第2話
ガクンと床が落ちるようなショックと共に、車体全体が不気味にきしみ、後方の窓がはじけるように砕けた。
「一体なん――!」
晃には叫ぶ暇すら与えられなかった。
車内の空気が突風のようなゴウッという音と共に吸い出され、急減圧で耳がズキンと痛む。
女性客のかん高い絶叫が響き、それすら次第にかすかになる。音を伝える空気そのものが猛烈な勢いで失われているせいだ。
だが、一瞬のタイムラグを挟んで全ての窓に気密シャッターが下りると、今度は突然の真っ暗闇と静寂がその場を支配した。
しばらくの間、誰もが放心状態だった。
(何だったんだ?)
天井近くまで舞い上がった誰かの荷物が床に落ちてバサリと音を立てる。
まるでそれが合図だったかのように、車内灯の一部が復帰した。非常用バッテリーで動作しているらしく、明るさは最小限。それでも、暗闇から解放された乗客達は安堵のため息をついた。
急激に気圧が下がったためか、車内には数歩先も見渡せないほど濃密な霧が立ちこめている。
だが、天井エアコンにビルドインされたコンプレッサーが動作を始め、かすかにオイルの臭いがする備蓄空気をせっせと車両に送り込んでくるとそれもゆっくりと薄れてきた。
晃は立ち上がろうと壁に手をつき、車体が大きく前のめりに傾いていることを知る。
「おお?」
同時に、向かいに座っていた少女が自分にしっかりとしがみついていることを知覚した。どうやら自分もかなり動転していたらしい。
「ねえ、ちょっと君、もう大丈夫だよ」
少女は晃の声におずおずと目を開き、ゆっくりと頭を起こした。気圧の回復と共に車内の霧が静かに晴れていく。彼女は赤い顔をして慌てて晃から離れると、立ち上がろうとしてバランスを崩し、ふたたび晃のとなりに倒れ込んできた。
「おいおい、大丈夫?」
晃が助け起こすと彼女はぺこぺことお辞儀をして、立ち歩くのはあきらめ、改めて彼のとなりに座り直した。
「耳が痛い」
「ああ、気圧が急に下がったからかな」
晃もつばを飲み込みながら答える。その頃になると、車内のあちこちからも困惑した様子のささやきが漏れる。
「何だったの、今の?」
「さあ?」
晃の答に、彼女は晃の顔を覗き込むようにしながら口を開く。
「でも、あなたは事故の前に気づいていたでしょう?」
「いや、さっきはちょっと背中に寒気がしただけなんだ」
晃は正直に答える。だが彼女は納得が行かない様子で口を尖らせた。
「でも……」
ちょうどその時、天井のスピーカーからザザッと雑音が響き、続いて良く通る男の声でアナウンスが始まった。
『こちらは、モノトラック集中管制センターです。ただいま、三区縦貫線下り線におきまして、脱線事故が発生いたしました。現在の所原因は不明ですが、こちらのセンサーによりますと、列車最前部の懸垂装置に何らかのトラブルが発生した模様です。その際、車内の空気が一部車外に漏れ出しましたが、現在は漏出は止まっております……』
「脱線? そんなこと……」
『……ただいま、現場に救助隊が急行中です。ええ……、あと三分程で到着の予定ですので、乗客の皆様、落ち着いてお待ち下さい。空気の漏出は止まっております。救助隊が間もなく到着の予定です。お急ぎの所大変申し訳ございませんが、今しばらくそのままでお待ち下さい』
アナウンスは一方的にそれだけ告げると唐突に終わった。
しかし、それだけでも車内にはほっとした空気が生まれた。控えめながらも談笑する声がそこかしこに広がった。
「ねえ、ねえねえ、何でわかったんですか?」
少女が中断されていた質問をしつこく再開したが、晃は彼女の顔を見てはいなかった。アナウンスの途中あたりで彼は気になる視線に気づいたのだ。
列車の最前部に座っていた小学生らしい少年が、刺すような鋭い視線で晃をじっと見つめていたのだ。
乗客のほとんどが多少なりともパニックに陥っていたのに、少年は怖がる様子すら見せていない。能面の様に無表情で、しかし目だけが妙に力強い光を放っている。
「ねえ、君?」
「あ、私、
「なんだ、
晃は少年の方を見つめながら訪ねた。彼と目が合った少年はわずかに視線をそらす。
「さあ、見たことない子だなぁ。どうして?」
真佐子は晃の上にのり出すように視線をたどって少年を見つめた。
「いや、気のせいかも知れないけど、あの子がさっきからじっとこっちを睨んでたんだ」
「ふうん」
真佐子が不思議そうな顔であいまいにうなずく。
その時、車体にズシンと鈍い衝撃が走った。
「きゃっ!」
倒れ込む真佐子を抱き起こすと同時に、車両の外からガチャガチャと金具のふれ合う音が響く。続いて空気の漏れるようなプシュッという音がしたかと思うと後部の非常ドアが勢いよく開かれた。
「みなさん、大変お待たせいたしました。ゆっくりとこちらに移って下さい!」
宇宙焼けした大柄な男性が狭い非常ドアをくぐって窮屈そうに現れた。その姿に乗客から歓声が沸き上がる。
男はにこやかにほほえみながら一同を見回すと、言葉を続けた。
「お怪我をされた方はいらっしゃいますか? ご気分のすぐれない方は?」
乗客の何人かがパラパラと手を挙げた。
「それでは、その方から順番にどうぞ。元気な方は手を貸していただけますか?」
男は落ち着いた声でてきぱきと指示を与え、乗客は彼の誘導にしたがってゆっくりとドアの向こうに消えていく。晃も立ち上がって真佐子を促した。
「行こう」
真佐子は黙ってうなずくと、彼に続いて歩き出した。
「はい、どうぞ。大変ご迷惑をおかけしました」
救助隊員が二人に手を貸す。晃は真佐子を先に行かせると、ドアをくぐりながら何気なく振り向いた。数人後ろに例の小学生が立ち、彼が振り向くと同時にさっと俯いた。
晃は妙に心に引っかかる何かを感じたが、首を振るとそのままドアをくぐり抜けた。
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