第7話 予知『夢』幻

 その夜、現代に置きえて言うのであれば1時〜2時にあたる頃合ころあいか。

 布団ふとんで横になって眠りについている衛実もりざねは、そのまどろみの中で、とある1つの夢をていた。




 それは、今まで数えきれないほど観てきたある種の『のろい』のような夢。


「はあっ、はあっ、はあっ……!」


 まるで何かにき立てられるかのように林の中をめぐる少年。

 すぐにでもこの中を抜け出したいと思う気持ちとは裏腹うらはらに、彼のあしは中々言うことを聞かない。


(待ってくれよ、父さん……!)


 やっとの思いで林を抜けた先、荒い息をついて顔を上げた少年の目の前には地獄が広がっていた。


 つい先程まで平穏へいおうな日々をうつし出していた村は、一転いってんして巨大な紅蓮ぐれんほのおの中に包まれている。


 多くの見知った人々がいたる所で身体にひど損傷そんしょういながら地にしていた。

 ある者は両腕両脚をうしない、またある者は上半身と下半身が離れ離れになって、それぞれ別の所に無造作むぞうさに転がされている。


 その中を1人、ふらふらと覚束おぼつかない足取あしどりで、少年は彼の大切なものを求めて彷徨さまよっていた。


「父さん、どこ行ったんだよ……。母さん、椛姉もみじねえ元太げんた……。皆、どこにいるんだ……」



 一体、どれだけの時が過ぎていったのだろうか。


 ごうごうとあたり一面を燃やしくす炎の熱や立ちのぼるけむりで頭が朦朧もうろうとしてきた頃、少年はついに自分が長く暮らしていたおのれの家に辿たどり着く。


 そして、つい夢であってくれと思いたくなるような光景がその目に飛び込んで来た。


「か、あさん? 椛、ねえ……?」


 すでに2人は、瓦礫がれきの山の中でこと切れていた。少年の心の中にあった幻想げんそうのようなあわい希望が、呆気あっけなくガラガラと音を立ててくずれ落ちる。


 目の前に広がる出来事がいまだ信じられない少年は、こわばった表情のまま、嫌々と首を振って後退あとずさり、何かにつまずいて後ろに倒れ込んだ。


「痛っ! なんだよ、って……」


 したたかに打ちつけたしりをさすって、自分が何に引っかかったのかを確認する少年のまなこに、さらなる絶望が押し寄せて来た。


「……そんな、うそだ。嘘だと言ってくれ!」


 物心ものごころついた時からずっと一緒にいた親友が、目を見開いて仰向あおむけに倒れながら、切りかれた胸から大量の血を流している。


「元太……」


 誰の目から見ても、死んでいることは分かりきっていた。呆然ぼうぜんとした表情のまま立ち上がる少年は、現実を受け入れず、逃げるようにその場から立ち去る。


「そ、そうだ、父さんならきっと……!」


 うわごとのようにつぶやいて、火の海の中を行ったり来たりする少年の様子は、無様ぶざますぎて目も当てられないほどであった。


 そんな風にハリボテのすくいを求めて彷徨さまよい続ける少年に、変えられようもない1つの事実が嘲笑あざわらうかのように残酷ざんこくな運命をきつけた。


「あ、ああ……、」


 少年は目にする。おのれの最も近い所に居続いつづけたあこがれの存在が、その尊厳そんげん否定ひていされるかのように無惨むざんな姿で倒れているのを。


 つねに目標にして、追い続けたひとが手足を斬り飛ばされ、ボロ雑巾ぞうきんのように打ち捨てられているのを。


「アアアアアアアアアアアアアッッッッ!」


 けものが発するようなさけび声を上げて、大粒の涙を流しながら、なりふり構わずといった様子で父の元へ駆け寄る。


 やがて己の父もこの世にはいなくなってしまった事を知った少年は、この先、何のために自分は生きていくのか、その理由を見失って途方とほうに暮れていた。

 今の彼の心を支配していたのは、どこまで行ってもてることのない『絶望』であった。


 死んだような目で特に理由もなくあたりを見回す少年の視界に、こちらに背を向けて立つ何者かの姿がうつる。


 3mをゆうに超える身長に力士りきしなみ肩幅かたはば、身体の部位一つ一つが盛り上がるような強靭きょうじんな筋肉におおわれ、ひたいに片方が異様いように発達した一対いっついつのが生えた『それ』は、血と炎につつまれたこの地獄に君臨くんりんする王のように堂々と大地を踏みしめていた。


 その異様な姿と重々おもおもしいあつを感じさせるたたずまいに、少年の心はたちまち恐怖に包まれていく。


「ば、化け物、」


 思わず口からこぼれ出た、おびえるような声に反応した『それ』がゆっくりと少年の方に顔を向けて、その目を見据みすえながら口を開く。


「これがおぬし運命さだめよ。

 そのように何もせず、ただしておのれが守ろうとした物がうばわれていくさまながめることしかお主は出来ぬのだ」


 化け物から発せられた話の内容に、何を言っているのか検討もつかない少年が1つまばたきをして目を開けると、先程まであった炎に焼かれる故郷は跡形あとかたもなく消えせて、いつの間にか彼は、別の凄惨せいさんな戦場の中にいた。


(な、なんだ? ここは一体……)


 急な展開に戸惑とまどいをかくせない少年は、あたりに目線をめぐらせて己が置かれている状況を知ろうとこころみる。


 荒野こうやだろうか。いや、何かに焼かれた後らしい。げて黒くなった草花が力無くこうべれ下げ、不意ふいにやってきた風にあおられてその生命いのちらす。


 焦土しょうどした大地に数人の武芸者が倒れていた。

 本来であれば名前も知らない存在であるはずなのに、なぜかおのれの心に彼らが倒れていることへの深い悲しみとくやしさの感情がき上がっている。


 状況が飲み込めないまま、最後に自身に目を向けて愕然がくぜんとする。身体つきはおさない頃からだいぶ成長している上に、右手は両端に刃が付いた薙刀なぎなたにぎめていた。


 ここでようやく衛実は、今までの光景が過去の出来事をうつし出した夢であったことを思い知り、この姿が今の自分なのだと自覚じかくする。


(けど、それじゃここは一体何なんだ? これもまた夢の中だってのか?)


 確か自分は、京の街のとある宿やどにいたはずである。けれど今、おのれの目の前に広がるこの景色けしきは、夢の中にしてはみょうに現実味がり過ぎる。


 戦闘中特有の、身体のどこかを負傷して、その痛みがじわじわと己の身体をむしばんでいく感覚。炎熱えんねつによってのどの奥がヒリヒリと焼かれていくような感覚。

 五感ごかんで味わう全ての感覚が、それが現実であることを彼に認識にんしきさせる。


「いつまでけた動きをしているのだ、お主は」


 夢か現実かその区別がつかず、ただただ困惑こんわくし続ける衛実に、聞きおぼえのある声が前方からかかってきた。


 ハッ、としてそちらに顔を向けると、先程目にした化け物が自分に対して身体を横向きにしながら、目線だけをこちら側に寄越よこしている。


「てめえが、俺の家族を……!」


 あの時は、何も出来ない無力むりょくな少年だった。だが今は違う。もうあの時のような弱くみじめな自分ではない。


 ありったけのにくしみと、ながくすぶっていた怒りを両手に込めて薙刀なぎなたを握り、かまえる。

 衛実は目の前にいるこの化け物をち果たすことに全神経をそそいだ。


 普通の人であれば、おそおののいてしまうほどの彼の強烈きょうれつ殺気さっきも、その化け物は平然へいぜんと受け止め、むしろ嘲笑あざわらうかのような表情を顔に浮かべて口を開く。


「ほう? あれだけのモノを受けておきながら、まだ戦おうと武器をかまえるか。流石さすがの者とは一味ひとあじ違う武士もののふよな」


 すでおのれが勝者であるとでも言うかのような余裕よゆうをみせて、呑気のんきに衛実をながめる化け物は、そんな彼を小馬鹿こばかにするように芝居しばいがかかった表情を作って話を続ける。


「だがかなしいかな。おぬしはあの時と同じように、その無力むりょくゆえに、守ることも出来ずにまたうしなう。

 精々せいぜい、このおよんでまで変わることの出来なかった己をうらむことだな!」


 『フンッ!』というけ声とともに、化け物は何も無いところから人の頭ほどの大きさがある岩を生み出して、衛実に向けてり出す。


 そのすさまじいはやさに反応がおくれ、真正面からぶつかって遠く後ろへ飛ばされて行く衛実。


「グハッ…………!」


 二転三転してうつせに倒れる衛実は、体力の限界から中々起き上がれない身体を無理矢理動かそうと、歯を食いしばりながら顔を上げて、そこで化け物が小脇こわきに何かをかかえていることに気づく。


 力無くぐったりと化け物にかれていたのは、今日の昼に彼が出会った"鬼の少女"・朱音あかねだった。


 『朱音ッ……!』とすがるように右手をばす衛実に一瞥いちべつをくれて化け物は、ふっ、と酷薄こくはくじみたみをたたえながら背を向ける。


「まこと、無様ぶざまな姿よな。この娘はもらってゆくぞ。

 おぬしおのれの弱さをのろいながら、この地獄の中でち果てるがいい!」


 そう言い残して高笑いをあげながら、朱音をかかえてどこかへ飛び去っていく化け物。


「待ちやがれッ……! 俺は、まだッ……!」


 懸命けんめいに伸ばした右腕もむなしく、衛実はおのれの視界が徐々じょじょに黒くつぶされていくのを感じながら、やがてプツッ、という音が耳元で聞こえたのを最後に、何も見えなくなってしまった。




「はっ……! はあ、はあ、はあ……」


 寝巻ねまききをあせでぐっしょりとさせてび起きた衛実は、あらい息をつきながらあたりを見回す。その目にうつったのは、月明つきあかりにらされた暗い宿の一室であった。


「…………はあ。夢、だったのか……?」


 いまだに実感じっかんかず、しばらくの間、何度か自分のほほをつねってみたり、まど障子しょうじを開けて外の様子をうかがったりしていたが、最後に目にとどめたいびつな形のまくらで、ようやく今までの出来事が夢であったことの確証かくしょうて、苦笑する。


「まさか、ぐちゃぐちゃにされた枕で思い知らされるなんてな。

 ……ったく、とんでもねえ夢だったな」


 『悪夢』以外でもなんでもない最悪の出来事が現実でなかったことに一安心し、胸をろす衛実。


 それでも、今なお頭の中に鮮明せんめいに残る記憶が、『夢』の一言ひとことでは片付かたづけられないほどの現実味をびていたことに、彼はおのれでもよく分からない不安が立ちのぼってくるのを感じていた。


「…………とりあえず、身体からだきに行くか。のどかわいたしな」


 そうつぶやいて自分の荷物から手ぬぐいを取り出し、部屋を出ていこうとした途中で、もう1人、この部屋でまることになった少女がおだやかな寝息ねいきを立てていることに気づく。


「……そういえば、なんで俺は、今日初めて会ったこいつを、夢の中であんなに手放てばなさないようにしていたんだろうな」


 答えが見つからず、釈然しゃくぜんとしない表情のまま首をかしげて部屋を出ていった衛実は、宿の井戸でんだ水に手ぬぐいをけて身体を拭き、ついでに喉もうるおして再び部屋へと戻ってきた。


 自分の布団ふとんの上にあぐらをかいて座りながら、しばらく物思いにける衛実であったが、やがてあきらめたように首を横に振る。


「…………考えるだけ無駄むだだな。弥助やすけのとこに行くにはまだ時間があるし、もう少しだけ寝るか」


 そうつぶやいて衛実は身体を横にして目をつぶると、今度はあの悪夢を再びることも無い、ただのねむりへとついていくのであった。

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