第24話 『人』の想い

 『山狗やまいぬ』を打ち払い、八兵衛はちべえから準備を整え直す時間をもらった衛実もりざねは、ひかえ室にて、お色直しのため着付きつけ師に別室へと連れられて行く朱音あかねの姿を見て、ふと声をかけた。


「朱音。今まで気がつかなかったが、その姿、もしかしてさっきおそって来た奴らと戦ったのか?」


 衛実の声掛こえかけに足を止めた朱音は、振り返って彼の方を見ながらその問いに答えた。


「そうじゃ。此度こたびの敵は中々に多くて、八兵衛の用心棒ようじんぼう達の手にもい切れなかったようでな。

 彼らのあみをすりけて、ここにも何人かの野盗やとうが入って来おった」


 あらためて彼女の姿を見ると、襲撃しゅうげきされる前までは、それは見事なほどに着飾きかざられて、身分の高い人々がまとうようなはなやかさを感じられるほどであったが、今では戦闘のせいでだいぶ着崩きくずれを起こしており、何かに燃やされたのかそでの先が少しだけ黒ずんでいた。


 衛実は、今回の敵の規模きぼが自分達の想像以上であったことと、どうしようもなかったとはいえ、せっかくの姿をダメにさせたことへのちょっとした罪悪感ざいあくかんおぼえて、朱音への謝罪を口にした。


「そうか……。

 なんて言うか、すまなかったな。怪我けがはないか? 袖も燃えたあとが残ってるみてえだが」


 衛実の視線に気づいた朱音は、ハッ、とした表情をして、サッとかくしながら話し返した。


「大丈夫じゃ。これは、その、」


 どうやって『見られていなかったとはいえ、衛実以外の人の前で鬼の姿になった』ことを隠そうか必死に考えをめぐらせていた朱音に、思わぬ所から助けの手が差しべられて来た。


傭兵ようへいさん、このかたわたくし達のことを守ってくださったのですわ。

 そでが燃えてしまったのは、ぞくが店の提灯ちょうちんたたき落とした時にねた火のが、娘殿むすめどのに飛んで来たからです。

 怪我けがはしてないはずですので、安心してくださいまし」


 実際に取った行動と違った作り話をする着付きつけ師を驚いた顔で見上げる朱音だったが、それに軽く目配めくばせを送りながら、着付け師はそのまま衛実に話を続ける。


「ほら、傭兵さんも急いで身支度みじたくませなさいな。貴方あなたはすぐに戻らなければならないのでしょう?

 娘殿のことは、どうかこの私におまかせを」


 着付け師の言葉に、早めに持ち場へ戻ろうと考えていたのか、衛実は特にうたがう様子もなくうなずいて、手早く装備を整え直すと、『それじゃ朱音、また後でな』とだけ言い残し、ひかえ室を出ていってしまった。


 この一連いちれんの流れを呆気あっけに取られた様子でながめていた朱音は、って行く衛実の姿に『何か自分も声をかけなければ』と思い、呼び止めるように左手をかざしかけたが、特に言うことも思いつかず、そのまま何も言わずに彼を見送っていた。


 そんな朱音の気を切りえさせるかのように、着付きつけ師が少女の左手を取って化粧室けしょうしつへといざなう。


「さあ、娘殿むすめどのもお色直しをいたしましょう?

 あの傭兵ようへいさんも、貴方あなたがまた仕事場に戻れば、安心なさるかもしれないでしょうし、何より、旦那だんな様が絶賛ぜっさんするほどの売り子をこのようなお姿で店の前に出しては、わたくし達の沽券こけんかかわりますわ」


 そんな風に言う着付け師を、朱音はポカン、とした表情で見上げての抜けた返事をし、彼女に引っ張られるような格好かっこうで化粧室の中へと入って行った。




「…………気づいておったのか?」


 かがみうつる着付け師となるべく目を合わせないようにしながら、朱音は気まずそうに、その重い口を開いて彼女に問いかけた。


 着付け師は朱音の身だしなみを調ととのえながら、少女の問いに『ふふっ』と軽くみをこぼして、言葉を返した。


「ごめんなさい、偶然ぐうぜんでしたの。

 あの時私わたくしは、ちょうどひかえ室に来たばかりでして、遠くの物陰ものかげからながめることが出来たのです」


「そうであったか……」


 急な事で、注意深くあたりに気を配る余裕がなかったとはいえ、みずからの正体しょうたいを衛実以外の人間にさらすという不覚ふかくをとったことに、頭をかかえたくなる思いにられる朱音。

 そんな少女を着付きつけけ師は安心させるよう、優しい声色こわいろで話しかけた。


「安心してくださいまし。そうなされているのは、何かしらの思惑おもわくがあるためでしょう。

 それでも、私達をすくっていただいたことに変わりはありませんわ。

 これがそのお礼となるかは分かりませぬが、この事は未来永劫みらいえいごう、誰にも教えないことをちかわせていただきます」


 着付け師の心遣こころづかいに、朱音は不安そうな表情を浮かべながら、鏡越かがみごしに目を合わせて問いかける。


「本当か? それならば、わらわにとってもありがたいことなのじゃが……」


 少しやわらいだようではあるが、いまだにくもった表情をする朱音に、着付け師は先程までのやわらかな笑顔から一転して、真剣な表情で鏡越しに少女の顔を見据みすえながら、さらに言いつのった。


「本当ですわ。こう見えて私は、口が固いほうですのよ。

 それでも心配されると言うのであれば……」


 着付け師は自分のふところから、どこか使い古された感じのするかんざしを取り出して、朱音の手の中におさめる。


 その行動の意図いとが読めず、その手ににぎられている簪に視線を送りながら『これは一体……』と聞き出す朱音に、着付け師は特別思い入れのあるような様子で答えた。


「それは、私の母が生涯しょうがい身につけていた形見かたみしなにございますわ。

 もし、私がちぎりをやぶり、貴方あなた傭兵ようへいさんをこまらせるようであれば、遠慮えんりょなくその簪をたたってくださいな」


「そ、それは……!」


 着付け師の言葉に衝撃しょうげきを受け、おっかなびっくりといった様子の朱音は『さすがに受け入れられない』と着付け師の元に戻そうとするが、着付け師はそれを強い意志のこもった顔でことわり、少女の手を優しくつつむようにしながら、丁寧ていねいに話し出す。


「『おんあたえし者とわした約束、何があろうと必ず最後まで守り抜け』。私の母が今生こんじょうの別れにのこした言葉にございます。

 この街で遊女ゆうじょとして生きてきた母の言葉を、私はしっかりとこの身にきざんで生きてまいりました。このかんざしは私が母とのちかいを守りきることのあかし

 どうかその身にしっかりとたずさえておいてくださいませ」


「こんな大切な物をわらわにあずけると言うのか……?」


おそれ多い』といった様子でかしこまりながら問いかける朱音に着付きつけ師は、またもや『ふふっ』とそで口元くちもとかくしながら笑いをこぼして、先程と同じようにやわらかな表情で答える。


「もちろん、後でお返しいただきますわ。

 ですが、これを貴方あなたが持っているかぎり、貴方と傭兵ようへいさんの立場は、私が何がなんでも守り抜いてごらんにいれます。

 それが私に出来る、せめてもの恩返しでございますれば……、」


 そう言いながら朱音の衣装いしょうを整え続ける着付け師は、やがておのれの仕事が完了したのか、衣装台から少し距離を置いて全体をながめ、前とは違った色合いろあいの、それでも充分にその可愛かわいらしさが伝わる感じに仕上しあがった出来栄できばえに満足するようになずいた後、歩み寄って少女のささえとなり、椅子いすから立ち上がるのを手伝った。


 朱音がしっかりと歩けるようになるのを見届けて、着付け師は口を開く。


「さて、これで良いでしょう。

 娘殿むすめどの、先のよそおいに比べれば見てくれは多少落ちましょうが、貴方のような可愛らしいお姿なれば、特に問題もないでしょう。

 もっとも、わたくしは貴方本来の姿の方がこのみではございますがね」


 朱音は、着付け師の最後のどこか茶化ちゃかすような口ぶりに、やはり先の『正体しょうたいを知られた』という失敗を思い出して、気まずい表情を浮かべた。


「うっ……。頼む、くれぐれもまわりには言わないでおいてくれ。わらわの存在は、本来、ぬしらににくまれるものであるらしいからの」


 朱音が両手を合わせて懇願こんがんする一方で、着付け師はというと『憎まれる』という言葉を意外に思い、口元を手でおおうようにして、話し返した。


「まあ、そうなんでございますか?

 ですが、私はそのようには感じません。とてもしたしみやすい印象いんしょうでございましたわ」


「……そうであるか」


 それでもイマイチ自信が持てていなそうな様子の朱音に、着付きつけ師は少女の手を取り、共に連れ立って店の売り場へと向かいながら、はげますように明るい声で語りかけた。


「ええ。

 ですから貴方あなたは周りの目を気にせず、おのれの信じるままにこれからの道をあゆみなさいませ。

 ささっ、準備はよろしいですか? お店は、まだまだこれからにございますよ!」


 着付け師に優しく背中を押されて店先に送り出される朱音は、そこで八兵衛と何かの打ち合わせをしている衛実に鉢合はちあわせた。


 八兵衛と衛実も歩み寄ってくる着付け師と朱音に気づき、少女の整った姿に2人とも一安心ひとあんしんといった表情を浮かべた。


「それじゃあ衛実の旦那だんな、先に伝えた通りにお願いいたしやすよ」


 そう言って着付け師と共に店内へと戻っていく八兵衛に、衛実は『分かった。まかせておいてくれ』とって見せて、軽く右手を上げて見送る。


 そんな衛実に、朱音はうつむきながら、おずおずといった様子で話しかけた。


「衛実、ぬしに言っておかねばならぬことがある」


「なんだ? どうかしたのか?」


じつは、その……、ぬし以外の者にわらわの正体しょうたいを見られてしもうた」


 朱音がけっして口にした『告白』に、衛実は軽くまゆをはね上げただけで特に深刻しんこくそうな顔もせず、こともなげに受け止めて話し返した。


「そうか。もしかしてそれは、あの着付けの人のことを言ってんのか?」


「そ、そうじゃが、何故なにゆえ分かったのじゃ?」


 『誰に』見られたのか、簡単に言い当てた衛実に軽く驚いて見上げる朱音に、彼は口元に若干じゃっかんみを浮かべながら、その理由を話し出した。


「さっきあの人がぎわに、俺に向かって意味深いみしん目配めくばせを送って来たからな。

 初めは何のことか分かんなかったが、お前の話を聞いて合点がてんがいった」


「そうであったか……」


「けど、特に何も起きてないってことは、あの人は俺達のことをだまってくれてんだろ? 優しい人で良かったじゃねえか」


 さして重く受け止めず、さらりとした口調で結論づけて、店の中へと視線を向ける衛実を見て、朱音はひとまず納得なっとくするように1つうなずいてから、彼と同じ方向に目を向けて口を開いた。


「……そうじゃな。本当に、あの者には感謝しなければならぬ。

 ……じゃが衛実、」


 『なんだ?』と顔をこちらに向けて聞き返して来る衛実に、朱音はひかえ室の中へと入ってゆく着付きつけ師を目で追いかけてながら1つ問いかける。


何故なにゆえ『人』は、受けたおん律儀りちぎに返そうとするのじゃ?」


 思いもよらない問いに、衛実は目をパチクリとさせて朱音を見ると、一度視線をちゅうただよわせてから、再び彼女の方に戻して逆に聞き返した。


「鬼は違うのか?」


「うむ。

 確かに、わらわ達も受けた恩には感謝もする。じゃがあの者のように、わざわざそれを返そうとはしないのじゃ」


 朱音から聞かれた問いを衛実は腕を組み、目を閉じてしばらく考えて、やがて1つの答えが出たのか、ひらいた目を彼女の方に向けて話し出す。


「そうだな……。

 俺にもよく分かんねえが、きっとそうすることで、なん後腐あとくされもなく生きていけるから、なんじゃねえか?」


「『後腐れもなく生きていける』、か。

 ふむ……、なるほどな。それがぬし達『人』のかたということか」


 衛実が出した答えを口元くちもとに軽くにぎられたこぶしをあてがいながらうなずく朱音を見て、彼はその顔に苦笑にがわらいを浮かべて言いした。


「俺だって実際はどうだか分かんねえよ。

 けどまあ、もしかしたら、いつかはお前の問いの答えに出会うのかもしんねえな」


「……そうじゃな。

 それはわらわがいずれ見出みいださねばならぬ答えかもしれぬ。すまぬ衛実、つかぬことを聞いた。

 して、これよりぬしは何をするのじゃ?」


 考える素振そぶりをいて、これからの予定について聞いてくる朱音に、衛実は店の前のとおりを歩く人々に視線をうつしながら答えた。


「ああ、さっきの奴らがまた来ないともかぎらねえからな。すぐに見つけ出せるように、しばらくここの通りを巡回じゅんかいする。

 安心しろ、今度はそう遠くにはなれないでおくからよ」


 話の最後は特に意識もせず、軽い挨拶あいさつのつもりで言った衛実だったが、その言葉を聞いた朱音は途端とたんにムッ、とした表情をし、こしに手をあてて悪ガキを注意するような口調くちょうで話し出す。


当然とうぜんじゃ。約束をやぶるでないぞ、衛実」


 朱音のはっするみょうに強いあつにおされて、顔を引きつらせながら衛実は答えた。


「……はいはい、分かったよ。それじゃ朱音、またあとでな」


 気まずさからか、逃げるようにしてっていく衛実の背を、朱音は『仕方しかたのないやつじゃな』と思いながら見送っていた。

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