第4話


 晃は研究室を出た後、大学近くの公園を散歩することにした。土地や空間が地球の数十、いや数百倍数千倍は貴重なスペースコロニーという場所で、一見無駄な空間とさえ思える公園を作る度胸に興味を覚えたからだ。


「見た感じ、全然普通だよな」


 木々が多く、そこかしこに座り心地の良さげなベンチが置かれた、都会の公園という感じだ。


(でも、あ、待てよ)


 念の為ベンチに腰掛けてみる。


「ああ、なるほど。他のベンチや周りの建物が見えないような配置になってるんだ」


 目の前を通過する人はしょうがないとしても、他のベンチでくつろぐ人の視線は気になる。それが隠され、自分一人が緑に取り囲まれた気分になるよう絶妙にレイアウトされている。

 空が(というかこの場合コロニーの窓だけど)梢で微妙に遮られ、開放感を損なわないレベルで人工感を消しているあたりもなかなか芸が細かい。


「うーん、これはぼっち飯が捗りそうだなぁ。にしても、防犯とか大丈夫なのかな?」


 宇宙港からしか出入りできず、実質逃亡が不可能なこと。それに日系のコロニーということもあって犯罪率は驚異的に低い、らしい。とはいえ、人がこれだけたくさん住んでいると、俗に事案と呼ばれるリスクが全然ないわけじゃない。


「ああ、なるほど」


 何気なく空を見上げて気づく。

 頭上に浮かぶ二つの陸地に目を凝らすと、それぞれの陸地でも同じ場所に公園が配置されているようだ。


「遠距離から相互監視してるのか」


 どのベンチのそばにも一つあるありふれた照明灯。その柱のてっぺんに、半球状の透明カバーがちらっと見える。多分あれは監視カメラ。

 ただ、直接そばのベンチにレンズを向けるのではなく、わざわざ遥かニキロ頭上の別の陸地を狙っている。


「はぁ、なるほどねえ」


 こういう細やかな配慮は一体どういう人が……と、晃は会ったこともない都市計画班のメンバーに敬意を覚えた。


 



 おかげで思ったより散歩を堪能し、午後遅くようやく宇宙港近くのロングステイホテルにたどり着いた。そう豪華でもないが、ビジネスホテルに比べれば多少は設備も整っている。

 しかも、何より宿泊料金が驚くほど安い。

 理由は簡単。今でもスペースコロニーは入植者に対して厳しい審査が行われているからだ。

 初期のように〝独身者に限る〟とか〝コロニーで活用しうる何らかの特殊技能を持つ者に限る〟などの条項はなくなったものの、希望者が多いせいもあって実際に居住許可が下りる人の率はかなり低い。

 しかし、仕事の関係ほかでどうしてもコロニーに住まなくてはいけない人も出てくる訳で、そういった人達が〝長期滞在〟の名目で利用するのがこのホテルだからだ。

 ワンルームマンションを借りる事を考えれば、数か月の滞在であればむしろこちらの方が安い。

 そのため、任務で部屋を長く明ける独身の宙航士など、実際には居住許可のある人間でも結構利用している人は多いと聞く。


「いらっしゃいませ」


 フロントでディスプレイとにらめっこしていた初老のフロントマンが晃に気づいて顔を上げた。


(うわ! ちゃんと人が応対するんだ)


 晃は驚きつつも、彼に自分のIDカードを渡しながら声をかける。


「すいません、予約してあるんですけど」

「はい、予約番号は?」

「HAS-068040」

「ええ、茅野晃様ですね。お待ちしていました。十一階、1108号室です」

「あと、パーソナルオフィスの申し込みもしたいんです」

「2テラbpsの標準デジタル回線なら各お部屋にもありますが……」

「じゃあ、それでいいです」

「わかりました。端末はお持ちですか? レンタルもございますが」

「はい、スイフトのQW-S348です。ネットワークIDは……」


 フロントマンは晃の言葉にしたがってキーボードに指を走らせ、晃のIDカードに光コードを書き込むと、彼にカードを返しながら付け足した。


「はい。ネットのご利用、お部屋の出入り、地下二階のレストランと最上階のスカイバーのお支払い、すべてにご利用いただけます。お支払はその都度口座から自動引き落としされます。他にご質問はございますか?」

「いえ」

「ではごゆっくりおくつろぎくださいませ」


 フロントでの儀式めいたやり取りが終わると、晃はまず部屋に直行してベッドに荷物を放り出し、そのまま地下のレストランに向かう。街に出て食事するのも楽しそうだが、とりあえずはこの空腹を緊急に何とかしたかった。 

 考えてみればシャトルの中で味気のない機内食を口にしてから、まる十二時間以上何も食べていない。


「公園をふらつく暇に食事しろって話だよなぁ」


 自分で自分に呆れつつ、この際多少まずくても構わないという気になっていた。

 ところが、予想に反してレストランの食事は値段のわりに豪華で、しかも結構量が多かった。すっかり満足した晃は、膨れた腹をさすりながら再びフロントの前を通りかかる。

 と、フロントでは小柄な女性客とフロントマンが互い心底困り果てた表情で顔を突き合わせていた。が、晃を認めたフロントマンが急に顔を輝かせると、彼の方を手で示しながら女性客に何事かささやいた。

 彼女は大きくうなずくと、晃に向かってずんずん歩いてきた。


「はじめまして! 私、フリーライターの鷹野薫と申します!」


 いきなりハキハキと自己紹介され、晃は反射的に彼女の差し出す名刺を受け取った。が、訳がわからずそのままぽかんと相手の顔を見つめて立ち尽くす。

 ボーイッシュなショートの明るい髪。くっきりとした目鼻立ち。少し大きな色素の薄い瞳は快活さを現わすようにくるくるとよく動き、口元に浮かぶ笑みは魅力的と言うよりはむしろ可愛らしいという表現がしっくりくる。


(……これでも年上、だよなあ、多分)


 晃は思わずそんなことを漠然と考えた。


「あ、あの、私の顔に何かついてますか?」

「い、いえ、あの、俺に何か?」


 その一言で晃は石化から回復すると、ようやくおずおずと問い返す。


「あの、今フロントで聞いたんだけど、君、スイフトコンピューターのQWシリーズを使ってるよね?」

「ええ、それが……?」

「実は、初対面であまりにずうずうしいお願いだってのは百も承知なんだけど、できれば二日ほど貸してもらえないかしら?」

「はあ?」


 晃は何とか答えたが、一日分にしてはあまりに多い突発事件の連続に彼の頭は完全にシェイク状態だった。





「助かったわぁ。明日までに原稿送んなきゃ連載に穴があくっていうのに、肝心の原稿はコアディスクの中。特殊フォーマットだからレンタル端末じゃ開けないし、電器屋に行ったらQWは本土取り寄せでどんなに急いでも三日はかかるなんて言うし。多分、こないだの仕事で真空にさらしたのがいけなかったのね。開けたら画面真っ黒でさあ。いやあ、参った参っただよー」


 彼女は、初対面とはとても思えないフレンドリーさで気安く話しかけてくる。


「え、もしかして、コミュニケーションタブレットコンタブを宇宙空間なんかに持ち出したんですか?」

「で、でも、船から観測基地のエアロックまでだから、百メートルもなかったのよ」

「観測基地って……ああ、もしかして鷹野さんって〝あの〟鷹野さん?」


 その時、ポンとチャイムがなって扉が開く。晃は薫と共にエレベーターを降りると、ふわふわのカーペットが敷きつめられた廊下を歩きながら彼女をしげしげと見つめる。


「へえ、話を聞くともっとごっついイメージですけど、本当はちっちゃいんですね」

「ごっつい……一体どんな話を? その上〝ちっちゃい〟って言っちゃう?」


 薫はむくれて晃を睨みつけるが、その顔は晃の肩にようやく届く程度で、おそらく身長は百五十センチそこそこだろう。


「いえ、無人の小惑星に難破した宇宙艇で漂着して、五日間のサバイバルの末無事に生還したって話をニュースで見たんです。だからもっと筋肉モリモリの大女だと思ってたんですけど」


 薫は肩をすくめて大げさにため息をついた。


「それは君の想像力に重大な欠陥があるわ。まあ、確かにやってることが女らしいとは自分でも思わないけど。フリーライターって結局は肉体労働者なんだよね」

「でも、鷹野さんの記事って宇宙開発の最先端に実際飛び込んでの体験取材だから、かなり迫力ありますよね。俺、結構好きですよ……と、ここです」


 晃は壁のスロットにカードを滑らせるとドアを開き、開けっぱなしのままで部屋に入るとベッドに放り出していたコンタブを拾い上げる。振り返ると薫は戸口に立ったままで待っていた。


「はい、どうぞ。でも、プロのライターってもっと高価ないい端末を使ってると思ってましたよ。QWなんて超マイナー機種じゃなくて」


 薫は晃からコンタブを受け取ると、笑顔で答える。


「でもね、このサイズ感が私には一番使いやすいのよ。それに好みってあるでしょう。私の場合スイフトのQWとは小学生時代からのつき合いだし、ちょっとばかり特殊なツールも使うから、いまさら変えられないしね。それじゃあお借りしまーす」


 それだけ言うと二、三歩行きかけて、思いついた様に振り向いた。


「そうだ、明日の朝……いや、無理……ブランチで良かったら一緒にどうかな。私の記事をほめてくれたお礼におごってあげる。これのレンタル料とはまた別に、ね」


 言いながらコンタブをひらひらと振る。


「いいですよ。つき合います」

「じゃあ、これから徹夜で仕事だから、十時頃。私この上の1205号室に泊まってるから、もし寝てたら叩き起こしてね。んじゃ」


 薫はそれだけ言うとエレベーターに消えていった。

 晃は戸口で彼女の姿が見えなくなるまで見送ると、とりあえず服のままベッドにごろりと横になる。後でシャワーでも浴びるつもりだったが、自分でも気づかない内に睡魔に取り込まれてしまった。

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