第壹章  柳生武藝帖 裏柳生陰流・無刀剣①

 桂が葛葉を相手に人員の交渉をしている頃──────────────遙と十耶は対峙していた。


 遙が手合わせの場所に選んだのは、鬱蒼と木々が生い茂る林の中だった。木の高さが不揃いな辺りから、天然林か原生林だろう。


(【風魔】はゲリラ戦が得意だって聞いたことあるな)


 十耶は、【忍】について書かれた書物で読んだことがある部分を思い出した。


 林の樹木は障害物の役割を十分に果たしている。身を潜めてからの奇襲攻撃にはもってこいだ。


 自分に有利なフィールドを選んだのだろうか─────────────思い返せば、ここまで来るのも何かと煩わしかった。主に刹那・久遠兄弟がだが─────────────


 まず、遙の真後ろを歩くな死にたくなければと、大袈裟に脅され、常に5メートル以上の距離を空けて斜め後ろの位置を歩くことなど注文が多かった。


 十耶が若干のストレスを感じていると、梓が遙にスーツの上着を預かると言っているのを遙が断っているのが耳に入った。


「遙、ジャケット貸してよ持っててあげる。汚したら怒られるからね」


「ああ………着たままでいい。ハンデがないと大怪我させそうだからな。貴重な兵士だ。なるべく無傷で確保したい」


 十耶は、それを愚弄の言葉と受け取った─────────────実際の所、遙は伸び代があると思っているのだが、ここまでの過程が良くない。


「小僧、準備運動は必要か?」


「っ!必要ない!つか、俺の名は柳生十耶だ!」


 ずっと小僧呼ばわりを気にしていたようだ。


「名前を呼んでもらいたければ、技量で語れ」


 クールな外見に反して、遙は脳筋タイプだった。


「呼ぶ価値もねえってことかよっ!」


 言うや否や、十耶は右の正拳突きを出す。十分なスピードの乗ったその突きを遙は、事も無げに左の手の甲で軽く払い流す。


「【裏柳生陰流うらやぎゅうかげりゅう無刀むとう正剣突き】だな。スピードはあるが、速さに拘りすぎて突き技の力が弱い」


 遙は、技を受け流しただけでなくダメ出しまでしてくる。


【裏柳生】こそが現在の【柳生】の実態である。そして【陰流】というのが素手による【無刀の剣】と呼ばれる【剣術】である。


(【裏柳生陰流】を知ってるのか!それに【無刀の剣】のことまで………)


 十耶は門外不出の筈の【無刀の剣】の技が外部に漏れていることに、危機感を持った。そこに僅かな隙が出来た所へ、遙が鋭い左のハイキックを蹴り出して来た。


 十耶は紙一重で躱したが、圧が強かったのか掠めただけの頬に平手打ちを受けたようなヒリヒリ感がある。


 しかし、躱したかに思えたが遙の蹴撃しゅうげきは終わっていない。躱されて空振りした脚を戻すのではなく、軌道を変えて蹴り戻して来た。


(これは!【裏柳生陰流・双竜脚そうりゅうきゃく】!)


 十耶は信じられないものを見た。【裏柳生陰流】の奥義と呼ばれる蹴り技だ。技の名が頭に浮かんだ時には、モロに食らった後である。


 鞭のように柔軟に撓(しな)る遙の左ミドルキックを脇腹に蹴り入れられた十耶は、サッカーボールのようにふっ飛ばされた。


「わっ!危ね!」


 刹那は声を上げると同時に、地を蹴って跳躍すると、手近な樹木の枝に跳び乗る。


 久遠と梓も、同様に跳躍してそれぞれ別々に樹木の枝へ飛び移って吹っ飛んで来る十耶を回避している。


 この場所が林だったのが幸いか災いかは十耶にしか解らないが、刹那たちが跳び乗った樹木とは別の樹木に激突して、十耶はこれ以上ふっ飛ばされることはなかった。


「ゴホッゴホッ!」


 十耶は、直撃を受けた脇腹を抑えて咳込む。肋骨が数本折れたようだ。


 ハイキックには必須とされる柔軟性と、空振りした蹴り脚を勢いを保ったままスムーズに戻すという完璧な【裏柳生陰流・双竜脚】を身に受けて、改めてこの技が【禁じ手】とされている訳を理解する。


 遙は、服装はハンデと言っていたが言葉通りだった。スーツ姿では本来の技の力より3〜4割減るだろう。それで、このザマだ。格闘衣だったらと考えると背筋が寒くなる。


(格闘衣だったら、確実に内蔵がぶっ壊されてる!)


 しかし、十耶が怪我をして終わりでは済まなかった。


「梓、【治療】してやれ。肋骨が5本折れてる」


 綺麗にポッキリと折れているから【治癒術】で簡単に治せると遙は言った。


 梓は「かしこまりー」と言って、樹木からフワリと飛び降りて十耶に近寄ると、折れた肋骨に手を翳す。


 十耶は脇腹の辺りがホワッと温かくなるのを感じる。【忍】の【治癒術】は自己修復や再生機能を促進させるので、温かくなっているのは代謝が上がっているのだろう。


(この人………ちゃんと【治癒術】使えるんだな)


 結構失礼なことを考えているが、十耶はあの脳筋な胃洗浄を見たのでそう思うのも致し方ない。


「はい。治ったよ。何回でも治してあげるから、がんばってね」


 梓の言葉の意味が十耶には解らない。


「え………何回でも治すって、どういう………」


 十耶の言葉は最後まで言えなかった。遙が常識では考えられないことを告げたからだ。


「第2R開始だ」


 遙は、ゴングの代わりに胸の前で指をポキポキ鳴らした。


「え………いや、俺一応さっきまで怪我人だったんだけど………」


 十耶は、えっこの人まだやる気なのか、と頬を引き攣らせている。


「治っただろ。梓の【治癒術】は【治癒忍】の中でも五本指に入る。どこにも不具合はない筈だ。お前にはまだまだ【裏柳生陰流】の【剣術】を受けてもらわなければな」


 遙の目は本気の目である。左眼が眼帯の遙の姿が、十耶の先祖の【柳生十兵衛】と被る。かつて【柳生十兵衛】と対決した者たちは、今の十耶のように『蛇ににらまれた蛙』の気持ちだったに違いない。


(あんな危険な【剣】食らったら、再起不能にされる!)


【無刀剣】は突き技や蹴り技だが、【剣】として認識されるのである。


「アンタ………何で【裏柳生陰流】奥義が使えるんだ?」


 十耶の頭を過ぎったのは、既に過去の人となった奥義取得者から【剣技】を盗んだという考えだった。門外不出である以上、それしか考えが及ばない。


 その思考を否定するように梓が声をかけた。


「キミ、良くない事考えてるね」


「!」


 十耶は、心を読まれたのかと身構える。【忍】の【忍法】か【忍術】にそういったものが存在することを父親から聞いたことがある。


「思考は読んでないよ。キミはわかり易く態度に出過ぎなんだよ」


 梓に指摘されて、十耶はそんなに感情むき出しにしていただろうか、と思い悩む。


「別に秘密にしてる訳じゃないから教えてあげる。遙と私は、【柳生】の元門下生だよ」


「!」


 梓の告げたことは、十耶にとって衝撃的だった。


「今日のパーティーだって、石周斎師匠せきしゅうさいせんせいの曾孫君の成人前お披露目会だって聞いたから、遙と私は参加したんだからね!」


 ツンデレっぽい梓の語尾より、曾祖父を師匠と呼んでいることの方に十耶の関心は向いている。


(曾爺さんの弟子?なのか?)


 十耶には疑問がある。遙と梓の年齢的には既に曽祖父は隠居後で祖父が道場主だった筈だ。曽祖父は現在も健在である。最後の弟子というのは強引な考えだが有りだろうか。


「あっ!てことは、あのエラそうな男が最初の【無刀剣】免許皆伝の伝授者!」


 十耶は、盗人ではなく本人だったのか、と疑ったことを少し悪かったと思った。


【無刀剣】は【柳生道場】では不人気だ─────────────門下生は【柳生】【裏柳生】合同で誰が【裏柳生】かわからない─────────────そもそも【剣道】【剣術】を習いに来ているのに、素手の格闘技を習う意味がわからないというのが理由だ。ど正論だ。しかし、【柳生無刀取り】は人気技である。所謂いわゆる【真剣白刃取り】だ。中二病心のようなものを刺激されるのだろう。


 それ故に【無刀剣】の使い手は十耶を含めて、過去に免許皆伝を伝授された元門下生の2名だけだ。


 十耶は、腹を括った。痛いのは嫌だが、免許皆伝を受けた者からは学ぶことが多い。


(怪我しても、幸い腕のいい【医療忍】がいるから再起不能の線は消えたな)


 十耶は、ここへ来て梓の【医療忍】としての資質への疑惑は失くなっている。


(顔つきが変わったな)


 遙は、梓と十耶のやり取りを黙って聞いていたが、再戦に対して及び腰になっていた十耶の眼に戦意が戻ったことに多少、スパルタでもいけそうだなと物騒なことを考えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る