方なく舌打ちしながらモニタ本体のスイッチをバシッと乱暴に切って部屋を出る。エレベーターの前では晃が扉を押さえて待っていた。ぼさぼさ髪のままの所を見ると彼はまだ起きたばかりだったらしい。


「どういう事なんでしょう?」

「さあ、でもとりあえず言えるのは……」


 階数ボタンにこぶしを叩きつけ、エレベーターが動き出した所で中腰になり、晃に体を預けて靴紐を絞り上げる。


「サンキュ! と。コロニー管理局は資材納入に関わる疑惑を意地でも隠したいらしいわね。事実が明らかになって追求されるとまずい事実がまだまだ隠されているということよ。これは奥が深いわよ~」


 柔らかなチャイムが響き、扉が開くと同時に二人は争うようにエントランスに飛び出し、あっけにとられたフロントマンがほけっと口を開けたままで見送るのを尻目にホテルを出た。

 その勢いのまま大通りのムービングロードに飛び乗った二人は、ずんずん中央の最高速帯に飛び移る。時速六十キロの風を全身で受けながら、薫は以前体験した月面基地での事故を思い出していた。

 あの日、取材で滞在した基地の電力制御盤が故障し、太陽電池からの電力が止まった。だが、おろおろとうろたえる駆け出し記者の薫に向かって、宇宙焼けした海千山千の作業員は宇宙服を手早く着こみながら、ニカッと笑ってこう言ったのだ。


『なぁに、大した手間はかかんねえ。太陽電池のケーブルを基地内配線に直結してやればことは済む。どっちかと言うと問題は制御系だな。こいつは光ファイバーの束を一本一本手作業で繋がなきゃいけない。くたばった太陽追跡ユニットも丸ごと交換しなくちゃいけない。どちらも時間がかかる。

 だから、こんな時には制御系は後回しにして電力を先に回復させちまうんだ。いいか、〝電力は基地の生命線〟だ。覚えておくといい。これは宇宙での基本的な対処法だ』


 彼の言葉に間違いはなかった。それから三十分もしないうちに電力は回復したのだ。

 ただし、制御盤と追跡ユニットの修理が終わるまでの数日間、一時間おきに行われる太陽電池パネルの角度調整に客の薫まで駆り出され、基地の全員がひどく忙しない思いをした。


「薫さん?」


 急に遠い目をして黙りこくった薫に、晃は心配そうな顔を向ける。


「……晃くん、このコロニーの電力がどこから供給されてるか知ってる?」

「ええっと、確か半分ぐらいが自前の太陽電池板からで、残りはサンライズ4の発電所からマイクロウェーブで送電を受けてるって聞いたような気がします」

「じゃあ、電力制御センターが故障しても、送電そのものが完全に途絶える訳じゃないね」

「そうですね。精密なコントロールは出来なくなりますけど、現状維持を続ければ当分は制御センターなしでも困らないはずですから。普通は手動に切り替えてどうにか――」

「変ね。その割には八時間以上も停電してたわよ」

「と言う事は、手動には切り替えようのない別の場所?」

「もっと元の方、例えば電力母線がトラブルを起こしたとか」

「とすれば、カプラーの向こう側ですね。マイクロウェーブのレセプターアンテナとか太陽電池板は宇宙港の方にあるんです」

「詳しいわね」

「いえ……」


 晃は照れくさそうに頭をかく。


「小さい頃から、絵本代わりにコロニーの設計図面を見て育ちました。祖父の家には両親が残したその手の資料が山ほどありましたから」

「だからここに来たかったの?」

「ええ、子供の頃からの夢だったんです」


 晃のキラキラした純粋な瞳を、薫はひどく眩しく感じた。


(宇宙開発の現場に憧れるなんて、私にはなかったな。なんせ……)


 薫には、初めての宇宙旅行でいきなり遭難し、生死の境をさまよった経験がある。憧れなんてとうに尽き果て、それでも宇宙開発の現場から離れられないのは、どうしても追い付きたいある宇宙飛行士の存在があるからだ。


「じゃあ、宇宙港そっちに行きましょう。たぶん制御センターの話は見せかけだわ」

「はあ。でも、無重力区画は一般人立入禁止です」

 薫はニヤリと笑うと尻のポケットから分厚いウォレットを引っ張り出して晃に放る。

「っと、何です?」

「見てごらん」


 晃がその言葉に従うと、中にはIDカード以外にも各種ライセンスカードがぎっしり詰まっていた。


「うわ、危険物取扱、スキューバ、小型飛行機、ドローン、ヘリ、宇宙特殊無線、小型船舶に大型特殊、二輪限定解除……こんなに……あ、一級小型宇宙船舶無制限ライセンス!!」

「そ。そして、宇宙港には私の船が係留中でーす。私がパイロット、あなたがアシスタント。これで合法的に入れるでしょ」

「ああ、もしかして〝がるでぃおん号〟ですか!?」

「さあ、急ぐわよ」


 薫は時速六十キロで疾走するムービングロードの上をさらに走り始めた。慌てて晃も追いかけるが、ただでさえバランスが取りづらい上に他の乗客もよけながら走るのはほとんど命がけに近かった。しかし幸運な事に、宇宙港はすぐ目の前だった。

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