第15話


(……なんでこうなったかな)


 今、私は一台の馬車に乗ってグランセアへと向かっている。


 向かいの席にはジュリアス。

 私も彼も、貴族らしからぬ簡素な服に身を包んでいる。

 目立たないためにだ。


 ジュリアスの足元には剣。

 出発当初は帯刀していたけど、カチャカチャと音が鳴るのが煩わしいのか、すぐに外して下に置いてしまっていた。


「あの……ジュリアス様。やっぱり剣は私が預かっておいた方が」


「フリオだ」


「う」


 「預かっておいた方がいいと思いますけど」、そう言い終わる前に呼んだ名前を訂正される。


「屋敷を発ってからは俺のことはフリオと呼ぶように言ったろう。敬称も不要だ。今の俺は、お前の護衛騎士なんだからな」


「……わかりました」


 私が「それではよろしく頼みます、フリオ」と付け足すと、ジュリアスは満足そうに「了解した」とうなずいた。




 弟であるグスタフからの手紙には、これといった面倒ごとが書かれていたわけではない。


 以前ジュリアスに頼んで使いの人に見に行ってもらった時、弟は城下町の小料理屋に住み込みで働いていると聞かされていた。


 別に、それはいい。

 私の生家であるラングレン家には弟のほかに母親と二人の姉がいるけど、彼女たちといっしょに生活するよりは城下のどこかで下宿する方がよほどマシだと思っていた。


 だから弟が平民と同じ生活をしていることに不満はない。

 どうせ貧乏貴族なのだし、私の偽の政略結婚でエルファシオ侯爵家から与えられる報酬も弟に均等に分けられたと聞いていたので、生活費の心配もしていなかった。


 ファルケノスの使いの人は小料理屋の評判なども調べてくれて、幸いなことにそこは子供一人が生活に困らず、穏やかにやっていける環境だとも聞いていた。

 

 もしもの時はジュリアスに頼んでグスタフをアルマタシオに呼び寄せようかと思っていた。けれど、「僕は大丈夫だから」という本人からの伝言で、それはあっさりと拒まれる。

 だからまあ、ちょっと心配ではあったけど、元気にやっているのだと思っていた。


 ……だけれども。

 今回の手紙はその通り元気でやっているという近況報告だったけど、姉として看過できないところが一つだけあった。

 

 なんとグスタフは小料理屋を辞め、以前私がいた騎士団に見習いとして入ったというのだ。

 喜々として書いたのだろう、「お姉ちゃんみたいな立派な騎士になれるよう、がんばります」なんてあったけど、冗談じゃない。


 私は居ても立ってもいられなくなり、ジュリアスに一つのお願いをする。

 それは弟を騎士団から辞めさせるため、グランセアに説得に行きたいというものだ。


「どうして辞めさせたいのか俺にはわからないんだが。お前がいた騎士団の同僚たちは、別に嫌な奴らというわけでもないんだろう?」


 ダメ元で経緯を話したところ、返ってきたのは上記の台詞。

 もっともな質問だと思う。

 ただ、問題はそこではなく、従事する任務の方なのだ。

 

「一言でいうなら危険なんですよ。騎士団の任務は単なる警備や警邏けいらだけじゃありません。野盗の討伐や襲撃前提の護衛、有事には軍隊に配備されたりもするんです」


「お前だってその騎士団にいたんじゃないのか。体躯に劣る女の身で」


「私はいいんです。覚悟を決めてましたから」


 体力には自信があったし、いざという時の気構えはできていた。

 復帰できないような怪我を負えば、それなりの傷病手当金も出る。

 今考えればかなりの無謀といえるけど、その時はそれで生活できるならいいとさえ思っていた。


「わがままな奴だな」


 ジュリアスは呆れ半分といった様子で笑った。


 あなたがそれを言いますか。

 私はその言葉を飲み込み、愛想笑いでごまかす。


 グランセアに赴くにあたってジュリアスが付けた条件。

 それは、彼もこの帰郷に帯同すること。

 さすがに公爵が侍従もつけず他国へ向かうのは問題があるらしく、表向きには私に護衛騎士が一人付くという名目で、身分を偽り衣装も変えて、ジュリアスは私とともに馬車へ乗り込んだ。


 フリオという偽名を名乗ることにして。

 

 そういうお忍びの行為を楽しんでいるのか、旅そのものを楽しんでいるのか知らないけど、なんだか彼はいつもより上機嫌だった。

 一見普通だけど、ふとした仕草でわかる。

 景色を眺める瞳が安らいだものだったり、いつもより肩の力が抜けている感じなのだ。


(でも、いいのかなあ……)


 いくらなんでも当主と寵妃がこうして二人だけで国外へ行くのはまずいのでは。

 屋敷の人たちは文句も言わず送り出してくれたけど、それはジュリアスの気まぐれを諦めているせいなのか。


「行ってらっしゃいませ、ジュリアス様、ソフィア様」


 侍女のタニアもいつも通りの手際の良さで準備を整え、正門前でそう言って手を振ってくれた。

 心配する様子が見られなかったのは吸血種という種族の価値観の違いか。不死性ゆえの楽観主義もあるのかもしれない。

 考えても答えは出ないので、そう思うことにした。


(まあ、グランセア行きを頼んだ私が言えた義理じゃないか……)


 グスタフの説得。こればかりは「騎士団を辞めなさい」といくら手紙で伝えたところで従ってくれるかはわからない。

 あの書きっぷりからして、きっと嫌がる可能性の方が大きい。

 場合によってはグスタフでなく、騎士団の隊長にかけあって強制除隊させることも考えなければならない。


 目の前のくつろいだ主とは対照的に、私の頭の中ではグスタフがどう来たらどう返すかという、いくつもの想定問答がせわしなく展開されていた。


「……そう心配することもないと思うがな。まあ、それが家族ということか」


 道中の半分を進んだあたりで、ジュリアスはそうつぶやいた。

 その声はやはり穏やかで、響いた言葉はしばらくの間、私の耳に残り続けていた。


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