追憶

 これは、ごくありふれた、とある平穏へいおんな村に暮らす1人のやんちゃな少年の身に、突如として降りかかった災厄さいやくの話である。

 ​



 13年前​───────

 近江国おうみのくに蓬莱山麓ほうらいさんろく・琵琶湖付近の村、



 初夏の水気すいきふくんだ風が吹き抜け、強いの光が木漏こもれ日となって差し込んでくる森の中。

 大人が1人通れそうなくらいの幅のせまみちを2人の少年が駆けていた。


 前を走るわんぱくそうな少年は、怖いもの知らずといった様子で目をかがやかせながら、元気良く走り抜けていく。

 一方、そんな彼の後ろをついて行く少年は、何か気がかりなことでもあるのか、時折ときおり自分たちが通ってきた道を振り返っていた。


「おい衛実もりざね、そろそろ本当にマズイんじゃないか?」


 やがてえきれなくなった後ろの少年が、前を駆ける少年に不安そうに話しかける。彼のごし気味な態度からさっするに、どうやらこの2人組は、何かろくでもないことをしでかしている最中さいちゅうらしい。


 だが、そんな彼の声も、前をゆく『衛実』と呼ばれた少年の心には届かなかったようだ。


「大丈夫だよ源太げんた! それに、もうすぐそこなんだから、つべこべ言ってねえでついて来いって!」


「そんなこと言ったって、もしこのことが村長むらおさにバレたら、きっとただじゃまないぞ?

 お説教どころの話じゃない、手鎖てぐさり付き正座ノばつが半日、その後は、倍の修練しゅうれんせられることになるぞ!」


「そりゃ"バレたらの話"、だろ? ようはバレなきゃ良いだけ。さっと行って、さっと戻る。そうすりゃ、もうこっちのモンだ!」


 衛実少年は、どうやら筋金すじがね入りの"ガキ大将"のようだ。せっかく良識りょうしきある親友がいさめてくれているのに、この少年ときたら一向いっこうに聞き入れようとしない。


「そんなこと言って、今まで何度バレてきたんだよ! 村長も言ってたぞ? "次何かしでかしたら、しばり上げてやる"って!」


 度重たびかさなる源太のうったえに、『もううんざり!』とでも言うような顔をした衛実は、一旦いったん脚を止めて振り返り、荒く息を吐き出した。


「だ・か・ら! お前はいつまで父さんの話をすんだよ! あのちゃらんぽらんの言うことなんか、いちいちに受けてんじゃねえ!」


「今回ばかりは、そうもいかないだろうが! なんでわざわざ"立ち入り禁止"の所に行こうとするんだ! 立てふだ足蹴あしげにして!」


「だったらお前、来なきゃ良かっただけの話じゃねえか。もうここまで来たんだ。いい加減かげん腹決めろって!」


「そうまでして手に入れたいもんっていうのが、本当にこの先にあるのかよ?」


 懐疑心かいぎしん丸出しで問いかける源太に対し、衛実は確かな証拠しょうこでもつかんでいるかのような顔で力強くうなずく。


「ああそうだ! 母さんがむかし言ってたんだ、この先にある滝の裏側に、"まぼろしの花"が洞穴ほらあながあるって!

 ……ほら、水の音が聞こえてきたろ? さあ行こうぜ、源太!」


 そう言うと、不思議と力がみなぎってきたのか、衛実は先程よりもさらに速力を上げて駆けて行った。

 あっという間に遠ざかっていくその背中を、1人取り残された源太は『ちょ、待ってくれよ、衛実ッ〜!』となさけない声をあげながら追いかけて行った。




 やがて2人は、目的の場所に辿たどり着いた。


 ザアアアアッ!


 がけの上から、勢い良く水が下へと流れ落ちてゆく。

 大きさとしては、"そこそこ"といった程度ではあった。それでも、2人の少年達に対しては充分じゅうぶんあつあたえていたらしい。

 衛実と源太は、眼前の滝の力強さに圧倒あっとうされて、2ふたりそろっての抜けた顔をしながらただ茫然ぼうぜんと立ちくしていた。


「………………うっわ、すっげぇ……」


「…………なあ衛実、本当にもう引き返さないか? あぶなすぎるって、こんなん」


 源太の弱気な発言が気にさわったのか、衛実はムッとした表情を彼に向ける。


「はあ? 何言ってんだよ源太、ここまで来てそりゃねえぜ。怖気おじけづいてんのか?」


「当たり前だろ! 見ろよあの滝の勢い! あんなの、どう見たって俺たちにくぐれるわけないじゃんか!」


「大丈夫だって! 俺たちももうガキじゃねんだ。あれぐらい、どうってことねえ! 日頃の鍛錬たんれんの成果を出す時だぜ!」


 根拠こんきょの無い自信を振りかざし、何のおそれもいだかずにいどみかかろうとする目を滝へと向けている衛実。それを見て源太は『もはやこの男には、何を言っても無駄だ』とさとった。


正気しょうきかよ……。だいたい、あの滝をけれたとして、その先にお前の言う"幻の花"があるかなんて本当かどうかも分からないのに………、って、もういねえし!?」


 源太が滝から自身の横に視線を移した時には、そこにいたはずの親友の姿はすでになく、代わりに滝のすぐ近くの方から彼を呼ぶ声が聞こえてきた。


「おーい源太! こっちから行けそうだぜ! お前も来いよ!」


 大きく手を振りながら、満面の笑みでこちらをている。やはりあの少年は、本当にどうしようもない能天気のうてんき、あるいはどうしようないアホなのかもしれない。


 源太は衛実の強引さに根負こんまけし、大きくため息をついてから、心持ちズルズルと足を引きずるように滝のそばへと向かって行った。




 衛実がしめした滝と岩壁のほんのわずかな隙間すきまを何とかくぐり抜けた2人は、滝の裏に形成された洞窟どうくつへと脚をみ入れていった。


 この洞窟は、大人がかがんで通れるくらいの高さ、4人が両腕を広げてちょうどくらいのはばという、横に細長い形をしていた。それだけでなく、外の滝とは別に流れの速い川があり、かなり湿しめのある環境となっていた。


「思ったより湿っぽいな……。源太、あしすべらせねえよう気をつけろよ」


 流石さすがの衛実も、この状況では慎重しんちょうに行動するようだ。川のふちせまい陸地を岩壁に沿いながら一歩一歩ゆっくりと進み、後に続く源太に注意をうながす。

 一方、源太はというと、洞窟に入ってからずっと仏頂面ぶっちょうづらで、今の衛実の注意に対しても、少し苛立いらだっているような声音こわねこたえていた。


「……うるせえ! んな事言われなくても分かっとるわ。良いからだまって前進めよ」


「んなカリカリすんなよ。そんなんで川ん中に落ちちまったら大事おおごとだぞ?」


「だから、それも分かっとるわ! というか、なんでこんな危ない場所だってのが分かってんのに、お前は考え無しに突き進むんだよ。そんなにその花を見つけるのが大事なのか?」


「ったり前だ。だからわざわざここまで来たんだ。お前の言う事も分かるけどよ、それでも俺は……っと、お……? ここは……」


 おのれうちにあるおもいをつぶやきかけた衛実は、進む先に何かを見つけ出したようで、それに気を取られたのか、途端とたんに口を閉じてしまった。


 『……衛実? どうかしたのか?』と不審ふしんがりつつ、後からやって来た源太も思わず立ち止まって『おぉ……』と声をあげる。


 彼らの前には、先程までのせまい通路とは打って変わって、天井てんじょうの高い大広間おおひろまのようなぽっかりとした空間がひろがっていた。


「まさかあの狭い場所を抜けた先に、こんな空間があったなんて……、一体こん中は、どんなつくりになってるんだ?」


「んなことよりあれ見ろって源太! ほら、あそこ!」


 内部の造りに関心する源太に、衛実が興奮した様子で話しかけながら、少し離れた所を指さしている。

 その先を辿たどると、どこか穴でも空いているのか、光が上から差し込んで来ている場所があった。どうやらそこが水源らしく、勢い良く水が流れ出ている。さらによく見ると、わずかばかりではあるけれど、それでも光に向かってめいいっぱい背をばす紫色むらさきいろの花がいていた。


 それは、まるでおとぎ話の存在が現実にい降りて来たかのような、神秘的しんぴてきな光景であった。


「……花、だ。うそだろ、本当にあったのかよ。信じらんねえ……」


 源太が呆気あっけにとられて、ぽつりと感想をらしている一方いっぽうで、衛実は『それ見たことか!』と何だか得意気とくいげであった。


「ほらな! だから言ったろ? それじゃ、さっさとりに行こうぜ!」


「おい! いくら広いからって、湿しめっぽいことには変わりないんだからな! お前こそ、足滑らせんなよ!」


「わーってるって! 良いから早く、こっち来い!」


 ついはやりそうになる気持ちをおさえて、注意をうながす源太だったが、嬉々ききとして目的の物をりにいこうとする衛実の足を止めるにはいたらなかった。

 彼のとどまる所を知らないヤンチャ坊主ぼうずぶりに、あきれを通りした何とも言えぬ表情を浮かべて、本日もう何度目かのため息をつく。


「……やれやれ、相変わらずだな」


 そんな事をボヤいて、源太は衛実の元へと向かった。





「ぐぬぬ…………、あと、少しッ……!」


「衛実まだか!? もう……、うでが限界だ!」


 目的の物は少しばかりりにくい場所にあったようで、2人は協力して採取さいしゅ活動にあたっていた。

 衛実も源太も顔を真っ赤にして、懸命けんめいに踏ん張っている。


「もーちょいだ! 頼む源太、あと少しだけえてくれ!」


 友をはげましながら限界まで腕を伸ばす。『これ以上は……!』そう思いかけた衛実の手に、花びらのひらりとした感触かんしょくつたわって来た。


「………ッ! よっしゃ! 届いた! 届いたぜ、源太!」


「本当か!? ……ふぅ〜、良かっ、」



 ズルッ!



 一瞬いっしゅんの気のゆるみ、それが源太に致命的ちめいてき痛手いたでを受けさせた。『あ!?』と悲鳴ひめいをあげて身体をちゅうへと投げ出してゆく。


「源太ッ!?」


 源太の身が川の中にい込まれる寸前すんぜん、衛実の咄嗟とっさに出した左腕が彼の襟首えりくびつかんだ。


「うぐっ!?」


こらえろ! 俺が引き上げる!」


 しかし、咄嗟に手を伸ばした事で体勢が不安定になったのは衛実も同じだった。となれば、この後、彼の身に何が起こるのかさっしの良い者達は分かるだろう。



 ツルッ。



「…………え?」


 残念ながら衛実は、今自分に何が起こったのか、すぐには察知さっちする事が出来なかった。

 彼の目にうつる様々な物が、やけにゆっくりと動く。


「「うああああああああああああッ!!」」


 2人の小さな冒険家達は、ついぞその望みをかなえることなく、真っさかさまに川の中へと落ちてゆき、その流れにみ込まれて行った。

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