第9話


 サラドゥアン伯爵家の当主は、名をエリオットという。


 エリオットは歳若く、爵位を継いだのもごく最近のことであるらしい。

 人間の年齢に換算すれば成人前で、執務を行うのも先代からの執事が主体でやっているとルーファス王子から聞かされた。


 そんな駆け出しの当主であるがゆえ、彼は囲う寵妃も先日までは一人のみだったとか。


 ただ、駆け出しなのを差し引いても、エリオットは吸血種にしては珍しく、もともとその一人以外に寵妃を置くつもりはなかったそうだ。


 というのは、その一人の寵妃とは純然たる恋愛感情から婚約に至ったから。


 寵妃となりうる者は、当然、生まれながらの吸血種も含まれる。けれど、吸血種どうしでも、男性優位で政略結婚が常の彼らの社会で、最初から両想いの男女はそういない。


 そんな仲睦まじい伯爵夫妻のもとに、いるだけで他者を誘惑する『魅惑の姫君』がやって来る。


 そうなればどうなるか。

 察しの良くない私でもわかる。


 かくして、サラドゥアン伯エリオットはディートリンデに心奪われ、愛し合っていたはずのリリィ嬢は実質的に第一寵妃の座を蹴落とされる。


 それでも主人の心変わりを信じられないリリィは、馬車を走らせ単身今日の夜会に乗り込むまでに至る。


 しかし、いざとなってみると頼れる者もいない状況、心細さと不安だけが彼女の胸を満たしてゆく。


 そうしてリリィは今までの優しかったエリオットのことを思い出しているうちに、感情を抑えきれず泣いてしまったとのことだった。




「……お恥ずかしい話ですわ、本当に」


 同じ言葉をもう一度つぶやき、彼女はそっと目をふせる。

 ウェーブのかかった銀の髪が、それつられてふわりと揺れた。


 その時私は不謹慎ながら、ああ、これが本物の寵妃の美しさなんだな、とそんな感想を抱いていた。


 小鳥のような可愛らしい声。繊細で儚げなたたずまい。

 きっとこういう、守ってあげたいと思わせるような少女に、世の殿方たちは惚れるのだろう。


 悔しいとかではなく、ただ、わかるような気がした。


 同時に私は、良いな、とも思った。

 今はともかく、エリオットとこのリリィはお互いに好き合って結ばれたのだ。

 そして少女は自らの夫を思い、たった一人で勇気を振り絞ってこの場にやって来た。

 彼女には悪いけど、そこだけ見ればちょっと憧れる話だ。


 いや、私が憧れるとしたら男女が逆だけど。


 それでもやっぱり、そこまで誰かに思われるというのは、うらやましいと思う。


 私は……どうだろう。

 ジュリアスはとてもよくしてくれるし、そのことに感謝もしてるけど、まだ彼のことを完全に理解しているとは言いがたい。

 お互いに心が通じ合っているかと問われれば、「はい」と言える自信はなく、成り行きで今の状況になっている感は否めない。


「いえ……素敵だと思います」


 そんなことを考えていたせいか、私は隣のリリィに対し、思ったままを口走ってしまっていた。


「え?」


「あっ、いえ、言葉足らずですみません。あなたは……素敵な人だと思うんです。こうしてご自分の主のことを、一途に思っていらっしゃる」


「そんな、私は……」


「あの、上手く言えませんけど、きっと大丈夫だと思いますよ。あなたのような方がこのまま放って置かれるとは思えません。どうか元気を出してください」


 何一つ根拠もなく、具体性もない慰めだったけど、私は何かを言わずにいられなかった。

 誰かのわがままで別の誰かの幸せが奪われるなんて、あってはならないことだと思う。


 リリィ嬢はそんな私の適当な励ましでも受け入れてくれたらしく、「ありがとうございます」と笑みを返してくれた。


「ソフィア様って、噂で聞いていたよりも……随分違う感じの方なのですね」


「え、そ、そうなんですか?」


 けれど無警戒なところにいきなりそんなことを言われ、私は固まる。


 ……というか、噂ってどんなのさ。


 気になって聞き返すと、彼女はためらいつつも正直に答えてくれた。


「確か、グランセアの城下町で剣を振って過ごされていたとか……。ですから寵妃といっても、もっとがっしりした体つきで……いえ、凛々しい方だろうって思っていたのですけど」


「……が、がっしり、ですか」


 騎士団にいたことがどこからか漏れたってことなのか。

 それはいいとしても、個人的には「がっしり」というのを否定できないのが辛い。

 凛々しいっていうのも、わざわざ言葉を選び直してくれたみたいだけど、あまりフォローになってないような。


「がっしりで間違ってないと思います、それ……」

 

「そうですか? でも、わたくしの想像より細身で、とてもお美しい方だと思いますわ」


 社交辞令でもそう言われて悪い気はしない。けど、細身というのは違うかなあと、私は内心苦笑せざるを得なかった。


「えーとですね……実はこれでも結構筋肉がある方でして……。今夜のドレスもあまり乗り気じゃなかったりするんですよ……。ほら、これ」


 言いながら羽織っていたシースルーのケープを脱いでみせる。

 背中の素肌があらわになると、リリィ嬢はそれを見て小さな吐息を漏らした。


 とはいえ、別に何てこともない。

 ケープの内側にあるのはちょっと他の人より鍛えてある背筋、それだけだ。


 けど、たったそれだけが私にとってはなかなかのコンプレックス。

 グランセアの騎士団時代は食い扶持を稼ぐため、女性らしさなど二の次三の次だった。

 おかげで並の女性に比べて体格のいい方で、長袖で隠せるならまだしも、今日みたいな背中の開いた衣装は正直恥ずかしい。

 ジュリアスが「これにしろ」と言ったから渋々着てるけど、肩のケープがなければしがみついてでも拒否するつもりだった。


「ご覧の通り、下町育ちの粗野な女です」


 私が笑ってケープを羽織りなおすと、しかしリリィは何故か放心したような表情で私の身体を覗き込んできた。


「素敵……。あの、もう少し見せていただいてもよろしいかしら?」


「……はい?」


 それは肯定のつもりの返事ではなかったのだけど、聞くや否や、彼女は再びケープをまくり上げてくる。


「鍛えているのにこんなに均整の取れたプロポーションなんて信じられませんわ! 細くてお綺麗で、なおかつ引き締まっていて。まるで戦女神の彫像のよう……!」


「あ、あの」


 うっとりとした顔をこちらに向けられる。

 私は思わず身を引いて後ずさる。


「ど、どうしたんですか一体」


「どう……とは?」


「いえ、その。私の身体なんか見ても、面白くないと思いますけど」


「断じてありませんわ、そんなことは!」


 純粋な疑問を口にすると、身を乗り出さんばかりの勢いで否定された。


 そして彼女は喜々として持論を私に説き始める。


 吸血種はその種族柄、体を鍛えることを一切しないらしい。

 特に寵妃ともなれば、鍛錬などは埒外もいいところ。

 だから私のような女は目にすることすらまれで、彼女の知り合いにもそういう人はいなかったそうだ。


 しかしながらリリィ嬢は、多くの絵画や彫刻などの芸術品を見てきたことで、逆に筋骨隆々の肉体美に憧れを抱くようになったとのこと。


「単に筋肉がついているというだけではダメなのです。力強さの中にも美しさが秘められていなければ。その点、ソフィア様は完璧といえますわ……!」


「は、はぁ」


 興奮気味に話す彼女。その様子に、さっきまでの可憐な第一印象が吹っ飛んでしまいそうだった。


 憧れるって思ったこと、撤回すべきかなあと心の中で頭を抱える。


 でも、少しでも哀しみを紛らわすことができたのなら、それはそれでいいのかもしれない。私は前向きにそう思い直すことにした。


「あの、リリィさん。よければ私たち、お友達になりませんか?」


 そして私は緩んだ空気を好機とばかりに、彼女に申し出てみることにした。

 趣味嗜好は置いても、悪い人ではないと思う。何より大変な状況にある彼女を応援したい気持ちもあった。


 こういう粗雑な女なので同性の友人がいないんです。そう言葉を付け足すと、リリィはパッと顔を輝かせ、手を握ってくる。


「よろしいんですの!?」


「ええ、もちろん」


 うなずいて答えると、「それでは、わたくしのことはどうぞリリィとお呼びくださいませ」と、上目遣いで見つめられてしまった。


 その笑顔は、やっぱり私なんかとは比べ物にならないほど可愛らしくて。

 元気になって良かったと、私は胸をなでおろす。


 ──と、その時だった。


 ホールの入り口付近から、突如ざわめきが聞こえてきた。

 場内の貴族たちは何事かと、そちらに目を向ける。


 私たちも同じ方を見ると、そこで自然と人波が分けられてゆく。


 その先に現れたのは、一組の男女。

 ともに銀の髪と赤い目。男の方は細身の優男で、女は自信たっぷりの不敵な笑み。


 後者は見覚えのある顔だった。

 故郷グランセアで、私のことを路傍の石ころにしか思っていないような、無関心な表情を向けられた記憶がよみがえる。


 そう、ディートリンデ・エルファシオ。

 ……いや、今はディートリンデ・サラドゥアンか。


(嫌なこと思い出しちゃったな……)


 私は数ヵ月前の苦い記憶に、口もとを手で覆う。

 すると、隣のリリィが声を震わせつぶやいた。


「……! あ、アル……どうして……!」


 聞き慣れない呼び名に「おや」と思う。

 彼女の視線の先をたどっていくと、ディートリンデ自身ではなく、その足元に行き着く。


(ん……?)


 そこにいたのは人ではない。

 雪のように真っ白な毛並で狼に似た、より大きな獣。


(あれ……。あの獣って、もしかして……)


「珍しいね、魔獣なんて。直で見たのはいつぶりかな」


「あ、殿下」


 背後からの声に振り向くと、いつのまにかルーファス王子が私たちの後ろまで来ていた。


 そして彼の言う通り、あれはただの獣ではない。


 遥か昔に隆盛を誇り、今は図鑑でしかその姿を確認できない『魔獣』。その生き残りの一頭。


 その白狼がディートリンデに仕えるように、寄り添い、四つ足で立っていた。


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