エピローグ -b.


 その晩、私はいつになく緊張していた。


 やばい。

 割と……いや、かなりやばい。


 というのも、今夜ジュリアスが私の部屋に“渡りに来る”からだ。


 つまり、朝まで二人で、ついに最後まで……ということ。


 先の騒動が片付いて、グスタフもグランセアに帰郷し、そろそろ元の生活に戻り始めた月初め。

 はっきりと言われたわけじゃないけど、色々な雰囲気から察してしまった。

 具体的には、その日のタニアのベッドメイクの気合の入りようとか、ジュリアスの何気ない言動とか、他諸々の在りようから。


 夜伽。


 今までなあなあで先延ばしになっていたけど、ようやく私たちはねやを共にする。


 知らない仲じゃないし、それなりのスキンシップだって経ているんだから、ガチガチになる必要はないってわかってる。


 わかってるけど……やっぱり胸の鼓動が抑えられない。


(あぁっ、落ち着け……落ち着け、私……! この日のために『予習』だってしてきたんだから……!)


 実を言うと今日に至る数日前、私はリリィを屋敷に招いて色々と教えてもらっていた。

 その……寵妃の愛され方について。

 どうすれば男の人がよろこんでくれるのか。

 どうすれば『そういう場面』で魅力的な女に見えるのかを。


 ちょっと恥ずかしい……そして、相当馬鹿な相談をしてしまったと思う。

 今思い返してみると、あれはない。

 どんなに仲のいい友人でも、こんなこと聞くのは……切羽詰まりすぎだ、私。


 そんな馬鹿な私の頼みに対し、ありがたいことにリリィは二つ返事で快諾してくれた。

 彼女の夫であるエリオットが対魔力のブローチで回復したこともあって、彼女の憂いは何もなくなり、頼むこと自体に気兼ねはなかった。


 なお、先の事件に関して、サラドゥアン伯爵家にとがが科されることはない。

 当然だけど、数々の問題行動はディートリンデが単独で起こしたこと。

 ディートリンデがエリオットの血を飲んでいなかったこともあって、まだ完全に婚姻関係になく、エリオットは無関係だとみなされた。

 そのこともあり、リリィは重い枷から解き放たれたように終始晴れやかな笑顔で、喜々として私に教示してくれた。


 ちょっとはしゃぎすぎだった感もあるけど。




「一言で言うなら、肝要なのは殿方に媚びることですわ!」


 リリィは私の頼みを聞くなり、興奮した様子でそんな持論を語ってくれた。

 彼女いわく、夜伽で一番大事なことはそれらしい。


「殿方というのはだいたいが支配欲を秘めているもので、『この女は自分だけのもの』というシチュエーションに弱いのです。ですからソフィア様は小手先の技巧より、まずはとにかく公爵に従属感をアピールするのがよろしいかと。『ずっとお傍で可愛がって下さい』、『あなたの好きなように躾けて下さい』──そんな台詞を耳もとでささやけば、きっと公爵も燃え上がること間違いなしですわ!」


(……って)


 できるわけないでしょうが! そんな恥ずかしいこと!


 叫びたくなる衝動をぐっとこらえて、私はリリィに尋ねる。


「で、でもね、ジュリアス様はそういうのが嫌で、他の寵妃を娶らなかったらしいんだけど……」


 エルネスタが血の支配に取り込まれ、盲目的にジュリアスに付き従うようになってしまったからこそ、彼は寵妃を持とうとしなくなった。

 それなら、彼にとって媚びる台詞は逆効果じゃないの、と思う。


「それはそれ!」


「……ぉう」


「これはこれ、ですわ。夜の営みはまた別なんです。むしろお互いのことをわかりあっているからこそ、どんな淫らな言葉も、どんなはしたない姿も、興奮のスパイスに変えてしまえる。愛し合う男女というのはそういうものなのです。大丈夫、凛々しいソフィア様が乱れるお姿は、いつもよりずっと魅力的に映るはずです!」


 すごい。

 実感こもってるなぁ……。


「あの……一つ聞くけど、リリィの旦那さん……エリオットさんもそうなの?」


 私の問いにリリィはポッと赤面し、頬を両手で押さえてから「秘密です」と、はぐらかした。




 そして、夜。




「何だ。珍しく緊張してるのか」


「それは……しますよ」


 珍しくというか、久しぶりにというか。

 部屋を訪れたジュリアスに、一目見るなり苦笑されてしまった。


 まあ、でも。

 そんな姿を見られても、恥ずかしいという思いはない。

 緊張してますと面と向かって言えるあたり、私たちの関係も随分変わったと思う。


 ただ、そんなことを考えているうちに、ジュリアスの瞳は私の眼前にまで近付いてくる。

 

「あ、あのっ」


「どうした」


「体を……支えきれません」


 ジュリアスは私を抱きしめ、そのままゆっくりと全体重を預けてきた。

 男の人の重くて厚い身体に、後ろに倒れ込んでしまいそうになる。


 倒れる先の足もとにはベッドがある。

 だから、このまま押し倒すつもりなのはわかってるけど、反射的に耐えようとしてしまうのが私の悲しいさがというべきか。


 そこで、つい、と背中をなぞられた。

 「んっ」と声が漏れて、彼の望むままに身体が従う。

 ベッドに仰向けになり、髪が放射状に広がると、その上にジュリアスが覆いかぶさってくる。


「ソフィア」


「……はい」


 名前を呼ばれる。

 瞳が真剣さを帯びていた。

 単に高揚感にまかせて事に及ぶのでない、何か言いたげな空気を察し、私は彼を見つめ返す。


 ジュリアスは言う。


「これから先、何があろうと俺はお前とともにある。いいな……それだけは変わることのない、たがえようのない事実だ」


 できるだけ早く言っておきたかった。

 ジュリアスは恥ずかしげにそうつぶやくと、表情を隠すようにして、私の胸に顔をうずめてきた。


 想定していたのとはちょっと違っていた。

 激しく乱れるような交わりではなく、あくまでも真摯に思いの言葉を聞かせてくれるジュリアス。

 素直で、涼やかにさえ思えるその気質も、また彼の一面であることを私は知っている。

 

 愛おしい。

 私の前で、そんなふうに素顔を見せてくれることが、ただ嬉しくて。


 私は胸の中のジュリアスを両腕で包み込んだ。


「はい。ずっと、いっしょです」


 飾らない言葉で返すと、「ありがとう」の代わりに強く抱き返してくれた。


「……誓おう」


「私も……誓います」


「お前のためなら、俺は万能であることを」


「あなたのためなら、私は何にだってなれます」


「お前の望むままに、すべてを」


「あなたを守る騎士にだって、残酷な悪魔にだって」


 申し合わせたわけでもなく、どちらともなく自然と言葉を交わし合った。


 そうしてひとしきり抱きしめ合った後、ジュリアスは私の胸に手を置く。

 「まだ、緊張しているか」という問いに、私はうなずいて返事をした。


「だって、初めてのことですから。こればっかりは……どうしようもないです」


「……そうか」


 改めて言われると、余計に意識してしまう。

 結局、リリィが教えてくれた『淫らに媚びる台詞』の一つも言えてない。

 上体を起こし、どうしたものかとこちらの額をなでるジュリアスに、特に何も考えず私は言った。


「あの、優しく……してくださいね」


 そこでぴたりと手が止まり、彼はふっと顔を背ける。

 心なしか頬が紅潮して見えたのは気のせいか。


「お前……それは反則だろ」


「え」


 問い返す暇もなく顔が重なり、唇を奪われた。

 柔らかな感触。すぐにそれは侵入する舌先によって甘い痺れとなり、全身に伝播していく。

 

 しばらくの間、溶けるように舌を絡ませ合った後で、ようやく彼は顔を離す。


「──ぷはっ。あっ、あの──」


 さっきまでとは一転、ジュリアスはいたずらっぽい笑みを見せてささやいた。


「まったく……俺をその気にさせたんだ。今夜は、覚悟しろよ」



 私たちの長い夜は、まだ始まったばかりだった。




 <fin.>

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あなたの寵妃でかまわない ~騎士令嬢は吸血公爵に溺愛される~ 龍田たると @talttatan2019

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