第6話


「随分と妙な形の道具だな」


 屋敷の一室にて。

 ルーファス王子が鞄から取り出した医療器具を見て、ジュリアスは率直な感想を口にした。


「人間の医者が使ってるものと同じでね。これで心臓の鼓動を聞くんだよ」


 王子は言った後、「いいかな」と断りを入れ、薄手の服に着替えた私の胸に機材の先端を当てる。


「……うん……うん……良し。じゃあ次は口を開けて」


 言われるままに従い、私は彼の診察を受ける。


 口の中、下まぶたの内側、背中。

 二、三の問診。

 時には直に触れての触診。


 ルーファスは真剣な表情で、身体のあちこちを手際よく診ていく。


 そして、最後に私とジュリアス二人分の血を採取した後、特に熟考することもなくあっさりと結論を告げる。


「見た感じ、髪と眼の色以外は特におかしなところはないね。君の体は僕たちと同じ、吸血種のものになっていると思う」


「そうですか」


 なお、王子には私が正規の寵妃でないことは前もって知らせてある。

 それだけでなく、本来の寵妃候補であったディートリンデが駆け落ちし、ジュリアスから逃れたことも。


 ジュリアス本人が診療の依頼に先立って、諸々を教えたとのことだ。

 

「世話をかけるな、ルーファス」


「こんなことお安い御用さ。あ、でもまだ終わりじゃないから。血の解析結果が出るのは後日になるからね」


 たとえ王族だろうと政略結婚の相手に逃げられたなんて外聞にかかわることを明かしてしまっていいのか疑問だったけど、ジュリアスと王子の関係を見るに、それはこの王子だから話せたことかもしれないな、と思った。


 ちなみに、対外的にはディートリンデの存在はいないものとして扱うことになっている。

 彼女は最初から無関係の人間であり、見初められた婚約の相手は私だった――という筋書で今後は通す予定らしい。


 ディートリンデの実家であるエルファシオ侯爵家にも、本当の経緯を口外しないよう厳命し、代わりに政略結婚を反故にしたことは罰しない処遇でいくそうだ。


 それは、魅了の力で操られていた人たちを咎めても意味がない――というよりは、そもそもジュリアスは彼らに関心がないゆえに、そのようなずさんな処理になったとのこと。


 必要なければ捨て置くのみ。後のことなど知ったことじゃない。

 そんなふうに公爵の一存で物事が決まってしまうのは、ちょっと文化が違うというか、理解はするけどまだ慣れないところだった。



「……やはり、こいつがただの人間だからこうなっているのか?」


 診察が一段落ついた後、ジュリアスはルーファス王子に尋ねた。


「いや、それは何ともいえないところだね」


 私の身体に吸血種としての兆候が見られない理由。

 それは私が寵妃の資質を持たない普通の人間だから。

 誰もが行きつくだろうその予測に対し、しかし王子は首を横に振る。


「実際、資質がない人間が寵妃になった例も過去にいくつかあるんだよ。どれも大昔の症例で、あまり記録は残ってないんだけど」


 言いながら彼は自らの鞄から日に焼けてボロボロの書類を取り出す。


「で、これだけは唯一残ってたカルテなんだけど、この記録、患者の身体的特徴については特に何も触れていなかった。……ということは、この寵妃はちゃんと変わってたと考えるのが自然だと思うんだ。であれば、資質の有無は関係ないんじゃないかな、と」


「なるほど」


「ていうかね、いくらなんでも資料が少なすぎでまいったよ。カルテはもちろん、それ以外の記録すらほぼ無いんだよ? やっぱり僕たちって享楽的に過ぎるというか、あまりにも自分のことに無頓着だよ。これ、種族としてまずい傾向だと思うんだけどねぇ」


 やれやれとかぶりを振り、ルーファスは背もたれに体を預ける。

 ジュリアスはその古びた書類を受け取ると、一瞥しただけで私に渡す。


「まあ、こんなだから吸血種の来歴自体がそもそも定かじゃないんだよね。中には突然変異で自力で人間から真祖になった者もいて、僕らの祖先は人間なんじゃないかって説もある。もっとも、皆プライドが高いから、その考え方はタブー視されてるんだけど」


 そして、王子は今度は私に聞かせるように言った。


「それに比べれば『ジュリアスの血を受けた』っていう外的要因がある分、君の症状はまだわかりやすいかな。『突然変異の理由を教えろ』なんて言われたら、僕でも説明できないし」


「突然変異……そんなものがあるんですね」


「ごく少数で、そっちはさすがに資質がある人しか症例はないけどね」


 先ほどよりも饒舌に、よどみなく喋るルーファス。

 無邪気な笑顔で話すその様子は、彼が根っからの研究好きであることを表していた。


 一方、私は彼の話を聞きながら思う。

 あるいは私にも寵妃としての資質があったなら、こんなふうに二人の手を煩わせることもなかったのではと。

 そして、これから夜会等で会う他の吸血種たちにも、好奇の目で見られたりはしないのだろうと。


「……いちいち気に病むなよ」


 するとジュリアスは私の心を読んだかのように言った。


「自分でどうにもできないことは考えても詮無いことだ。むしろ俺はお前が来てくれて良かったと思っている。退屈せずに済んでいるからな。だからあまり深刻に考えるな」


 言いながら彼は、私の頭をポンポンと撫ぜた。


「顔に……出ちゃってましたか」


「お前は結構わかりやすいからな。まだ短い付き合いだが、そこは把握した」


 嬉しいような、恥ずかしいような。

 なんともいえない思いとともに、私は彼が触れたところを手でなぞる。


「あ、あー……お熱いのは結構なことなんですケドね」


 そこへ咳払いとともに、王子が一声。


「いつ切り出そうか迷ってたんだけど、この際ここで伝えておこうと思うんだ。いいかな」


 笑いを噛み殺したような表情の後、彼は私たち二人を見る。


「どうかしたのか、ルーファス」


「実を言うと、今日来たのはソフィアちゃんを診るためだけじゃないんだよ。少し気になる噂を耳にしてね」


「噂?」


「うん。まあ、大勢には影響ないと思うんだけど。君たち二人には知らせた方がいいと思って」


「……何の話だ」


 言いながらも、どこか歯切れの悪い様子のルーファス王子。

 ジュリアスはそんな王子に対し、怪訝な表情で問う。


 王子は少しの逡巡の後、口を開いた。


「さっきの突然変異の話だけど、最近まさにこの症例……つまり、自力で真祖になった人間が現れたんだ。そいつはとある伯爵家に取り入って、今は寵妃として召し抱えられてる」


 あまり面白くなさそうな口振りで彼は言った。

 もっとも、彼自身が語ったように、それだけなら珍しくはあっても別段おかしな話ではない。

 

「それは……何か良くないんですか?」


「うん。困ったことにその寵妃、魅了の力があまりに強いらしくてね。巷では彼女が実質的に伯爵家を掌握してしまったと、まことしやかにささやかれてるんだ」


「なんだと」


「え、それって……」


 魅了の力。人間。寵妃。

 家全体を掌握。

 どこかで聞いたような単語の組み合わせに、私とジュリアスは顔を見合わせる。


「掌握というか、それは乗っ取ったということか」


「ご明察。体裁があるから誰も言わないけど、実際は僕もそんな感じだと思ってる。で、その寵妃っていうのが、君たちも知った名前なんだけど――」


 そこまでを耳にして、私の心が波立った。

 まさかという思い。

 胸の中で出した答えと、王子の次の言葉とが重なる。



 ――ディートリンデ・エルファシオ。


 王子が告げる寵妃の名は、私を身代わりとして差し出した、侯爵令嬢のものだった。


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