第6話 京の街 肆

 仕事を終えて、弥助の店を後にした2人は、しばらく並んで京の街をり歩いていたが、そこで不意ふい朱音あかねが口を開く。


「先のこと、上手く誤魔化ごまかしてくれたのじゃな」


 朱音が気づいていた事に関して、衛実もりざねはあまり驚かず、『やっぱりな』とどこか開き直った顔で答えた。


「なんだ、やっぱし聞こえてたのか。流石さすがは鬼だな」


「気を悪くしたのであればすまぬ。じゃが同時に、わらわに気を使ってくれてありがとうなのじゃ」


「何、れいを言われるほどじゃねえよ。

 素直に『鬼だ』とか言ったら、いくら弥助やすけでも警戒するだろ? それだと俺もお前も困っちまうからな。保険みたいなもんだ。

 むしろ、お前は気を悪くしてないのか?」


まったく気にしておらん。むしろそれで衛実の助けになるのであれば一向いっこうかまわぬ」


 おのれの身の心配より相手の事を気にかける朱音。そのかたがかつて自分が抱いてきた"鬼"の印象と全く異なっていることに、衛実は思わず己の感覚に対して疑いをかけるような気分になった。


(本当に、俺の目の前にいるこいつは、村を燃やしたと同じ生き物なのか……?)


 そんな思いが一瞬だけ、頭の中をよぎる。しかし、それ以上の考えをめぐらせることを億劫おっくうに感じた衛実は、首を振りながらため息をついた。


 現実に意識を向けるように顔を上げた衛実は、その視界の右端に圧倒的な存在感をしめす山の姿を認め、気晴らしもねてかたわらにいる朱音に声をかけた。


「朱音、あれが嵐山あらしやまだ。今はそんなでもないが、秋になると、あの山全体があざやかな赤色に様変さまがわりするんだ。俺が言うのもなんだが、結構、綺麗きれいだぞ」


 衛実の声掛けに気づいた朱音は、川に向けていた視線を彼が指差す方向へと移し、春先の青々とした山に、紅葉もみじしゅ色の景色けしきかさね合わせて微笑ほほえんだ。


「それはい。是非ぜひ見てみたいものじゃ。では衛実、この大きな川はなんと呼ばれておるのじゃ?」


大堰川おおいがわだ。桂川かつらがわとか呼ばれてもいるな。梅雨つゆとか雨の日の翌日はあまり近づくなよ。川の水が一気に増えて危ないからな」


「分かったのじゃ」



 2人がそんな具合で渡月橋とげつきょうを渡っていると、反対側から体の大きい男がやってくる。

 ぶつからないように道を開けた2人だったが、ふとすれ違いざま、男からみょうにおいを感じ取った。


 その臭いのあまりのきなくささに思わず顔をしかめつつ、男に気づかれないくらいにその姿を見つめながら、朱音は隣にいる衛実に話しかけた。


「衛実、今すれ違ったあの男から血の臭いがしなかったか?」


 朱音の問いかけに、衛実もめた視線を男の方にくれてやりながら、うなずいて答えた。


「ああ、そうだな。もしかするとこっから先は少し危険かもしれん。今日はここいらにして、一旦、宿に戻るか?」


「そうじゃな。明日あすあたり、この周辺について何か情報を集めてからでも大丈夫であろう。それに、そろそろ日も暮れる。暗くなる前に宿に泊まるべきじゃろう」


 そうして2人は、来た道を引き返して宿へと向かい始める。

 その際、先の男が前にいたため、なるべく同じ道を歩かないように気を配っていたが、男から放たれる異様いような空気を2人はその姿が視界から消えて行くまで間、ずっと警戒し続けていた。




 やがて2人は弥助の店の近くの宿に着き、そこで泊まることにした。


 何かわけでもあるのかと気になった朱音は、衛実にこの宿を選んだ理由を聞き出した。


「衛実、ここの宿は弥助の店から近いが、何か意図いとでもあるのか?」


「ああ、そうだ。

 明日、情報を集めるって話をさっきしたと思うが、その時は俺はいつも弥助から仕入しいれている」


 衛実が言い放った弥助の意外な一面いちめんに、朱音は軽く目を見開いて驚く。


「弥助は情報屋じょうほうやでもあったのか?」


「ああ。しかもすごく有用ゆうような話ばかりだ。

 もちろん、金を払うことにはなるが、その情報のおかげで後の仕事で役に立ったことが多かったし、出して損をすることはないと思うぞ」


 そこまで言って、衛実は弥助の裏の職業についての話をし終えると、今度は先程の真面目な雰囲気と打って変わって、目を輝かせて実に楽しそうな顔をしながら、宿を選んだもう1つの理由を朱音に教える。


「あと、ここの宿は近くに飯を食う所が沢山たくさんあるからって言うのも、今回選んだ理由の1つだ」


 そんな衛実を朱音は少し目を細めて、さながら探偵たんていのように、彼の本当のねらいを言い当てようと試みる。


「なるほど。……実はぬし、そちらの理由の方がしんの目的なのではないか?」


「おお、よく分かったな朱音。その通りだよ」


 むしろ『分かって当然』とでも言うような顔を衛実がするものだから、朱音はあきれを通り越して、逆に尊敬してしまうような気持ちになりながら口を開いた。


まったく、男という者は単純な生き物じゃな」


「何言ってんだ、店の周りの飯屋めしやも大事な要素だぞ。お前だって、美味い飯くらい食いてえだろ?」


「……それもそうじゃな」


「よし、そうと決まりゃ、さっさと行こうぜ。今日はやけに腹が減ってるしな」


 そうして、2人は宿に入って荷物を部屋に置いた後、飯を食べに行き、それぞれ身体をきよめて、また宿の部屋へと戻ってきた。


 だがしかし、ここで思いもよらない重大な問題が朱音に起こっていた。


「どうしたんだ、朱音。そんなにそわそわして」


 先程からみょうに落ち着きのない朱音を不思議に思った衛実は声をかけた。


「い、いやむしろ、なぜぬしは落ち着いておるのじゃ?」


 そう言う朱音は、今も衛実と微妙びみょうな距離を置いて、どこか居心地いごこち悪そうにしている。


「何が?」


「わ、わらわとて鬼とは言えど、女ぞ? 男と女が同じ部屋なぞ……、」


「は? 何言ってんだ。別に寝ることぐらい気にすることないだろ」


「じゃ、じゃが、」


「あと、そういうセリフは、もっとついてから言え」


 衛実に言われたことが咄嗟とっさに分からなかった朱音は、衛実から向けられる視線を追って顔を下に向ける。そして……。


「もっとついて? ………っ! 衛実! ぬしは!」


 顔を真っ赤にめた朱音は、衛実に向けて全力で枕を投げつけた。


「な! 何すんだ痛ってえな。やめろ人の睡眠の邪魔をすんな!」


「うるさい! この失礼なやつめ! 許さんぞ!」


 朱音は投げつけた枕を拾い上げ、今度はそれで衛実を殴りつける。


「うるせえ!いいからもう寝ろ!」



 唐突とうとつに始まった戦いは、小一時間こいちじかんほど続き、最終的に疲れきった朱音が寝落ねおちするという形で決着がついた。


「はあ、はあ。こいつ、いちいちめんどくさいことで騒ぎやがって。

 ……しかも俺の布団ふとんの方で眠ってやがる。……はあ」


 荒い息を整えた衛実は、自分の布団で眠っている朱音を彼女の布団に寝かしつけ、自身もようやく布団に入る。


「あ〜もう、ぐちゃぐちゃじゃねえか」


 そこでふと朱音がもとの姿で寝ているのに気づいた。


「……そう言えば、今はもう『変化の力』をいてんのか。あれをずっと使い続けるのも、結構体力を使うのかもしれないな」


 そして、朱音の初仕事の際に弥助が放った言葉が頭をよぎる。


「……『女の子には優しく』、か。

 確かに、あいつに無理をさせ過ぎるのは良くない。明日は俺1人で調べに行くとしよう」


 そんなことをひとつぶやきながら、やがて衛実も眠りについていった。

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