第36話
「大丈夫か、ソフィア。怪我は──」
ジュリアスは私の手を引き上げ、心配そうにこちらを覗き込んだ。
「ありません。タイミングはばっちりでしたから」
意識的に笑顔をつくってみせると、彼は安心した様子でうなずいてくれる。
続いてジュリアスは総大司教に命令し、彼が身につけていた対魔力のブローチをルーファス王子の胸に付け替えさせた。
総大司教自身には騎士団長の死体からブローチを剥ぎ取らせ、針を引っ込めてそちらに交換するよう指示を出す。
老魔術師は粛々と従い、仮面のような表情でブローチを行き来させる。
一見無駄の多い手順に見えるけど、これは術者本人が付けていた毒針のないブローチを王子に渡すためだ。
吸血種ゆえ死に至らないとしても、毒の危険性は看過できない。彼には一番安全なものを渡しておきたい。
そして、王子の胸にブローチをつけるのは、言わずもがな魅了の魔力を防ぐため。
「……あの、すでに魅了にかかってる人にもブローチの対魔力って効くんでしょうか。なんでしたら私の血を殿下に飲ませれば……」
「駄目だ。それは効果がなかった時の最後の手段だ」
ジュリアスの言葉で私は前に出そうとした手を下ろす。
後から知った話だけど、このブローチ、魅了の力を無効化するためだけに作られた特注品だったらしい。
対魔力の効果は実際にあったらしく、しばしの後、縄を解かれた王子は本来の人格を取り戻した。
「う……すまない、ジュリアス……。それに、ソフィアちゃんも……」
「まったくだ。賭けはお前の反則負けだぞ。最初から答えを知っていたんだからな」
賭けとは、ジュリアスと王子の間で行っていたという誰が黒幕かを当てる勝負のこと。
開口一番ジュリアスがそれに言及したのは、不可抗力の裏切りを責める気はないという気遣いの表れ。
その意を察した王子は、自戒と感謝の表情でうなずく。
「ありがとう、ジュリアス」
「気にするな」
短いやりとりの後、ルーファス王子は改めて広間の現状を見渡して言った。
「それにしても……これは一体、どういう状況なのかな。何がどうなってこうなったのか……」
聞きたいことが多すぎる、という顔だった。
その質問ももっともだと思った。
どうしてジュリアスは魅了の魔力の支配を受けていないのか。
どうして私は胸を刺されたのに無事なのか。
どうして総大司教は人が変わったように私たちの側についたのか。
彼の疑問を大まかに挙げれば、多分こんなところだろう。
「ジュリアス様」
私が指示を仰ごうとすると、彼はこちらを制して自分が説明すると言った。
「まあ、色々と一か八かの部分があったことは否定できないんだがな……」
ジュリアスはそう前置いて、事の顛末を話し始めた。
まず、ジュリアスはディートリンデの魅了の魔力を受けたにもかかわらず、実は最初からその支配が及んでいなかった。
ただ、多勢に無勢の状況で敵に知られるのはまずいと考え、あえて操られた振りをしていたとのこと。
そのことは私も何となく気付いていた。
あの時──銀の剣が私に向けられた時、オートマルトの言葉を受けて、ジュリアスは自分の剣技に自信があるようなことを言った。
けれど、本当は剣で戦ったことなどない。
グランセアの野盗を退ける際、私の問いにそう答えたのだから。
剣術の経験などまったくないのに、わざわざそんな嘘をつく理由は何か。
それはつまり、嘘をつける──本当は自分の意思で動けることを、私に知らせようとしたということ。
敵の手中に落ちたように見せかけ、反撃の機をうかがう。
私もそんなジュリアスの意思を汲み取り、彼に合わせて刺された振りをしたのだった。
「え、でもさ」
と、王子は不審がる。
「刺された振りって言うけど……ソフィアちゃん、普通に胸に刺さってたじゃないか。血もすごくたくさん出て」
「なんでそんな平然としてられるのさ」と、首をかしげる王子。
ジュリアスはあっけらかんとして彼に答えた。
「あれは俺の血だ」
「……は?」
「ソフィアの胸を刺す時に左手を添えていただろ。突き刺す時も引き抜くときも、添えた左手──厳密には、手首のあたりに刃が立つような角度でやったんだよ。だからソフィアの胸から出血したように見えたのは、実は全部俺の血だったわけだ」
「な……何だって?」
「その後で総大司教は血の入ったワインを飲んだでしょう。あれも私の解呪の血じゃなくて、ジュリアス様の血だったんです。だから今、彼はジュリアス様の支配下にあって、ジュリアス様の命令だけに従う状態になっているんです」
私が補足すると、王子はひざまずくニアベリルを一瞥し、「あ……ああー……」と小刻みにうなずく。
しかし直後、思い出したように「いやいや」と手を振って言った。
「でも、ソフィアちゃんの胸に刺さってたことは事実じゃないか。何でジュリアスだけ出血してるのさ」
「それは──」
「霧状化したんです」
今度は私が彼に答えた。
霧状化。魔力によって肉体を霧に変える吸血種の能力。
その力によって、私は胸の部分だけを気体化し、銀の刃をかわしていた。
物理的に斬られなければ、いくら銀の剣だろうと効果はない。
ただ、リリィのように全身を霧に変えるには、私の場合時間がかかりすぎるという問題があった。
そこで今回、私は魔力を一点に集中させ、体の一部だけを霧状化させるという方法を採った。
これによって欠点をカバーし、服に覆われた部分をすり抜けさせる。そうやってあたかも刺されたように見せて、敵の目を欺くことを成功させたのだ。
正味な話、これは土壇場で思いついた考えだった。
きっかけはファルケノスの屋敷を発つ前にグスタフと交わした会話。
というか、グスタフがその戦い方を提示してくれた。
弟は霧状化の説明を聞いた時から私向きの使い方を考えていたらしい。
「──別に全身を霧にしなくてもさ、相手の剣筋を予測できるなら、むしろそこだけすり抜けさせればいいんじゃないかな」
出て行く直前、「向こうで斬り合いになった時のため」として、グスタフは私にそんなアドバイスをしてくれた。
それを刺される寸前で思い出し、なんとかあの場を切り抜けることができた。
「いや、それはまた……。よく……合わせられたね」
王子は私たち二人をまじまじと見て、ため息をつく。
「実を言うと、剣を刺すまでは霧状化に気付かなかったんだがな。ソフィアが避けようとする素振りすらなかったから、何か考えがあるんだとは思ってた。それで、突き入れたらまるで手ごたえがなかったから、『ああ、これは使ったな』と」
「ギリギリすぎるでしょ……」
苦笑しつつも若干引いた様子で身震いする王子。
彼はそれから最後の疑問を口にする。
「で、あと気になるのは、何故ジュリアスが魅了にかかってないかなんだけど──」
「……これに関しては俺も確たることはわからない。魔力を注ぎ込まれても、とにかく効かなかったとしか言いようがないんだ。だが、まあ……ルーファス、それにソフィアも。お前たちなら理由は想像できるんじゃないか」
ジュリアスはそう言って、私たちに回答を振る。
「ん、まあ、ね」
王子も意味ありげに私を見る。
答えを求められたような気がしたので、私は思ったことをそのまま口にさせてもらった。
「きっと、私の解呪の血を……日常的に飲んでいたから……ですよね」
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