第16話

「一体どこに行ってたのよ!」


 カフェテリアに一歩踏み込んだ途端、晃は薫のどなり声に見舞われて思わず首をすくめた。その場に仁王立ちした薫がふくれっ面で彼をにらみつけている。

 彼女の大声にフロア中の好奇の目がさっと二人に注がれた。


「せっかく面白い話を拾ったのに、教えたげようと思ったらいつの間にかいないんだから!」

「すいません。ちょっと散歩に……」

「〝ちょっと散歩〟で一時間半も行方不明になるわけ? そういう時はちゃんと行き先を言ってから出かけなさい!」


 薫はさらに語気を荒らげた。

 半端な説明では納得してくれそうにない。周囲の視線はあいかわらずおもしろい見世物でも見るかの様に二人に集中している。晃は舌打ちすると薫の腕をつかんで強引にカフェテリアを連れ出しながら耳元でささやいた。


「実は、また〝子供〟なんです」


 薫の目がすっと細くなる。何かに興味を持った時の彼女の癖だ。


「わかった。とにかく離して」


 晃が腕を離すと、薫はつかまれていた場所をさすりながら顔をしかめる。


「女の子を連れ出す時はもっと優しくして欲しいな」

「……女の子?」

「何? 文句ある? ほら、痕がついちゃったじゃない」


 袖をまくって晃に見せる。白い腕にくっきりと赤い指の痕が残っている。晃はなんとも言えないなまめかしさに、思わずつばを飲み込むと慌てて頭を下げた。


「うわ、すいません! ごめんなさい!」

「まあいいわ。それより話を聞かせて。それだけの価値があるんでしょうね?」


 晃はまだ半分ふくれっ面の薫に歩調を合わせて歩きながら一部始終を話して聞かせる。薫は時々相づちを打つ以外は黙って聞いていたが、話が終わった後もずっと無言のままだった。


(うわ、これは怒ってるよ)


 薫はうろたえる晃の顔を見ようともせずにずんずんと歩く。先に立って港の入口で出入許可証を返し、ムービングロードの最高速帯に乗ったところで初めて彼女は振り返った。


「さて、ここなら大丈夫かな」

「あれ、怒ってないんですか?」

「怒る? どうして? お説教ならさっきので終わりだよ」

「え、でも……」

「当然心配はしたわよ。何も言わずに勝手にいなくならないで欲しい。そういうの、昔のトラウマが蘇って嫌なの」

「はぁ、それはどうもすいません」


 どんなトラウマなのか聞いてみたい気がするけど、今はそんな話をする場面じゃない。


「ここなら内緒話ができるでしょ」


 確かに、最高速帯に乗る人影はまばらだ。風の音が邪魔して隣の薫の声さえも切れ切れだ。と、彼女は急に体を寄せてきた。


(近い近い!)


 慌てる晃に構わず、薫は晃の耳元でささやく。


「昨日の停電騒ぎ、あれも〝子供達〟の仕業かも知れない」

「え!」


 思わず振り向いた晃は、自分の唇が薫のそれに触れそうなほど近くにあることに気づいて慌てて正面に向き直る。顔が熱い。


「どういう事です?」

「実は、港で作業していた宙航士が埠頭をうろついている子供の姿を見かけてるの。五人くらいいたらしいんだけど、危ないから注意しようと思って追っかけた途端にかき消す様に消えたそうよ」

「俺の話とも似てますね」

「そう、それに、見かけたのは停電騒ぎの直前だって言うから、もう夜中近いのよね。これだけでもちょっと異常でしょう?」

「十時は過ぎてましたよね、確か」


 薫はため息をついた。


「過激派の仕業だっていう報道もまんざらデマとは言えないのかも知れないわね」

「小学生の過激派ですか。なんだかすごい世界だな」

「でも……変ね」

「何が?」


 薫は晃の目を覗きこむ様に顔を近づけた。風に乗ってふわっと甘い香りが晃の鼻を刺激する。


「新村博士の話と矛盾しないかな? きみのデータとも整合性が取れない。確か、コロニーの子供達は争いごとや危ない事には手を出したがらないんじゃなかったかな?」

「確かにそうですね」


 晃は何度も目にした、妙に冷めた目をした白い顔の子供達を思い出しながら頷く。


「じ、じゃあ、薫さんはどう思うんです?」


 晃は薫の顔があまりにも近くにあるのでついドキマキしてしまう。いつもは身長差のせいでお互いの顔がこれほど接近する事はなかったからだ。

 一方、薫は考えに熱中しているせいかまったく気にする様子がない。


「そうね……」


 言いながら人差し指を立てる。


「私の考えはこう!〝餅は餅屋〟さあ、有吉先生の所に行くわよ!」

「はあ」





「うーん……」

 薫の質問を受けた有吉准教授はうなりながら背もたれに体を預ける。時代物の本皮張りソファーがわずかに軋む。


「鷹野さん、質問を整理しますと、つまり本人が望んでいない行動を催眠術やその他の暗示で強制する事が出来るかって事でしょうか?」

「はい、そんな所です」


 薫は澄まして答えた。


「もう少し詳しい状況がわかるといいんですが……」


 環境心理学の第一人者とはいえ、専門からかなり逸脱した質問に有吉の言葉も歯切れが悪い。だが、今の段階でこれ以上詳しい事情を明かす訳にもいかない。


「まあ、一般論としてお答えします。よく誤解されますが、まず、催眠術と言うのは魔法や魔術の類ではありません」

「はい?」

「ですから、被験者が潜在意識でタブーだと思っている事を無理やり実行させることは不可能です」

「へええー、そうなんですか?」

「ドラマや映画で便利に使われすぎて誤解している人も多いのですが、善悪の垣根を越えさせるほどの強い強制力を発揮するものではないんですよ」

「え、でも、過去にカルト宗教による無差別テロ事件なんかも起きてますよね?」

「ああ、あれはまた別の方法が使われたんです」


 有吉は疲れたようにため息をついた。


「一端、話を催眠術に戻しましょう。例えば、ちょっとひどいたとえですけど、鷹野さんに催眠暗示をかけて茅野君を殺しなさいといくら命じてもうまくいきません。そうする明確な理由がありませんし、殺人は誰にとっても強烈なタブーですからね。犯罪についても同じです」


 その言葉に薫は眉をひそめる。


「ですが、例えば過去に何かがあって、鷹野さんが茅野君を殺したい程憎んでいるとしましょう。そして、その殺意に十分強い理由が存在する時は別です。こんな時、実際に犯行に至るのを抑えているのは本人の理性だけです」

「ふむふむ」

「この状態で催眠暗示を繰り返し与えると、かなりの確率で鷹野さんは犯行に走るでしょうね。つまり、本人が心のどこかで望んでいたり、信じていたりすることなら、それを伸ばす方向に暗示を与える事ができます。催眠や暗示が理性のたがをとばして本来の欲望にまっすぐ向かわせる手助けになるんですよ」


 有吉は晃と薫の表情を交互に見やりながら言葉を続ける。


「ですから、最初の質問に戻ると、本人が嫌がることを強制するのはもちろん無理ですが、その行為に十分納得出来る大きな理由がある事を示し、本人にも何らかの見返りがあるとなれば絶対不可能とは言い切れません」

「なるほど」


 薫はようやく納得顔で頷いた。


「でも、それじゃ本人を普通に説得するのと変わりません。その方が手っ取り早いと思いますけどね……と、こんな答でいいですか?」


 二人は無言で顔を見合わせた。これだけでは決め手にならない。


「ところで、こんな話がいったい何の役に立つのか、出来れば教えてもらえないかな」


 有吉の言葉に、二人はある程度詳しい話をするのも仕方ないと判断した。ただし、子供達が破壊工作にかかわっているかも知れないという仮説だけはは注意深く避けた。


「実は、コロニー生まれの子供達の中に危険な、ええと、つまり、命をかけた一種のゲームが流行ってるという話を聞いたんです。でもそれは……」

「この前の話と完全にくい違うな」

「そう、それで、集団催眠みたいな方法ならそんなことも可能かなと思って聞いてみたんですけど」

「なるほどね」

 有吉はうなずいた。

「そう言えばこの前の話で、ああ、鷹野さんはいらっしゃいませんでしたが、彼らが一種の予知能力に近い力を備えているかも知れないという話になったよね」

「はい」

「へえ~!」


 薫が晃を睨みつける。〝そんなこと聞いてないぞ〟と目が訴えている。


(会うなり食事に引っ張ってかれたじゃないですか。話す暇なかったんですよ)


 同じくアイコンタクトで返すが通じている気配はない。


「だとすれば、催眠術のような外部からの圧力が加えられた可能性は否定されるよね。彼らは事前に自分たちの望まない暗示が与えられる事に気づくだろうから、そもそも暗示は十分な効果を発揮出来ないはずだ」

「やっぱり無理ですか」


 薫は見るからに残念そうに大きくため息をついた。


「でも、なぜその子供達に直接話を聞いてみないんだい? それが一番手っ取り早いだろう?」


 有吉は不思議そうに尋ねた。

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