第16話 京街散策 壱

 正午を少し過ぎた頃、

 弥助やすけから紹介してもらった医者に身体をてもらった衛実もりざねは、弥助の家で朱音あかねと軽く昼食を済ませた後、彼女を連れて京の街へとり出していた。


「衛実、本当に出歩いてもいのか?」


 医者からの『無理な動きは厳禁げんきん。そして、なるべく安静あんせいにしておくこと』という忠告を聞いていた朱音は、隣を歩く衛実を気づかう。


 不安な眼差まなざしを向ける朱音に対し、衛実はこれ以上彼女が余計な心配をしないよう、いつも通りの声音こわねで話し返した。


「大丈夫だ。『なるべく、安静に』ってことだから、別に出かけるのをひかえろと言ってるわけじゃない。

 それに、これは俺がそうしたいと思ってやっている事だから、今日は楽しもうぜ」


 そう言うと、ふところからそこそこ大きな袋を取り出し、


「ほら、金にも余裕はある。弥助もふとぱらだな」


 と、少し上機嫌じょうきげんになってみせる衛実。

 それを見た朱音は、かすかな後ろめたさを味わっていた。


「この報酬も本来であれば、あの者達に渡っていたのやもしれぬな」


 朱音がしずんだ気持ちになっていこうとするのを見た衛実は、『そうじゃない』と彼女の言葉をさえぎって、淡々たんたんと続ける。


「朱音、そうやって、後悔こうかいばかりっていても仕方がない。どんなにうれいたって、悲しんだって、それで死んだ者が戻ってくるわけじゃねえんだ」


 そう言う衛実のこぶしにも力がもる。だが、それに流されることなく、彼は決然けつぜんとした表情で言い切った。


「だからこそ、俺達は今、ここで生きていることに全力で向き合わないと行けねえ。

 この瞬間しゅんかんを全力で楽しんで、時には悲しんで。

 そうやっていつか死ぬかもしれなくなった時に、変なくやしさを残さないように、生きるんだ」


 そして朱音を見つめ、


「だからな、朱音。今日は全力で楽しもう。昨日の事はしっかりと受け止めて、それを次にかせるように。

 だって、俺達は生きているんだから」


 衛実の力強い言葉にはげまされた朱音は、顔を振って、先ほどまでの暗い表情を振り払うと、あらためて彼に向き直る。


「そうじゃな。ぬしの言う通り、今を全力で生きることを心がけよう」


 そこで一旦いったん、顔をせ、ほほ若干じゃっかん赤らめた朱音は、


「ぬしの言葉で、気が楽になった。……ありがとうなのじゃ」


 と小さな声でつぶやき、そして今度は満面のみで衛実を見返して、


「やっぱり、ぬしは優しき者であるな!」


 と、言い放つ。

 そのあまりに真っ直ぐな言葉に、今度は衛実が気恥きはずかしくなって顔をそむけた。


「ったく、よくもまあ、めんと向かってそんなことが言えるな、朱音は」


 そんな衛実の反応を少し面白く思った朱音は、ここぞとばかりに追い討ちをかける。


「なに、今まで、ぬしにはやられっぱなしであったからな。此度こたびは、わらわからやらせてもらうぞ」


 朱音の挑発ちょうはつに『このままやりこまれるのは、気にわない』とばかりに食いつく衛実。


「ほ〜お? 言ってくれるじゃねえか、朱音。今日という今日は、容赦ようしゃしねえからな」


 朱音も負けじと見返し、


のぞむ所よ。衛実、覚悟かくごするのじゃ」


 そう言っておたがい見合った後、どちらからともなく、二人して軽く吹き出していた。



「それじゃ行くぞ、朱音。はぐれるなよ」


 おだやかなみと共に差し伸べて来た衛実の手を、朱音も笑顔でにぎり返しながら、楽しげな声で返事をする。


「分かったのじゃ」


 そんな風にして2人は、はたから見ればまるで仲の良い兄妹きょうだいのように、隣り合わせで歩きながら、京都の街の中を進んで行った。




「衛実、ここは?」


「ここは、清水きよみずっていう所だ。あの山に建っている寺が見えるか?」


 そう言って衛実は、音羽山おとはやまにそびえ立つ『清水寺』を差し示す。


「うむ。じゃが、何となく浮いているように見える。特にあそこ、舞台ぶたいのような所かの? あそこへは行きたくないのう 」


 のちに『清水の舞台から飛び降りる』という言葉が生まれるきっかけとなった本堂を見た朱音は、若干じゃっかんおびえた顔つきをしていた。


 その様子を見た衛実は、いたずら好きの子供がよくするような顔をして、朱音を茶化ちゃかし出す。


「そうか。それじゃ、まずはあそこに行くか」


「ええっ!? しょ、正気しょうきか、ぬしは。」


「ああ、もちろん。俺もあそこには、1度くらいは行ってみたいと思っててな。

 中々なかなか行く機会が無かったもんだから、丁度ちょうどいいかもしんねえな」


「ま、待て。ぬしは、わらわの話を聞いていたか?

 わらわは、あそこには行きたくないと言ったはずじゃぞ」


「聞いたさ。だからこそ、えて行くんだろ?

 さ、いつまでもグズグズしてないで、さっさと行くぞ」


「い、嫌じゃ! やめよ衛実、って、なぜこの時ばかり力強くわらわの腕を引くのじゃ!

 頼む、後生ごしょうじゃから、離してくれッー!」


 衛実になかば強引に引きられるような形で、朱音は『清水の舞台』へと連れていかれる。

 何とかしてのがれようとこころみる朱音だったが、衛実の力が思いのほか強く、やがて抵抗することをあきらめてしまっていた。




「よし、いたぞ朱音」


 衛実達が『清水の舞台』に着いた時には、すでに朱音はどこかさとりを開いたような顔で、明後日あさっての方を向いていた。


「ったく、そんな顔すんなって。

 単に、お前に嫌がらせがしたかった訳じゃなくて、こっからのながめを一緒に見たいって思っただけなんだ。

 ほら、どうだ? 結構良いだろう?」


 衛実の問いかけに悟り顔のままこたえる朱音は、彼の指が差す方向に顔を向ける。

 すると、その目に京の街でも有数ゆうすうの名所たるあかしを示す景色けしきが飛び込んで来た。


「わあっ! す、すごいのじゃ!」


 すっかり上機嫌になった朱音は、もっと見てみたいとなか興奮気味こうふんぎみ欄干らんかんから身を乗り出す。


「あ、おい! 危ねえぞ!」


 欄干から身を乗り出し、そのまま落ちそうになった朱音を、衛実が引き戻す。


 それによってわれに戻った朱音は、舞台からの切り立ったがけのような高さにひるみつつも、そこから見える景色に感激してため息をらす。


「なるほどな。確かにここからの眺めは、とても良かった。

 じゃが衛実、なぜそれを先に言ってくれなかったのじゃ?」


 朱音の少しめるような視線に、衛実は苦笑いしながら答える。


「悪かったって。次はちゃんと言うからさ。そうふくれっつらになるなって」


 たいしてわるびれた様子を見せない衛実に、朱音はそれ以上の追及ついきゅうあきらめた。


「はぁ、もういわ。いい物も見せてもらった事じゃしな」




 それから『清水寺』をゆっくりと堪能たんのうした衛実達がその帰途きとについている途中、聞きおぼえのある声が2人を呼び止める。


「おや? もしかして、弥助さんの所の傭兵ようへいさんじゃあ、ないですかい?」


 衛実達が声のした方向に顔を向けると、昨日きのう、彼らに"鬼"の討伐を依頼した反物屋たんものや主人しゅじんが店先に立っていた。


「あんたは、昨日の……」


「昨日の今日でなんですが、身体からだの調子はどうですかい?」


「ああ、まだ派手な動きは出来ないが、一応、普段ふだん通りに生活するのに支障ししょうはない。それより、八兵衛はちべえさんの方は?」


「いえいえ、用心棒の数が減っただけですから、商売には問題ありません。

 ただまあ、そうは言っても腕が立つ奴らでしたからね、物盗ものとりには、ちっとばっかし神経質になってますね」


 それを聞いた衛実と朱音は申し訳ない気持ちになる。


「その、本当にすまなかった」


「いいんですよ、昨日も言ったでしょう? 気にすることはないと」


 反物屋の主人のはげましに、いくらか気を楽にしてもらった衛実は、感謝の気持ちとともに、何かお礼がしたくなって、そのまま主人に話しかける。


「ありがとう。代わりといってはなんだが、ここのしなを1つ、買っていかせてくれ」


「いいんですかい? それなら、今日は特に上等じょうとうの品が入ってますんで、そちらのおじょうちゃんに1つ、どうですか?」


 そう言って反物屋の主人は、店にならぶ商品の中から、あざやかな唐紅からくれない色の布地ぬのじを持ち出してくる。


「これなんか、どうです?

 やっぱりお嬢ちゃんには、あかが良く似合にあう。

 こいつにあい色の物と組み合わせたらきっと、えらい別嬪べっぴんさんになると思いますぜ」


 衛実は、反物屋の主人が持ってきてくれた品と朱音とを見比みくらべ、納得するように首をたてに振った。


「そうだな……。確かにこれは良く似合う。朱音、お前はどう思う?」


「問題ない。わらわにとってもこのみの色じゃ」


「そうか。よし、じゃあ八兵衛さん、その2つの反物をいただこうか」


毎度まいどあり〜! また今度もウチをよしなにね、旦那だんな


「ああ。そうさせてもらうよ」




 反物屋の主人と別れてしばらく歩みを進めている中、ふとある疑問をいだいた朱音がそれを衛実にぶつける。


「わらわのために反物を買ってくれてありがたいのじゃが……。衛実、ぬしに仕立したて屋の当てはあるのか?」


「弥助に聞こう。あいつなら、そんくらいの伝手つてはあるだろ」


 『弥助』という人間の底知そこしれなさに、『弥助という男は、本当に一体いったい何者なのじゃろうか……』と思いながら、朱音は衛実との会話を続ける。


「そうなのか。では、そろそろも落ちそうであることじゃし、弥助のうちに戻らぬか?」


 弥助の家を出た時には真上にあった太陽が、今は向こうに見える低い山と同じくらいの高さにまで移っていて、空をだいだい色に染めていた。


 それを見ながら、衛実も朱音の言葉に同意どういを示す。


「そうだな、そうしよう。

 さてと、今日の晩飯ばんめしは、どんなえげつない物が出てくるのやら」


「今日出された食事には、変わったところは無かったことじゃし、案外、夕餉ゆうげも普通なのではないか?」


「分かんねえぞ? 弥助はこういう時にかぎって、何かしでかすやつだからな」


「ふふん。では、それを楽しみにでもするかの」


 そんな風にくだらない会話をわしながら、2人は弥助の家へと帰って行った。

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