第8話


 宮殿内の廊下をゆっくりと歩き、奥へと進む。

 小さな灯が等間隔に並ぶ通路から、開けた大ホールへ。

 高い天井。精巧な広間の内装。華やかなシャンデリアの光。

 豪華絢爛を絵に描いたような空間は、なるほど派手好きの公爵が改築を命じただけのことはある。


 そして、ホールの中ごろまで進んだあたりで、私たちに声がかかる。


「いい夜だね、お二人さん」


 貴族たちの品定めするような視線の中。

 片手をあげて、こちらに近づく見知った影。


 ルーファス王子だ。


「この前の診察以来だな、ルーファス」


「殿下も来てらしたんですね」


「や、ジュリアス。今日の装いも素敵だね、ソフィアちゃん」


「あ、ありがとうございます」


 褒められ慣れていない私はちょっと返事に詰まってしまう。


 先日診察を受けた時とは違い、王子殿下はきちんと正装していた。

 髪も整えて、濃紺の燕尾服を着こなすさまは、まさに王族といった風格だ。

 

「お前とこういう場所で会うのは珍しいな」


 一方、向かい合ったジュリアスも負けず劣らず。

 髪は後ろに流し、各所に金刺繍の施された礼服は少し派手め。だけど端整な本人の顔立ちもあって、それが見事にマッチしている。


「ソフィアちゃんが心配でね。今日の夜会が初のお目見えだって聞いて、出席させてもらうことにしたんだよ」


「えっ、そんなわざわざ……恐縮です」


 私がかしこまると、王子はパッと手を開いておどけて見せた。


「なんてね。まぁ、半分は冗談というか後付け。レガート公爵のところはコックがいいからねー。実を言うと、目当ては晩餐会のディナーの方だったりする」


「あら」


「お前な……」


「いやいや。美味しいものを食べるって大事なことだよ? 食の楽しみは人生の楽しみ。せっかく機会があるんだから、利用しないとね」


 人差し指を立てるルーファス王子に、ジュリアスはやれやれと首を振った。

 くだけた様子の二人。

 私も笑みがこぼれてしまう。


 周りの貴族たちはルーファスが王族ということもあってか、遠巻きに距離を取ってこちらをうかがっている。

 けれど私たちがまさかこんな会話をしているとは、きっと思いもしないだろう。


 私たち三人はそうやって、この間と同じように会話に興じる。


 そしてしばらくして、はたと気付く。

 ありがたいことに緊張が解けていた。

 張っていた肩肘のこわばりも、いくぶんか和らいで気にならない。


 それは私の中だけではなく。

 なんとなくだけど王子に話しかけられてから、周囲からの視線の質も変わったように感じられた。

 野次馬的なものから、驚きを伴ったものへ。

 意図してかわからないけど、王族から気兼ねなく話しかけられるという事実が、貴族たちに対する一種の牽制になっているようだ。


 そんな中、ジュリアスは王子に告げる。

 

「まだ時間に余裕はあるな……。ルーファス、悪いが少しだけソフィアを頼めるか」


「ん、いいけど」


 言いながら、彼は組んでいたこちらの腕をほどくように促す。


「いくつか俺一人で回るところがある。ここで待っていろ」


 私に断りを入れ、独りでホール奥へと歩を進めていく。


 早足で、少し急いでいるみたいだった。


「……何用でしょうか」


「んー、公爵ともなればたくさん付き合いがあるからね。ソフィアちゃん関連とは別で、挨拶に行くべきところが色々あるんだと思うよ」


「あぁ、そういう」


 勝手気ままなようで、あるべきところはきちんと締める。

 そこはさすがに貴族の当主というべきか。

 ひとりで感心していると、今度は横の王子が声をあげた。


「あっ、しまった」


 ルーファスは私の顔を見つつ「話に夢中になって、言うの忘れてたよ」と漏らす。


「何か……ありましたか?」


「まぁ、大したことじゃないんだけどね。この間の血の解析結果が出たから、ジュリアスと君に伝えておこうと思って。でもジュリアス、向こうに行っちゃったしなぁ」


「あ、そのことですか」


「かなり珍しい……というか特異な値が出たんだけど、君たち全然そんな感じじゃないからさ。何かこっちも言いそびれちゃうんだよね」


「え、珍しい、って」


 その言葉に一瞬ドキリとする。

 ただ、その割には深刻な感じもなく、王子はどこか気楽な様子だ。


 特異な結果が出た。

 それはかなり重大なことのように思えるのに。


 軽くはあっても不真面目な方だとは思えないけど、その発言と態度がどうも一致しない。

 どういうことかと首をかしげていると、王子は「まあいいか、ソフィアちゃんだけでも」と話し始めた。

 

 しかし、それは私にとって青天の霹靂ともいえる内容だった。









「……それ、どういうことですか……」


「あれ、もしかして知らない……っていうか、聞いてない?」


「はい……あの、前提からして初耳です」


「え、そこから?! えぇー……じゃあ、僕が今言ったらまずかったのかな……」


 口元に手をやり、少しばかり慌てた様子の王子。

 「知られたら良くないことなんですか」と聞くと、「いや、こんなの吸血種の間では常識なんだけど」と返す。


「えっと……」


 よく、わからない。

 ジュリアスがどうしてこのことを黙っていたのか。


 けれど、いくつかの点では腑に落ちるところもあった。

 あの時、彼が私に言った言葉は、これを踏まえてのことだったのかと。


「……どうしよっか」


「そうですね……とりあえずジュリアス様が戻ってから、直接聞くしかないと思いますけど」


「まあ、それしかないか」


 王子は「別にあいつに悪気があったわけじゃないと思うよ」とフォローを入れる。


「わかってます。主のことを疑ったりはしていません。きっと何か意図があるんだと思います」


 私がそう言うと、王子は安堵した表情で「良かった」とうなずいた。



 その時だった。

 不意にカタンと、何かが落ちる音がした。


 反射的に私たちは音の方に顔を向ける。

 そこにはうずくまっている一人の少女がいた。


 薄桃色の可愛らしいドレスを着た彼女は、他の吸血種と同じ銀の髪と赤い目。

 おそらくどこかの貴族令嬢だろうけど、エスコートする男性も見当たらず、そこには彼女ひとりだけ。

 その状況に少し違和感を覚える。


「大丈夫ですか!?」


 そこへルーファス王子が駆け寄った。

 他者の不調を察知するや、誰よりも早く動いて介抱するのはさすがお医者様といったところか。


「ご気分がすぐれないのですか。僕は医者です。よければ見せていただけませんか」


 けれど王子の申し出に、少女はふいっと顔を背けてしまった。

 拒絶の意思表示。

 かろうじてこちらにも聞こえる声で「大丈夫です」と少女が言うと、王子はそこで何か察したように身を引く。


「ソフィアちゃん」


「あ、はい」


「僕より君の方が適役みたいだ。すまないけど、この子を見てあげてくれないかな」


「え」


 急にこちらに役割を振られた。

 状況をつかめないでいると、王子は私に小声で言う。


「具合が悪くてしゃがんでるんじゃないみたい。泣いてるんだ。落ち着くまででいいから」


(泣いてる……?)


 そっと彼女を覗き込むと、確かに小さくしゃくりあげていた。

 異性に泣き顔を見られたくないということらしい。

 なるほど気持ちはわからなくもない。

 とはいえ、それで見ず知らずの私が付くのもどうかと思うけど。


(というか、何で泣いてるんだろう……)


 思うところはあったけど、とにかく放ってはおけないので言われた通りにすることにした。

 ただ、地べたに座ったままでは良くないので、彼女を促して近くの長椅子に二人で腰掛ける。

 王子はそこから少し離れ、私たちに目が届く位置でこちらを見守っていてくれる。


 ちょっぴり気まずい空気。

 話しかけるのもはばかられたので、私は黙って彼女の背中をさすってあげた。


 しばらくの間そうしていると、やがて彼女も多少は落ち着いたらしく、「ありがとうございました」と礼を返される。


「あの、どこか部屋をお借りして、そこで休まれてはいかがですか。よろしければ私も付き添いますから」


「いえ、そこまでしていただくわけには……。それにわたくし、ここで待っていなければいけないので。すみません」


 彼女はぺこりと頭を下げて、立ち上がろうとする。

 気丈に何かに耐えているようだった。

 けれど、それは嵐を前にした一輪の花のようでもあり。

 容易く手折れてしまいそうなか弱さも、そのたたずまいからは想起される。


「えっと、それじゃあもう少し座っていませんか。私、実を言うと今日が初めての夜会なんです。緊張して、ちょっと疲れてしまったので」


「え、あなたは……」


 私が誘うと、そのあたりで少女もようやく周りが見えてきたらしい。私を──正確には私の髪を見て、怪訝な顔をする。


「申し遅れました。私、ソフィア・ファルケノスといいます。こんななりですけど、一応寵妃なんですよ」


「ファルケノス……。するとあなたが、ファルケノス公爵が娶られたっていう元人間の方……。あ、わたくしは、リリィ・サラドゥアンと申します」


 少女は自己紹介とともに、丁寧な作法の挨拶で返してくれた。

 

 リリィ・サラドゥアン。

 他家の名前なんてまるで知らないけど、そのサラドゥアンという家名だけは唯一聞き覚えがあった。

 

 何故ならそれこそが今日の夜会における私に並ぶ注目の的──ディートリンデが取り入ったという、渦中の伯爵家の家名であったからだ。


 リリィというこの少女、銀髪赤眼、そして整った身なりでこの場にいることからして、おそらく同家の真祖か寵妃であることは間違いない。


 そんな彼女が今ここで、人目もはばからず泣いていた。

 それは何ゆえか。彼女がどんなトラブルを抱えているのか、申し訳ないけど容易に想像することができる。


 加えて、ここから退出しない理由も。


「……恥ずかしながら、お察しの通りですわ」


 リリィ嬢は隠しても無駄だと悟ったのか、こちらが尋ねる前に自ら先んじて語ってくれた。


 果たしてそれは、私が予想していた通りの伯爵家の内情だった。


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