第3話


 そして、夜。

 結局、私が寝かされていたその部屋が、私の寝室としてあてがわれることになった。


 というより最初からその予定だったらしい。

 私ではなくディートリンデを住まわせるために空けられていた南端の私室。

 ベッドに腰かけ、私は改めてその天井を見上げる。


(でもちょっとこれ、広すぎ……)


 なんというか、規模が違いすぎた。


 公爵の屋敷ともなればこれくらいが普通なのだろう。

 それでも騎士団の狭い寮で暮らしていた私には、その広さが逆に落ち着かない。


「ここでなら剣の稽古だって出来ちゃいそうね……」


 何とはなしに立ち上がり、半身の構えをとってみる。

 剣を上段に振りかぶっても、おそらく切っ先が天井につくことはない。

 することがなくなった時は本当に稽古するのもいいかもしれないと思った。

 その姿を想像して、少しだけ苦笑する。


 とはいえ、これは冗談などではなく割と本気だ。 

 というのは、今後私は寵妃として、何をすることもないらしいからだ。


 言い換えるなら、寵妃の仕事というものは、無い。

 

 寵妃とは吸血種の糧にして虜。

 その存在は主人のためにあり、その運命は主人とともにある。 


「あえて言うなら、主人に愛されるよう自分を磨くこと。それが寵妃の一番のつとめでしょうか」


 翌朝、侍女のタニアは澄んだ海色のドレスを私に着つけさせながら、そう説明してくれた。


「う、うーん……」


「ソフィア様……何か?」


「あ、いえ。何でもないです。何でも」


 今更ながら、それはどうなのかと思った。


 はっきり言って私は、女としての魅力に欠けると思っている。

 今まで男に混じって剣を振るってきたのだ。世の男性が好むような、しとやかさとか奥ゆかしさ。そういう女性らしさが足りていない自覚はある。


 今着ているようなきらびやかな衣装をまとえるのは、正直とても嬉しい。

 私だってこういう可愛いものは好きだし、憧れがあったから。

 もしもこの場に一人だったら、姿見の前でスカートをひるがえらせていただろう。


 でも、それが似合うかどうかは別問題なのだ。


(……どうして公爵は、私を寵妃の一人にしたんだろう)


 やっぱり、そこがしっくりこないところだった。


 助けられた義理か。

 単なる物好きか。

 いずれにしても、愛しい姫君として愛でられる──なんて扱いは、他の寵妃に譲ることになるのではないか。


(多分、私は……グランセアの下町とか、そういう貴族には物珍しいところの話をして、彼に聞かせるあたりの立ち位置になるんじゃないかしら)


 それで、あとは目立たないように屋敷の片隅で過ごす感じで。

 よく知らないけど、公爵なんだから囲っている他の女性たちも、私なんか霞んでしまうくらい綺麗どころばかりのはず。


 けど、それはそれで気楽かもしれないな、とも思った。


(……うん。そもそもそれって、落ち込むことじゃないよね。公爵の関心を引かないってことは、それだけ自由に動けるってことだもの。前向きにとらえよう)


 しかし、そんな楽観的な考えは、タニアの次の言葉で打ち消されることになる。



「──いえ、ジュリアス様の寵妃はソフィア様お一人ですが」


「……え?」


 早いうちに他の寵妃たちに挨拶に行こうと思い、彼女たちの部屋はどこかとタニアに尋ねたところ、返ってきたのは予想外の答えだった。


「無論、過去に寵妃だった方はおられます。ですが、我が主人はどなたに血を与えることもなく、かなりの時間をお独りで過ごされてきましたので」


「で、でも、寵妃っていうからにはそれこそ何人もの女性を侍らせてたりするものじゃないんですか」


 思わずあけすけな想像が口をついて出てしまう。

 タニアはそれを耳にすると、「まあ、確かに」と苦笑いした。

 彼女は何やら考えるそぶりを見せ、「だからこそ、少々やっかいなのですが」と言う。


(……やっかい?)


「ソフィア様、無礼を承知で申し上げますが、ソフィア様は貴族の流儀や作法についてあまりご存じない──率直に言って浅学でいらっしゃるとお見受けいたしますが、いかがですか」


「うぇ!? ま、まぁ、恥ずかしながら……」


 唐突な話題転換に、馬鹿正直にうなずいてしまった。


 というか、私の言動からバレバレだったのだろう。どれだけ繕ったつもりでも、育ちの悪さは隠せなかったらしい。


 公爵に目通りする前は演技でやっていけると思っていた、その安易な見立てを思い出し、自分の軽率さに赤面する。


 タニアはそんな私を責めるでもなく言葉を続ける。


「別に恥じることではありません。知らないことはこれから学んでいけば良いのですから。ただ、わたくしが懸念しているのは、ソフィア様が他の方の前にお出になられる際のことなのです」


「他の方……というと、他の吸血種の方、ですか?」


「はい。申し上げた通り、現在ジュリアス様には他の寵妃は居られません。ですのでソフィア様が唯一の寵妃になるわけですが、そのことは他の貴族の方々にとって、大きな関心事になると予想されます。問題はそこなのです」


「はぁ」


「たいへん言いにくいことですが、ソフィア様は多くの貴族たちの好奇の視線に晒されることになるでしょう。それこそ、一挙手一投足に至るまでを。他の吸血種の方から値踏みするように見られることになるはずです」


「あ、あぁー……」


 タニアが何を言いたいのか、そこでようやくわかった気がした。


 要するに、今の私は見世物小屋の珍獣のようなものだ。

 長い間独り身だった公爵が久方ぶりに娶った寵妃。しかもそれは何の力もないただの人間。

 他の吸血種たちは私が一体どんな女なのか、夜会やらパーティやらで興味津々に見物に来る。

 ありていに言うならそんなところだろうか。


 単に興味本位で見るだけならまだいい。

 やっかいなのは、私という女が公爵に対する攻撃材料になりかねないことだ。


 アルマタシオ有数の大貴族であるファルケノス公爵家。

 聞いた限りではそれに匹敵する力を持つ他家はないらしいけど、だからといって無敵というわけじゃない。

 他の貴族たちはファルケノスに取って代わろうと、虎視眈々と隙をうかがっているに違いない。

 吸血種だろうと、そのあたりの事情は私の国と変わらないはずだ。


 つまりタニアは、私が公爵の急所にならないよう気をつけろと釘を刺しているのだ。

 礼儀作法はもちろんのこと、うかつな言動をしないよう自覚を持てと。


「つきましては、僭越ながらわたくしがこれからソフィア様付きのメイドとなり、アルマタシオの習慣から作法に至るまでをご指導させていただきます。よろしいでしょうか」


「あ、はい。それはもう。よろしくお願いします」


 彼女がするのと同じように、私もつられてお辞儀で返してしまう。


 けど、その申し出はむしろ願ったりかなったりだった。


 ここまで急展開で戸惑ってばかりだけど、こちらとしては衣食住をお世話になる身だ。立ち居振る舞い程度のことで迷惑はかけたくない。


 逆にこうして色々気を利かせてくれることを、申し訳なく思うくらいだった。


 このメイドが私付きになるというのも、おそらく公爵が手を回してくれたのだろう。

 それなら少なくとも、その厚意には応えないといけない。


「なお、今から直近の夜会までに間に合わせるとなると、かなりの強行軍となってしまいます。ですので、まずはその点ご了承下さいますよう」


 そう言って、タニアは一枚の紙を私に渡す。


「……うぇ」


 そこに書かれていたのは、朝から晩までみっちりレッスンの予定が組まれたスケジュール。


「これ……全部こなすんですか……」


「よろしくお願い致します」


 かなり多くて、冷や汗が流れた。

 対面の礼儀作法から食事の際のマナー、ダンスのレッスン。果てはアルマタシオの歴史といった教養の時間まである。


(『何もしないが寵妃の仕事』から、一気に様変わりだなぁ、これ……)


 体力はともかく精神的にもつか、ちょっと不安だった。


「取り急ぎ、今必要なことの時間を多めに取ってあります。特にマナー講座とダンスは必須ですので、今後はそれらを重点的にお教えすることになるかと」


「ダンス、ね……。騎士団にいた時もそんなのしたことなかったわ……」


 ……そういえば、騎士団の皆はどうしているだろうか。

 拉致同然にここに連れて来られ、正式にお別れも言えなかった。

 心配かけたままなのは嫌だし、気がかりでもある。

 できるのなら、手紙を送らせて欲しいけど……。


 この時私は過密なスケジュールから逃避するように、ぼんやりとそんなことを考えていた。


 結果として、私はタニアの次の言葉をきちんと聞かず、生返事で応じてしまうことになる。

 うかつというか、そんな緩みが後日の手落ちになるのだけど、この時の私はまだそれを知る由もなく。


「これらのレッスンは対外的な面はもちろん、旦那様のご寵愛を受ける際にもきっと役立つでしょう。ソフィア様、おそらく近日中に旦那様がこちらの部屋にお渡りになられると思います。ですが、気後れなさらず、堂々と臨んで下さいませ」


「あぁ、はい。どうも……」


 『旦那様がお渡りに』──それはつまるところ、公爵が私を求めて部屋を訪れるという意味で。


 私がそのことに気付くのは、に及ぶほとんど直前になってからなのだった。


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