第32話

 晃は鼻先に突きつけられたパルスガンの銃口をじっと見据えながら、脳裏で冷静に計算を巡らせていた。骨折の痛みを和らげようと彼の脳がアドレナリンの大盤振る舞いをしているおかげか、なぜか恐怖は微塵も感じなかった。

 

(この人は本当に俺を殺すつもりがあるのかな……?)


 わが子のように慈しみ育てた実験体の死で動転する気持ちは晃にもわかる。だが、そこからコロニーの全住民を巻き込んだ心中に至るには飛躍が過ぎるような気がする。その証拠に、たった一発、引き金を引くだけで終わる話にこれほど時間をかける。

 自分から手を下すのではなく、カプラーリングが崩壊し、否応なくすべてが強制終了するのを待ち望んでいるようにも感じる。


(俺や、新村博士……彼が言う、実験体を見捨てた人たちに意趣返しをしたいだけか?)


 インカムからは薫の声が聞こえている。コロニー住民を救うためにこの場を離れるのだと言う。

 寂しくは感じたけど、妥当な判断だと思う。


『しばらく通信はできないと思う。〝自分の判断で最善を尽くして〟。きみを信じてる。どうか無事で。心から願ってる』


 その言葉を最後に彼女の声は途絶えた。

 直後に猛烈な空電ノイズ。回路が過負荷になったのか、インカムはそれきりブツリと沈黙した。

 

「ふう」


 晃は大きくため息をつくと、有吉に背を向けた。


「おい、茅野君!」

「どうぞ、撃つならご自由に。俺は自分のやるべきことをやります」


 そう言い放つと二本目のレバーに歩み寄る。

 迷いはなかった。薫の言った晃を信じるという言葉に勇気づけられたし、その上で、自分の判断で最善を尽くせと言ってくれたことがとてもうれしかった。


(考えてみたら、薫さんとは出会ってからまだ数日しか経ってないんだよなぁ)


 レバーは固く、片手で動かすのは無理だった。折れた右手もレバーに添えて、渾身の力を込めてレバーを押し込んだ。

 刺すような激痛が全身を突き抜け、二本目のボンベが霜で真っ白に覆われる。


「考えてみれば……」


 つぶやきがぽろりとこぼれた。背後で有吉がさっと身構えたのを気配で感じながら、彼に聞かせるというより、晃はただ自分の思いを吐露するように言葉を続ける。


「地球では孤独でした。小学校から高校まで、クラスメイトともほとんど分かり合えることはありませんでした。何日か付き合ううちに、いつも透明な見えない壁ではじかれたように相手は離れていくし、そもそも相手の考えていることが俺にはよくわからなかった。養ってくれた祖父や祖母ですら、理解不能な宇宙人でも扱うように俺とは距離を置いていました」


 三本目のレバーに両手をかける。折れた右腕だけではなく、左肩の痛みがぶり返し、レバーに手をかけるだけで脂汗がじっとりと滲んできた。


「なぜ他人と親しくなれないのか、その理由はわかりません。一度だけ聞いてみたことがあるんですが、〝なんだか薄気味悪い〟と言われただけで……」


「でも、ここでは違いました。誰もが初対面の俺を遠ざけずに普通に接してくれたし、薫さんや灯みたいにある程度心を許してくれた人もいます。俺は、ここに来て初めて、自分のホームに戻って来れたような、そんな気がしたんですよ」

「勝手なことを言うな! 君は兄妹を見捨てたじゃないか!」


 三本目のレバーをぐいと抱え込む。


「……それこそ言いがかりです」


 晃は思わず苦笑する。


「当時の俺は一歳? 二歳? 恐らく周りで何が起こっているかすらわかっていなかったと思います。それに、そんな昔のことをあげつらうなら俺にも聞きたいことがありますよ」


 大きく息を吸い、さっと振り返ると、有吉に言葉を叩きつけるように一気に吐き出した。


「俺の両親を手にかけたのは有吉先生、あなたですか!?」


 晃はそのままの勢いで三本目のレバーを一息に押し込んだ。





 ヘルメットのロックを外す手間すらもどかしく、薫はエアロックのドアを蹴破る勢いで工業港に駆け込んだ。


「さて、管制室は?」


 薫は外航船の船長だけに携帯が許可されている小型の拳銃を構え、人気のない通路を慎重に進む。

 管制室のある区画への立ち入りは厳重に制限され、事前にそう知らされてなければ入り口すら見つけるのは難しかっただろう。

 だが、今日に限っては、血にまみれたいくつもの靴跡が桟橋から管制室までずっと続いて迷いようのない道標みちしるべとなっていた。


「胸くそ悪いわね。一体何人手にかければ気が済むのかしら」


 非人道的な人工培養でつごう百体もの異形を生み出し、あっさり見捨てた狂った倫理観は、十数年の時を経ても相変わらず健在らしい。

 

「あっさり逃げられたのが今さら悔しいわ。一発ぐらい殴ってやりたかった……」


 コントロールセンターと小さく表示されたチタン製の自動ドア。ドアの脇には虹彩認証のターミナルが設けられ、普段なら突破は難しかっただろう。だが、ドアに挟まった血まみれの誰かの足が開閉を妨げ、扉は開いたり閉まったりを延々と繰り返している。

 薫は扉が大きく開いたタイミングでするりと室内に入り込んだ。


「うわぁぁ」


 覚悟していても思わず声が出た。

 管制室の中はさながら地獄絵図だった。生臭い血の匂いが立ち込め、ほとんどの管制員がろくな抵抗もできないままに虐殺されていた。

 ある者は立ち上がりかけ、またある者は管制卓に座ったまま銃弾を浴びせられ、血しぶきをあげて倒れ伏している。


「誰か! 無事なら声を出してちょうだい! 敵はもういないわ! お願い、誰か!」


 血にまみれ、歩くたびにジュクジュクと不気味な音を立てるカーペットを踏みしめつつ、一歩、また一歩と奥に進む。

 その時視界の右隅で何かが動いた。

 薫は反射的に銃を向け、それが、小柄な女性職員のべしょべしょに泣きはらした姿であることに気づいて大きく息を吐いた。


 

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