第4話


(あぁ……しまったなぁ……)


 思わず力ないため息が漏れた。


 三日後の夜、公爵が私の部屋に来るとタニアから聞かされて。

 一体何用かと考えを巡らせ、ようやく『その手のこと』だと理解したのがついさっき。


 心の準備もまだなのに、まずは侍女たちが部屋にやって来る。

 一人で出来ると言っても聞かず、彼女らの手で湯浴みをされ、髪を梳かれて、あれよという間に身支度が整えられる。


 けれど、当の私は気が気じゃなくて。

 花の香りがするお湯も、おそらく最高級の香油も、それを堪能する余裕なんてない。

 わけがわからないうちに着衣を脱がされ、着せられたのはドレスだか下着だかわからない透けた衣装。


「ちょ、ちょっと待って。何この服」


「お気に召しませんでしたか」


 ……気に入るとか入らないとか、それ以前の問題なんだけど。


 ただ、困る。

 隠せてるようで隠せてない、かなりきわどいのがとても困る。


「もしかしてこれ……公爵の趣味?」


「いえ、わたくしが選びました。殿方から見て一番『そそる』ものを思いまして。とはいえ、わたくし自身も男性の嗜好は……正直よくわからないのですが」


 ……ダメじゃないの、それ。

 

 さすがにこのお節介に感謝の意を述べる気にはなれなかった。

 無言のまま、私はじっとタニアをにらむ。

 彼女はこちらの意図に気付いた様子もなく、会釈で返す。


 そしてもう、着替える時間はなさそうで。

 胸の前を隠すように、ぎゅっと身頃を引っ張って自分の意思を示すくらいしかできなかった。


 無駄な抵抗というやつだけど。







「……大丈夫か?」


 そんな感じで身を固くしていたせいか、開口一番、部屋を訪れた公爵に心配されてしまった。


「あ、えっと」


 着ていたそれが似合っていなかったこともあるのだろう。

 彼は怪訝な、そして少し同情したような顔で、ベッドの上の私を見下ろす。


「そう固くなるな。別に取って食おうというわけじゃない」


「は、はい」


 いや、似たようなものでしょう、とは言えなかった。

 わかってて言ってるのだろうか、この人は。その言い方だと逆にこれからすることを意識してしまうことに。

 

「飲むといい。気が休まるだろう」


 ジュリアスはそう言って、傍らの花弁入りのお茶を注いで差し出そうとした。

 そこまでされて、ようやくもてなす方ともてなされる方が逆転していることに気付く。

 私は慌てて腰を上げる。


「すっ、すみません! 私がやりますからっ」


 しかし駆け寄ろうとする時、慣れない長めのネグリジェを思い切り踏んづけてしまった。


 つまずき、前につんのめる。

 踏みとどまれず、勢い余って彼の胸に飛び込むかたちになる。


「ひゃ」


 形容しがたい声が私の口から漏れた。


 ふわりと男物のコロンの香りが漂い、それを意識する暇もなく、大きな腕で抱きかかえられる。


「案外、積極的だな」


 公爵はくくっと笑って言った。


「しっ、失礼しました!」


 すぐさま離れようと身を引く。けれど、強い力で腕の中に引き留められてしまう。


「って、えっ、あのっ」


 向こうの片手はティーカップでふさがっていた。なのに、こちらはもう片方すら振りほどけない。なんて力。


「わっ、私っ、そのっ」


「どうした。これくらいでうろたえていては最後まで持たないぞ」


 何でも無いことのように言われたせいで、余計に顔が熱くなってしまった。




 ややあって、「悪ふざけが過ぎたな」と解放され、もとの位置に戻るよう促される。


 その後しばらく互いに何を言うでもなく、気まずい無言の時間が流れていった。


(……どうしよう……)


 やってしまったと思った。

 

 穏便にやり過ごすどころか、緊張で固まり、心配され、挙句の果てに慌てふためくさまをからかわれる始末。


 正直、私みたいな蓮っ葉な女が夜の相手をつとめるのも無理があると思う。

 けど、それにしたって、もう少し冷静さを保てないのか。


 なんだかここへ来てからずっと浮き足立ってるなあ、と思った。

 混乱しながら顔を上げると、公爵は観察するようにじっと私を見つめている。

 宝石のような紅いその瞳で。


「安心しろ。お前がその気でないなら俺は何もしない」


「は……え?」


 彼は窓際の椅子で足を組み直し、優雅な笑みをたたえて言った。


「足元すらおぼつかない者を押し倒して悦ぶ趣味はない。今のお前に準備ができていないことはよくわかった。今日はもう休むといい」


 責めるような感情はまったく見られない。

 だからこそ私は見捨てられたような気がして、焦った。


「いえ、あの、すいません。待って下さいっ!」


「……まあ、落ち着け」


 冷水のような声で我に返る。


「お前自身はどうしたいんだ。もしやと思うが、俺の機嫌を損ねないよう上手く抱かれなければ、とでも考えているのではあるまいな。だとしたら、そんな女はこちらから願い下げだぞ」


「そ、そんなことは……」


 その言葉に思わずハッとなった。

 自分自身、明確な意識があったわけじゃない。

 気持ちが追いつかず、とにかく粗相のないようにと、それだけで頭がいっぱいだった。

 けれど、否定できなかった。それは少なからず、内心でそう思っていたせいだろう。


 ……とはいえ、好き合ってもいない相手に義務ではない感情で抱かれろというのもどうなのか。

 ちょっと酷な要求だと思う。


 自分の魅力に絶対の自信があるのか。

 単純にロマンチストなだけか。

 彼の人柄がよくつかめない。


「ひとつ、聞いてもいいか」


 すると公爵は、今度は私へと尋ねてきた。


「な、何でしょうか」


「吸血種になってから、己の身体にどこか変化は見られないか。たとえば今、胸の奥が熱く感じるだとか」


「いえ。特にはありませんが……」

 

 意図の読めない質問。

 少しの後、「そうか……」と、こちらを覗き込んでつぶやく。


「髪を、触らせてもらってもいいか」


 続いて立ち上がり、近づいてくる。

 特段害意も感じなかったので、私は首肯して彼の好きにさせた。


「……別に変わった様子もないな」


 「どういうことですか」と問うと、ジュリアスは拒むことなくその内情を話してくれた。


「血を与えられ、吸血種となった者は、同じようにその容貌も変化する。我々のように銀髪赤眼になるわけだ。だがお前は一向にその兆しすら見られない。それが少し気になってな」


「……発現時期に個人差があるんじゃないですか?」


「さすがに数日経っても何もないというのは聞いたことがない。それでもお前はしっかりと死の淵からよみがえってきた。変わらないはずはないんだ」


 「まあ、俺としてはこちらの色の方が好みだが」と、彼は再度私の髪をなでた。


 その行為を不思議と嫌とは思わなかった。


 私の髪は肩まである。

 淡い、金色のまっすぐな髪。

 ディートリンデ嬢と似た髪質で、だから私が身代わりに選ばれたのだけど、これだけは自分の容姿で唯一自慢できる部分でもあった。


「それと、お前の内面に変化がないようなのも引っかかる。俺とねやを共にするにあたって、その反応はありえんことだ」


「ど、どういう反応なら普通なんですか」


 しかしジュリアスはその問いには答えず、話題を変える。


「……どんなことでも失態のないようにと気が焦るのは、自分を良く見せようと思っているからだ。つまり、お前にはきちんとした自我がある。俺にとってそれは喜ばしいことなんだよ」


「……?」


「寵妃とは、単なる愛玩物とは違うということだ。俺は抱くための女なら何でもいいわけじゃない。誰かと夜を過ごすなら、相手の人となりを知ったうえで分かり合いたいと思っている。勘違いしているようだが、嫌なら嫌と言えばいいんだ。こちらとしても無理強いする気はない」


「……お優しいんですね」


「上っ面の世辞はよせ。立場が上の者がこれを言っても、欺瞞にしかならないのはわかっている。だからこれは、俺個人の単なるわがままでしかないんだ」


「……」


 面白い人だな、と思った。

 堅くて遠回しな言い方をしているけど、その言葉には私に対する配慮が見て取れる。

 どこかぶっきらぼうだけど、だからこそなのか、それは偽りない彼の本心だと信じることができた。


 その上で、彼は己自身をも他人と同じように客観的に見ている。

 尊大ではある。けれどその姿勢は、当主という自分の立場をわきまえたうえで、相手を同じ人として扱い、傲慢にならないよう自らを律しているかのようだった。


(あと、やっぱり……この人結構ロマンチストだ)


 私はそこで、頬の火照りが引いていることに気付く。

 いくぶんか心が平静さを取り戻していた。

 今日はもう抱かないと言われて安心したのだとしたら、我ながら現金な性格だと思う。


「それなら……今夜はお話をしませんか」


「話?」


「いずれ抱く女のことを知っておきたいというのなら、どうぞ私のことをお知りになって下さい。没落貴族の娘の冴えない生い立ち話ですが、一夜の暇つぶし程度にはなりましょう。よろしければ、お聞かせ差し上げたく存じます」


「ふむ」


 緊張が解けたからなのか、かしこまった言い回しもよどみなく述べることができた。


 そう申し出たのは、いつか抱かれる時のため、なんてことを考えたからではない。

 ただ、公爵が私のことを知りたいというのであれば、それは嬉しいことだと素直に思えた。

 つまりそれは、私という人間を一個人として見てくれているからこその要望。

 喜びこそすれ、拒む理由などない。


 寵妃や眷属など特異な身分差はあれど、この国の人たちは私が身構えていたほど異形の存在ではないようだった。


 少なくとも自分の都合だけで体を重ねるわけじゃない。どんな形であれ気遣う姿勢を見せてくれたことで、私は公爵にいくらかの親近感を抱き始めていた。


「……そうだな。自分の知らない世界の話というのは、どんなものでも心が躍る。ぜひ頼む」


 ジュリアスは深く座りなおし、興味深げに改めてこちらを見据える。

 

 私は小さく一礼して、「それでは」と話し始める。すると彼の中から穏やかな笑みと、少年のような期待に満ちた表情があらわれた。


(……この人、こんな顔もできるんだ……)


 最初とは別の意味で、長い夜になりそうだと思った。


 けれど、その笑顔のせいなのか、語り始めた私の心はどこか涼やかだった。


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