第19話
「で、結局、弟には何も言わずに出て来たのか」
グランセアでの滞在期日を過ぎて。
アルマタシオへと帰る馬車の中、対面に座ったジュリアスは私にそう尋ねた。
「すみません。せっかくついてきていただいたのに」
頭を下げる私を、「気にするな」と彼は受け流す。
「というより、だいたいそうなると思ってたからな。お前の弟……歳は十三だったか? そのあたりなら騎士団に残るのは妥当な線だ。最後に折れるのはお前の方だと思っていた」
「……そうなんですか?」
「しばらく会わないうちに随分と変わっていたんじゃないのか。あの年頃の子供はそういうものだ。ほんの少し見ない間に目覚ましく成長し、変化する」
直接会っていないのに、見てきたようにすばり言い当てる。
「ほんとその通りでした」と言うと、彼は腕を組んだまま「そうだろう」と笑った。
「しかしまあ、良き姉が良き剣士でもある場合、それに追いつくのは至難の業だろうな。弟御も難儀なことだ」
「え、どういう意味ですか?」
「……ただの独り言だ。気にするな」
「はぁ」
(……なんでだろう、今日のジュリアス様はすっごく経験豊富な人に見える……って、あぁ、そうか)
少し逡巡してすぐに思い至る。
考えてみればこの人は私よりずっと年上だった。
外見年齢は大差なくても、生きてきた時間はこちらの何倍もある。
長い年月を生きる中で、同じような『人の変化』を何人も見てきたのだろう。
ともすれば無関心にも聞こえるくらいさらりと述べるその口調は、逆になるほどと思わせる説得力を有していた。
「そんなことより、ソフィア」
と、そこで彼は目の高さを合わせて話題を変える。
「何でしょうか」
「お前……意外と質素な料理の方が好きなのか? たとえば芋を揚げて塩を振っただけのようなヤツとか」
「え、な、何でですか?」
急に違う話をされて私は戸惑う。
というか、質問の意図がわからなかった。お芋って……何? どこからそんな話題が出て来たのか。
「酒場で食っていただろうが。手づかみで遠慮なくつまんでいた。あれがいいなら帰ってからでも料理長に作らせるが」
「あ、あぁ、はい。確かに食べ……って、ええっ!? み、見てらしたんですか!?」
「見てた。というか、普通に目立ってた」
(し、しまったあっ……!)
きょとんとした顔でうなずくジュリアス。
けれど、一方の私はかなりの赤面モノだった。
隊長のお店で飲んだあの晩。
ジュリアスとは席が離れていて、隊長とずっと飲んでいたし、こっちを見られていないと思っていた。
私はお酒が入って気が大きくなっていたこともあって、マナーも忘れて昔のようにはしゃいでしまって。
もちろん迷惑に騒いだわけでもないんだけど、油断したところを彼に見られたという事実がそもそも恥ずかしい。
「お前があんなふうに声を上げて笑ったのも初めて見た。まあ、屋敷だとタニアが色々うるさいからな。たまには羽目を外すのもいいだろう」
「お、お恥ずかしいところをお見せして、申し訳ありません……」
「で、芋なんだが、確か他の団員の皿にまで手を伸ばしていたよな。『いいじゃないの、減るもんじゃなし』とか言って。減ると思うが」
「ぎゃーっ、やめて下さい、忘れて下さい!」
ああああ、私のバカバカバカ。馬鹿すぎる。
どうしてこの人が近くにいたのに調子に乗ったかな。
ピンポイントで恥ずかしい台詞を再現されて、見えてないけど今は絶対顔から火が出てるはず。
「だから買ってきたんだよ。食うかと思って」
と言って、ジュリアスは横に置いていた紙袋に手を伸ばした。
ガサゴソと手を入れ、出て来たのは紙容器に詰められた揚げたお芋。
「え、何ですかこれ」
見ればわかるけど思わず尋ねてしまう。
縦長に切って小麦粉をまぶして油で揚げただけの簡単なジャンクフード。
つまり先日、私が食べていたもの。
「だから、お前が好きなら食べるかと思ってな。発つ前に屋台に寄って、適当に詰めてもらった」
そういえば……馬車に乗る前に少し散歩してくるって出ていったけど。
これを買うためだったってこと?
「俺も初めて食ったが、案外悪くないな、こういうのも」
ジュリアスは一つ摘まんで、自分の口に入れる。
それから「ほら」と、私にもお相伴するよう、二本目をこちらにつきだした。
「あ、ありがとうございます」
うーん……でも、大好物ってわけでもないんだけど……。
とはいえ、わざわざ買ってきてくれたのに、そんなことを言うわけにもいかず。
ただ、今回は適当な返事でやり過ごすことにして、「それじゃあいただきます」と受け取ろうしたのだけど、ジュリアスはそこから手を動かそうとしなかった。
「……あ、あの?」
私が問いただしても微動だにせず、持っていない方、左手の人差し指だけをくいっと曲げて意思表示する。
『こっちに来い』というジェスチャー。
つまり、向かいではなく隣に座れということ。
(ど、どういうこと……?)
わけもわからず席を移動すると、ジュリアスは満足した表情になり、右手のお芋を私の口に近づけた。
……って、これって、もしかして。
「ほら。さっさと口を開けろ」
私も察しの良い方じゃないけど、さすがにわかる。
要するに私が『食べさせてもらう』体勢。
(だから、これって……「あーん」して食べるアレ……だよね……?)
「あの、ジュリアス様」
私が言うのに被せるように、彼は「ソフィア」と名前を呼ぶ。
そして、じっと私を横目で見て、こう続けた。
「……別に、弟に会いに行くのも、酒場で羽目を外すのも構わない。ただ、俺の方が上ということは……わからせておきたくてな」
「は、はい?」
「他の男と話すなと言ってるわけじゃない。そこまで束縛するつもりはない。しかし、こういうことは……他の奴にはさせたことがないだろう? そうだよな? そうだと言え」
「す、すみません。何を仰っているのかよくわからないんですが」
戸惑う私にジュリアスはしびれをきらしたように声をあげる。
「だからっ、たとえば一つの食い物を分け合うとか、俺とはやったことないだろうが。食いかけでも気にせず食べたりとか。だとしても、一番は俺だと言ってるんだ。だからこうやって食べさせてやるのは俺だけなんだよ。他の奴には絶対させたりしない。いいな?」
(……! あっ、そ、そういうこと!?)
そこまで言われて、彼が何を言いたいのかやっとわかった。
要するに、やきもちだ。
先の晩で私の隣に座っていたのは左右ともに男性隊員だった。
二人とも私と歳が同じ、騎士団在籍時もいっしょに切磋琢磨した仲で、酒席でも気兼ねすることなくおしゃべりしていた。
あるいはそれがジュリアスには馴れ馴れしく映ったか、いや、そうに違いない。だからこそ自分との関係を再確認させるように、こうして私を隣に座らせているわけで。
でも……なんだろう、このむず痒い感覚は。
ちょっとだけムキになってる彼の表情が……すごく可愛い。
立場的にはこっちが逆らいようもないのに、それでも押さえつけるでもなく、子供がわがままを言うような素直さが見え隠れしていて。
(嬉しい、ような)
上手く言えないけど、彼の心に一歩近づけた気がして、私は胸の鼓動がいつもより高まっていくのを感じていた。
「……承知いたしました、ご主人様」
彼の意図も内心も理解したことを、できる限りの笑顔で伝え、「それでは、食べさせていただいてよろしいでしょうか」と尋ねる。
ジュリアスは「ん」と照れたように声だけで返す。
改まって彼の近くで口を開けるのは、ある意味裸になるより恥ずかしいところがあった。
それでもジュリアスはためらうことなく私に一切れを近づける。
その瞬間は、何故だか時間の流れがゆっくりに思えて。
けれど確実に距離が縮まり、私の唇に触れる瞬間──
ドォン──
外からの轟音。
強い衝撃。
馬車の屋形が大きく揺れ、私たちの体は片側に追いやられる。
それは──何者かによる襲撃の砲火だった。
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