第10話
「いやー、まったくどうしたもんだろうね」
有吉は自分自身の言葉が信じられないといった風に、嘲笑的につぶやいた。
「なにか見落としを……あるいはどこかでとんでもない思い違いをしてるんじゃないかね?」
そう言ってとっくに空のコーヒーカップを乱暴に
「予知能力なんて言うとちょっと大げさかも知れません。実際にいつ何が起こるか詳しくわかる訳じゃないと思うんです。ただ、トラブルの種を嗅ぎつける力が優れてると言うか、自己保存の本能が発達してるというか、どっちかと言うと直感とか、虫の知らせの類じゃないかと……」
「同じだよ」
「へ?」
「同じ事だ。直感だろうが予感だろうが、彼らに何かしらの特殊能力があることは違いない。いや、とりあえず君の揃えたデータではその可能性が否定できない。違うかい?」
「いえ、どっちかというとその可能性は高いですね」
有吉は立ち上がると、両手で自分の顔をピシャリと叩いてうなった。
「まいったな。いや、まいった」
そのまま、冬眠明けの熊みたいに落ち着きなく部屋中を歩き回る。
「有吉先生?」
有吉は晃を無視してぶつぶつつぶやきながら天井を見上げ、ピタッと立ち止まる。
「
「は?」
「まるでSFじゃないか……そうじゃないかい? 茅野君!」
不意に呼びかけられて晃は体を固くする。しかし、有吉はそれには構わず自分のカップにコーヒーを継ぎ足すと、目をつぶってカップから立ち昇る香りを胸一杯に吸い込んだ。
香ばしい香りは有吉の神経を落ち着かせる効果があったらしく、大きく息を吐いた彼は再びソファーに体を落ち着けた。
「茅野君、クロマニヨン人は知ってるよね」
「はい、僕ら現生人類に繋がる直系の祖先だったと思いますけど」
「そう、厳密にはヨーロッパ人の先祖って言ったほうが正しいけどね。ともかく、クロマニヨン以降、人類は生物種としてほぼ変化していないことは知ってるかい?」
「え? でも」
反論しようとする晃を右手で制すと、有吉はカップをテーブルに置いて両手を組む。
「確かに、技術や知識は飛躍的に進歩した。しかし、種としての人類そのものはほとんど変わっていないんだ。むしろ、産業革命以降の人類は身体能力的には退化しているという説もある。自然環境を自分達の都合のいいように変える事ができる様になった代償だ」
有吉は一旦そこで言葉を切ると、晃がその意味を飲み込むのを待って続けた。
「進化というのは、環境が原因になって起こる。例えば、人類が木から降りて歩き出したのは、彼らの住む森が減ってサバンナになってしまったのが原因だと言われてるね。そうやって新しい環境に適応できた種は生き延びて、そうでないものは滅んだ。環境が
「ええ」
まるで授業のようなやり取りに、晃は無意識に背筋を伸ばした。
「だが、我々人類は、進化の途上で逆に環境そのものを変えてしまう事のできる技術を身につけた。その結果、進化を誘発する外部からのプレッシャーがなくなってしまったんだ」
「つまり……」
「そう、その時点で人類はそれ以上進化する必然性がなくなった。その間にも技術は進歩し、人類はいつの間にか自分の能力のほとんどを機械やコンピューターに代行させる様になった。使わない能力はいずれ退化する。これが人間退化論の根拠だね」
「じゃあ、僕らはいずれ退化して滅びるんですか?」
「以前はそう危惧されていたんだ。しかしここで、技術の進歩が逆に人類をまったく思っても見なかった新しい生存環境に送り込む事を可能にした。それが、つまりここだ!」
「環境ががらっと変わった訳ですよね?」
「そう。だから、いずれ人類は再び大きく変わり始めるはずだ……と言うのが私の持論なんだ。しかし、これまでの研究でコロニー生まれの子供達と地球育ちにはなんらの違いもみられなかった。実を言うと、研究はすっかり行き詰まっていたんだよ」
「じゃあ、俺を共同研究者にするというのは……」
その瞬間、有吉の顔色が心もち青ざめ、額には汗がにじんだ。そのまましばらく言いよどんでいたが、やがて意を決した様に口を開いた。
「いや、すまん。実は、藁にもすがる思いだったんだ。いわば素人の君や鷹野君がこの問題にどうアプローチするのかに興味があった。この行き詰まりをどうにか抜け出したかったんだ」
そう言うと有吉は深く頭を下げた。
「悪かった、あやまる。でも、共同研究の話は本気だ。論文だっていずれちゃんと連名で発表するつもりだから、気を悪くしないで欲しい」
「先生、そんなに気にしないで下さい」
晃は慌てた。自分達も有吉准教授を利用しようと考えていなかった訳ではない。
「それはお互い様です。僕らだって先生の研究や資料を当てにしてたんです」
晃は困ってしまった。正直な人柄はいいのだが、ここまでかしこまられると、こっちの方が悪いことをしてる様な気がしてくる。
「それよりも、これから一体どうします?」
苦し紛れに強引に話をごまかすと、有吉もまた幾分ほっとした様に表情を緩めた。
「そ、そうだな。とりあえずもっと多方向からデータを集めよう。これだけじゃ、まだ証拠としては弱いからな。それより、この事を鷹野君には話したのかい?」
「いえ、昨日から姿を見ていないんです。今晩にでも話します」
「そうか。出来れば近いうちに一緒に来てくれないか。彼女の意見も聞きたいし、今後の相談もしたい」
「わかりました」
薫は飛び出して行ったきり部屋に戻っていなかった。
気を揉む晃を知ってか知らずか、彼女はメッセージの一本すらよこそうとはしなかった。
晃は心の片隅に追いやっていた心配事を有吉に掘り出され、その後の話はほとんどうわのそらで聞き飛ばし、早々に研究室を出た。
日が暮れるころ、晃はコンビニの袋を下げて部屋に戻った。外食で時間をつぶすより、さっさと夕食を済ませて部屋で薫の連絡を待とうと思ったのだ。しかし、エレベーターを出ると、部屋の前に人影が見えた。あの小柄な人影は間違いない。思わず早足になる。
「薫さん、どこに行ってたんですか?」
「おっそーい! 晃くんこそどこをうろついてたのよ?」
薫は小さな体でその場に仁王立ちして晃を睨みつける。フォーマルなスーツにハイヒールで身を固め、ピアスに加えて薄くメイクもした薫はまるで別人の様に美しかった。ワーキングパンツにトレッキングシューズの、まるでアウトドア少年の様なイメージでしか彼女を認識していなかった晃は、思わずぽかんと口を開けてその姿に見とれてしまった。
「なーに呆けてるのよ。それに何よ、その袋?」
「へ、ああ、晩飯です」
薫は形のいい眉をしかめる。
「だめねえ、どうして男の子はそうしてすぐ食事に手を抜くのかしら」
そう言うと、晃の手から有無を言わさず弁当の袋を強奪する。
「これは没収。すぐにもう少しフォーマルな服に着替えなさい」
「え?」
「え? じゃないの。これからデートしようって言ってるの。スーツの一着ぐらい持って来てるでしょ」
「ええっ?」
晃はまだ半分状況が理解できないまま、とりあえず薫に言われるままにスーツにそでを通すと、そのまま腕を引きずられるようにしてホテルを出た。
「薫さん、どういうことですか?」
「私とじゃ不満?」
「いや、そういうことじゃなくてですね」
大通りに向かって早足で歩く薫を追いかけながら、晃は困惑した表情で問いかける。薫は無人タクシーを捕まえ、晃を車内に押し込むと次いで自分も乗り込んだ。
「インペリアルホテル、急いで!」
無人のコンソールにオーダー確認のランプが点灯し、タクシーは静かに走り始めた。電動車特有の羽虫の様なうなりと共に滑らかな加速で高速レーンに移るのを確認した薫は、ようやくほっとした表情で晃に向き直った。
「ごめんなさい、約束に遅れそうだったから。半ば強引にセッティングした会見取材だから、先方に悪印象を持たれたくないのよ」
「じゃあ……え、取材!?」
「遺伝子生物学の権威に面会するのよ。とっても偉い人。以前このサンライズ7の都市企画班の一員だった人で――」
「あの、その人とデートに何の関係が?」
晃の困惑はおさまるどころかますますひどくなった。
「……いや、そもそもどうして俺がそんな偉い人に会わなきゃいけないんですか?」
薫の表情がわずかに動く。
「それがね、私にもよくわからないの。取材交渉の時にたまたま晃くんの話題を出したら、その途端に〝君に会わせてくれれば取材に応じる〟って言ってきたの」
「え?」
「大丈夫、個人情報は漏洩してないよ。事故で亡くなったご夫婦に遺児がいて、知り合いだって所までしか……」
「……結構盛大に漏洩してる気がしますけど」
「ごめ~ん! なかなか取材に応じてくれなくて、藁にもすがる気持ちだったのよ~」
薫はそう言って顔の前でぱんと両手を打ち合わせ、晃の顔を拝むように頭を下げた。
「なんだ。そんなことだろうと思いましたよ」
幾分気落ちしながらため息交じりに頷くと、薫は途端に笑顔になった。どう見ても、最初から晃が許すことを見越した確信犯の目つきだった。
「なになに? その顔。実はデートじゃなくてがっかりしたとか?」
「そういうのじゃないですから。本当ですよ」
口を尖らせる晃の横顔を見つめながらニヤニヤしていた薫だったが、ふと思い出した様に晃の肩をつつく。
「そうそう、向こうはたぶん君を知ってるわよ。何か心当たりない?」
「全然。見当もつきません」
憮然としたままぼそりと答える晃。
「あら。何か知ってるかと思ってたのに」
薫はそんな晃の態度を気にする様子もなくあっさり答える。
「仕方ない。とりあえず会ってみましょう。話はそれからね」
タクシーはちょうどそのタイミングで、インペリアルホテルのエントランスに滑り込んだ。
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