序章 後編

 宴会場が恐慌状態に陥っている時、少し離れた場所で殺気だった男が2人交戦している。


 片方は出入り業者の作業服姿で、もう片方は夜の闇に溶け込みそうな黒装束姿である。


「懐の物を渡してもらおうか」


 作業服男が言う。


 黒装束男は何かを庇うように、懐へ手を当てる。


「素直に渡す筈なかろう!」


 作業服男は、ここで姿を見られた以上元より生かしておくつもりはないと言うやいなや、短刀で斬りかかって行く。


 その身のこなしは、チンピラや通り魔のような素人のモノではない。


 キィン!ガッ!


 一合、二合、刃物で打ち合う音が響く。


 黒装束男の方も見掛け倒しではなく、なかなかの腕利きのようだ。相手の初動から刃物の軌道を先読みして防いでいる。


 単純に斬り合いの技量を比べれば、黒装束男のほうが抜きん出ている。しかし、例えば飛び道具などを使えば形勢逆転だ。


 作業服男は、袖口から隠し持っていた小型拳銃を手にしてトリガーを引く。


 ここは、稲荷葛葉の私有地で人通りも無ければ近隣住人もいない。銃声が響いても駆け付ける者もなければ、宴会場の人々にも聞こえるわけがない。


 黒装束男は、刀の斬り合いに拳銃を出してくることは読めなかったのだろう。致命傷だった。


 地に伏せて倒れる。まだわずかに息がある間で、自身の慢心を悔いた。


(刀の斬り合いで飛び道具を使う筈がないと決めつけていた………俺の未熟さが招いた結果だ)


 作業服男は、短刀を構えてゆっくりと黒装束男に近づく。手練の者なので窮鼠猫を嚙むの反撃を警戒する。


 伏した状態の黒装束男を足で仰向けに返して、ポケットから取り出したハンカチを広げて顔を覆うように投げかける。


 呼吸をすると口と鼻の部分が凹凸を繰り返すが、その様子はない。事切れていると判断して、作業服男は黒装束男の懐をガサガサとまさぐり目当てのモノを取り出す。


 手にしたのは、歴史博物館などで展示されてそうな巻物であった。


「これが【柳生武藝帖】!」


 作業服男は、やや興奮気味になっているので辺りが霧に包まれていることに気づかない。


 指示を受けたのは【柳生武藝帖】を奪うことだが、国家転覆を可能にすると噂のある巻物の中身が見たくなった。


 作業服男は、ゴクリと嚥下して巻物の紐に手をかける。


───────おや、それを開いていいのか?


 唐突にかけられた声にビクッとした。


 事切れている黒装束男を見る。息を吹き返したかと思ったがピクリとも動かない。


「脅かしやがって!」


 作業服男は舌打ちする。すっかり【柳生武藝帖】の中身への興味は削がれている。


 早々に立ち去るに限ると走り去って行く。


 しばらく走って、作業服男は違和感を覚える。


(おかしい………)


 一向に風景が変わらない。私有地なので風景に変わり映えがないのは否めないが、同じ所をグルグルしている感じがする。


 そして、それは確信に変わる。


 作業服男は馬鹿な、と声をあげた。


 黒装束男の遺体が転がっている。元いた場所へ戻って来たということである。


「一体、どうなっているんだ!?」


 そこで、ようやく辺りに霧が立ち込めているのに気づく。森林地帯なので霧は珍しくないが、自分の置かれている状況を顧みると不自然だ。


───────お前が埋めていかないから、成仏できなかったぞ。


 事切れたはずの黒装束男が、ムクリと起き上がる。


 作業服男は、驚愕に目を見開く。


(間違いなく奴は事切れていた!まさか………グール化したのか!)


 グール化というのは死亡した動物が蘇った場合に、そう定義づけられているが実証された例はない。漢字では【喰人種グール】と書く。完全な当て字である。


 実証例がないので、都市伝説というヤツだ。対処方法も知られていない。


 作業服男の背に冷たい汗が流れる。


───────もう一度、俺を殺して今度こそ埋めて行け。


 黒装束男は、作業服男に襲いかかる。


 驚きのあまり呆けていたせいで作業服男は反応が遅れたが、黒装束男の目的は攻撃ではなかった。


【柳生武藝帖】が引っ張られる。紐が緩んでいたので、シュルシュルと巻物が開く。互いに開いた巻物の端と端を握って引っ張った状態で対峙していた。


「巻物に執着して成仏できなかったのか?」


 何という執念だ【柳生一門】は皆こうなのか、と作業服男の頭にそんな考えがよぎった時、黒装束男はクスっと笑った。


「お前、単純だな」


 そうして黒装束男の姿がぼやけると、似ても似つかない別人の姿になった。


 その人物は、フランス革命を背景にした有名少女マンガの男装の麗人を彷彿とさせる華麗な美貌をしている。声の低さと長身から男であることは間違いなさそうだが、性別の範疇を超えた絶世の美形である。仕立ての良い高級品質のスーツ姿から、もしかしたら【宴】の参加者かもしれない。


「何者だ!」


「【風魔六番隊】元帥・篁桂たかむらかつらだ。お前は名乗る必要はない。雑魚の名など聞くだけ無駄だからな」


 美しい顔に反して辛辣なことを言う桂に一瞬、言葉を失っていた作業服男だが代わり映えしない風景と生き返った遺体が【幻術】だと解ると、態度が大きくなる。


【幻術】使いは【術師】にカテゴリーされていて、基本腕力が無きに等しい。【風魔】は【忍】なので【術】の他に【体術】も使うが、腕力に自身がないから頭脳労働の【術】を鍛えたという見解がなされている。


 つまり作業服男は優位にあると確信しているのだった。


 しかし、桂は【風魔六番隊】元帥と名乗っている。基本情報が通じる相手ではないというのを失念している。


 先に仕掛けたのは桂だった。


 巻物を力任せに引っ張る。【術師】の腕力を常識外れに凌駕する膂力(りょりょく)に作業服男は面食らって、脚をもつれさせ引っ張られるままになる。


 そして、桂は右脚を上げると作業服男の鳩尾に容赦なく膝蹴りを入れた。


 痛烈な蹴撃に作業服男は後方へ吹き飛ばされる。それでも【柳生武藝帖】から手を離さなかったのは執念だろうか。端と端を引っ張り合いをしていたのでビリっと真ん中部分が破れた───────────────正確には桂が7割、作業服男が3割だが───────────────互いに半分こした状態で巻物を手にしていた。


 桂は、形の良い眉をわずかに顰めて遠方に蹴り飛ばした作業服男がヨロヨロと立ち上がり、気力を振り絞って逃走するのを見送った。

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