"おにぎり"と"てがかり"

 『ただの米のかたまりを、なぜそこまで神経質そうな目で見ているのか』

 衛実もりざねは、自身が手渡した食べ物を受け取ったきり、ピクリともせずにそれを凝視ぎょうししている朱音あかねの不自然さに首をかしげる。


(……、か)


 そう難しいことでもない。

 彼が手渡した食べ物はにぎり飯、"ぎり"である。先程から緊迫きんぱくした表情で米の塊を見ているこの少女は、彼の何気なにげない一言に反応してしまったのだった。『これは"鬼斬り"。つまりそれは、自分達"鬼"をがいするような食べ物なのではないか』、と。


(ったく、そんなもんでお前らみてえな奴を殺せるわけねえだろ)


 あるいは毒などを含めれば可能かもしれないが、普通に考えて誰も自らが口にする食べ物に毒を盛ろうとはしないだろう。

 とはいえ、。単なる言い回しの違いくらいで深読みしてしまうのは、いくらなんでも天然すぎる。


 衛実は、目の前で必死に頭を動かしているであろう彼女の姿にあきれてしまい、思わず口元に苦笑いを浮かべた。


「別に死にやしねえよ。いいからさっさと、それでもって腹満たせ」


「……のう衛実、本当にこれしかないのか? 他に何か食べられるものは?」


生憎あいにくだな。俺は普段からこんなもんしか持ち歩かねえ。ただの米のかたまりなんだから、あきらめて食え」


 それでもやはり、朱音は中々その食べ物を口にしようとはしない。『腹は減ってはいるが、これは本当に食べても大丈夫なのだろうか?』そんな心の声が聞こえてくるかのようである。


 だが、どうやらおのれの身体の欲求には勝てなかったようだ。

 おにぎりを受け取ってからそこそこ長い時がち、やっと食べる決心がついた朱音が両目をぐっと閉じて、"それ"にかぶりつく。


「………………ッ! 美味うまい、美味いぞ!」


 "それ"は、鬼の少女にとって、まるでいまだかつて知りえなかった新たな境地きょうちにでも出会ったかのような感動をもたらした。


 ギッチリと、隙間すきまなくめ込まれている米の粒がしっかりとした食べごたえをもたらし、その一粒一粒にり込まれた塩が口の中全体へとみ渡って来る。

 そのまま食べ進めてゆくと、今度は米とはまた別の食材が顔をのぞかせた。

 "あゆ"である。細かくきざまれた切身がほどけて、口の中を魚介の旨味うまみでいっぱいに満たしていった​。


 先程まで感じていた不吉な予感は欠片かけらも残さず吹き飛び、気づけば朱音は、"それ"のとりこになってしまっていた。

 そんな彼女を見て、衛実は『やれやれ』と呆れた表情をみせる。


「さっきからそう言ってんだろうが。それともなんだ? お前はこんな食いもんも知らねえのか」


 彼の問いに、朱音はむしゃむしゃとおにぎりを頬張ほおばりながら答えた。


「わらわの所では、米は祝い事などでしか食べることが出来ぬ貴重な代物しろものであったからな。このような食べ方があるとは今まで知りもしなかったのじゃ」


 よほど気に入ったのだろう。それから息付いきつく間もなく朱音はおにぎりを食べ続け、あっという間にたいらげてしまった。


「まことに美味びみであった。馳走ちそうになった」


 満足そうな表情を浮かべ、手の平くらいの大きさの布で口元をく朱音。その動作が終わる頃合いを見計みはからって、衛実は彼女に声をかける。


「それで少しは腹の足しになったか? ならもういい加減、ここを出るぞ。俺たちを追ってた奴らも、もういねえだろうしな」


 そう言って部屋を出ていこうと脚を踏み出す衛実を朱音が呼び止めた。


「待つのじゃ、衛実」


「なんだ、まだ食べ足りねえのか? 悪いが、もう食いもんの持ち合わせは無えからな」


 首だけを動かして返事をした衛実に向けて、朱音は姿勢を正し直し、ゆっくりとよく言いきかせるかのように話を切り出した。


「そうではない。最後にもうひとつ、これで本当に最後じゃ。どうしてもぬしに聞かねばならぬことがある」


 その途端とたん、衛実の顔つきが一気にややかものへと変わった。不愉快そうに朱音から目線をはずし、静かな怒りの感情がこもった声で話し出す。


「……お前の耳には、一体何が聞こえてたんだ? さっきも言ったろ。お前に話すことは何も無え、ってな」


 冷たく突き放して屋敷を出ていこうとする衛実。そんな彼に朱音はしがみついて、必死に言いつのった。


「頼む! どうしてもじゃ! これだけは、何としてでも聞いておきたかった事なのじゃ」


図々ずうずうしいな……。そんなに大事なんだったら、なんでさっき聞かなかった?」


「聞き出せることがそこまで少なかったとは思わなかったのじゃ。わらわはもっと話をしてくれると、」


「なんにせよ、俺の知ったことじゃねえ。あきらめろ」


 ばっさり切り捨てられてだまり込む朱音。それをみて衛実は『ようやく大人しくなったか』と思い、彼女の腕を振り払おうとしたが、


「…………仮に、わらわがぬしにえきのある話をすることができる可能性があったとしても、それでもぬしは断ると申すのか?」


 思いもよらぬ話が彼の耳にい込んで来た。『もう会話は終わり』という気でいただけに、何の心構こころがまえもしていなかった衛実は、その衝撃に踏み出していた脚を止める。


「……どういうことだ?」


 まゆをひそめて、身体ごと向き直ってくる衛実。そこに勝機を見出した朱音が、ここぞとばかりに言葉をかさねてゆく。


「ぬしにとって、わらわのような"鬼"はにくい存在であるはずじゃ。にもかかわらず付いて行くことを許したのは、今ぬしが、わらわに対して何かしらの腹案ふくあんいだいておるからではないのかと思うておる。違うか?」


 懸命けんめいに話す鬼の少女の言葉に耳をかたむけながら、衛実は相手をためすような目で、じっ、と見据みすえる。


「…………仮にそうだったとして、それでお前にどんな益のある話ができるってんだ?」


「分からぬ。じゃがそれでも、わらわに出来ることがあれば何でもしてやりたいと思うておる。そのためにも、ぬしの話をもっと聞いておきたいのじゃ。

 もしかすれば、その中から何かぬしの力になれることが見つかるやもしれぬと、そう思うのじゃ」


 朱音の言い分を聞き届けて、衛実は彼女から目線を切らないまま、心のうちで考え込む。


(さて、どうしたもんか……)


 確かに、実際の"鬼"から話を聞ける機会というのは、そうそうられるものではないだろう。現に先程、朱音が自らのむらについて語った際は、『"鬼"も自分達"人"と同じような生活を送っている』という事実を知り、少なからず驚いた。


 その上、これまでのやり取りの中で彼女がおのれに対して害をなそうとする素振そぶりは一度たりとも見受けられなかった。ならばここは、彼女の話に望みをけて乗ってみるのも有りなのかもしれない。


 とはいえ、所詮しょせんは"鬼"である。この少女が、さらにはその家族が、村を焼き払った奴と全く関係が無いなんて保証は無い。彼女の話が本当であるという確証は、衛実には存在していないのだ。


 そんなこんなで、色々と思案しあんしていた衛実だったが、やがて1つの決断をくだす。


(……あれこれ考えても仕方ねえ。とりあえず聞くだけ聞く。そんで都合つごうが悪けりゃ適当に答えりゃ良いだけの話だ)


「…………いいだろう。ならさっさと、その最後の質問とやらを話せ」


 先程からだまりこくってしまった衛実が次に口にする言葉を今か今かと待ちがれていた朱音は、最終的に彼が下した決断に、ぱあ、と目をかがやかせた。


「ありがとうなのじゃ! であれば早速さっそく、聞かせてもらうとしようぞ!」


 意気揚々いきようようとした様子で話す朱音は、ビシッ、と元気良く衛実の左腰辺りを指さした。


「わらわがどうしても聞きたかったこと、それはぬしの左腰にかっておるについてじゃ」


 彼女が話の終わりにげた言葉に、衛実は突然大量の冷水れいすいを顔にぶちまけられたかのような感覚を味わった。驚きをかくしきれず、こわばった顔で朱音に問いかける。


「…………いつから気づいていた?」


「いつ? それは無論むろん、ぬしに出会ったばかりの時からじゃが……。何かおかしい所でもあるのか?」


(そりゃお前、普通に考えて、初めて会う奴の腰回りに目を向ける奴がいると思うかよ……)


 唖然あぜんとした表情でそんなことを心の中でつぶやく衛実にかまうことなく、朱音は話を続ける。


「それに、その程度の大きさであれば、先程ぬしがを取り出した袋の中におさまるであろう。にもかかわらず、わざわざ腰紐こしひもくくり付けておるのは、何か意味があるのではないかと思ったのでな。

 それで衛実、その小袋の中には一体何が入っておるのか、教えてもらえぬか?」


(……けている世間せけん知らずのガキかと思ってたが、意外と目ざとい奴だな)


 そんなことを考えながら衛実はしばらくだまったままでいたが、やがてあきめたように息をき出して口を開いた。


「……まあいいか。どうせ後で聞くつもりだったしな」


 そのような言葉を口にすると、衛実はれた手つきで腰紐にき付けていた糸をほどいて小さな袋を手に取り、その口紐くちひもゆるめて中をあさり出した。

 やがてすぐに袋の中から何かの物体を取り出し、それを朱音に向けてヒョイ、っと投げて寄越よこす。


「っ! っとと、」


 無造作むぞうさに投げ渡されたを落としてしまわないよう、朱音はあわてて両手を差し伸べ、何とか受け止めた。


 『ふぅ、』と胸をで下ろした朱音は、ゆっくりと両手を開き、その中におさまっている物の正体を確かめる。


 その手の中には、黒くられた蛇柄へびがらの、何かの衝撃でいびつに曲がったかたい金属の板が収まっていた。


「衛実、これは一体……」


 不可解ふかかいそうな表情をかべて見上げてくる朱音に対し、衛実はただ淡々たんたんと事実を告げるように説明する。


「そいつは、今の俺にのこされた、たった一つの手がかりだ。俺の村を焼いた"鬼"を探し出すためのな」


 衛実に"手がかり"と呼ばれたその黒色の物体は、彼の説明に耳をかたむける朱音の手のひらの上で、りよく差し込んできた外からの光をあやしくらし返していた。

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