第貮章   水戸の傾奇男②

 国王が実子のを暗殺させた────────────────────衝撃の事実に室内が静まった時、それを見計らったように低い声が話しかけて来た。


「3人とも、ヤバいことを知ってしまったようだな」


「!!!」


 刹那、久遠、國光は、身構える。どこから奇襲攻撃されても対応出来るように、3人背中合わせの立ち姿勢を取る。


 そこへ「足元がガラ空きだ」と、國光の爪先のほうの畳がこちら向きに畳返しされる。


「!」


 立てた畳の向こうで低姿勢なのだろう。國光からは相手の姿が見えない。刹那、久遠も立ち位置的に畳の向こう側の人物が見えない。気配があるので人がいるのは間違いない。


「ええい!まどろっこしいのは、でえきれえだ!」


 國光は、短気にローキックで畳を横殴りに蹴り飛ばした。


 そこに身を屈めていたのは桂だった。


「!………桂…」


 國光は敬称まで言うことができなかった。


 桂は、両膝を着いた姿勢から國光の胸の部分の布を左手で掴み、右手で國光の左足首から踵を救い上げると、自身の右脚を國光の左足首に掛けるように股下へ入れて立ち上がった。その足元には國光が大の字に転がって呆然としている。


 國光は、師匠の桂との意外なシチュエーションの再会から一転して床に転がされていた。両足を地に着けて立っていたはずが、桂に胸元を掴まれ左足を掬い取られ一瞬で投げ転がされていた。


 投げられたと頭で理解した瞬間に感嘆の言葉が國光の口をついて出る。


「すげえ!桂さん、今の投げ技カッケー!」


「アンクルピック………」


 刹那がボソッと今の技の名を呟いている。


 レスリングや柔術で、相手を引き込んでから素早く足を掬いひっくり返し、抑え込みや関節技に持ち込むのでメインと言うより繋ぎのような技だが、柔道では朽木倒しと呼ばれる1本勝ちが取れる技でもある。体力の消耗が少なくて済むので使い勝手が良い。


「さっきの声、遙さんだっただろ!まだどこかに潜んでる筈だぞ!」


 久遠は、声で遙だと見当がついていたが現れたのが桂だったので気を抜ける状況でないことを示唆する。


 それを否定する声がかけられる。


「俺は、ここだ」


 遙は天井に逆さに姿を見せている。


「………………」


 リアクションしづらい登場である。


 遙の方もリアクションは求めていない様で、ムーンサルトで床に着地する。


「おお!見事なムーンサルトだ!」


 國光は、【忍】っぽい着地に興奮している。


 しかし、遙は着地した─────────────────────実は、天井から床までの着地距離まで回転したらムーンサルトになる─────────────────────だけである。歓喜している國光には言わないほうがいい。


「お前たちが全然気づいてくれないから、頭に血が下がってちょっと気持ち悪いではないか」


 遙は淡々とした口調で責め文句を口にするが、責める気はないようだ。


「そんなことより………遙さん、ヤバいことを知ってしまったって言ったよな!」


 刹那は、遙の状態は結構どうでもいい。むしろあんな態勢でいるから悪いのだと思っている。


「刹那………『そんなこと』は言っちゃダメだろ」


 久遠は、一応咎めるポーズだけしておく。内心は刹那と同じである。


 遙は、実は気持ち悪いと言ったのは嘘である。頭に血が下がるのは物理的に当然なのだが、【忍】は一定時間は上下逆姿勢でいても平気なように鍛錬している。なぜそんな嘘をついたのかは、遙は呼吸をするように嘘をつくからという性格的なものだ。


「王子の病死が偽りで、真相は暗殺だと知ってしまったようだな」


 遙の言葉に、頷くことも首を振ることもできないでいる。その暗殺の実行者の候補だからである。


 返事をしない3人に対して遙は、特に気を悪くした様子はない。あまり表情豊かな人ではないので、こんな時わかりにくい。


 見かねた桂が、助言する。


「遙、意地悪しすぎだ。お前たち、安心しろ。遙はやってない」


 それを聞いて刹那、久遠、國光は安堵する。思っていた以上に緊張していたようだ。刹那と久遠は、背中が冷や汗びっしょりの感覚がある。國光は今の所は遙と敵対することがないと判り一安心である。


 しかし桂は、油断できない、と続ける。


「あの柳生宗典が、そんな重大な秘密を盗み聞きされていることに気づかない筈がない」


「ミッツ、お前………盗み聞きして以後、妙なことはなかったか?」


 遙の質問に、國光は腕を組んで思案する。


 國光は、自他共に認める傾奇者かぶきものである。派手を好み厄介事には自ら首を突っ込む。日常的に妙なことと隣合わせである。改めて妙なことを問われると答えられない。


 その様子を見て、國光に聞いても埒が明かないと判断した遙は、刹那と久遠にお前たちは何か知ってるか、と視線を向ける。


 少し考えて、刹那は思い当たることがあった。


「………!ミッツ先輩、時期的に桃と付き合い始めた頃じゃねえか?」


 言われてから國光は、おおー、と思い出した表情をする。


「そうだった!成人して、オトナの魅力が備わった俺を見直して桃ぴーはようやくOKしてくれたんだ!」 


「ストーカー行為ギリギリのところまでしつこく付き纏ってた割に、付き合い始めた時期は覚えてないのか」


 久遠は呆れている。


「女の子は、記念日とか色々面倒くさいから、そういうの覚えておいたほうがいいぞ。ミッツ先輩」


 久遠は、意外にも女心に聡い。


「カワイイ女の子3人侍らせる男は言うことが違うな」


 國光は、久遠を揶揄からかうようにニヤけた笑みを浮かべている。


「今は、久遠が女子をたらしこんでる話じゃない!」


 刹那が質問の続きに話を戻そうとしているのに対し、不本意な言われ方をした久遠は「女ったらしじゃねえよ」とボソッと否定するが、話の腰を折る気はないらしく、それ以上は続けなかった。


五月乙桃さおとめももって【伊賀】の【忍】とミッツ先輩が付き合い始めたのが、成人式典の後だ」


 刹那が遙に言う。それほど詳しくはないが、簡単な略歴を話した。


「五月乙………【百地ももち】の【くノ一】だな」


 遙は、【姓】のほうで素性を言い当てる。流石は【隠密】だけあって持っている情報量が刹那とは違うようだ。


 刹那は「えっ!【伊賀】とは違うのか」と言っているが、刹那の情報も正しい。


 久遠は中隊規模の副隊長をしているだけあって、そこそこ解っているようだ。


「【伊賀】は【つば隠れ】【百地】【藤林ふじばやし】の3グループに分かれてるんだ」


 その程度しか知らない、と久遠は自己申告して後の説明を遙に求める。


「【鍔隠れ】は【徳川】【御三家】などに【御庭番衆】を派遣している所。【百地】は【くノ一】集団。【藤林】は不穏な連中。以上」


 遙は、大雑把に説明した。最後の【藤林】は大雑把で済ませて良いものではなさそうなのだが、國光の件とは関係ないので遙は説明を極端に省いた。


「今から國光にデリケートな質問をする。恥ずかしがらずに正直に答えるように」


 桂の言葉に國光は怪訝な表情をする。そして、次の瞬間には赤面する。


「國光、五月乙桃嬢と交尾したか?」


 桂は、國光の初心うぶな少年みたいな反応に、いささか直球すぎただろうか、と反省はしていないが言い方は配慮するべきだったと思った。


 桂の直球すぎる質問に、國光は照れて返答に困っていた。


 傾奇者を自称していても、恥じらいはあるらしい。遙は、反応を見れば一目瞭然だな、と察した。


 刹那と久遠は、質問の趣旨がわからないがこの場にいては話しづらいのではないかと考えていた。


「あのー………俺たち、その…」


「部屋にいないほうがいいかな………」


 刹那と久遠が気を利かせているのはわかるが、桂はこれ以上はデリケートなことを訊く気はないので、その必要はないと言った。


「國光、お前は暫く【水戸】に帰るのはやめておけ」


 桂の言葉に國光は、少し拍子抜けした。【柳生】の回し者かもしれない桃と別れろと言われると思っていたからだ。


「【水戸】に帰らないだけ………それだけでいいのか?桂さん」


「俺が、までして恋仲になった娘と別れろ………などと野暮なことを言うと思ったか?」


 桂は、久遠からの情報をどこまで信用しているかわからないが、ストーカーの下りを強調していた。


 そして、遙が國光に【柳生】の関係者と接触した時は普段通りに振る舞うように言う。


「柳生十耶を鍛えるという名目で俺が預かることになっている。宗典師匠せんせいにとって孫が、どの程度の価値になるかわからんが【柳生】からすれば、人質を取られているようなものだ。下手な手出しはできない」


 遙は、成り行きとは言えあの小僧、人間不信にならなければ良いのだが、と内心で思った。


 誰も卑怯とは言わない。桂、刹那、久遠は【忍】だ。状況を見て臨機応変に対応するのは基本である。國光は、本来はこういう手段は嫌いだが自身が原因なので反対できない。

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