第8話

「ふうむ」


 話を聞き終えた薫はしばらく無言で考え込み、唐突に立ち上がった。


「ごめん晃くん、ちょっと急用ができた!」

「あの、今の話はあくまで俺の想像です。確証がある訳じゃないんで――」

「いや、貴重な話を聞かせてもらったわ」

「薫さん! また無理をするつもりじゃないでしょうね? これだって相当危ない橋を渡ったんでしょう?」


 傍らのプリントアウトの束を左手で叩きながら、晃もソファーを蹴るように立ち上がった。


「まあ、まっとうな手段かと言われるとちょっと困っちゃうけど、別に命のやり取りをした訳でもないし、気楽なものよ」


 さらっとものすごいことを言われた気がした。


「いや、待って下さいよ!」


 だが、薫は晃の伸ばした手をスルリとすり抜けると、ニッコリといい笑顔で手を振る。


「いいネタ拾ってくるから待ってて。じゃあね」


 薫はそのまま晃が止めるのも構わず飛ぶように部屋を飛び出して行った。


「ちょっと! ちょっと待って下さい!」


 慌てて後を追うが、廊下にもはや彼女の姿はない。

 晃は、彼女にこんな推測だらけのあいまいな話をしてしまったのを後悔した。

 おそらく、彼女は今の話の確証を取るために本気で動き始めたに違いない。

 現場第一主義の突撃取材で名を知られた彼女の事だ。それにあのセリフ、違法スレスレのきわどい手段さえ平気で使って情報を集めるつもりだろう。


(もしも、これがが俺の単なる考え違いだとしたら……)


 危険で、しかも実りのない損な役回りを彼女一人に押し付けた事になりはしないだろうか。


「でも……」


 プリントアウトの束を再び手に取りながら、プロのジャーナリストである彼女が一旦走り出したら最後、単なる一高校生である自分がついて行くのは不可能だという現実にも気付いていた。この件について今の晃にできるのは、おとなしく待っていることだけだろう。


「いや、それでも、何か他に……」


 彼女には及ばないにしても、何か自分なりにできる事はないだろうか。頭をがしがしと掻きむしり、悩んだ末、結局スタート地点に戻って来る。


「……まずは、自分の手が届く所からだよな」


 とりあえず、コロニーを訪れたそもそもの目的であるスキップレポートの材料探しに手をつけることにした。薫の示唆のおかげで、方向性だけはなんとなく見えている。彼女が〝笑わない子供達〟と呼んだ、コロニー生まれの子供達の調査だ。

 今は、それが彼女のために少しでも役立つと信じるしかない。





 大学図書館、書店、データショップなど、とりあえず思いつくままに情報データ集めに走った結果、わかったのは、


その一

 コロニー生まれの子供達は心肺機能が地球の子供より若干優れ、逆に筋力は劣る。また、一様に色白である。


その二

 学力、知能テストの結果は日本本土の平均値とほぼ同じ。


 たったそれだけだった。

 コロニーは気圧が低く、疑似重力も地球より弱い。身体能力の差は環境の違いで十分説明出来てしまう。

 一方で、薫が話していたコロニーの子は笑わないという噂については、それを証明する資料も研究も、いくら探そうが全く記録アーカイブされていなかった。


「しょせん素人の調べ物なんてこの程度かなあ」


 中央公園の日当たりの良いベンチでハンバーガーをパクつきながら、晃はため息をついた。

 これ以上、他人のまとめた資料をいくら掘り返しても何も見つかりそうにない。だが、この先どうしたものか見当がつかず、途方に暮れてしまった。


「かやのあきら……くん?」


 突然呼びかけられ、飲みかけのコーヒーにむせ返りながら顔を上げた晃の視界に、白い帽子をかぶったワンピース姿の少女が飛び込んできた。


「あ、やっぱり晃くんだ」


 少女はにっこり笑うと小さく頭を下げた。左の頬にえくぼが一つ。


「ええと、真佐子ちゃん……だっけ?」


 目の前の私服姿の彼女と、モノトラックで知り合った女子高生のイメージはすぐには一致せず、晃は多少戸惑いがちに問いかける。


「わあ、覚えていてくれた?」


 真佐子はそう答えながら晃の隣にすとんと腰かけると、屈託のない笑顔を彼に向けた。


「こんな所で何やってんの?」

「え、いや、別に」

「確か、晃くんも高校生でしょ。こんな所でサボってていいの?」

「いいの。そっちだって平日の昼間から何してんのさ?」

「私の学校は単位制でーす。今日は履修授業なし! もしかして君もそうなの?」

「いいや。俺は地球からレポートを書きに来たんだ。学校は来週一杯まで休み」

「ふうん。まあ、薄々こっちの人じゃないとは思ってたけど……」


 晃の返事を聞いた彼女は持っていたシェイクをグイっと飲みほし、空のカップをごみ箱に放り込んで困ったように大きくため息をついた。


「どうしたの?」

「晃くんはいいなあ、と思って」

「なぜ?」

「だって、レポートが終わったら地球に帰るんでしょ」

「ああ、まあね」


 真佐子は不意に顔を上げた。


「私も、本当はもうここに居たくない。地球に帰りたい」


 彼女の唐突な言葉の意味を晃ははかりかねた。


「ん……?」

「ここじゃ、みんなおとなしい良い子にならなきゃいけないの。みんなと協調して、みんなと足並みを揃えてないと生活できない街なの」


 晃は言うべき言葉が見つからず、あいまいにうなずいた。しかし彼女はそれを同感の意味に取ったらしい。


「私だって、宇宙空間ではたった一人の無茶が他の全員の命を危なくする事ぐらい知ってる。でも、だからといってみんなそろって臆病になる必要なんてないと思うんだよね」


 晃は、彼女の突然の告白が思いがけず自分の追っている問題の核心にかなり近い事に気づいて身を乗り出した。


「と、言うと?」

「例えば、私みたいな地球からの移民の子が何か新しいことをやり始めようとすると、コロニー生まれの子が『それはうまく行かない』ってめちゃくちゃ冷静にダメを出して、おまけにそれが良く当たるの」

「へええ!」


 本気で驚いた。


「だから、私達も、『いちかばちかやってみようよ!』なんて気軽に言い出せなくなっちゃって……うん、絶対にできない。でも、これってすっごくつまんないと思わない?」

「それじゃ、失敗することはないの?」

「こっちの子はだいたいそうなの。クラスマッチなんかでも、最初から勝負は判ってるって感じでみんなすっごい冷めてて、熱心に応援したりなんてもちろんしないし、勝っても負けても喜んだり悲しんだりしない。何だろ、まるで最初から筋を知ってる無言劇パントマイムを見てるみたい」

「ああ」


 確かにそれはつまらないだろう。


「だから、私みたいな地球生まれも浮いちゃうのが怖くて妙におとなしくなっちゃって……」

「なんだかやだな、それ」

「でしょでしょ! 私、退屈で退屈でもうがまんできなくて!」


 真佐子は顔を紅潮させて一気にまくしたてた。晃がジュースを差し出すと、それをゴクゴクと半分近くも一気に飲んで、どうにか一息つく。


「私、スペースコロニーっていえば宇宙開発の最前線だから、もっとみんな生き生きしてて、失敗を恐れないやんちゃで冒険好きな人達ばっかりだと思って憧れてたんだ。でも……」

「失望した?」

「半分だけ……ね」

「半分?」

「ええ、ここで働く大人達は私の想像した通りだったかな。まるで地球の子供達みたいに一生懸命で無邪気で、夢を追ってて……。ここじゃ、大人が子供で、子供の方が大人みたい。変な所だよね」


 遠い目をしてそう言うと、真佐子は素早く立ち上がった。


「晃くんに話聞いてもらったらなんだかすっきりしちゃった。じゃあ、私これから友達と待ち合わせだから。またね」


 真佐子は一方的に話を打ち切ると、あっけにとられている晃に軽く手を振り、走り出そうとしてふと、振り返る。


「ところで、晃くんはどっち? 冷めた子供? 夢見る大人?」


 いたずらっぽい目つきでそう謎かけをすると、晃が一瞬言いよどんだ隙にさっさと姿を消してしまった。

 晃はその質問にしばし答を出せず、その場に呆然と佇んだ。

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