第2話


「生きてる……」


 次に目が覚めた時、私はベッドの上にいた。


 起き上がり、周りを見渡す。


 広い空間。

 医療室……ではない。

 貴族の私室のような部屋だった。

 両手をのばしても端まで届かないベッドに、上質な手触りのシーツ。

 豪奢な天幕まで付いている。

 どうしてこんなところに寝かされているのか。


 いや、それよりも。


 (傷口がふさがってる……。というより、傷が……ない……?)


 違和感を覚えて包帯をほどくと、そこにはいつも通りの私の肩があった。


 傷痕も何もない。

 まるで斬られたことが夢だったかのように。


 死んでいなければおかしいくらいの重傷だったはず。

 高位の治癒魔法ですら、あれを治せるとは思えないのに。


(どうなってるの……)


 状況を飲み込めないでいると、カタンと小さな物音がした。

 その方向に顔を向けると、私より少し年上らしきメイド服姿の女性。

 水差しが置かれたトレイを持ち、私を見て少し驚いた顔の後、彼女は笑みを向ける。


「気が付かれましたか。お体も回復されたようで何よりです」


 私の胸を見てそう言われたことで、上がはだけていることを思い出した。

 反射的に前を隠すが、彼女は気にした様子もなく「旦那様をお呼びいたしますね」と部屋を出て行く。


 そしてややあった後、公爵を連れて戻ってくる。


「特に問題はないようだな」


 感情の読めない仏頂面で、公爵──ジュリアス・ファルケノスは私に言った。


「あなたもご無事なようで、良かったです」


 そう返すと彼は一瞬だけ顔を綻ばせ、すぐにそれを隠すかのように表情から感情を消す。

 その奇妙な変化に小さな違和感を覚える。

 しかし今はそれよりも確認することがあったので、私はそちらを優先させることにした。


 確認すべきこと。

 つまりは、知るべきこと。

 わからないことは数あれど、特に聞いておきたいのは二つ。

 

 どうして私は生きているのか。

 そして、私はこれからどうなるのか。


 前置きを省いてそれらを尋ねると、公爵は「気が早い奴だ」と笑った。

 

「だが、そういう奴は嫌いではない」


 そう言って彼は近くの椅子に腰を下ろし、足を組む。

 どうやら自らこちらの問いに答えてくれるらしい。


「お前が命をとりとめたのは、俺の血の力によるものだ。死ぬ寸前、お前には俺の血をくれてやった。故に、今後の処遇も然りだ。偽の婚約者とはいえ、お前はすでに俺の寵妃なのだからな。道端に叩き出したりはしないから安心しろ」


「……はい?」


 ただ、私も『早い奴』なのかもしれないけど、彼も色々すっ飛ばしている感じだった。


 というか、意味が分からない。


 血の力? 

 ……寵妃?

 

「ジュリアス様。グランセアの方は吸血種のことをご存じありません。ですので、まずそこから説明なさらないと」


 公爵の背後で控えていた先ほどの侍女が耳打ちする。

 ジュリアスは「……そうだったな」と額に手を当て、ばつの悪い顔をした。


「最初から話すのは面倒だ。タニア、あとはお前に任せる」


「はい。そう来ると予想しておりました」


「……嫌味か」


「ただの本音でございます」


 そんな短いやり取りの後、そのメイド──タニア・ラズノフは諸々の詳細を話し始める。


 それは、私の知らない世界の一端だった。

 



 私が生まれた国、グランセア王国の西方に位置する大国、アルマタシオ。

 この国の貴族たちは、大半が吸血種という人外の存在であるらしい。


 吸血種。

 人の血をすすり、それを糧として生きる闇の御使い。


 見た目は人間と変わらない。

 しかし彼らは人とは比べ物にならないほどの魔力を持ち、傷を受けてもすぐに治癒する不死身の体を持っている。


 そして、吸血種は自らの血を他者に分け与えることで、その者を己の同族に変えることができるという。

 血を与えられた者は眷属けんぞくと呼ばれ、主に絶対の忠誠を誓う。

 吸血種となった者は老化もゆっくりとなり、人よりも長い人生を生きることになる。


「つまり、お嬢様はジュリアス様の血によって吸血種となり、そのお命を繋ぎとめられたのです」


「まさか、そんな……」


 にわかには信じられなかった。


 私が、不死人になった……人間でなくなった……?

 傷は治った。確かに体は元気だけれど、そんな夢みたいなことが理由だなんて。

 そもそも信じる信じない以前に、彼女の説明を理解するのに手一杯で気持ちが追い付かない。


「え、えっと。ということは、もともとは私じゃなくて本物のディートリンデ嬢を、その、眷属にするおつもりだったってことですか。……というか、そんな種族がいるなんて、私、今まで一度も聞いたことないんですけど、どうして」


「そんなことは俺たちの知ったことではない」


「え」


 混乱と緊張で口が回らない私に公爵がぴしゃりと言い放つ。

 次いで、侍女のタニアがそれに過不足なく説明を補う。


「もともとアルマタシオは吸血種の存在を他国に秘匿しておりません。ですので、おそらくグランセアの方で国民に対する情報を遮断しているのだと思われます。その理由はわたくしどもにも測りかねるのですが……」


「……そうなんですか?」


 聞き返す私に、再度ジュリアスが口を挟んでくる。


「前者の質問については、その通りだと言っておこう。ディートリンデは寵妃としての素質を供えていた。人間の中でそれに値する者は少ない。だからこそ、あの娘が嫁ぐ相手に選ばれたんだ。俺としては不本意ではあったがな」


 寵妃とは、吸血種の真祖直々の寵愛を受ける特別な眷属のことをいう。

 この世には、人とは違う秀でた力を持つ、吸血種ではないがそれに近い人間もまれに存在するらしい。

 彼らはいわば吸血種のなりかけともいうべきもので、同族からは一目で判別が可能なのだとか。


 ディートリンデ・エルファシオは皆を虜にする魅了の魔力を身に宿していた。

 エルファシオ家の両親が駆け落ちを許したのもその魔力のせいであり、私が身代わりだとバレたのも、彼女が婚約相手に選ばれたのも、やはりそれ──寵妃としての資質が原因であるとのこと。

 

「ん? ……っていうことは」


 しかしそこまでの説明を受けて、はたと気付く。


「どうした」


「特別な力を持った人間が寵妃になるっていうなら、私は寵妃でも何でもないはずですよね。でも、さっき公爵様は仰いました。『お前はすでに俺の寵妃だ』って。これは……どういうことなんですか」


「言葉通りの意味だが」


「いえ、あの」


「身代わりだろうと何だろうと、お前は俺の血を受けて眷属になった。だから当初の予定通り、お前を寵妃として娶ると言っているんだ。どこもおかしくはないだろうが」


 訝りながら尋ねる私に対し、ジュリアスは何でもないことのように言った。


 だけれど、私には判然としない。


(それって……眷属ではあっても、寵妃とはいえないんじゃないの……?)


 こちらの国の習俗や文化はよく知らない。けど、素質のある人間しか寵妃になれないなら、ただの人間だった私を娶るのは問題があるように思われた。


 それはたとえ彼自身が許しても、外聞的には良くないことのような気がしたのだ。

 他国の無能な没落貴族の娘が、公爵家の妻になるなんて。


「あの、今からでも本物のディートリンデ嬢を探し出して連れてくるべきじゃないでしょうか」


 しかしその言葉を耳にして、公爵は「ふ」と笑う。


「お前がそうしたいというなら別に構わないが。だが、そうなると当然お前は偽の婚約相手として自らの罪科を問われることになるぞ。それでもいいのか」


「え」


「『本物のディートリンデを追いやって、寵妃になろうとした不届き者』。おそらくエルファシオ侯爵家はそんな役割をお前に押し付けるだろうな。要は自分たちが逃れるためのトカゲの尻尾切りだ。お前はそんな奴らのために、わざわざ命を捨てようというのか?」


「い……嫌です。それだけは、絶対に嫌」


「正直で結構」


 彼は腕を組み、楽しげにうなずく。


「それに素質はともかくとしても、お前に命を救われたこともまた事実だ。その行いには報いねばならん。寵妃としてお前を迎えることに、誰にも異議は挟ませんよ」


 そして穏やかな表情で、そう言葉を付け加えた。


 報いるって……寵妃になるのを私が嫌がるとは思わないのか。

 まあ、貴族の考え方ってそういうものかもしれないけど。

 

「で、でも、吸血種って不死身なんですよね。それなら私があなたをかばったことって、意味がなかったんじゃないんですか」


「いいえ、お嬢様の行いは決して無駄などではありません」


 ふと気付いたその疑問を尋ねると、今度はタニアがそれを否定した。


「吸血種とて完全な不死人ではないのです。先日の刺客は、我々を傷つけうる銀の剣を使っておりました。ですので、もしお嬢様が間に入らなければ、旦那様も無事では済まなかったでしょう」


 「旦那様をお守りくださったこと、わたくしはとても感謝しています」、タニアはそう言って深くお辞儀をする。


「感謝だなんて……」


 別に深い考えがあったわけじゃない。

 ほとんどなりゆきで動いただけ。むしろ命を助けられてこちらこそお礼を言うべきなのに、そうかしこまられては逆に困ってしまう。


 私の気持ちを見て取ったのか、公爵は立ち上がりベッドに近づく。

 彼は私に言った。


「見ての通りだ。お前が無能力だろうと、それを理由に白眼視する者などこの屋敷にはいない。何に気兼ねする必要もない。ここで暮らすことに遠慮などするな」


 嘘みたいな話だった。

 つまり私は死罪を免れたうえに、彼の妻として認められたのだ。

 身代わりに過ぎない、身分も力もないこの私が。


 おとぎ話のような都合の良さに、めまいすら覚えそうだった。

 普通なら、たとえ公爵を助けたことを評価されても、適当に恩賞を与えられて屋敷を出るくらいが関の山なのに。


 けれどその時──いや、だからこそなのか。私の脳裏に一つの言葉が思い出される。


『……許せよ』


 ジュリアスのつぶやき。

 刺客に斬られ、死ぬ間際の私に、彼は血を与えるとそんな言葉をこぼした。


 あれは一体何だったのか。


 どこか悲しい声だった。

 血を与える直前、彼は取り乱して叫んでもいた。

 今目の前にいる、余裕綽々で貴族然とした姿とはうって変わって。


 もしかして、あれこそが真実の彼だったのではないか。


(……どういうことなのかしら)


 その違和感に、私の心は立ち止まる。


 普通はありえない。

 もはや政略結婚ですらないのに、私という人間を寵妃にしたがる理由とは?

 

 私のような女を生きながらえさせたのにはきっとわけがある。

 仮に嘘は言っていなくても、何か理由があるはずだ。

 それを知りたい、知らねばならない──そんな思いが胸の中で大きく湧き上がった。


 怖いとは思わなかった。

 公爵だろうと人外の者だろうと、あの時のように思いの丈を叫ぶ一面がある。そこには共感すら覚えるくらいだ。

 感情を持った一人の人間と変わらない。


 彼への疑念というよりは、むしろ明かせない事情のようなものを感じて、それが決意を後押しする。

 あるいは死の淵をさまよったことで、どこか神経が麻痺してしまったのかもしれない。


 いずれにせよ、屋敷を出て行くという選択肢はこの時の私には見当たらなかった。


「……ありがとうございます」


 私は笑みをつくる。

 今、おそらく公爵がしているのと同じように、心に仮面を被って。


 とはいえ、彼に感謝したことは嘘ではない。

 命を救ってくれたこと、迎え入れてくれること。

 隠していることはあっても、それらに敬意がないとは思えない。


 だから私も精一杯の明るさと華やかさを意識して、彼に笑顔を向けた。


「では、決まりだな」

 

 返礼を同意と見てとったのか、公爵はくるりときびすを返す。

 直後、思い出したように向き直る。

 彼は私に問いかけた。


「ああ、そうだ。今更ではあるが、お前の本当の名を聞いていなかったな。教えてくれ」


「ソフィアです。ソフィア・ラングレン。グランセア王国の名もなき弱小貴族の末娘。それが本当の私です」


「では、今日からお前はソフィア・ファルケノスというわけだな」


 そう言ってジュリアスは少しだけ嬉しそうな顔をして、部屋の扉を開けたのだった。


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