第12話


 次に私が目を覚ましたのは、夜会から三日後のことだった。

 

 傷が半日ほどでふさがった後も、意識は戻らず眠り続けていたらしい。


 ただ、起きた時には自室のベッドの上。朝の光で目覚めたため、前後の記憶を失念し、いつもの日常かと勘違いしてしまう。

 

「三日間、眠っていたんだぞ」


「──はっ!?」


 そんな私を完全に覚醒させたのは、前置き無しのジュリアスの言葉だった。

 彼はベッド脇の椅子で、足を組んで座っていた。

 早朝から、私の部屋で。


 つまり私が眠っている間もジュリアスは傍にいたということ。

 当然寝顔は見られていたわけで、それを想像すると続く返事も声が裏返ってしまう。


「ジュリアス様、い、いらしてたんですか」

 

「だから、夜会からずっと眠っていたんだ、お前は。その様子だと寝ぼけてまだわかってないだろう」


 どぎまぎして口が回らない私に、彼はもう一度状況を説明する。

 そこで私はようやく思い出す。

 あの夜の騒動を。そこで起きた事の大きさも含めて。


「あ、あのっ」


「どうした」


「リリィとアル……魔獣は、どうなったんですか」


 心に浮かんだ疑問をそのまま尋ねると、彼はどこか不満げな顔で「別にどうもしない」と答えた。


「お前が倒れた後、夜会はレガート公爵がすべて収めてくれた。何が起こるでもなく、穏便にな。サラドゥアンの寵妃と魔獣も、そのまま普通に帰っていったよ」


「普通に、ですか」


「ああ。それと、お前に礼を伝えてほしいとも言っていたな。何かあったというならそれくらいだ」


「お礼……」


 ということは、リリィとアルはあの後ちゃんと元の関係に戻れたのだろう。

 色々気にかかることは残っているけど、そこだけは聞けてホッとする。


「……良かったです」


 私が感慨に浸りながらつぶやくと、しかしジュリアスは「良くない」と即座に切り返してきた。


「え」


「あのなぁ……ソフィア。お前、まず俺に何か言うことがあるだろう」


「え? えっと……何でしたっけ」


 はぁ、と小さなため息をつかれる。


「ご、ご迷惑をおかけして、すみませんでした……?」


「違う。何が悪いかわかってないのに謝るな」


「う」


 痛いところを突いてくる。

 というか、いつもより目に見えてご機嫌ななめだった。

 こちらに苛立ちをぶつけてくるのは、彼にしては珍しい。


 ……何かいけなかっただろうか。

 心当たりがない。


(だって、アルの件だったら好きにやれってちゃんと許しを得てからやったし……。あ、獣に吸血種の血を飲ませる行為が禁忌だったとか、そういうこと?)


 考えを巡らせているとジュリアスは我慢しきれなくなったのか、自分から口を開いた。


「どうしてあんな方法を採ったんだ? 確かに『やりたいようにやれ』と言ったが、ああいう後先考えない行動を俺が許すと思うのか。見くびるんじゃない」


「な、何のことですか?」


「とぼけるな」


 厳しい視線がこちらに向けられる。


「お前が魔獣を抑えたやり方のことだ。血を飲ませようとしたのはまだいい。だが、わざわざ自分から噛まれに行く奴があるか」


「え、ダメだった……ですか?」


「当たり前だ!」


 そこで静かな口調から一転、怒声が部屋に響き渡った。


「お前、『吸血種は不死人だから、多少の怪我でも大丈夫』とか考えてるんじゃないだろうな。死なないからいいという問題じゃない。お前は俺の寵妃なんだぞ」


 ジュリアスは立ち上がり、ベッドに手を付き顔を近づけてきた。

 朝日が逆光になって表情がよく見えず、それがまた威圧感を増大させる。


「そういう考え方はな、自分勝手というんだ。主をないがしろにする女など寵妃失格だ。わかっているのか?」


「す、すみません……」


「許可してしまった俺にも落ち度はある。とはいえ、まさかあんなことをするとはな……。さすがにあれは俺でも想定外だ」


 姿勢を戻して前髪をかき上げる。

 その仕草の中に、少しばかり気疲れした色が浮かんでいて。


「頼むから二度とあんな真似はしないでくれ。心配するこっちの身にもなってみろ。あの時は……正直言って、生きた心地がしなかった」


「……! はい……」


 そして、最後に言ったその言葉は、意外なことに懇願するような声音だった。


(そっか……。怒ってるのって、そっちにだったのね……)


 ジュリアスが怒鳴った理由。まずかったのは寵妃として主人の名に泥を塗る行為をしたからだと、私は一瞬思ってしまった。


 けれど、それはまったくの心得違い。

 彼は私を心から心配してくれていた。だからこその叱責だったわけで。


「……ありがとうございます」


 その心情を慮ったとき、感謝の言葉が自然と口をついて出ていた。

 申し訳なさを覆いつくすように、嬉しいという感情が胸に広がっていく。

 この気持ちが知られたら、また彼は怒るのかもしれないけど。


 ただ、謝辞に対する返事はなく、代わりにジュリアスは私の手の甲にそっと口づけた。


「あ……」


「帰ってきてくれて、良かった」


 ささやくように、そう言われた。


 唇からじんわりと彼の体温が伝わってくるようだった。

 私の手は寝起きにしては何故かいつもより温かくなっていて、ジュリアスの体温はそれよりも少しだけ高いように感じられた。


(でも、まだこういうスキンシップは……慣れないなあ)


 そして、彼が私から離れて再び椅子にかけた時、タイミングよくドアがノックされる。


「失礼します。──お目覚めになられたのですね、ソフィア様」


 入ってきたのはメイドのタニア。

 彼女はいつも通りのそつのない動作で私に頭を下げた後、ジュリアスの方を向く。


「何か用か、タニア」


「朝食の準備ができましたので、お呼びに参りました。ですが、ソフィア様が目を覚まされたのでしたら……いかがいたしましょうか。二人分、こちらにお持ちすることもできますが」 


「ああ。確かにその方がいいな。頼む」


「承知いたしました」


 タニアは再度、私とジュリアスに礼をする。

 ただ、そのまま部屋を出て行くのかと思いきや、彼女はジュリアスの方に再度振り返り、そこでぴたりと動きを止めた。


「……何だ。まだ他に何かあるのか」


「いえ、特には。ただ、ソフィア様が起きていらっしゃる時でも、手を握っていればいいのにと思いまして。ずっとあのままだったのですから、今更離れる必要もないと思うのですが」


「……おい、タニア」


「え、な、何の話ですか?」


 声が大きくなるジュリアス。タニアは無表情のままだけど、心なしか笑いをこらえているようにも見える。

 一方、私はというと会話の内容が把握できず、二人の顔を交互に見てしまう。


「ソフィア様。実を言いますと、ジュリアス様はこの三日間、ほとんど付きっきりでこちらにいらしたのですよ。それも、ずっとソフィア様の手を握って。なかなかあの姿勢を維持するのは肩が凝ると思うのですが、ジュリアス様は見事に完遂なされました」


「お前……ちょっと黙ってろ。給金減らすぞ」


「それは怖いですね。怖いので、わたくしはこのあたりで下がらせていただきます」


 タニアはさらりと内情を述べると、意味深な微笑で私へ目配せする。


「お二人とも、どうぞごゆるりと」


 そして、楽しそうな表情で部屋を出て行った。


「……」


「え、えっと……」


 後に残された私たち二人。

 ジュリアスは無言で腕を組み、こちらから顔をそらす。

 その彼が、私の手をずっと握っていてくれたという。

 起きた時に手が温いと思った理由はこれかと得心し、私はなんとなく右手を頬のあたりに近づけてみる。

 すると、次の瞬間ジュリアスと不意に目が合い、彼はその端整な顔を赤くした。


(え、何でそこで照れるの……?)


 ……男の人の恥ずかしがるポイントが全然わからない。

 さっきみたく手の甲にキスをするのは、全然遠慮なくやったのに。


(それはそれとして、タニアもタニアで案外気安いところあるよね……)


 普段淡々としてあまり感情を出さない彼女。けどそれはメイドとしての職務を果たすため、あえて抑えているにすぎない……のだろうか。

 特にジュリアスに対してはからかうような言動を見せることもあり、二人の関係はただの主従とはどこか違うところがあった。


(うーん、そこはちょっと……悔しいかなぁ)


 いずれにせよ、ジュリアスにしてもタニアにしても、どうやら私がこの家について知らないことは、まだまだ数多くあるようだった。

 いささか歯痒くもあったけど、今後より深く彼らを知っていけると思えば、別段それも苦ではない。

 むしろ知れる楽しみがたくさん残っている。そんなふうに視点を変えて考えてみれば、その意味で私は幸せなのかもしれなかった。

 

 


 そして──私が三日間の眠りから目覚めたのち。

 間を置かず、ファルケノスの屋敷に二人の来訪者がやってくる。


 その二人とは、両人とも私が見知った顔。

 けれど、ちょっと珍しい組み合わせ。

 

 アルマタシオ第三王子であるルーファス王子。

 それと、サラドゥアン伯爵家第一寵妃のリリィだった。


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