第壹章   柳生武藝帖 陰謀の巻②

 乾杯の音頭は、最初の顔繋ぎとして十耶が取ることになった。彼の持っているグラスの飲料は、勿論ノンアルコールだ。


「ご紹介に預かりました。柳生十耶です。【柳生】では駆け出しの下っ端なので、気軽にご用お申し付けくださればと思います」


 しっかりアピールも忘れない商魂たくましさがある。


 十耶が乾杯を告げて手にしたグラスを高く掲げる。


 会場に乾杯の声と近隣の方々とグラスを合わせる透明感のある高い音が響く。


 壇上を下りた十耶の元に、彼の学校の先輩である刹那せつな久遠くおんの双子兄弟がやって来て、乾杯とグラスを合わせる。


 刹那と久遠は18才の成人だが、ノンアルコールのドリンクである。日本での飲酒喫煙は以前は20才からだったが、現在は18才から可能と改正されている。


 2人とも下戸ではないが、訳あって今日はアルコールを控えている。


 そのアルコールを控えている理由が、藤子と乾杯のグラス合せをしている長身の女───────刹那と久遠の母親・たまきである。


 環は乾杯した後、一気にグラスを空にして給仕係へ空グラスを渡し、代わりに10杯分のグラスが乗った盆を取る。


 ものすごい酒豪である。刹那と久遠は、この酒豪の母親の面倒を見ないといけないので環が同伴している場ではノンアルコールなのだった。


 また、環の酒豪は有名なので会場の所々では今日は何杯飲むだろうかと賭け事が始まっている。


「先輩たちのオフクロさん、すごい飲みっぷりだな」


 十耶は噂に聞いていた程度で、実際に環が飲む所を見るのは初めてだった。


「ああ………あれは、まだ序の口だ」


 久遠は、まだ準備運動してる所でバーカウンターへ向かったら本番と言う。


「ここの酒は、良い酒だからな。母上は全制覇目指すぞ」


 刹那は、ちらっとバーカウンターの方に視線を向ける。


「酔っ払ったら、先輩たち二人がかりで運ぶことになるな」


 十耶は、2人でもキツそうだなと思う。


 環は、かなり長身だ。ピンヒールを履いているので身長は刹那・久遠より高くなっている。


「母上は【医療忍いりょうしのび】だからな………なかなか酔わないぞ」


 久遠は、ここにはいないが部屋にもう一人、【医療忍】が控えているので酔ったらその人が酔い覚まししてくれると続けた。


「【医療忍】って、酔い覚ましができるのか」


「十耶、今ザルだと思ったな」


 刹那は、甘いなブラックホールだと続けた。


「刹那先輩、アンタの母親だろ」


 十耶は、穴の規模が違うと言いたいんだなと察する。


 会場では、それぞれ友人知人の仲間内で集まっている。


 一方、【宴】主催者の葛葉の元には政財界の中心人物や海外からの来賓客が恐縮した様子で会話をしているが、葛葉は話は聞いているが心ここにあらずといった様子だ。


 すると異変が起こった。


 葛葉を囲んでいた一団から、悲鳴が上がり、慌てふためく声があがる。


 突然、数名がバタバタ倒れる。その数10人─────────────給仕係が盆で運ぶグラスの数と一致する─────────────それも大物代議士や政財界のフィクサーと目される人物、海外の貴賓客が集まる一団である。


 一瞬にして場は恐慌状態に陥る。出入口へと一斉に向うので、おしくら饅頭のようになっている。


 そこへ、動くなとマイクで拡声された厳格な声が響く。


 先程まで、大酒をかっ食らっていた環が威圧感たっぷりで壇上にいた。


「一同、ゆっくりと壁際へ移動しろ!そして、そこから一歩も動くな」


 有無を言わせない口調で環は場を仕切る。


 誰一人として逆らうことなく言われたとおりに従う。


 環は【風魔忍】の頭領の絶対服従の【覇気】──────────────【人間】【古族】にはリーダーシップを取る者に、他者へ何らかの影響を与える【気の力】を持つ者がいる──────────────を遺憾なく発揮している。


「私は【風魔】の頭領だ」


 それを聞いて、安堵の表情を浮かべる人たちが多数いる。


 知己の者もいるだろう、と環は言葉を紡ぐ。


「私は【医療忍いりょうしのび】だ。幸い、ここに私の弟子も連れて来ているので今から診察と治療に当たる」


 環は、刹那と久遠に動く者があれば気絶させてここへ留めておけと指示を出す。


 刹那と久遠は逃走妨害の為に、それぞれ出入口を固める。広い会場なので、出入口は横並びに5つ扉が並んでいる。


 藤子と十耶も助っ人を買って出て、4箇所の扉に見張りが付く。残り1つは臨機応変に対応ということで、とりあえず逃走経路は封じている。


 いつの間にか、環の側近くにショートヘアのメイドが立っていた。女性の給仕係はメイド服である。


 なぜ給仕係がというより、いつの間に環に近づいたと驚きの方が勝った。【風魔】の頭領に気配なく接近するメイド女に、環は警戒もせずに当たり前のように指示を出す。


「一応、息はある。毒を盛られたか、そうではないナニカを盛られたか《・・・・・・・・・》、後者なら検体を確保したい」


 了解とメイド女は答える。そして、数秒で後者のほうだと環に耳打ちした。


「環様、このタイプの【腹中蟲ふくちゅうむし】は【魔の者】が洗脳に使うタイプだよ」


 どうやら毒性のものではなさそうだ。


「梓、もう解析できたのか!仕事が早くて助かる」


 メイド女──────────篁梓たかむらあずさは【風魔】の【医療忍】で、環の弟子であり姪である。給仕係に変装して会場に潜り込んでいたのは、その容姿のせいだ。実は環の家系は美形一家だ。この梓もそれにもれず美形である。招待客として参加していれば騒動になるレベルの美人なのだ。


「洗脳に使うタイプは、最終的に洗脳相手を廃人か死に至らしめる………急を要するな」


 環は、幸い飲み物で口から嚥下して、胃袋に侵入したので脳へ移動するには今暫く猶予があると言い、扉の前に立つ刹那と久遠を呼ぶ。


 刹那と久遠は持ち場を離れることに躊躇なく、即座に環の元へ来る。


「【むし】が仕込まれている。急を要するから荒っぽく行くぞ」


 環は、省略しすぎな説明で手伝いを要求する。


「荒っぽくって………母上、何する気だ?」

「この人たち、偉い人たちなんだろ!何かあったらヤバいって!」


 刹那と久遠は、何をさせられようとしているか何となく察しがついた。


「四の五の言わずに、男なら腹くくれ!」


 そう言って、最初に行動を起こしたのは梓であった。


 拳を握りこんで、倒れている要人の1人に腹パンを入れる。


 元々気絶しているので、相手は苦痛を感じることもないだろう。少々見苦しいが、口から吐瀉物がある程度だ。吐瀉物は、乾杯直後なので水気のものしかない。それだけが外聞的にマシだ。


 いきなりの梓の暴挙に、壁際に押し留められていた者たちの間に避難の声が上がる。


 君は、今誰に暴行を加えたかわかっているのかねだの、その方は下々の人間の生殺与奪権を持っているだの、長い物に巻かれる人間のお決まりセリフが飛び交う。


「おだまり!」


 そう活を入れたのは葛葉である。


 この【宴】の主催者は、伊達に長生きしていない。彼女は、ある意味日本という国全体のフィクサー的存在である。


「吐き出したものをよく見やるが良い。アレは【人間ヒト】の精神を蝕み死に至らしめる危険物じゃ」


 葛葉の言葉に息をのむ者、ヒッと恐れ慄き悲鳴を漏らす者がある。


 遠巻きにそれを眺めていた十耶は、素朴な疑問を覚える。


(【医療忍】なんだよな?腹パンって………何で脳筋思考?)


 十耶の知る【医療忍術】は【治癒術】【回復術】と呼ばれる【鬼道】─────────────【呪術まじないじじゅつ】【陰陽術】などの【東洋魔術】のことを一括ひとくくりしてそう呼ぶ─────────────を駆使した【術】で治療や解毒をする。


 実は、【医療忍術】や【祈祷】の専門家の常識では【蟲】の排除は物理の力で行うのが正解なのである。【蟲】には【瘴気】や【魔素】という【オニの気】が含まれているので【鬼道】は【蟲】を成長させてしまうので悪手なのだ。


 かくして、葛葉の一喝の後は文句をつける者もなくスムーズに腹パン嘔吐をさせることに成功して、治療か暴力か何とも言えない作業は無事完遂した。

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