第壹章   柳生武藝帖 陰謀の巻⑥

 藤子は【柳生武藝帖】に目を通し終えると、改めて礼を述べる。


「破損しているとはいえ、これだけで【柳生武藝帖】一巻の内容が理解できる。よく取り返してくれた」


 先程の環とのやり取りで、取り返したのは桂だということが解っているのだろう。藤子は桂に向けて軽く頭を下げた。


「巻物の片割れを持って行った奴に【式神しき】を付けて泳がせた」


 後は、そちらで引き継いでくれと言って桂は【呪符】らしき物を藤子に渡した。


 うむ、肯定の意を示してそれを受け取る藤子に事の成り行きを見守っていた十耶が口を挟んだ。


「母上、丸投げされてるじゃないか!この場合、【使い魔】の行き先を突き止めるまでするだろ!普通………」


 十耶の言う【使い魔】とは【式神】のことである。使用者によって言い方が変わる。因みに、僧侶は【護法ごほう】と呼ぶ。


 久遠は、十耶の言葉に対して「あー………それ言っちゃう」とどこか諦観した表情をする。


「余計なことを言うな!この人に普通とか常識とかは通用しない!」


 刹那は、なぜか人たちと複数形だ。


 藤子が丸投げされて何も反論しなかったのは、まさにそれが理由である。


「刹那よ、人のことを非常識人のように言うな」


 環が息子を窘めるが、刹那の言う人たちの中に当然、環も含まれている。


(非常識人の中に、環様も含まれてるんだけど………言わないほうがいいね)


 梓は黙秘することにした。聡い彼女は、自身も含まれていることを理解している。


「これ以上タダ働きさせられてたまるか!」


 洸に至っては、僧侶とは思えないような銭ゲバ発言をしている。


 遙は、十耶を【柳生】の小僧と呼んだ。


「俺が指揮する【二番隊】は、任務に当たる時に外部から【傭兵】を雇うことが多い。お前は【傭兵】をする気はあるか?」


 遙の提案は、十耶が傭兵として指揮下に入れということである。しかし【柳生】は国家から【侍】の称号を賜る一族だ。故に【忍】に【傭兵】として雇われるというのは屈辱的なことだ。


 それを聞いて環は腕を組んで思案する。


(現状、葛葉太夫はいい面の皮だからな。早急に下手人を挙げて名誉挽回しておかないと、彼女の沽券に関わる)


 環は葛葉のことを太夫と呼んでいる。中世の日本では高貴な位を太夫と称したので───────────────葛葉は中世辺りから健在と推定して───────────────この呼び方は敬意を払った呼び方だ。


(葛葉太夫の依頼を遂行する部隊に【柳生】を雇い入れて、共闘しようと持ちかけているわけだが………まだ小僧っ子ガキの柳生Jrには、そこまで読めんぞ)


 環は十耶の表情を盗み見て、これは反抗する目だと予想し遙はどう出るか期待する。こういった反骨精神の人間は、遙は嫌いではない。むしろ何が何でも従わせようとするはずだ。


 桂と梓は、環が悪戯を考えついた子供がするような笑みを浮かべているのに気づいた。


〘環様………完全に面白がってる!〙


 梓は、遙を見る。


(【柳生】の坊やに傭兵やれとか挑発的なこと言って………戦闘狂というより戦闘中毒だよ)


 一戦交えないと収まらないと確信する。


 桂は【式神】の行方でも追っておこうと、手近な位置にある水差しを見る。


【忍法・水鏡みずかがみ】─────────────水面をディスプレイにして映像を映し出す【忍法】である。


 藤子に【呪符】を渡しているが、【式神】を放ったのは桂なので繋がりは継続しているのだ。


 一方、十耶の脳内では遙に言われた【傭兵】という単語が渦巻いていた。


【傭兵】─────────────人を庸って兵にするという意味だ。


(【忍】に雇われる………俺が?)


 ようやく理解が追いついた頃には、食ってかかっていた。


「ふざけるな!【侍】が【傭兵】なんかやるわけないだろ!」


 それに対して反応したのは刹那だった。


「お前は今、全世界の【傭兵】を敵に回したぞ!」


 刹那は【風魔】の正式な【忍】ではない。母親の環が頭領で─────────────因みに父親は副頭領である─────────────家族構成を見れば【風魔】の血筋ではあるが、【フリーランス】なのだ。


【フリーランス】は臨時雇いや契約雇いなどの所謂いわゆる【傭兵】である。


 ここで【傭兵】に対して格差発言は失敗だった。


「現役の【傭兵】の前で、『』は喧嘩売ってる発言だな」


 洸の言ってることは正しいが、どこか他人事─────────────実際に他の人の事なのだが─────────────で止める気がない。


 久遠は、頭を抱える。


「マジかー!この2人の喧嘩、収まりつかねえぞ。そんな場合じゃないだろ」 


 因みに、久遠は【風魔・九番隊】所属で副隊長の立場にある。止めに入った所で【傭兵】の気持ちがわからない奴は引っ込めと言われるオチしか見えない。


 その時、室内で風が吹き上がる現象が起こった。


「!」


 環は、遙に視線をやる。この現象を起こした張本人だ。


【忍】は【闘気】を漲らせた時、その者の【固有属性】─────────────生来持つ【チャクラ】の性質──────────────

の特徴を表す現象を起こす。


【属性】というのは【木火土金水もっかどごんすい】の【五行相剋ごぎょうそうこく】のことだ。


 遙は【金属性】で【風】の現象が起こるのだ。しかし、風が舞う程度の吹き上げは【闘気】としては弱い。本来なら竜巻が起こるぐらいが【闘気】なのだが─────────────この程度の【闘気】では舐めてかかられる。


「【柳生】の小僧、表に出ろ。貴様が馬鹿にした【傭兵】がどの程度のものか教えてやる」


 そう言うと、返事も聞かずに遙は扉を開けて出て行った。


「返事も聞かずに出て行きやがった!」


 十耶は、先程から小僧呼ばわりで失礼な奴だと遙に良い印象がなかったので、その喧嘩買ってやるといった勢いで後を追うように出ていく。


 喧嘩になりそうだった刹那は置いてけぼりを食った形だが、その口元は笑っている。


「天狗の鼻、へし折られて来い!」


 刹那は、そう言いながら久遠を連れて外へ出る。野次馬をする気だ。


「梓、お前も行って来い。怪我を治す者が必要になりそうだ」


 洸が梓に後を追うよう促す。


「えー………私が行って大丈夫?刹那と久遠なら先輩後輩の仲だから、遙にボコられた所見られても傷は浅いと思うけど………女の前でボロ雑巾みたいな姿晒すのって屈辱だよ?」


 梓の口ぶりでは、遙の圧勝が確定しているようだ。


(女という自覚あったのか………)


 桂は【水鏡】を見ながらも、耳の方は周囲に向けていたので会話はすべて聞こえている。


 渋る梓に洸が説得になっていない説得をする。


「遙がうっかり相手を半殺しにしたらどうするんだ?【柳生】と敵対してしまうぞ。しかし、半殺しにしてしまっても、その場に優秀な【医療忍】がいて完治させたら問題ない!それどころか、恩に着せて謝礼を頂く方向へ俺なら持って行く!」


 金銭に対する洸の執着に梓は、ブレないねと思いながら前半の半殺し部分は納得のいく理由だったので、「後で、いちご大福とみたらし饅頭を貢ぐこと」と言い渡してから梓も外に出て行った。


 一連の様子を眺めていた環は、藤子に止めなくていいのかと聞く。


「いいのか?トラウマになったら後が大変だぞ」


「トラウマになるほど痛めつける気なのか?遙は」


 藤子は、大人の遙なら手加減するだろうと考えていたからこそ、圧倒的実力差があるにも関わらず止めなかった。


「十耶は、【柳生】の中では同年代の門下生には負けなしで少々、天狗になっている所がある」


 それでも藤子が相手どれば、まだまだ藤子に軍配が上がるし、大人の門下生には赤子の手を撚るような力量差があるので驕り高ぶってはいないので、経過観察している状態だった。


 そこへ葛葉が会話に入って来る。


「【殲滅公せんめつこう】と呼ばれる【伝説の傭兵】が手解きしてくれるのじゃ。むしろ誉れではないかえ?」


 クスクスと葛葉は笑う。最古の【古族】の一人が悪戯を成功させた無邪気な少女のように見える。


 流石は長生きしているだけあって、遙が非公式にしている経歴や異名ふたつなを知っている様子に環は内心、この女が【御稲荷明神】本人ではないかと思ってしまう。


 環の推測を知ってか知らずか、葛葉は桂を指して「あちらは終わったようじゃ」と言った。


「さて………何が見えたのかのう?」


 葛葉には、桂がコッソリ【水鏡】を使っていたことがお見通しであった。


 そして、もう1人──────────────洸も桂が【水鏡】を使っていることに気づいていた。しかし洸の場合は【水鏡】を含めた【四鏡しきょう】という【忍法】を創作したのが洸だからという理由で、作家が印税を貰うのと同じように創作者が使用された【忍法】の位置情報を得られるという恩恵がもたらされる。


【忍法】【忍術】は創作して広めるのも秘匿するのも、創った者次第である。洸は、金銭に執着しているので、創作した【忍法】【忍術】を巻物にしたりデータ化─────────────現在は紙の書籍よりダウンロードするデータのほうが嵩張らないので、データ化が主流だ。【術式】をデータ化とはシュールな話だが──────────────したりして販売している。余談だが、洸が【裏高野】の【権中僧正】という高位僧は公表されているので結構買い手がいる。ただし、購入はできても使いこなせるかは別である。


【忍法】と【忍術】の違いは【忍法】は無属性で【忍術】は【五行】の性質という属性があるという点だ。洸は【竜神】と【竜王】の恩恵を受けているので【竜神】の水性と【竜王】の木性を生まれつき持っている。


 そこで、洸の【忍法】【忍術】を購入しても使いこなせるかどうかの話だが、何度も出ているが洸は高位僧である。故に彼が創作する【忍法】は難易度が高い。そして【忍術】には性質があるので前提が【水遁】と【雷遁】のいずれか──────────────木性とは雷のことである。【忍術】の販売は初級しか販売していないので【水遁】単体と【雷遁】単体になる。洸も自身が使用しない【火遁】【風遁】【土遁】まで創作する気はない。初級しか販売しないのは、初級をマスターしたら中級以上は独力で何とかしろ他力本願良くないという意思表示だと洸の談である。


 さて、葛葉に【水鏡】を使っていたことを指摘された桂だが、気づかれることは想定内だったようで「女狐に話す義務は?」とたずねる。


わらわは【使い魔】を貸し与えたはずじゃ」


 葛葉の【使い魔】は、今は桂のふんわりした髪の中にいる。あろうことかスヤスヤ眠っている。幼体なのでおネムの時間なのだろうが、これで【使い魔】の役割が果たせるのか疑問である。


「早寝早起きの幼女を寄越されても、いざという時に使えなければ意味がない」


 桂は、葛葉に【眷属】を寄越せと詰め寄る。


【眷属】とは葛葉の配下の【古族】のことだ。【妖孤族】には【五色妖狐ごしきのようこ】と呼ばれる葛葉に次ぐ【妖力】の高い者たちがいる。


「寄越すのは、例のやらかし小僧で構わない」


 桂の要求は、斜め上だったようだ。葛葉は、彼女にしては珍しく呆けた表情をする。


 絶世の美女は呆けた顔も美しいなと、桂が感心していた所で葛葉は声を立てて笑う。


 まるで無邪気な少女のような様子に、桂と洸はドン引きする。推定年齢99◯才以上の女性が、鈴が転がるような笑い声というのが怖い。まるで怪談だ。


「百物語のネタになりそうな笑い方しやがって、怖いからやめろ!」


 桂の言葉に、「桂も洸もガチで恐怖を感じたな」と環は呟く。流石に年長者だけあって、葛葉の笑いの意味を理解していた。


(桂のやらかし小僧を寄越せというのは、はっきり言って失言だ。葛葉太夫に攻撃される覚悟の上での発言だったが………)


 環も葛葉が笑い飛ばすという反応は、予想外だったが【妖孤族】にとっては、もはやお荷物以外の何でもないくだんのやらかし小僧を桂が今回の作戦に使ってやると、提案した意図を理解したら確かに笑うしかできない。


 葛葉は、笑うのをめて「好きにせよ」と言った。


「その【使い魔】も貸してやろうぞ。何、サービスじゃ」


 葛葉がわかり易く上機嫌の時には、これ以上の要求は通らないが今回は【柳生】と協力することになるので、人員の数は十分だろうと、環は考える。


(最も………遙があの小僧ガキを怒らせたままでは、先の見通しがたたんがな)

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