第26話


 その時私たちは、別棟の図書館で本を読んでいるところだった。

 本邸からいくつかの棟を挟んだところにあるファルケノスの私設図書館。そこには町の図書館に勝るとも劣らない蔵書が収められている。

 その静かな空間で、ジュリアスに従い読書の供をする。


 といっても、何をするわけでもなく、こっちはこっちで本を選んで彼の近くで黙ってそれに目を這わせるだけ。

 ただ、ジュリアスは時々思い出したように話を振ってくる。視線はページに落としたままで。

 つまり私の役目はその話相手をつとめること。

 話題は単なる世間話から政治のことまで、その時々で多岐にわたる。深い意図はなく、こちらに考察を求められることもない。

 言うなればだらだらと読書しながら雑談する。そういう無為なひとときに浸る時間だった。


 そして、ここ最近はそんな余暇の時間に、ジュリアスは自分のことをよく喋ってくれるようになっていた。

 以前ならこちらのことを聞かれるばかりで、私は彼の知りえない平民の生活について説明する。それがある程度決まった会話のパターンだった。

 でも今は、彼の方からささいな日常の気付きやちょっとした愚痴を、何気ない感じで打ち明けてくれる。


 それは率直に言って、すごく嬉しい変化だった。


 本来ならもっと気の利いた、女として愛でられるような接待をすべきなのだろう。

 情交的な寵愛よりも、信頼を先に感じてしまう今の状況は、寵妃としては正しくないのかもしれない。


 けれど私は、こうして彼と二人で過ごす時を楽しみに、そして大切に思うようになっていた。




 そんな中、少し強い調子で扉が叩かれる。

 入ってきたのは例によってタニア。

 この日の彼女は珍しく困った顔をしており、やや戸惑った様子で口を開く。


「おくつろぎのところ申し訳ありません。先ほどグランセアからの荷物が到着したのですが……。グスタフ・ラングレン様、ソフィア様の弟君だと名乗るお方が荷台の中から出てこられまして……いかがいたしましょうか」


 今日届けられるのは物品のみで、来客の予定などはなかった。

 当然、グスタフが来るなんてことも聞いてない。

 想定外な名前に、私は一瞬固まる。

 続いて、答えるより先に、「姉さんっ!」と、タニアの背後から金髪の影が飛び出してきた。


「グスタフ!?」


 その影こそ見紛う事なき私の弟、グスタフ。

 本来この子がこの場にいることはありえない。

 ジュリアスのサプライズというわけでもないらしく、彼も隣で小さく驚きの声を漏らす。

 弟は多少やつれていて、そして気が動転した様子で、私を見るなり脱力したようにその場に崩れ落ちた。


「ちょっと、どうしたのグスタフ!?」


「ね、姉さ、ッ、僕、急いでっ……。手紙はっ、手紙は読んじゃダメだっ」


 息を切らして、声がかすれていた。

 私はタニアに指示して、部屋に置いてある水差しを弟に飲ませる。

 服の肩口が半分ほど切られていたけど、見た感じ怪我をしている様子もない。

 グスタフはそこから呼吸を整え、落ち着いた後で言葉を選びながらジュリアスに頭を下げた。


「……まずは無断で荷物に忍び込んだことをお詫び致します、閣下。ですが一刻を争う事態ゆえ、どうぞご寛恕のほど、お願い申し上げます」


「何があった」


 初めて見る、恭しくかしこまった弟の言葉遣い。

 要点を問うジュリアスに、グスタフは数秒ためらいを見せると絞り出すように言葉を紡いだ。


「……サキサカ隊長はじめ、第六小隊はグランセア上層部に取り込まれ、敵となりました。この先、隊長からの報せはすべて偽りのものとなります。信じてはいけません」


「なっ……」


 この時声を上げてしまったのはジュリアスではなく、私。


 意味が分からなかった。

 第六小隊が……敵? 偽りって……どういうこと?

 理解できずに、言葉の表層だけが頭の中を滑ってゆく。


「な、何言ってるの、グスタフ」


「姉さん、僕は隊長に……あとちょっとのところで斬られるところだったんだよ。隊長は保身のために嘘の手紙をしたためていた。僕はそれを見てしまったんだ。残念だけれど……もう、グランセアに僕たちの味方はいない」


「……嘘」


 指先が震える。

 自分の思考から出たのではない、反射的なつぶやきだった。


 グスタフはジュリアスへと向き直り、片膝をついて頭の位置を下げる。


「荷台の中、『ヒノカワ』から購入された酒類といっしょに隊長からの手紙が同梱されていますが、これも罠です。あと、もしかしたら酒の中にも毒が入っているかもしれません。飲まずに全部捨てて下さい」


「肩口が切れているのは、サキサカの剣筋か」


 ジュリアスは続けて弟に尋ねた。

 彼が指差したグスタフの右肩、袖だけが切れて素肌が露出している部分。その部分を見ただけで、グスタフの身に尋常でないことが起こったことは明らかだった。

 グスタフは苦々しい表情でうなずく。

 曰く、間一髪のところだったらしい。小隊総出で弟を追い込み、もう少しで斬り殺されるという刹那、運良く刃は服を裂くのみに留まり、グスタフは荷台の中に転がり込んでここまで逃れてきたという。


(そんな……そんなことって……!)


 信じられない。

 信じたくなかった。

 あの隊長が、こうも簡単に手の平を返してグスタフを殺そうとするなんて。

 頭を鈍器で殴られたような衝撃を覚え、机の端に手をつく。


「……」


 一方ジュリアスは何事かを考えるように、押し黙って腕組みをした。

 目を閉じたまま、弟に質問を重ねる。


「グスタフ、お前、酒の並びをいじったりしてないか?」


「……は?」


 けれど、それはまったく判然としない問いだった。

 その問いに、グスタフはぽかんと口を開け、目をしばたたかせる。


「サキサカが送ってきた酒だ。配置を変えたかと聞いている。どうなんだ、答えろ」


「い、いえ。僕は最後尾の馬車の空いた空間にずっと入っていて、品物には手をつけていませんが……」


 「よし」とジュリアスはうなずく。


「……?」


「ジュリアス様? あの、どういう……」


 先刻からいまいち彼の意図がつかめなかった。

 グスタフの勧告にも反応せず、ただ無言で眉を寄せるのみ。

 裏切りの報せに怒る様子もない。

 それどころか驚いた表情すら見せず、彼はどこか予期していたかのようですらある。

 どういうことなのか。


「届いた荷を確認する。ついて来い」


 ジュリアスは立ち上がると、自ら荷台の場へと足を向けた。

 わけがわからないままに、私たちも彼に続く。


「タニア、誰か男手を呼んで来い。酒瓶の入った木箱を開封する。ただし、蓋を開けたらそこからは何もするな。俺がいいと言うまでそのままだ」


「かしこまりました」


 歩きながら命令が下される。

 到着した集積場で荷台が開けられ、ジュリアスは中身を自らの目で確かめた。

 そして彼は、二十以上あるケースを見下ろして、「なるほどな」と得心の表情を見せる。


「二人とも安心しろ。サキサカは裏切ってなどいない。すべて俺たちの予定通りだ」


「えっ?」


「ジュリアス様、何を言って──」


 続いてジュリアスは振り返り、確たる口調でさらなる事実を告げた。

 木箱の酒を一瞥したのみで。

 手紙も開封せず、封筒すら見ていないのに。


「あいつの報告によると、黒幕は騎士団総隊長のパウル・オートマルト。つまり、少なくとも敵の一人はお前たちの上司ということになる」


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