第19話 八兵衛の反物屋にて 壱

 弥助やすけ一時いっときの別れを告げ、店を出発した衛実もりざね朱音あかねは、八兵衛はちべえが待つ反物屋たんものやへと歩みを進めていた。


「衛実、此度こたび会う八兵衛という者は、一体どんな為人ひととなりをした人物なのじゃろうな?」


 人通りの多い清水きよみずまでの道を、わきに寄りながら歩く朱音は、今回の仕事相手である八兵衛について『前に顔を合わせたことがある』程度の認識しか持っていない。


 さらにその顔合わせは、『自分のために協力してくれた、八兵衛の用心棒ようじんぼう達をむざむざと死なせてしまった』という、なんとも後味あとあじの悪いものであり、朱音の心の中には、今回の件に関して少なからず不安に思う所が見えかくれしていた。


 朱音が馬などにかれないようにするために、道の中央側に寄るようにして隣を歩く衛実は、どこか不安げな表情を浮かべる彼女の問いに答えようとしたが、特に八兵衛に関する情報が自分にも無いことに気づき、上手く答えられずに首をかしげた。


「悪い、俺にもよく分からねえ。

 けど、弥助とはわりと前からの知り合いみたいだし、あいつがそれほど長く関係を持つほどの人なら、くせはあるかもしんねえけど、そこまでひどい人じゃないんじゃねえか?」


 そう言いながら衛実は、八兵衛が、鬼と激しい戦闘のすえ帰還きかんした自分と朱音をめずにいたわった事や、清水寺から帰る自分達に気軽に声をかけてくれた事を思い出していた。


「ま、多分大丈夫だろ。いざと言う時は、すっぽかしゃいい」


 じつにあっけらかんとした衛実の態度に、考え込んでいた朱音は拍子抜ひょうしぬけした顔で彼を見返す。


「よ、良いのか?」


「ああ、そん時は弥助が何とかするって言質げんちも取ってあるし、最悪、襲われることになったとしても、少なくともお前のことは俺が必ず守りきってみせるからよ、そう身構みがまえずに気楽に行こうぜ」


 そう言って口元に八重歯やえばのぞかせた、ふてぶてしい顔を朱音に向ける衛実。


 衛実にも、八兵衛に対しては少なからずい目があった。だからといって、いつまでもそれを引きっていては、まともに仕事に取りかれない。


 生きるためには、例え相手が気まずい場合であったとしても、割り切って上手くやる必要がある。衛実は傭兵稼業ようへいかぎょうを続けているうちに、そういった事を自然と身につけていくようになっていた。


 『自分の事を衛実なりにはげましてくれているのであろうな』とのように感じた朱音は、感謝を伝えようと彼を見上げたが、その時にふと、服の隙間すきまから見えた包帯ほうたいに目が行き、急にまたしおらしくなってしまった。


「そうなると、またぬしに無理をさせてしまうの……。ただでさえ、まだ完治しておらぬのじゃから、無理は禁物きんもつじゃぞ、衛実」


 朱音の忠告ちゅうこくに、衛実は『当たり前だ』というように鼻を鳴らす。


「分かってるよ。けどな、俺からしたら、お前の方がよっぽど無理をしているように見えるぜ?

 たまには、その肩の降ろして、楽になんな。そのためなら、俺も手伝ってやるからさ」


 衛実の気遣きづかいに、朱音はいつまでも後向きになってはダメだ、と自らをふるい立たせると、ここまで自分をはげまし続けてくれた青年に、お礼を言うことにした。


「ありがとうなのじゃ。じゃが衛実、それはお互い様じゃぞ?

 わらわにだって出来ることがあれば、遠慮えんりょなく言うのじゃ」


 そうけ負ってみせる少女を見て、衛実は『今日の朱音は、なんか様子が違うな』という思いをいだいた。


 そして、どこか笑いをふくんでいそうなまし顔を作ると、軽く冗談じょうだんを言うような口ぶりで朱音をからかい出した。


「おっ、なんだ? 今日はまた随分ずいぶんと、気前きまえのいいこと言うじゃねえか。

 それじゃ、今日の仕事は全部お前にまかせて、俺は休ませてもらおうかな」


「ぜ、全部!? ……わ、分かったのじゃ。それで衛実が楽になれるのであれば、」


 目を大きく見開き、愕然がくぜんとした表情を浮かべつつも、何とかやりげて見せようと健気けなげに振る舞う朱音を見て、衛実は『さすがにまずい』思い、彼女の悲壮ひそうな決意をさえぎった。


「うそだよ、冗談じょうだんだって。言ったじゃねえか。お前1人に無茶むちゃさせねえって。

 ……ったく、本当にお前ってやつは、どこまでお人好ひとよしなんだか」


「じょ、冗談なのか? 衛実、本当に無理をすることはないのじゃぞ?」


 朱音がいつも以上に衛実の事を気遣きづかうので、さすがの彼も怪訝けげんな表情を浮かべ出す。


「どうした? 今日はやけに気合きあいが入ってるじゃねえか」


 そう言って朱音の方をうかがう衛実は、ふと、今日の朝、店を出る前に見た弥助と彼女のやり取りを思い出した。


「はは〜ん、さてはお前、弥助と何か取りわしたな?」


 少しニヤけた顔をした衛実に指摘してきされた朱音は、目をキョロキョロとさせ、動きも心なしかぎこちなくなり出して、分かりやすいぐらいに動揺どうようし始めた。


「な、なんのことじゃ? わ、わらわには、全く検討けんとうもつかぬな」


大方おおかた、俺を支えてやってくれ、とでも言われたんじゃねえか?」


「い、いや、あの、その、」


 狼狽ろうばいして、口をパクパクさせている朱音を見て、衛実は自分の推測すいそくが当たっていたことを確信した。


図星ずぼしか。ったく弥助め、朱音に余計よけいなことき込みやがって」


 衛実は弥助のお節介せっかいに対して小さくボヤくと、朱音に向き直って、彼女の緊張がやわらぐような言葉をかけた。


「朱音、何度も言うが、本当に無理はしなくていいんだぞ。俺はそのままのお前でも十分、助かってるんだからな」


「そ、そうなのか?」


「ああ、もちろん。だから、必要以上に気張きばる必要はねえ。お前にできる範囲で、俺を支えてくれりゃあいい。こんなふうに一緒にいてくれるだけでもな」


「そうであるか。……分かったのじゃ。そこまでぬしが言うのであれば、そのようにいたそう」


 ようやく、朱音がいつもの調子を取り戻すようになったのを確認した衛実は、軽く息をき出してから、気合きあいを入れ直した。


「よし、じゃあ朱音、今日も頑張るか」


「うむ!」


 衛実の呼びかけに、朱音も大きくうなずいて元気よくおうじた。




 やがて2人は目的の反物屋たんものやに到着した。


 その頃には、すでに店の中に店員らしき者が数人いて、開店直前の大詰おおづめをむかえてあっちこっちせわしなく動いていた。


 どのくらいの頃合ころあいで声をかけようかと衛実と朱音が店の中をうかがっていると、2人に気づいた八兵衛が作業を他の者にまかせて、こちらへと向かって来るのが見えた。


「おお〜! これはこれは! お二方ふたがた、こんな早くに来ていただいて、ありがとうございやす。

 早速さっそく、手伝ってもらおうかと思ってますが、いかんせん、ごらんの通り、ちょいといそがしくしておりましてね。

 目処めどがつきましたら、お呼びいたしますんで、そこの長椅子ながいすこしを落ち着かせて、待っていてもらえますかい?」


 八兵衛の気遣きづかいに感謝しつつ、衛実は自分達のおとずれる時間帯が適正であったかどうか確認する。


「ああ、分かった。すまない、来る時期が悪かったみたいで、迷惑めいわくだったか?」


 衛実の問いに、八兵衛は両手を振って否定する。


「いやいやいや! そんなこたあ、ございやせん! むしろ、予想より早く来てくださって、ありがたいことでさあ。

 ささっ、ではこちらで座って待っててくださいな」


「了解した。気を使ってくれて感謝する。それじゃ朱音、俺たちはここで待たせてもらおう」


「分かったのじゃ」


「それでは、また後で」


 そう言って反物屋たんものやの主人は、また店の奥へと戻っていった。


 八兵衛のすすめで、店の外に設置されている長椅子ながいすこしろした衛実と朱音は、予想していたものより上の歓迎かんげいを受けて、一安心ひとあんしんしていた。


「衛実、八兵衛という者がふところの深い御仁ごじんであって良かったな!」


 店の者に出されたお茶をすすりながら、朱音は『心底しんそこ安心した』という声音こわねで衛実に話しかける。


「ああ、そうだな。こん時ぐらいは、弥助の持つ人脈じんみゃくに感謝しとかねえとな」


 衛実もまた、八兵衛の『人あたりの良さ』にいくらか気を楽にして、軽口かるくちたたけるぐらいまで心に余裕よゆうが出来ていた。




 そんなふうに2人が茶を片手に一息ひといきついていると、やがて開店の準備に目処めどがついたのか、八兵衛がこちらの方に顔をのぞかせに来た。


「お待たせをいたしやした。では、お二方ふたがたにやってもらいたい仕事の確認をしに、店の奥へとご案内いたしますんで、ウチについてきてくだせえ」


「分かった。朱音、行くぞ」


「うむ!」


 こうして、衛実と朱音は、八兵衛の反物屋たんものやでの仕事の第一歩をみ出して行くのだった。

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