第25話 蠢く暗き思惑

ー京・嵐山あらしやま


 ここは、この京のまちでも有数の居酒屋いざかや山城屋やましろや。この店のかきいれどきは、普段、昼間に活動する人々がその日の仕事を終えて家への帰途きとにつくぐらいの時間帯。


 寝る前に、一日中頑張った自分達へのご褒美ほうびとして、一杯やろうと幅広い年代の人々が『酒』という疲れに1番効く薬とにぎやかな場所を求めてやってくる。


 今日もまた、店の中はこれから押し寄せて来るであろう人々を迎え入れるための最終準備に取りかかる店員達が生み出す喧騒けんそうに包まれていた。


 そんな中、『準備中』という立てふだを置いていたにも関わらず、それを無視するかのように乱雑らんざつに引き戸を開けて男がズカズカと入って来る。


「おいおい! まだ店は開いてねえぞ! 『準備中』っていう札がおめぇさんの目に映らんかったのか!?」


 突然の出来事に店員達が呆気あっけに取られている中、その場を仕切しき板長いたちょうが、空気の読めない無礼ぶれいな客にめ寄って行く。


 さすがと言うべきか、身体からだつきは大柄でもないのに『あつ』を感じさせるような立ち居振いふいは、その板長が長くつちかってきた物の重さを雄弁ゆうべんに語っていた。


 が、入って来た男はそれにまったひるむ様子を見せず、むしろ殺気さっき立つようなで板長をにらみ返して、ドスのいた声で話し出した。


「『山狗やまいぬ』のかしらは、どこだ?」


 男からにじみ出るすごみのある雰囲気ふんいきに、多少気の弱い店員のいくらかがおびえた表情をする。けれど板長はそれにくっさず『退いてたまるか!』とでも言うように男をにらみ返して、答えた。


「『山狗』ぅ……? おめぇさん、来るとこ間違えてんじゃねえか? ここは、居酒屋・山城屋やましろや! そんなのも分からねえクソ野郎は、さっさと出ていけってんだ!」


 おどしにも近い声音こわねで追い出そうと試みた板長だったが、目の前に立つ男は全く意に返さず、それどころか先程からまとう雰囲気がより一層、危険なものへと変わっていく。


 板長は睨み合いながら『もし、この男が襲いかかって来たらどう対処しようか』と考え始めていた。


 純粋に身体からだつきでいえば、目の前の男の方が大きく、それに背中にかくれてよく見えないが、2りの短刀のような物が見える。


 まともに戦おうとすれば、どちらが地にすことになるか、それは誰の目にも明らかであった。


 そろそろごうやし出した男が背中にけていた短刀を取り出そうと腕を動かしかけた時、店の奥から暖簾のれんをくぐって1人の大柄な男がやって来て口を開いた。


「何かと思って来てみれば、貴様か、権八ごんぱち


 短刀に伸ばしかけた手を引き込ませながら、権八はまゆをひそめて怒りの感情をあらわに『長五郎ちょうごろう……!』と『山狗やまいぬ』のかしらの名を呼ぶ。


 そのとげある鋭い目をした権八を、長五郎はおそれることなく見据みすえて話を続けた。


生憎あいにくだが、ここでおっ始めたら貴様も八兵衛もタダじゃ済まさん。……とりあえず、こっちに来い」


 つい2時間ほど前までやいばまじえていた者を店の奥へと招き入れる『山狗』の頭。権八はけわしい顔をしながら、板長を押しのけてその後に続いて行った。




「それで? このいそがしい時に何の用だ?」


 『長五郎』と呼ばれた『山狗』の頭は、自室にて豪勢にかざり立てられた椅子いすに腰かけつつ、机をはさんで権八と向かい合いながら問いかけた。


 その人を見下みくだすような態度をとる長五郎に、権八はこめかみに血管を浮かばせて、いらついた口調で答える。


「何の用だと? そんなの、お前達『山狗やまいぬ』が考えもなしに俺達の店を襲いに来たことに決まっているじゃないか! 一体どういうつもりなんだ!」


 この権八の発言を聞くかぎり、謝罪でも求めているかと思うかもしれないが、この場合、少しだけ意味合いが違う。


 権八が長五郎をめているのはあくまで『考えなしに襲って来た』ことであり、『襲いに来る』こと自体には特に気にしていないのである。


 その発言に込められた意図いとみ取ったのか、それとも元々そういった問いめが来ることが分かっていたのか、長五郎は右手をぞんざいに振り払い、うんざりとした顔で面倒くさそうに口を開いた。


「俺はただ、『あのかた』とやらの『"朱音あかね"なる娘をうばえ』との指示をおのれの判断で遂行すいこうしたまでだ。

 聞けば今、八兵衛の所は数が少ないそうだな? ならば、あの時に攻め入っても何ら問題ないだろう」


「"段取だんどり"をしっかりと守れ、と言っているんだ! 何を勝手にお前1人で行動している!?」


「段取り……? そんなもの知ったことか。俺はさっさと目的をげて、この胸糞むなくそ悪い茶番ちゃばんを終わらさせてもらうだけだ」


 権八は、先程から自分の考えをかろんじて、まともに相手をしようとしない姿勢でいる目の前の大男が段々だんだんにくらしく思えてくるようになり、それがめ込まれていく前にどうにかして発散しようとなかばヤケクソ気味にき捨てた。


「……この、盗賊崩とうぞくくずれが……!」


「なんとでも言え。おのれの物は己で守り、目的をたっするならば手段は選ばん。それがこの俺のやり方だ」


 清々すがすがしいまでに開き直る長五郎は、ただ黙って殺意にも似た目でにらんでくる権八の気をとりあえずはらそうと、さして心がこもっていない口ぶりでなだめた。


「そういきり立つな。そうまでして、あの衛実もりざねなどという男を打ち倒さんと気が済まないのか貴様は」


「………」


「ふん、まあ良い、目的さえ達成出来るなら俺はかまわん、好きにしろ」


 そこまで言っておきながら、長五郎は先の戦闘で直接ぶつかり合った薙刀使なぎなたつかいを思い出して、感慨深かんがいぶかげに口を開いた。


「……だが、あの衛実という男、こんな八つ当たり混じりの私怨しえんで殺すにはしい奴よな」


 長五郎の口から出てきた話の内容がとても聞き捨てならないものであると感じた権八は、いきどおりに身体をふるわせながら両手を握りしめて目の前の男を問いただす。


「お前はそう言って……! 強い者に肩入れし、ぐうするというのか!」


 そんな権八の抗議をものともせず、長五郎は『それが事実だ』と言わんばかりに淡々たんたんと答えた。


「強き者を遇するのは人として当然のおこない。それの何が悪い?」


「ふざけるな! そうやって、力無き者をどんどん打ち捨てて、それがだとでも!?」


「そうだ。それが世のことわりだからな。力有りし者が生き残り、力無き者は、その無力さゆえに、ほろびていく。

 このみだれた世で生き残るのであれば、強くなくてはな。貴様とて、それは身にみているだろうが」


「……? それは、どういう……」


 急に振られた話に思い当たることが浮かばず、眉間みけんにシワを寄せて問いかけてくる権八に、長五郎は過去に起きた1つの出来事を重々しくげる。


応仁おうにんらん


 長五郎のはっした4文字の言葉に思わず目を見開いて息を飲む権八。


「貴様の親が戦に巻き込まれ、命を落としたといったことは『あの方』とやらから聞いている。なぜそうなったか教えてやろうか?」


 固まったまま動かない権八を見据みすえながら、長五郎は地獄の閻魔えんまのような面持おももちで、非情ひじょうな答えを突きつけた。


「それはな、貴様らが何の力も無い弱者のくせに、戦を甘く見て、生き残ろうと行動しないウジ虫以下のであったからだ!」


 『自分の家族がけなされた』と感じた権八は腹の底から一気に込み上げてきた思いを爆発させて、『この野郎ッ!』と声をあらげながら詰め寄っていく。





 たがいのこぶしが届きそうなぐらいまで2人の距離がちぢまった瞬間、それまでの空気を破って急に別の所から声がかかって来た。


「……もういい加減かげんいか? われもそろそろいてきた」


 突如とつじょとして乱入して来た者の言葉に動きを止める長五郎と権八。2人して同時に声が聞こえた方に顔を向け、そこに1人のなぞめいた雰囲気をまとう男の姿を目にめる。


 その男を認識した途端とたん、長五郎はさも不愉快ふゆかいそうな顔をし、権八も予想外の出来事に驚いて、若干じゃっかん裏返った感じのする声で男に向けて言葉を発した。


「お、お前は……!」


 孔雀くじゃくの羽の模様がえがかれた合羽かっぱ羽織はおり、全体的に修験者しゅげんじゃのような印象を持たせる黒色の服装に身を固めて、顔をきつねの面でかくしている男は、中によろいでも着ているのか、金属のこすれる音をひびかせながら2人の元に歩み寄りつつ、奇妙きみょうな落ち着きを感じさせる声で権八に言葉を返した。


「久しいな、権八。とは言え、3日ほど前になるだけのことか。して、首尾しゅびはどうなのだ?」


 男の声とは反対に権八はまっていたものをき出すかのような声音こわねで長五郎を指差ゆびさしながら答えた。


「どうも何も! ここにいる長五郎がしでかしたせいで、警戒の度合どあいが高まってしまった!

 せっかく俺が事前に立てた計画も、こいつのせいで全て台無だいなしだ!」


「なるほど。つまりおぬしは、この長五郎にそのせきを取れと、そう申すのだな?」


 権八の話を受けて、そう結論づける男の強引さに驚いて急に冷静になった彼は、歯切はぎれを悪くしながら言葉を返す。


「い、いや別にそこまでは……」


「ほう? 違うと申すか。われはてっきりそのつもりなのだと思っておったが?」


 『俺はただ……』と慎重になって行く権八を捨ておいて、男は次に長五郎の方へ顔を向けて話し出した。


「まあ良い。いずれにせよ長五郎、おぬしには此度こたび不始末ふしまつの責を取ってもらう。さて、処分はいかように、」


「待て、まだ望みがたれたわけではないだろう。何故なぜこの段階で『処分』などとくちにする?」


 話をさえぎって不満をらす長五郎を、男は下等生物を見るような目をしながら、残忍ざんにんな笑いを浮かべた顔で冷酷れいこくに言ってのけた。


「何を言うか。失策しっさくにはそれ相応そうおうばつが必要。最終的な結果が良くとも関係ない。『失態しったいを演じる』なぞ、普通であれば認められるわけもなかろうからな」


 あまりの傍若無人ぼうじゃくぶじんぶりに、我慢ならなくなった長五郎は椅子から立ち上がり、男に大股で詰め寄って行く。


「貴様……、あまりいい加減なことをぬかすと、」


「忘れるなよ、長五郎。お主の妻子供の生命いのちは、我が手元にあるのだぞ?」


 出鼻でばなをくじくように発せられた男のおどしに不吉な予感を感じた長五郎は、つかみかかろうとした手を引き下げた姿勢のまま立ち止まり、口を引き結びながらくやしげな目で相手を見据みすえている。


 男はそんな長五郎に一瞥いちべつをくれて『ふんっ』と鼻で笑い飛ばすと、『き』となっていた椅子に歩み寄り、そこへどっかりと深く腰かけながら、再び『山狗やまいぬ』のかしらに目を向けた。


「まあ流石さすがわれも、いきなりそこまではやらん。

 が、もしまた次も此度こたびと同じような真似を演じるのであれば……、どうなる事であろうな」


 そして目の前の机にひじをついて組んだ手の上にあごせながら、太いくさびでも打ち込むように2人によく言い聞かせる。


「忘れるなよ、おぬしら。われはからいをみだす者には厳罰げんばつくだす。が目的の1つもかなえられぬ無能なぞ、この世には不要であるからな」


 完全におのれの支配下に入った空間の中で、下手な動きをせずに、ただ黙って視線を向けてくる2人に、男は『なまけている時間は無い』とばかりに次の策を出すよううながした。


「してどうする? 我のめいたすにはどうすべきか。よもや何も考えつかぬということはないであろう?」


 男から発せられる重圧に何とか耐えながら、権八は懸命けんめいしぼり出した自分の記憶を元にして次の策を口にする。


「………今日はこの後、店でうたげを開くつもりらしい。おそらくはそこで、俺の主があの2人をねぎらうだろう。ねらうならそこしかない」


 腕を組んで1つうなずき、『一理いちりあるな。して、どのように攻める?』と椅子の背もたれに身を預けながら先をうながす男に権八は詳細を話す。


「手始めに少数の手勢てぜいで潜入、さわぎを起こして撹乱かくらんする。その後、大勢で押し寄せるかまえを見せて意識をそちらに向けた所で、あの娘をうばう。これでどうだ?」


 権八の提案が及第点きゅうだいてんに届いたのか、満足そうに立ち上がった男は、そこでふと、権八を試すかのような問いを彼に投げかける。


「ふむ……、いいだろう。しかしそれでも、あの衛実という奴が邪魔をするかもしれぬぞ? どうする?」


 挑発にも似た男の問いに、権八は大きく深呼吸をして間を置いてから決意を示すように話し出した。


「……その時は、この俺が打ち倒す。受けた借りを、俺に降りかかるこのつらさを、今こそあいつに思い知らせてやるんだ……!」


 どこか良くない熱にでも浮かされるかのような様子で血走ちばしった目をしながら、そう口走る権八。


「そうだ。その意気いきであるぞ権八。おぬしどころにしていた者らが命を落としたのは、ひとえにその男のせいなのであるからな」


 そんな彼を3流映画に出てくるような演者に見立てて愉快ゆかいそうな声であおり立てた後、男は両手を広げて天を振りあおぎながら、高々と宣言した。


「では始めようぞ。おぬしらの望みを叶えさせるためにわれが与えしにん、必ずやたしてその覚悟を我に示してみせよ!」


 そう言って小気味こきみよく高笑いを上げる不気味ぶきみな男を、長五郎は何とも言い表しがた嫌悪感けんおかんを顔ににじませながら、ただ黙って見続けていた。

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